『新・伝統舞踊劇 幻祭前夜2018〜マハーバーラタより』小池博史 インタビュー

演出・脚本・振付・構成の小池博史氏

 

『新・伝統舞踊劇 幻祭前夜2018〜マハーバーラタより』は、流山、多摩、金沢、茅野、仙台の5地域の公共ホールによる連携プロジェクトです。また、公演とともに、先立って各地で3日間、一般向けの創作ワークショップ「からだと音楽で作品をつくろう!からだ×音楽=調和」を行っています。
創作ワークショップの意義、今回の公演の背景や目指すものについて、小池博史さんから様々なお話をうかがいました。

 

【創作ワークショップについて】

 

「参加者の身体の感覚を目の当たりにするのが面白い」

 

――今回の企画では、6月に公演のある流山、多摩、金沢で一般向けのワークショップを行い、その後に公演に向けた稽古、3都市公演のあと、茅野、仙台でのワークショップを行って更に公演、というような流れになっています。
 小池さんはこれまでも、国内外様々な場所でワークショップを続けてきておられますが、一般向けのワークショップではどのようなことに主眼をおいて行っておられるのでしょうか?

小池「一般向けのワークショップと、プロフェッショナルなパフォーマーとのプロダクションでは、だいぶ違うところはあります。ワークショップの場合は「参加者の身体の感覚をどう掘り起こすか」ということに一番フォーカスを当てています。特に「スロームーブメント」(参加者がゆっくりと身体を動かすワーク)は17,8年やり続けているのですが、やっていて全然飽きないんですね。なぜかというと、人によって全く出てくるものが変わっるからです。今回のワークショップでも、流山では60代、50代の人が多めに居たり、金沢では13歳の中学生や高校生、40代くらいまでの年代が居たりしてバラバラです。今までワークショップをしてきた中での最高齢は85歳。だから年齢はあまり関係なく、その人たち全員が参加しつつ何かを仕上げて行く。つまり結果を出すワークショップとして成立させるので、3日間であってもひとつの達成感が生まれるんです。「達成感が生まれる」のは大事で、単なる練習ではなく、30分〜1時間の作品としてその表現に関わる一員になっていくということ。それと同時に、彼ら自身の身体の感覚が相当に変わる、その姿を目の当たりにしていくのが私にはとても面白いんです。なので、一般向けのワークショップでは、参加者の身体感覚の変化を重視しています。そして彼らが面白がっていれば、確実に観客は面白く感じるだろう、と。演出家として言えば、一番重要だと思うのは、参加して居るメンバーがやってよかったと思えること。一般の人だろうがプロの演者だろうがスタッフだろうが、自分が参加してよかったと思えれば、間違いなく作品は良くなっています。そのスタンスはどんな場合でも一緒です。プロを相手にしている場合は、作品に対する私の思想的なものや、私自身が見たことのない世界をどうつくっていくか、が一義に来るから「同じことをできるだけやらないように」していくわけですが、ワークショップの場合は逆に、「同じことをやるんだけれども、それが毎回違う」。私がメインというより、参加者がメインになり、そこから相違がするすると出てくる状態を見るがとても楽しいです。また、参加する人によって、スロームーブメントは常に用いますが、発表作品にしていく過程でいろんな要素が加わって大きく変化する。そうなると、スロー以外の多要素、例えば速い動きや音、動きなどともリフレクトしあうんですねえ。長くやって来て、そんな面白さをしみじみ感じます。ワークショップは今まで海外でも25カ国くらいでやっていますが、国や地域によって、同じ部分と全く異なる部分が出てくる。こうした多様な面白さが得られるから止められない」

流山市のワークショップの様子(2018年5月11日~13日)

 

――ひとりひとりから出てくるものが違うということが、面白い。

小池「そうですね。もうひとつ、障がいを持つ方が参加者になることもよくありますし、長年継続して参加している人もいる。継続する方は積み重ねの安心感と新たな感覚の発見を生みますが、障がいを持つ方は、自らがこしらえてしまった壁、それ自体を超えて彼ら自身の心が変わって行く状態を見るのがとても面白い。速い動きは難しくても、遅い動きはできるし声も出せる、時には人に合わせられないこともあるけれど、それもまた良しとしながら創作に組み入れる。そういった多様であり、ひとりひとりのクリエイティブな精神、あるいは可能性をもっていることを見せつけられるので、私にとっても非常に面白いし、私自身が試される。やはり、ただのプラクティスにならないように、必ずひとつの成果として残すこと、見えるものになることが大事だと思っています」

 

「現代の生きにくさの中で、舞台が果たして行ける役割は深い」

 

――なぜ一般向けのワークショップを積極的にやろうと考えたんでしょうか。

小池「もうだいぶ以前からやっていますが、3.11がひとつの転換点になりましたね。パパ・タラフマラの活動をしながら、1990年代から2000年代と、日本の社会状況がどんどんひどくなっていくという感覚が強くなっていました。それで、いわゆる神話的と言いますか、人間の視点からではない視点からこの世界を見ていくような作品をつくっていた。でも、どんどん悪い方向に向かった。それが頂点に達していたと感じていた時期に3.11の悲劇が起きたんです。ちょうどあの日も、スタジオで作品の稽古をしていました。出演者が全員、銀色のプロテクトスーツ姿で、ラストは旗を振りながら人が走り、そこに波の音がドーンと聞こえてくる…という作品だったんです。その稽古をしているときに揺れが起きて、一旦みんな外に出て戻って来たら、あの津波の映像が流れていた。みんな、私たちが行なっていたのは何か?と驚いたんですね。具体的に津波だの原発の問題が起きると考えての制作ではなかったのですが、何かしらそういう予感があったので、本当にショックでした。私自身のあり方に関しても、このままではダメなんではないか、今の状態を超えて行くためのなんらかの新たな発想が必要なのではないかと考えました。それで30年やっていたパパ・タラフマラを解散した。それまで「いかにものを創るか」ということで、クリエーションだけを一生懸命やってきたが、それを見直すべきだろうと、もう一度ゼロに戻した状況から思考するために、小池博史ブリッジプロジェクトを立ち上げたわけです。ブリッジプロジェクトのコアにあるのは、クリエイティビティ=創造性です。そして人にどう伝えられるのか。そこで「クリエーション」「パブリシティ」「エデュケイション」の3つの柱を立てました。創作に加えて、出版物を出し、さまざまなタイプのワークショップをして、一般人、プロに関わらず、誰とでもコミュニケートしていく場を作る必要があると感じました。時代、空間はもとより、さらにいろんなものを繋ぎ合わせよう、と。だから「ブリッジプロジェクト」と名付けています。これは3.11がきっかけです。現代の生きにくさの中で、舞台が果たして行ける役割は深いと思っているので、それをどうやって伝えて行けるか、ひとつの使命感をもってやってきたということは間違いなく言えると思います」

金沢市のワークショップの様子(2018年5月15日~17日)

 

――先ほど、ワークショップとクリエーションは別だと仰っていました。一方で、ワークショップの中に作品の要素を持ち込んでみたりもされていますね。今回、ワークショップの後に作品創作の稽古があるという流れのなかで、両者はどういう風に小池さんの中で繋がっていくんでしょうか。

小池「前作『2030世界漂流』の中で、ワークショップでは何百回とやっている「スロームーブメント」を初めて作品に取り入れたんです。作品の中身を追求していくなかで必要だと考えて入れたんですが、実際の作品はそのワークショップでの多くの経験値が活かされました。通常、海外でのワークショップの参加者はプロであり、彼らがどんな発想をし、動くのか、すごく印象に残ります。いわゆるワークショップと、プロダクションとしてのクリエーションは、離れているようで、どこか近い部分があって、最初に見た、感じたものが台本に活かされ、また、実際の創作においてもどこか印象として残っており、判然としないままに反映されてしまうものです。当然、3日間だけやるのと2ヶ月稽古するのとでは違ってくる部分はありますが。それからとても大事なのは、例えばスロームーブメントの動きを行い出してから18年後に本舞台に反映されたという事実です。つまりワークショップ後すぐに回答が出なくても経験値として確実に残り、それがなんらかのアイデアを熟成させていく。なので、簡単には言えないというのが正直なところ。なにもスロームーブメントとは限らず、発想の仕方だったり、ワークショップ後に関連した演出がもたらされることはありますよね」

 

――作品の発想がそこでぽっとでてきたりすることもありますか。

小池「ワークショップは発見の連続です。もちろんワークショップだけではない。常に稽古場は新たなる何かを発見する場。それはワークショップも含まれます。人をどうみていくか、ということ。海外でオーディションをやる場合は、1人あたり5分くらいの間に、役柄や台本までをイメージして決めていく。「その人たちから何を生み出すのか、いかにキャッチするのか」それは結局同じなんです、プロでも、アマチュアでも。どんな場でも、です」

 

――今までのワークショップの中でもいろんな参加者がいたと思いますが、特に印象に残っていることはありますか?

小池「印象に残った方…いっぱい居ますねえ。何かいろいろ抱えている、「この人続くかな」と思うような大変な人が居ても、みんながその孤独を理解して、本人もだんだん開いてくる。それで最後は感動して泣くこともある。自分自身が持っている疎外されてきた何かが、外れてくる。なんらかのストッパーみたいなのが外れるんですね。例えば、知的障がいのお子さんが参加した時は、お母さんが心配していて「無理かもしれないが参加させたい」という。どうなるかなと思いましたが、最後は「すごく楽しかった」と。そう言う人をたくさん見て来ました」

 

「プロじゃない人と、どこまで創れるか。それが演出家としての力量」

 

――そうしたとき、ワークショップでの小池さんの仕方を拝見していると、例えば「身体、感覚を開かせることでその人を救いたい」と考えているわけではないですよね。シンプルに、「ひとつの上演をつくっていく」ということにおいてだけ、その人の持っているものを掘り起こそうとされているように感じます。

小池「そうです。これは、救う、とかじゃなくて、やはりその人たちの持っているものが、アーティストとしての僕の目の前にある素材なんです。その素材をどう活かしますか、というのと同じ。プロとしていいものをつくるのは当たり前で、プロじゃない人を相手にしたときに、どこまでのものを創れるのか。それが演出家としての力量じゃないかと、そう思っていますね」

多摩市のワークショップの様子(2018年5月18日~20日)。ワークショップにはリアルな市民の声が活かされ、発表公演に組み入れられた。ここで生まれた要素が、『幻祭前夜』につながっていく

 

――小池さんご自身が、どこまで自分ができるのか、腕試しをされているような感じ。

小池「そうですそうです。面白いのが、今回、音楽を担当する下町兄弟さんにワークショップから参加していただいていますが、流山のワークショップが終わったときの感想で、私のやり方、対応の仕方は「本当に、プロもアマも全く変わらないですね」と言っていて(笑)。プロを相手にしても態度としては同じだと思いますね。同じじゃないと失礼だと思うし、相手も人間だし、こっちが偉いわけでもないし」

 

――これも拝見していての感想ですが、小池さんは、舞台上で、空間や身体などから引き出してきた要素をダイレクトに繋ぎ合わせて上演を創りますね。それが、参加しているみなさんが「自分がつくっている」という意識で参加できているんじゃないかな、と。

 

小池「今回のワークショップは特にそうです。でも、台本はあっても、基本的には同じですよ。今から30年くらい前は私のイメージに強引に合わせさせたし、動きも事細かく決めて行ったのですが、それでは良い部分が死んでしまうことが多いと気づいた、というのはあります。まあ歳を取るに従って変化していったのでしょう」

 

――舞台に立つ人がどういう風に生きるのか。ワークショップでも、プロダクションの作業でも、ほとんどの時間それに費やしているというような感覚なんですかね。

小池「僕がやりたいこと、向かう方向、たとえば作品のテーマだったりといったものは決まってしまうんで、「どう調理するか」でしょうね。それこそ、胡椒を振るのか、砂糖を入れるのか、ということなので、そういう意味では、プロもアマも関係ないです」

 

【『幻祭前夜2018〜マハーバーラタより』について】

 

「アジア的な思考に取り組むことが、今後の指針になっていく」

 

――『幻祭前夜2018〜マハーバーラタより』の作品の話に入って行きたいと思います。これまで数年間、宮沢賢治を題材とした作品を創られてきて、並行して2013年からは、「『マハーバーラタ』全編舞台化計画」ということで、カンボジア、インドネシア、インド、タイなど、アジア各地で『マハーバーラタ』を題材として創作しておられますね。『幻祭前夜2018〜マハーバーラタより』は、このシリーズでは初の国内ツアーとなりますが、今回の狙いはどの辺りにあるのか、お聞かせいただけますでしょうか。

小池「3.11があって、小池博史ブリッジプロジェクトを始めた、この時からの流れで説明する必要があるかなと思います。ブリッジプロジェクトを始めるにあたって、一つは「宮沢賢治の作品をつくる」と、もう一つ「『マハーバーラタ』を、アジアの人たちと、やっていく」という柱を立てました。しかもこれはできるだけ、ホームではやらない。あくまでもアウェイで創作する。まず「なぜ宮沢賢治か」でいうと、人間の視点ではない別の視点からこの世界を観て行ったらどう見えるか、という点からでした。『マハーバーラタ』に関しては、アジアで最も多くの人に知られている物語であること、そして、現代のヨーロッパ型の直線的思考が限界に達している時に、アジア的な思考に取り組んでいくことが、今後の大きな指針になっていくのではないかと考えたことが挙げられます。ヨーロッパ型の思考ではもはや限界なんですねえ。なぜかは省略しますが、遅きに失していると感じなくもないけれど、それでもアジア型の循環する思想を捉えて、進めて行く必要があると考えています。特に東南アジアの踊りや音楽、あるいは日本の踊りや音楽もそうですが、大地とコネクトしていますね。ヨーロッパのバレエを見てみるとわかるかと思いますが、これは天とコネクトしています。身体をぐっとまとめて上に引きあげていくんですね。そうではなく、大地、僕たちの身体そのものが深く地に根付いている。こうしたことをもっと認識するためにも、アジアの人々とやっていこうと考えたわけです」

――特に東南アジアとの協働が多いですよね。

小池「この取組みを最初にカンボジアやベトナムで始めたのは、アジアの中での最も大きな悲劇〜ポル・ポト政権の悲劇や、ベトナム戦争〜があった地域だということと関係しています。『マハーバーラタ』と同様に広く知られた物語として『ラーマーヤナ』がありますが、『ラーマーヤナ』はどちらかというと大団円を迎える。その一方、『マハーバーラタ』は、神々の話で始まりながら、最終的には全員が滅びてしまう。滅びの物語、崩壊の物語なんですよね。そこが大きな違いです。「崩壊の物語」を通して今の時代を見返してみると、いま至る所に崩壊のほころびが出来ているのが見えてくると思います。例えば、核施設や爆弾がわかりやすいですが、第二次世界大戦以後、私たちはパラドキシカルな世界に住むようになった。世界各地で技術が発展し、ほころびが世界中に平等に広がっている。いつ何時、何が起きてもおかしくない。「滅びる」ということを真剣に考えて行かないといけない時代に入っています。神々も滅びるのであれば、果たして人間はどうなのか。これについてもう一度考えて行くうえで、直近で悲劇のあったカンボジアでクリエーションを第一歩として行うというのは重要でした。悲劇的なことのひとつの例を挙げましょう。クリエイターを現地で探したんですが、居ないんですね。ダンサーやミュージシャンはいる。が、自ら、ゼロから新しく作品を作り出す作曲家や詩人、作家、衣装のデザイナーなど、そういった人がきわめて少ない。創造的な、いわゆるエリート層はみんな殺されてしまって、その後育っていない。2013年だとクメールルージュが終わってすでに34年も経過していましたが、本当にもう空っぽ状態だったんです。簡単には「創作のタネ」は生まれないと言うことです。クメール文化を誇ったカンボジアがそうなっていた。すごくそれを実感できる状況でした。ただ、みんな明るいんです。異常なほど明るく、悲劇を口にはしない。そんな感じです」

 

――なるほど…。カンボジアは一番最近まで、もっとも悲劇の中に置かれていた国。他方、日本人は、もちろん大きな自然災害や3.11はありつつも、そうしたことに直面していないと、「自分たちは平和に暮らしてきた」と勘違いをしているかもしれない、という気がします。もっとも、沖縄には自分の人生の中に悲劇の記憶を持っている人がまだ多くいると思いますが。

小池「第二次世界大戦の後、日本が何で経済大国になったか。それは朝鮮戦争やベトナム戦争の特需があって復興したわけです。それさえ忘れた中にいるのが、繁栄できてしまった自分たちであり、それは偶然によってもたらされ、更に言えば、なんの責任も取らずに戦争を忘却のかなたに押しやったという安穏がある。一方で、沖縄の基地をみればわかるように、沖縄にだけ押し付けている。間違いなく矛盾を孕んだ事実としてこれがあるわけですが、考えないようにして生きてきた、いや一種差別の中で生きるのを平気だと感じて来た。そういうなかで、一方カンボジアの人にとってみれば、できるだけそういう記憶を忘れたい。出演したカンボジアのダンサーも兄弟が何人か殺されている。でも、普段はみんなめちゃくちゃ明るい。どうしようもない記憶があって、忘れていきたい、その一方で忘れてはいけないこともたくさんある。戦うということは間違いなく悲劇を生んで行きます。余計な、いろんな損失を受ける。戦争が起きると軍事産業で潤う国のほうへ富が吸い寄せられ、そうでないところは疲弊して行く。そういう構造自体を、日本人もカンボジア人も意識していかないといけない。強くそう思って始めたのが「マハーバーラタプロジェクト」なんです。自分たちがこの仕組みをどう受け止めていくのか。今後の世界をどうつくっていくのか。その意識喚起を起こすために、このプロジェクトを始めたということです」

「“幻祭前夜”戦いというのが、幻になってくれれば…」

 

――小池さんにとって、今『マハーバーラタ』を通して現代を考えることから、どんなインスピレーションがありますか?

小池「例えば、『マハーバーラタ』で面白いのは、今でいう核兵器のようなことが当時(2000年前)の記述に書かれているんですね。全部を滅ぼすようなことを扱える人間がいることが描かれている。でも実際の問題は、嫉妬だったり、悲しみだったり、非常に感情的なことが問題であったりする。ここは非常に興味深いところですね。『マハーバーラタ』でなぜ大戦争に発展したかというと、クル家の長兄ドゥルヨーダナというのがパーンドゥ家への報復を考えている。いつまでたっても許せずに、ずっとそのことを考え続けている。それは現代にもあります。許しを与えるのではなく、脅威や辛苦を一生懸命植えつけ続けて、外部に敵をつくっていくことで内部を安泰化させる。今の日本を見てもそうです。そういう細かないろんなエピソードがたくさんありますが、僕たち自身の生が、これとどう関係しているか。強くコネクトしていると思うんです。考え方を少し変えるだけで、状況はいい方向にも悪い方向にも転がって行く。その転がって行くさまを作品を通じて感じてもらえたらとは思っています」

 

――『幻祭前夜』というタイトルがついていますが、これはどういうところから来ているのでしょうか?

小池「今回の物語は戦争に至る前までを描いているんですが、タイトルに「戦争」とはつけたくなかった。「戦いというのが、幻になってくれれば…」というような、「戦争ではなく、“幻の祭り”のような実際には起きないことに変わってくれたら」という希望を込めて、タイトルをつけました」

 

「違いを認めながら新しい文化を生み出していく」

 

――今回の作品でも、バリ、タイ、インド、琉球などの古典舞踊、京劇、アクロバット、大道芸など、それぞれ全く異なるバックグラウンドを持つ方々が出演します。これはどうしてなんでしょうか? 

小池「人間には、違いがありますね。違いが有る中でそれを強調するか、違うけど調和できるのか、だと思っていて。パパ・タラフマラの時からそうなのですが、同じような人を集めるのではなく、違っている人を集めることで、新たな文化をもたらす可能性がある。例えば、「マハーバーラタ」全篇に参加していたマレーシアの舞踏家がいますが、日本の舞踏を見たことがないまま舞踏を始め、新たな舞踏が生まれる。インドネシアのダンサーが来て、その驚異的な動きを見て、アジアとは何かを考えるきっかけになったりする。伝統的なもの、新しい感性、常に新しい要素に出会えば新たな「認識」が生まれ、可能性が出てくる。そもそもパパ・タラフマラを始めるときに、一番始めにやりたいと思ったのが、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』でした。『百年の孤独』は、アマゾンに新たな村を開拓し、そこにいろんなところから人が集ってくる。新しくやってくる人たちで、新しい文化をつくっていく話だと読み換えることもできる。今のピジン、クレオール文化なども、違いを認めながら新しい文化を生み出していく方法であり、思想だと言っていい。ひとつの調和型の文化を新しく捉えていく。そういった視点から、僕の舞台では、「バラバラな人でありながら、バラバラでない何かをつくりだせる」ということをカタチにしている、といっていいのではないかと思っています」

 

――それは今回『マハーバーラタ』を上演するという時においても、かなり本質的な部分ですよね。

小池「そうですね。それをアウェイでやることが重要で、私も出向いて、私自身も合わせます、互いに合わせつつ、主張も行う関係性を築く、と。その土地にいる人たちとも調和を生み出す。つまり、お互いがイコールの立場にたつ。こちらが強いのではなく、常に対等にものをつくっていく、ということかと思います」

 

――みんなアウェイ。アウェイに立つ人同士で、舞台の上にどう新しいカルチャーをつくっていくかという取組み、ということですね。…そうすると、クリエーションはどういう作業になるのでしょうか?

小池「それはなんとも説明が難しいんですね(笑)。状況によって随分違います。一般的には、シーンごとにまず場面や台本の説明を僕のほうからしますね。それで「このシーンだったらあなたは何を考えますか?」というのを振ってみます。振ってみて、何か出してくる、そこから私のほうで選択したり編集したり、あるいは変形させて新しく変えていく。つまりは、いろんな方たちそれぞれがクリエイターになっていくということだと思います。ただし、もっとも重要なのはリズムです。それだけは私自身が出します。ここは根幹になるので絶対に譲れない」

 

――そういう時に、それぞれの人から「ウチの古典ではここういうことがあって・・」などという風に解釈やアイディアが出てくる?

小池「それはもちろんあります。だから例えば「インドだとクリシュナ神はこういうポーズで笛を吹いている」「じゃあそれを取り入れましょう」という話しになっていく」

 

――お互いの伝統や専門に追求してきたことなどを介して触発し合うことを、小池さんも仕掛けていくし、みんなの間で交わされることで上演作品としてまとまるにしたがって、ひとつの文化になっていくと。

小池「あと、やっている人たちがそれを「面白い」と感じるようにしていく必要がありますね。そうやって面白いと思わせるのが僕の役割です。それは音も、空間も、彼らの動きもそうで、「なんかやったことがないけど面白いな」と思えるようにしていく。例えば去年、タイの素晴らしいダンサーと一緒にやりました。彼が、舞台が終わったあと「これほど自由にできて、なおかつ色んなクリエイティビティが高まったのは初めてだ」と言っていたんです。そうできたのはもちろん素晴らしいことですが、それだけお互い真摯な態度だってことなんですよ。お互いに信頼し合えたことがあった。信頼、これが一番大事なんですよね。

 

――なるほど…。まさに信頼こそが調和を生んでいくベースになるものかもしれないですね。

 

「仮面や人形には、異界への入り口のようなものがある」

 

――ところで、今回、仮面を用いてたくさんの人物を表現していくということですが、日本も含めアジアでも、よく仮面を使った演劇や舞踊もあるように思います。

小池「仮面を使ってやったことある方ならわかるかと思うんですが、着けた瞬間にがらっと変わるんですよ、演者のメンタルも含めて。変えられないと仮面劇にならない。仮面や人形には、特にどこか異界への入り口のようなものがあるんですよね。大昔から使われているし。いろいろ見ていった結果、僕は、仮面は男性が生みだしたのではないかと考えています。女性は別の世界を内側へ抱え込んでいますが、そうではないのが男性。ですが、この世、こっち側の世界だけでは成り立たない異界が昔は大きな口を開けていた。その異界との接触を男性が試みよう、境界を超えようとしたときに、仮面が出て来たのではないかと。日本の芸能なども非差別社会にあって、異界に接している民が担っていた。観阿弥世阿弥の仮面を見ればわかるんですが、すごく怖いんですよ。まさしくあの世とこの世に行けてしまうような、そういう世界が昔は近かったのではないかと」

――例えば「死」とかってことですか。

小池「死もそうだし、動物界、自然界もあるでしょう、何か異なるものに包まれてしまうという」

 

――今の社会は、実は感情のもつれで核戦争をしてしまうかもしれないくらい、すごく近くに、偶然的に異界があるにも関わらず、直面していることが実感できない社会でもあるのかなと思います。

小池「そうですね。異界の核のボタンを押してしまうというか、異界が見えていないんです。そう考えていくと、舞台というのは、トランスする非常にいいメディアだと思うんです。トランスするというのは人間が人間であるために非常に大切な要素ではないかと思うんです。今の社会はわかりやすいことばかり選び取っている。目の前のことほど、わかりやすいですよね。古代から現代まで、人間の社会は100年とかのスパンで普通に考えていたはずなのに、最早そうではなくなってしまった。それやっていると100年の計はつくれないんですよね」

「『バラバラにみえないのはどうしてなのか』を意識して観て欲しい」

 

――最後に、小池さんはご自分の舞台芸術作品で何をつたえているとお考えですか。

小池「普段はよく「舞台空間を使ってひとつの命をつくりだしている」と言います。ひとつの鼓動が生まれている、その場自体が生々しい、艶かしい空間になっていく。そういうことを「命をつくりだす」ことだと考えていますね。高校の時、建築家になりたかったんですが、アントニオ・ガウディの建築を見て「この生々しさはなんだろう」と思った。あるいは、マイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』に触れて、フェリーニの映画を観て、すごいショックを受けて、感動して。共通するものは何かっていうと、フェリーニの映画自体が空間を孕みながら蠢く力だったり、マイルス音楽の、音楽を超えた力が押し寄せてくる感じだったり。あるいは、中学2年の時、フルトベングラー指揮の『未完成』を聞いて、それまで大嫌いだったクラシック音楽がまるで魔物が弾いているような音楽に聞こえてきたり。そういう、たぶん何か僕たちの力では制御できない‘圧倒的な力’を伝えたいと思って来た。そういう作品に影響を受け、これが一番人間の根幹に響くと感じて来たからなんです」

 

――人の中から出てくる、そういったわけのわからないバイブレーションというか。そういう感じですね。

小池「そうですね、能楽もすごいなと思うし。もちろん演者によりますが」

 

――これから来る観客のみなさんに、今回の作品について、舞台芸術の表現としてここに注目して欲しい点があればお伺いしたいのですが。

小池「参加している人たちのバックグラウンドがそれぞれバラバラなんだけど、バラバラに見えないと思うんですよ。「バラバラにみえないのはどうしてなのか」…それを意識して観て欲しいと思います。音楽も、琉球音楽とインド音楽とコンテンポラリーな作曲家と、下町兄弟さんのジャンベやラップが入る。「これでどうやって混ぜ合わせるの?」みたいになってくると思うんですけど、変なことにはならないんです。やり方次第。私たちの世の中でもそうですが、どう混ぜ合わせて、調和、新しい文化を創っていくのか。どういうやり方をしていくのかが大きく問われてくるんだと思います」

 

――そこを仕上げるシェフの腕前を観て頂きたいと(笑)

小池「そうです(笑)。シェフだけでなく、もちろん素材も、ですね。素材が良くないとどうにもならないですから」

 

――どうもありがとうございました。

 

インタビュー・構成/野村政之
(舞台写真は2015年上演時のもの)