山形県の大石田町にて「新春特別ダンス公演」として、2月1日(土)に『地、鳴らすをどり』が、2月11日(火・祝)に『芸術家は超自然に何を見出すか』がそれぞれ上演される。これは大石田AIR(アーティスト・イン・レジデンス)の企画によるもので、児玉北斗や平山素子といったアーティストが町に滞在して作品の制作を行い、上演までを実現させるプロジェクトだ。
これまでにも大石田AIRはダンサーにかぎらず国内外からアーティストを招き、滞在制作のサポートを行ってきた。冬の寒さが厳しい2月の山形の地で、いったい何が生まれるのか。大石田AIRの主宰にしてダンス・アーティストである大橋武司に、今回のプロジェクトの構想や狙いについて、そして大石田AIRの今後の展望について話を聞いた。
文化・芸術の持つ力の本質的な部分を追究し、
関わった人々に何かしらの変化が生まれるように
──「新春特別ダンス公演」として、2月1日と11日にそれぞれ作品が上演されますね。このプロジェクトの成り立ちについて教えてください
大石田は四季の変化が鮮やかな町で、これまでにもさまざまなアーティストを公募し、滞在制作から成果発表までをサポートしてきました。とはいえ雪国なので、この真冬の時期はいろいろな面でシビアです。でもちょうど一年前、町の民俗資料館で雛人形の展示をやっているタイミングで、その資料館に隣接する「聴禽書屋」でダンサーの近藤基弥さんの作品を上演したら想像以上に人が動いた。この「聴禽書屋」はかつて歌人・斎藤茂吉が暮らしていたところだということもあり、集客に繋がるいくつかの要素が重なったからなのかもしれません。なので、工夫しだいなのだと思いましたし、この時期だからこそ表現できるものがあるはず。そういった意図から今回はすでに国際的に活躍している方々にこちらからお声がけし、「新春」というには遅いのですが、華々しいものをやりたいなと思ったんです。
──それぞれの作品にはどのような構想がありますか?
1日に上演する『地、鳴らすをどり』は、児玉北斗さんの作品である『Wound and Ground』を「大石田Ver.」としてリクリエイトします。児玉さんの踊りは“地面を押す”という動きが印象的で、その行為をとおして見えてくる身体性を観客に提示するものになるのではないかと。一週間ほどの滞在期間の中でクリエイションをして発表します。11日の『芸術家は超自然に何を見出すか』では平山素子さんの新作を上演するのですが、視界が不自由な中でパフォーマンスをするような作品をいまのところ考えていますね。この土地ならではのイメージでいうと、雪でホワイトアウトするような。そういった環境を舞台上に生み出したいなと。こちらにはタップダンサーの米澤一平さんと民謡歌手である木村里美さんもお招きし、コラボレーションしていただく実験的な作品になると思います。
──そういった構想について、実際に滞在制作がはじまるまではオンラインでやり取りをしているのでしょうか?
そうですね。主にオンラインで話し合いをして、テーマ的なものはこちらから提案し、現地で何をするかをある程度は事前に決めています。ただ、先にガチガチに固めてしまうと、滞在制作するAIRの醍醐味が無くなってしまうので、環境に合わせて柔軟にやっていけたらなと。それから、『芸術家は超自然に何を見出すか』では公募アーティストとして演出家・振付家の鈴木佳奈子さんもお招きし、彼女の作品も上演します。なので11日はダブルビルですね。鈴木さんは長らくロシアで活動をしていた方で、演劇寄りの作品になるのではないかと思っています。AIRのメンバーである椛島一くんは役者でもあるので、彼のサポートによって、児玉さんと平山さんの作品とはまた毛色の異なるものが生まれるのではないでしょうか。
──滞在制作ならではのクリエイションの進め方で、運営サイドとしても作品の完成形が完全にはイメージできないところが面白いですね
同じテーマで制作に取り組んだとしても、アーティストごとにまったく違うものが生まれますからね。大石田での滞在期間中にアーティストが五感で得たものがクリエイションに繋がり、作品へと発展していく。感性の面だけでなく、取り組む姿勢もアーティストごとにまったく違います。僕は大石田町の地域おこし協力隊の一員として活動していて、2021年の7月に大石田AIRを立ち上げました。この地の文化・芸術を活性化させる大きな目的もありますが、僕自身がダンサーなので、自己研鑽も重要な目論見のひとつ。都会から離れた大自然に囲まれた環境で、さまざまなアーティストたちと交流することによりそれが実現します。現在のAIRのメンバーは、ダンサーの久保田舞さん、椛島くん、そして僕の3人で、これまで国内外の舞台芸術に携わってきました。なので大石田AIRはアーティストをサポートするだけではなく、クリエイションの内部のより深いところにまで入っていく。これが大石田AIRの面白みであり強みです。
──今年で発足から4年になりますが、手応えとしてはいかがですか?
業界内での認知度は少しずつ上がってきていると思います。ただ、一般の観客の方々の作品へのアクセス向上に関してはまだこれからでしょうか。たとえば、一口に「舞台芸術」や「身体表現」といっても、アーティストごとにまったく違うものが生まれることを僕たちは知っていますよね。でも、お客さんたちにはまだそのことがうまく伝わっていない。大石田AIRの活動を追っていただければ、これを体感できると思うんです。アーティストによってこんなにも違うのかと。とはいえこの3年半で、固定で来てくださる方々も生まれました。アプローチの試行錯誤を繰り返し、もっともっと広がっていくことが課題です。
──やはり長い目で見る必要がありますね
ただ、AIRで滞在制作するアーティストはダンサーだけではありません。音楽家の小畑亮吾さんは、一年かけて大石田の四季をリサーチし、4編からなる『冬春夏秋』という楽曲を制作してくださいました。町の防災無線を使用して、毎夕6時の時報として町民の方々に親しまれています。舞台芸術などとはまた違う、アーティストと大石田の繋がり方ですね。それに昨年の9月には、この楽曲をモチーフにした音楽劇『あの銀杏の木と6時の調べ』を制作して上演しました。これは大石田AIR企画による「ダンスフェス」内の一作品で、声楽家のご夫婦や演劇活動をなさっている地域の方々なども巻き込んだ、祝祭的な作品となりました。あの時点での大石田AIRの集大成的なものになったと思います。これもまたひとつの、アーティストと大石田の特別な繋がり方でした。
──大石田AIRの主宰を3年半やってきて、大橋さん自身にダンサーとしての変化はありますか?
僕はこれまで、ニューヨーク、ベルリン、そして東京で活動してきましたが、作品づくりをするうえで“場所”というのはあまり関係ないと個人的には思います。ただ大石田に関しては、圧倒的につくりやすい環境だとも感じていますね。創作活動というのは環境に大きく左右されるものだと思うので、いまの僕のスタイルやダンサーとしての身体は、大石田の生活に合ったものになっているというだけです。「東京」と一口に言っても、東京にだっていろいろありますからね。大石田に移住してから、とにかく柔軟になったと思います。AIRで交流するアーティストはいわゆる同業者ですが、運営し、発展させていくにはいろんな人々との関係が重要になってくる。東京でダンサーだけをやっていたら、出会うことのなかった方もたくさんいます。踊りや身体にはダンサーの内面が表れるはずですから、そういった意味では僕のダンスも大きく変わってきているのを実感しています。自然に囲まれた環境で、意識が変わったのももちろん大きい。情報にしろ食べ物にしろ、摂取するもので変わりますから。
──最後に、今後の大石田AIRの展望についてお聞かせください
まずは今回の「新春特別ダンス公演」を成功させることです。いや、何をもって成功とするかは置いておいて、大石田で滞在制作するアーティストにとっても、観客のみなさんにとっても、そして僕らにとっても、豊かな時間になればいいなと思います。その後のことに関しては、「AIRとは何なのか?」と、原点に立ち帰る必要性を感じているところです。文化・芸術の持つ力の本質的な部分を追究し、関わった人々に何かしらの変化が生まれるように。僕が個人的にも興味のあるアーティストたちがつくり上げる『地、鳴らすをどり』と『芸術家は超自然に何を見出すか』を上演することで、また見えてくるものがあると思います。
取材・文/折田侑駿