『ザ・ヒューマンズ─人間たち』稽古場レポート

2025.06.09

気鋭の劇作家で映画監督でもあるスティーヴン・キャラム作の家族劇『ザ・ヒューマンズ―人間たち』。トニー賞受賞後、映画化もされたこの話題作が桑原裕子の演出で日本初演される。6/12(木)の初日開幕に向け、着々と準備が進む稽古場を訪ね、少しずつ出来上がりに近づきつつある今作の魅力を探ってみた。

日本版キャストは見事なほどにズラリと演技派が勢揃いしており、失恋したばかりで傷心の弁護士である長女・エイミー役に南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代が扮するほか、次女・ブリジット役を青山美郷、ブリジットの恋人・リチャード役を細川 岳、認知症の祖母・モモ役を稲川実代子、何かと心配事の多い母・ディアドラ役を増子倭文江、不眠症の父・エリック役を平田 満が演じる。

舞台はニューヨークのチャイナタウン。ブリジットとリチャードが暮らす古びたアパートメントに集まった、ブレイク一家。家族はそれぞれ、実はなかなかにシリアスな悩みを抱えている。感謝祭を祝うため久しぶりに全員が顔を揃えることになったのだが、時間が経過していくにつれ、少しずつ各自の悩み、秘密が明らかになっていく……。

まず、今作の特徴と言えそうなポイントのひとつが、二階建ての舞台装置だ。上階と下階にそれぞれ二部屋ずつあり、中央のらせん階段で繋がっていて、まるで“ドールハウス”を覗き見るような気分で観客はその四部屋を行き交うブレイク家の人々の動向を見守り、会話に耳を傾けることとなる。
その重要なセットが稽古場に建て込まれ、本格的な稽古が始まってから約1カ月。開幕まではもう少し間があるという段階の5月下旬、稽古場に入ると“ブレイク家で歌い継がれていた”という設定の劇中歌を練習するキャストたちの歌声が耳に入って来た。どうもうまくハモれなかったのか、エリック役の平田が「俺は協調性があるから、つい周りに合わせてしまうんだよ」と冗談めかしながら言い訳をしていて、家族役の面々やスタッフたちからは自然と和やかな笑いが巻き起こっている。
立ち稽古も2周目に入ったところで、じっくりと進めていた1周目に比べると本番に近いテンションとスピード感で、あるスタッフによれば「瞬きができないくらい」と形容するほどに熱の入った稽古が順調に続いているとのこと。そのわりに、ピリッとした空気というよりはリラックスし笑い声の絶えないキャストたちの間に流れる空気からは、既に家族同士のような気安さが感じられる。

稽古を開始する前に、この日は特別に“消え物”、つまり劇中に実際に俳優たちが口にする食べ物や飲み物が用意され、味を試したり、口に入れてみてセリフが言いにくくないかどうかの検証が行われた。ダイニングテーブルに用意されたのは“前菜”や“ワイン”。演出の桑原が「皆さん、食卓のほうへお集まりください!」と声をかけると、家族たちはワイワイと移動し、それぞれの席に着く。
「このシーンでは、できれば積極的に食べてほしいんですよ」と、希望を伝える桑原。感謝祭を祝うブレイク家のディナーの場面では、特に母・ディアドラ役の増子は次女・ブリジット役の青山から「ママ、口ん中いっぱいだよ」と言われたりするだけあって、結構な量を口にしなければならない。その加減を把握するための、貴重な機会でもあるわけだ。
用意されたのは、食べやすくカットされたり味付けや見た目を工夫された食材たち。ワインも色や糖分に配慮しつつ、数種類の飲み物が並ぶ。キャストたちはそれぞれ「こっちの味付けのほうが食べやすいね」とか「これは甘すぎるから水で割ったほうがいいかも」とか意見や自分の好みを伝え、候補を絞っていく。増子の「セリフで“おいしい!”って言っているくらいなんだから、本当においしいもののほうがいいよね」との言葉には、皆が揃って頷いていた。

そしてディナーの場面を、本当に前菜をつまみ、ワインに見えるドリンクを合わせて飲みながらひととおり演じてみることに。台本には「乾杯」をして食事を始めるシーンには“一同アドリブで”とのト書きがある。自由度があるということは、その分スリリングな場面にもなりそうだ。桑原が「では、やってみましょう!」と声をかけると、「感謝祭おめでとう!」とハグしあう家族たち。早速、増子がかなりの量の食材を口に入れて勢いよくセリフを言い始めると、長女・エイミー役の山崎がつい笑ってしまい、ますます和気藹々度がアップしていく。

さらにその後のシーンで、祖母・モモ役の稲川が飲み物をひっくり返してしまい、それをブリジット役の青山とリチャード役の細川がペーパータオルなどを使って掃除するにあたり、想定の時間内に掃除が完了できるかを検証。ちなみに、この場面では別の部屋で電話をかける山崎と、その声をたまたま彼女の死角にいたため聞いてしまう平田、という二人の動きも同時に進行するため、そちらの動きのタイミングとも掃除の手順を合わせる必要が出て来る。と、いうように今作は四つの部屋のあちこちで同時多発的にドラマが動いているという仕組みになっているのだ。
観客はもちろん自由に好きなところを観ていいわけだが、おそらく「目が足りない!」と思うことになりそうだ。話の流れに合わせて追っていったり、セリフの声の大きさで注目対象を変えたり、次は誰が何をしでかすか勘を働かせてみたりしながら眺める部屋を選択してみてほしい。
この一例だけでなく、この芝居にはこうしたスリリングな場面がノンストップ、リアルタイムで進行していく。

無事に本日の検証ポイントが終わると、短い休憩を挟んで通常の稽古が始まった。この日は中盤から後半に入ったあたりの場面の稽古で、まずは桑原がホワイトボードに各自のキャラクターの現況を書き出しておいたものを使って、ひとりずつ解説して共有する作業が行われた。たとえばエリックなら“プレッシャー”や“恐怖”、エイミーなら“体調復活による安定”や“あきらめ”、ディアドラなら“理解されない悲しみ”や“自虐”、ブリジットなら“不安から苛立ち”や“自己否定”、リチャードなら“リラックス”や“不具合の許容”、モモなら“習慣的な使命感”や“薬の効果による眠気”……など、その人物の心境や立場などが具体的に書かれていて、それとは別に壁に貼ってある相関図も併せて、それぞれの関係が瞬時に確認できるようになっていた。
桑原が各自に向け丁寧に説明したうえで「この通りでなくてもいいのですが、このような変化が起きるのではないか、ということを踏まえつつやってみましょう」と声がけをし、稽古が改めてスタート。

先ほどのパーティーの後、時間が経過している場面にあたるため、各自の本音の部分がチラチラと見え隠れするやりとりが交わされていく。父が、他の家族たちとは微妙に違う目線でいる様子だったり、ひとりだけ実の家族ではないリチャードが徐々に彼らと馴染んできたように見えたり。そこにちょっとしたハプニングが重なることで、それぞれの感情に揺らぎが生じ、率直な気持ちを感情的に口にし出す家族たち。家族だからこその遠慮のないやりとりに、前半では見えていなかった部分がつつかれてほころび始め、痛々しいほど辛辣な空気が漂い出す。

また、この芝居のもうひとつの特徴でもあるのが、それぞれのセリフが絶妙に重なり合うこと。リアルな会話と同様に、それぞれが口にする言葉尻が少しずつかぶったりするため、何度も繰り返し会話を交わしてしっかり息を合わせていくことが何より大事になってきそうだ。

会話のニュアンス次第という場面が多いため、演出の仕方、各俳優の演技の方向性によってブレイク家が殺伐とした家族にもなれば、哀しく切ない関係性の家族にもなるし、コメディ風にもホラーチックにも変化しそうなところにも、この作品の面白味がある。
今後、稽古を何度も繰り返すことで、おそらく家族間の親密度がアップしていき、セリフのかけあいの妙もかなりの見どころになるはずだ。ビターな内容ながらもなぜか笑えてしまったりもする、ヒネリの効いた稀有な魅力が詰まった家族劇。期待はますます高まるばかり、初日の幕が上がるのが楽しみだ。

取材・文=田中里津子
撮影=宮川舞子