美輪明宏 主演『黒蜥蜴』美輪明宏 インタビュー

その美意識に誰しもが酔いしれる
退廃的にして壮大な悲恋物語

 

江戸川乱歩の探偵小説を三島由紀夫が1961年に翻案、戯曲化した「黒蜥蜴」。その発表以降、名だたる俳優たちがこの名作に挑んできたが、とりわけ多くの観客を魅了しつづけてきたのが美輪明宏主演版だ。

今年春、美輪自身が演出・美術・衣裳までを手がける同舞台が2年ぶりに上演されることになった。名探偵・明智小五郎と、妖艶な美しさを持つ女盗賊・黒蜥蜴との退廃的にして壮大な悲恋物語が再び劇場によみがえる。

 
美輪「昨年は江戸川さんの生誕120周年、今年は三島さんの生誕90周年にして没後45年と節目の年が続き、私も80歳になります。同い年だった寺山修司さんとの『毛皮のマリー』も考えましたが、江戸川さんにちなんだ記念をまだやっておりませんし、再演希望の声も多かった。それに、80歳の黒蜥蜴というのもなかなか面白いじゃないと思ったんです(笑)」

 

三島が紡ぐ修辞を凝らした詩的で麗しいセリフ。そして、生前の江戸川とも三島とも親交が深く、その世界観を熟知しているからこそ可能な美輪の演出。舞台では、現代人にとっては新鮮にも感じられる美意識が溢れている。
 
 

美輪「今の20代、30代の方は三島さんのことなにもご存じないですから。三島さんのセリフは、レトリックをふんだんに取り入れたすてきなものばりです。例えば、『あのときのお前は美しかったよ。(略)真白なスウェータアを着て、あおむき加減の顔が街灯の光りを受けて、あたりには青葉の香りがむせるよう』というセリフ。頭でずっとア行の韻が踏まれているんです。とにかく戯曲全体が計算し尽くされています。昔の名画からヒントを得ていることもある。それを見つけて本人に指摘すると、『嫌なヤツだなあ』と言われましたけど(笑)。そういえば、私がナレーションを務めたNHKのドラマ『花子とアン』での『ごきげんよう』という言葉が流行語大賞に入りました。『超かっけえー』なんて言葉が氾濫する一方で、実はそういった美しい日本語を求める方も多いのではないでしょうか」

 

美輪が演じる緑川夫人(実は黒蜥蜴)と明智との関係については、「耽美主義と知性のせめぎ合い」と語る。
 

美輪「自分の知識や教養を凌ぐ相手が初めて現れ、勝負しようとするうちに、完全な形で愛が燃え上がり相思相愛の関係になっていく。ただここで、普通の男女のように肉体関係を持ち、次第にほころびを生じさせていくのではなく、愛を今の理想的な形のまま、ストップモーションにすることを彼女は選ぶんです。それには〝死〟しかない。そうやって明智の胸に、若い完全な自分を焼き付けようとする。三島さんの死にも通じています」

 

’60年代後半、アングラ演劇ブームの火付け役となった演劇実験室◎天井桟敷の「毛皮のマリー」を観た三島が、2度断られてもなお美輪に懇願し、実現したのがほかならぬこの美輪版「黒蜥蜴」。初演は1968年。すでに半世紀近い時が流れた。
 

美輪「まあ、よくやってきました。再演というと、日本では『またか』と、まるでよくないことのように言われますが、だったらシェイクスピアや歌舞伎はどうなるのでしょう(笑)。再演は、例えば、『このセリフはこんな心象風景で言うべきだった』といった新しい発見の積み重ね。ただ『黒蜥蜴』は、14センチのヒールを履いたままだったり、早変わりもあったりと、肉体的に一番つらい作品でもあるんです。老残の身はさらしたくないですから、今回が最後の公演になるという覚悟で舞台に臨もうと思っています」

 

インタビュー・文/大高由子

Photo/御堂義乗

 

 

【プロフィール】

美輪明宏

■ミワ アキヒロ 長崎県出身。16歳でプロの歌手となり、「メケメケ」「ヨイトマケの唄」などが大ヒット。俳優としても寺山修司の「毛皮のマリー」などでアングラブームを巻き起こす。現在、演出・美術・照明・衣裳・音楽などを手がける総合舞台人としても活躍を続ける。