小池博史ブリッジプロジェクト『2030世界漂流』 小池博史 インタビュー

現在、東京・吉祥寺シアターにて上演中の『2030世界漂流』より小池博史さんのインタビューが到着しました!


――今回の公演はどのような公演になりそうでしょうか?

出演者が三ヶ国(フランス、インド、日本)で各々バックグラウンドが異なった素晴らしいパフォーマーによる、スーパーな舞台。スーパーシアターは演劇や舞踊を超えた舞台芸術です。2030年という近未来ですが、大きくこれから12年間でパラダイムが変わっていくでしょう。産業構造も政治体制も移民、難民も増えていくと予想される。それはすでに一部の国々では始まっていることが世界規模になり、日本にも押し寄せるだろうと考えられる。その状況を熱狂的に描いています。

 

――最近、ノンバーバル公演が増えてきていると感じます。身体のみで表現するということについて小池さんなりの魅力を教えてください

舞台は身体のみで表現しているのではありません。身体は要素のひとつ。他に空間、時間という大きな要素があります。バーバル、ノンバーバルという考え方より、バーバルであってもノンバーバルでも身体の舞台だとの考えの方が大切です。しかしバーバルの舞台は極端に意味に偏っていると言って過言ではないでしょう。だが元来舞台芸術はそういうものではなかった。今回の出演者の1人であるシルク・ドゥ・ソレイユにいたフィリップが言った言葉なのですが、「フィジカルシアターって言葉があるが、そもそも舞台はフィジカルなもの」との言説が多くを物語っています。言葉は重要だが、言葉では語りつくせない力を舞台作品は持つ。空間や時間はもちろん、総合的身体力はきわめて重要なんです。
もしノンバーバルな舞台が増えているとするなら、意味に偏った「わかりたい」意識からの脱却という気分が大きくなってきているのかもしれません。わけのわからない時代がそうさせているのかも、です。

 

――セリフがない、ということで、とっつきにくいと思っているお客様もいらっしゃるかと思います。「こういう風に観るといいよ」と言ったような事はありますか?

とてもわかりやすいこと、ものを尊ぶのが今という時代です。わかりやすさに飛びつくのは、人々の空想力が落ちて来たことが原因だし、なんでもわかりやすさを求められる社会がそうだから、との大きな原因ゆえです。すると人々もそうなってしまいます。時代的要因ですね。
私の作品は音と空間の動きを見るだけでも楽しいと思います。ロック的ブルーズ的音楽やフリージャズ的だったり、可愛らしかったり、演奏家の音楽を聞くだけでも楽しい。かつ今回はフィリップというシルク・ドゥ・ソレイユでは道化師をやっていた男の芸を見るだけでも楽しいです。それにインドの女優が絡み、さまざまなバックグラウンドの演者が絡むと小さな場所が一種の壮大な宇宙空間と化すかの如き感触が得られます。ゆえに子供でもまったく問題がありません。

――これまで様々な場所(土地)で公演を行っていると思いますが、場所によって反応が違うといったことはありますか?

あります。40か国で公演して来ていますが、世界でも最も静かなのが日本人です。
人の顔色を窺うのが日本人です。人が笑って入れば笑うが、黙っていると自らを押し殺してしまう。
あとで「とても笑いたかったのですが、みんな笑わないのでなんとか堪えました。」といった意見をよく耳にします。もっと自分の感情に素直でいいのではないかと感じます。
作品全体の反応としてはさほど違いません。ただし海外では多くの頻度でスタンディングオベーションがありますが、日本ではまずないですね。

 

――今回の公演、どんな方に観てほしい、またどんなところを観て欲しいというのはありますか?

子供たちや今後のことを考える大人たちに、です。子供の教育にはとてもいいと思います。子供はとにかく素直です。その子供のうちに全感覚的に訴えかけていく作品を見せたいなと思いながら作っている気持ちもゼロではありません。むろん大人でも大丈夫な人は大丈夫。意味ばかり追いかけたがる人の方が難しい。ですが、元来、芸術は意味を超えるのです。

――最後に読者へメッセージをお願いします。

私たちは未来を考える必要があります。もちろんそれには過去の歴史が大きな参考書となります。思考せよ、というと難しく感じるかもしれません。しかし本来、私たちには責任があります。社会に向かい未来への可能性を残すという責任です。その中で生み出そうとしている作品ですが、きわめて高度な技量の演者、音楽を聴くだけでも価値があります。悲しくも希望に満ちた作品になっています。