爍綽とvol.2『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』開幕レビュー

2025.01.31

むかしむかし、ある夜のバルコニーでのことでした。
世界に祝福されない愛を密かに温めあった二人の男女がおりました。男の名はロミオ、女の名はジュリエット。バルコニーからふと下を見下ろしながら、その姿の、存在のあまりの愛おしさにジュリエットはこう言って手を伸ばします。
「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」
ここから先の展開、その悲しい恋のラストは世界中の人が知るところだろう。愛し合う二人の手は繋がれることはなく、結ばれないままにその命を終える。恋愛悲劇の金字塔、ウィリアム・シェイクスピアの『ロミオ&ジュリエット』の結末である。

でも、もし、二人が本当は生きていたとしたら? 
生きて、家庭を築いていたら?
あの悲しみのバルコニーに、“朝”を授けることができたら?
浅草九劇にて開幕した爍綽と vol.2『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』(作・演出:萩田頌豊与)は、そんな世界的悲恋におさめられてしまったロミオとジュリエットの運命の裂け目に、何かが違えばあったかもしれない未来に手を伸ばした作品である。

本作は東京にこにこちゃんの本公演として2022年の夏に初演、劇作家・萩田頌豊与の喜劇における類を見ぬこだわりが余すことなく込められた代表作の一つである。作品に通底するメッセージと熱量はそのままに、登場人物のバックボーンに至るまでの大幅な改稿と、爍綽とというプロデュース公演ならではの個性豊かな俳優陣の共演によって、そのifの世界は新たに彩られた。まさに、物語そのものと再びしっかりと手を繋ぐような力強さで。本記事では、その一部についてレビューする。

舞台上にはロミオ(海上学彦)とジュリエット(佐久間麻由)が向かい合って立っている。
ここは霊廟で、ジュリエットの手に握られているのは薬の瓶だ。二人を巡る悲しみのクライマックスから幕を開ける、のかと思いきや、どうやら死を回避する作戦プランがあるらしい。しかし、ロミオがその話をまるで飲み込めず脱線しまくるので全く先に進めない。そう、この物語におけるロミオはちょっと、いや、かなりおバカなのである。そんなロミオにしびれを切らし、半ば強引にプランを進めるしっかり者のジュリエット。海上と佐久間のハイテンポな掛け合いも相まって、その様はまさにボケとツッコミ、さながら夫婦漫才のようである。
くだらないやりとりによって食い止められる死の発端。そうして動き出す、新しい物語。

霊廟の背景が文字通り180度回転し、そこに現れるのは、和室とちゃぶ台。まさに“朝ドラ”のようなどこにでもありそうな普遍的な家族の風景である。冷たくさみしい霊廟の壁の背面に広がる、慌ただしくも温かな居間。夜から朝へ、闇から光へ、そして、悲劇から喜劇へとひらかれていく風景は、思わず目を細めてしまうほどに明るく、眩しい。物語にぴたりと寄り添う美術や音楽や照明が瞬く間に変幻する中、愛らしい登場人物たちが続々と出てくる。家族が、仲間が、そろったのだ。ここからが二人の朝の、もう一つの物語の本当の始まりだ。

朝ドラ顔負けのファミリー喜劇に不可欠なのは、やはり子どもたちの存在だろう。この家にはロミオとジュリエット夫妻だけではなく、二人の間に生まれたミア(清水みさと)、ペレッタ(てっぺい右利き)、マグノメリア(土本燈子)の三人の子どもがいる。今日は新学期の始まりでもあるらしく、それぞれがその準備に追われている。ちょっぴりヘンテコで愛らしい子どもたちはしょうもないことで兄妹喧嘩をしたり、恋愛をめぐって親に反抗をしてみたりと、そのやりとりはどこか昭和の風情を思い起こさせる。しかし、このままベタなホームドラマ展開を辿らないところが萩田節。訳ありの過去を持つ使用人・チューシー(高畑遊)や、さらに上いく訳ありの今を持つ訪問者・ゾイ(ブルー&スカイ)、そのまたさらに上をゆく全てが謎に包まれた男・モリアン(吉増裕士)と、素性の見えない変な大人たちが子どもに負けぬわんぱくさで暴れ回る。さらに、ミアの幼馴染で失礼なのか律儀なのか分からないけど憎めないクルル(東野良平)や、マイペースながらも時に大胆な発想で周囲を驚かせる親友のトット(内田紅多)も交ざり、ますます賑やかな日々が始まっていく。

誰にも似ていない、登場人物たちのユニークな人物造形は萩田作品きっての魅力。そこには、どんな人間も愛し、愛されるべき存在である、という人間の生への絶対的な肯定が忍ばされているようにも思う。台本に仕掛けられた怒涛のボケ数と、その「笑い」のスピードと間を心得た俳優陣の見事な技量によって3分に1回は会場から笑いが起きるのだが、実はそれぞれが秘密を背負っていたり、葛藤を抱えたりと、いくつものドラマが同時進行しているのである。家族愛、きょうだい愛、恋愛、友愛、そして、夫婦愛…。舞台の下手で、上手で、中央でいくつもの愛がきらきらと交錯し、そして、少しずつうねりを見せていく。

子どもたちの成長に目を細めながら、ふと二人きりになったロミオとジュリエットは在りし日のバルコニーに思いを馳せる。階下にいるロミオを見下ろしながらめいっぱいに手を伸ばすジュリエットが「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」と言ったあの名シーンの舞台だ。あの時、ロミオもまたジュリエットを見上げ、手を伸ばしていた。同じ高さの目線で語り合うことができる今を慈しむように、二人はうんと身を寄せ合って愛おしい思い出を辿り、そして、このささやかな幸せがいつまでも続くようにと祈る。

時を同じくして町では年に一度のお祭りが開催されるようで、子どもたちはその日を今か今かと心待ちにしていた。在りし日のバルコニーと来たる夏祭り。やがてこの二つは運命の裂け目を縫い合わせるかのように深く結びついていく。その接続が舞台上に立ち上がる時、この物語の、二人の恋の、誰も知らない結末が明らかになる。

「思い出って、幸せになればなるほど思い出さなくなるものだと思ってた」
「綺麗な女はね、高いとこに登った方がいいんだ!」
「永遠なんていらない」
「また明日ね」
ボケに次ぐボケの合間で光るいくつもの言葉たち、その点と点が星座のように結ばれていくとき、舞台上に思いもよらない風景が立ち上がる。

「ああ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」
ここから先の展開、その悲しい恋のラストは世界中の人が知るところだろう。
だけど、どれだけ伸ばしたって届かなかった、引き離されるばかりの夜ではなく、互いをぎゅっと結び直すような別の“朝”が、そこから連続する日々が二人にはあったかもしれない。儚い春が終わって、賑やかな祭りの夏が来るように。それらが当たり前にやってくると信じられる時間が、朝が、たしかにあったのだとそう思う。

「手は届かないよりも届いた方がいいし、繋がないより繋いだ方がいいんだ」
涙で視界が霞む中、煌めく一筋の光に向かって、心の中で思わず手を伸ばす。この物語と少しでも長く手を繋いでいたい一心で。それはきっと、客席と舞台の境界をも飛び越えていく。飛び越えていくのだと信じている。

取材・文/丘田ミイ子