蜷川幸雄インタビュー<後編>『青い種子は太陽の中にある』&『NINAGAWAマクベス』について

ジャニーさんは演出家の心理がよくわかっているんだ。

 

一時は体調が危ぶまれたものの、文字通り創作をエネルギーに代えて「蜷川幸雄80周年」を快調に邁進中の蜷川幸雄。8月にシアターコクーンで上演される『青い種子は太陽の中にある』は、亀梨和也を主演に迎え、寺山修司が20代で書いた音楽劇を立ち上げる。そして9月には17年前にシェイクスピアの本場イギリスで絶賛された『NINAGAWAマクベス』を、キャストを新たに上演する。インタビューを通して語られた、創作への意欲と自分への。車椅子も酸素吸入器も、その激しさは止められない。

 

 ──8月の『青い種子は太陽のなかにある』は、寺山修司が20代で書いた音楽劇で、亀梨和也さんが主演、音楽監督を松任谷正隆さんが担当されることで話題です。

「俺にはね、ずっと前から演歌でミュージカルをやりたいという気持ちがあるの。なぜならそれは、日本人にしかつくれないから。ヨーロッパ音楽をそのままやったら、向こうにはかなわない。俺は自分達にしかできないことで一流の作品をつくって勝負したいんだ」

 

 ──彩の国さいたま芸術劇場で上演された『2012年・蒼白の少年少女によるハムレット』はストレートプレイでしたが、ベテラン演歌歌手のこまどり姉妹が『ハムレット』の世界にいきなり登場して代表曲の「幸せになりたい」を歌うという驚きの演出がありました。蜷川さんは60年代から、こまどり姉妹を生活者の象徴として捉えて「もしここに彼女達が出てきたら、この舞台は対抗できるのか」と、ご自分達の作品を検証していらっしゃいました。演歌は日本に生まれた音楽だからという理由だけでなく、欧米文化を相対化する機能があるとお考えですね。

「そう。あともうひとつは様式ね。シェイクスピアでもギリシャ悲劇でも、海外戯曲をやる時には、我々の美意識でしかつくれないものをやってきたつもり。『タイタス・アンドロニカス』(06年)で、手足を切るシーンで出したのは血糊じゃなくて、リリアンの赤いリボンなんだけど、ロンドンの新聞は“血糊と赤いリボンの対決”と題して“(この舞台の演出の)リリアンの勝利だ”と評価したの。つまり“ヨーロッパに追いつけ、追い越せ”とあっちのリアルを真似したって、リアルという名の様式にしかならないだろうと俺は思うわけ。そして我々のリアルは、すでに様式の中にあるんだから、それを最大限に使おうと思ったのね」

 

  ──演歌のミュージカルも、その方法のひとつだと。

「『青い種子~』は、もう曲は出来ていて演歌ではないんだけど、ただポップスで音楽劇をつくったっておもしろくない。そう考えた時に、ユーミンの『陰りゆく部屋』を思い出したんだよ。昔それを聴いて“おお、日本にプロコル・ハルム(67年にデビューしたイギリスのバンドで、ロックにブルースの要素を取り入れた。オルガンをフィーチャーしたアレンジが特徴的)が出てきた”と思って驚いたのを覚えていて」

 

 ──それで、ユーミンのプロデューサーである松任谷さんが音楽監督なんですね。亀梨さんとの出会いは?

「かなり前に、大阪のコマ劇場で同じ時期に舞台をやっていたんだよ、上の階と下の階で。その時に、ジャニー(喜多川)さんが連れてきて紹介してくれたの。ジャニーさんがすごいのは、そういう時は必ずふたり、対象的な組み合わせで連れてくるんだよ。演出家の心理がよくわかっているんだね。大人しそうなのが好きなのか、ワルそうなのがいいのか、見定めているんだな(笑)。その時は、真面目そうな亀梨君と、もうひとりは不良っぽい子で。挨拶だけだったけど、亀梨君は非常に頭が良さそうで、とてもいいなと思った」

シェイクスピアは、いまだにわかんねぇ。

 

 ──9月には『NINAGAWAマクベス』が17年ぶりに再演されます。『NINAGAWA』と付くこのバージョンは、舞台全体を仏壇にした美術などが評判を呼び、イギリスでの蜷川さんの評価を決定的にした伝説の作品です。

「仏壇のアイデアは、兄貴の命日で実家へ帰った時に仏壇の前に座って“ああ、これからはここで兄貴と話をするんだな”と思ったら、突然浮かんだの。“死者との対話だ、これはイケる”と思ってね、その日ちょうど美術の妹尾河童さんと打ち合わせをする日で、東宝へ着いて“仏壇、仏壇”と言いながら会議室のある8階まで一気に駆け上がったんだよ。若かったね(笑)」

 

 ――主演が平幹二朗さんから市村正親さんに代わります。

「市村さんが何年も前から『マクベス』をやりたいと言っていたんだ。彼との初仕事は『ハムレット』(01年)だけど、最初は俺のこと、偉そうだから仕事したくないと思っていたんだって。でも初めて会った時に、俺が“やあ”って手を挙げた笑顔がよかったから一緒に仕事をするって決めたらしいよ(笑)」

 

 ──演出は大きく変えずに?

「美術のアイデアはそのままだけど、細かいところをどうするかは稽古をしてみないとわからない。忘れている部分もあるし、もう何年も、演出は稽古場で即興でつけているしね。ただ、こういう舞台を必死につくった人間達がいるんだってことが、あの時代を知らない世代にも伝わるといいなと思っている。それが通用するのか問うことも含めてね」

 

 ――毎月のように演出作品が幕を開けるのは、蜷川さんの通常運転のようになっていますが、8月から10月のラインナップを改めて考えると、村上春樹と寺山修司とシェイクスピアという、相当に降り幅の広い劇作家3人です。

「凄いねぇ(笑)」

 ――それぞれの作家性についてお話しただけたら。

「村上さんは壮大な悲劇と小さなディテールをくっつけてい書いているから、実はすごく難しいんだ、演劇的にバランスよく見せていくのが。大きな物語と小さな物語という、お客さんにとって矛盾するものをどうやって同時に伝えられるか、具体的に形にするのは大変なんだよね。作品は昔から好きだから、その文体を何とかして自分の演出に生かすことを1番に心がけた。寺山さんとは同い年で、作品もかなり観ていて、おもしろいとは思ったけど、自分はこういうものはつくらないだろうなと思っていたのが、こうして演出するようになるんだから不思議だよね。でも生前に話をしたことはなかった、唐(十郎)か寺山かで言ったら、唐さんに近いほうに俺はいたから」

 

 ──今度の『青い種子は太陽のなかにある』もそうですが、寺山戯曲の中で蜷川さんが手がけられるのは、『身毒丸』や『血は立ったまま眠っている』、『あゝ荒野』と、少年性が強く打ち出されたものばかりですね。

「いつだって俺のテーマのひとつは、60年代の傷だから、それが少年性に託されることはあるかもしれない。あと寺山さんの戯曲で言えば、母親のおっぱいとか、ネルの下着の匂いとか、前近代的な物語だと自分が入り込む余地があるかなと。『レミング』とか『盲人書簡』は、寺山さんの戯曲の中でもヨーロッパ(的なものを指向している)なんだよな。それは俺、興味がないんだよ」

 

  ――シェイクスピアは多くの戯曲を手がけられてきましたし、『マクベス』を始め、何度も演出した作品も多い。1番最初に『ロミオとジュリエット』を演出された74年よりも、かなり仲良くなれているのではないですか。

「シェイクスピア……、いや、わかんねぇ。『ハムレット』なんか、やる度に“えー、こんなこと言ってたんだ”と思うんだよ。やる度に必ず大きな発見がある。そういう意味ではやっぱり凄いんだよね。『マクベス』も、きっとそうなるんじゃないかな。“ここはこんな意味だったのか”って、きっとまた驚くよ」

 

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取材・文:徳永京子