
ストレート・プレイから音楽劇からオペラまで、さまざまなスタイルで世界各国で上演され続けている、19世紀を代表する未完の戯曲『ヴォイツェック』。この作品を、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』の脚本家でもあるジャック・ソーンが翻案し、ゲオルク・ビューヒナーによる原作を現代的に解釈した新バージョンがこの秋、日本初演版として幕を上げる。上演台本・演出は小川絵梨子が担当し、主人公のヴォイツェック役を森田剛が演じる、この話題作にヒロイン・マリー役で出演するのが伊原六花だ。森田とは昨年上演された舞台『台風23号』で共演したばかりでもある伊原、舞台での活躍も顕著ながら映像作品にも数多く出演し、7月期のドラマ『恋愛禁止』では主演を務めるなど幅広いジャンル、役柄に挑み、その成長ぶりに注目が集まっている。今回のマリー役もかなり演じがいがありそうな難役だが、作品や役柄についての手応えなど目を輝かせながら語ってくれた。
――まずはこの『ヴォイツェック』という作品に、この顔合わせで小川絵梨子さんの演出で、とお話をいただいた時の心境からお聞かせください。
私は小川さんの演出された作品を客席から何度も拝見していまして、いつかご一緒させていただきたいと思っていましたし、昨年の『台風23号』で共演させていただいていた森田さんが主演だということも聞き、この素敵なキャストの方々と演出家さんとご一緒できるのであれば!と思い、もう即決でお返事しました。
――二つ返事で「やる!」と決められて、そこから台本を読んでみたという順番ですか。
そうですね。それも、最初は上演台本ではなく、その前の段階の翻訳台本を先にいただいて。そこから変更があることをわかった上で、ざっくりとしたストーリーだけ理解しようと思って読み、その後に上演台本をいただいたという流れでした。
――原作の、作品自体のことはご存知でしたか?
いえ、知らなかったです。でも調べてみたら、白井晃さんの演出で、赤堀雅秋さんの脚本でも舞台化されていることを知って(2013年『音楽劇 ヴォイツェク』)。『台風23号』の時に赤堀さんとお話していて、白井さんとご一緒した仕事の話をされていたので「この作品のことだったのか!」と改めて気づきました。
――ご縁がある演目だったんですね。それで、上演台本と翻訳台本で読み比べてみて、やはり変更部分は多かったですか。
もちろん、根本的なテーマやヴォイツェックという人の描き方には大きなズレはなかったんですが、この物語をどう見せていくかという、その見せ方が全然違いました。翻訳台本の方はセクシャリティな部分が多めに描かれていて、それはそれでダイレクトな生々しさがあり、想像もしやすいのですけれど。そもそも翻訳台本が送られてきた時に「そういう描写は一切なしにします」という趣旨の小川さんからのメモが付いていたんです。その意図としては、そういった絡みの場面がなくてもヴォイツェックの孤独さや社会からの孤立みたいな部分は描けると思うので、ということでした。翻訳台本には翻訳台本の良さもありましたが、でも今回の上演台本では、より一層ヴォイツェックの葛藤であるとか、本当はいい人で本気で「がんばらなければ!」とひたすら自分を追い込んでいった故に狂気に陥ってしまうという人間らしさみたいなところが際立っていた感じがして。だからこそ、マリーはそのヴォイツェックにどの時点で違和感を覚え、どこから「あれっ、この人、大丈夫かな」と思い始めたのか、そういった二人の関係性もクリアに見えやすくなった気がします。
――一度ご一緒してみたかったということですが、小川さんの演出のどういうところに魅力を感じられていましたか。
私自身も舞台を拝見していて素敵だなと思っていたんですが、とにかく同業者である舞台俳優さんたちから何度もお名前を聞くんです。これだけ大勢の方から「ご一緒してみたい」とか「ご一緒してみて本当に素晴らしかった」と言われる小川さんは、どういう演出をされるんだろうととても気になって。稽古場の雰囲気もあちこちからお聞きしていて、決して甘い方ではないと知っていますが、それでも「ぜひまた一緒にやりたい」と思わせる魅力は何なんだろうという想いが、まずはご一緒したかった一番の理由かもしれないです。
――今回演じられるマリーはどういう印象の女性で、現時点ではどう取り組もうと考えていますか。
冒頭の場面でのヴォイツェックとマリーのやりとり、雰囲気って、明るくて幸せな空気に満ち溢れているんです。二人でドイツ語を勉強しながらキャッキャ、キャッキャしている感じにも思えたので「えっ、この二人がどうなっていくの?」とも思ったんですが、物語が進むにつれてヴォイツェックにはヴォイツェックでトラウマがあるし、マリーはマリーで母親へのコンプレックスみたいなものがあって。そうやってお互いに抱えているものがある中で、毎日肉の匂いがする部屋で暮らし、子供もいる、けれどお金がないという状態ですから、自分たち同士が好き、愛してるだけではどうしようもできないわけです。それでも必死に生きていくうち、少しずつズレが出てきてしまうのかなと思っていて。ただ、マリーってちゃんと強さを持っている子で、ヴォイツェックとの会話のやりとりも「一歩下がってついていきます」という女の子ではなくて、一緒に並んで歩けるカッコ良さ、強さがあるところが彼女の魅力のようにも感じています。これからの二人の人生をどうしていこうという普遍的な悩みを持ちながらも、マリーにとってはやはり目の前のヴォイツェックと子供しかいないんです。そこを中心に据えてどうにかしよう、ちゃんと生きようとしている女性なんだということは、泥臭くもしっかりと表現していきたいなと思っています。
――再び森田さんと共演するにあたって、今はどんなお気持ちですか。
『台風23号』という舞台でご一緒した時は、同じシーンもありましたがそれほど多くはなくて。でもずっとお稽古場で稽古をされている姿を見ていると、とても真摯でまっすぐで、演出家に言われたことをとにかくやってみるという姿勢にすごくリスペクトを感じていました。ですから、今回はがっつり言葉を交わしてご一緒できることがすごく嬉しいし楽しみです。私自身は翻訳劇をあまりやってこなかったので、わからないこと、新たに発見することが多い作品になりそうですし、それに森田さんだけでなくイキウメの舞台で何度も拝見していた浜田信也さんや、ぜひご一緒したいなと思っていたみなさんとも初共演できることが本当にありがたいので、もうボロボロになる覚悟でこのカンパニーの中に飛び込もうと思っています。
――映像作品でもご活躍ですが、舞台のお仕事ならでは感じている魅力とは?
たくさんあります!(笑) そもそも舞台を好きになった理由は非日常に連れていってもらえるところで、赤い座席に座り、開演のブザーが鳴って幕が上がる瞬間が大好きだったんですけど。このお仕事を始めてからいろいろな種類の舞台を拝見して感じるようになったのは、たとえば主人公に共感したことで、自分の人生や日々の生活を振り返ってみて新たに発見できることがあったり、考え直すべきことが見つかったりすること。つまり今の伊原六花の人生だけだったら、誰かと話した時にひとつの受け取り方しかできないところが、ある舞台を観たあとには「もしかしてこの言葉には裏があるのでは」とか「もしかしたら実はこの人は家で大きな喧嘩をして、今ここにいるのかもしれない」とか、その人物の裏側であったり、そこまで過ごしてきた日々を思う想像力みたいなものを、舞台からすごくもらえているように思うんです。観る側、としてはそこが魅力かなと思います。
――では、舞台に立つ側として感じる魅力とは?
立つ側としては、やはり“ショー・マスト・ゴー・オン”という言葉の通り、いざ幕が開くと誰にも止められないものですからね。なので、そこで起きる反応は舞台ならでの面白さだと思います。たとえばドラマだとお芝居ができるのは、段取り、ドライ、テスト、本番の4、5回くらいですが、舞台だと1日の稽古でも何度も同じシーンをやり、私のアイデアはもう尽きるくらいまで全部出し、さらに演出家さんや共演者の方々からもアドバイスをもらいつつ、他にも案はないか深掘りしていくと、それまでだとひとつの言葉から3段目までしか引き出しを開けられなかったのが、日々稽古することで45段目まで開いた!みたいなこともある。そうなると今度また全然違う台本に取り組むことになっても、あの時は45段目まで開けられたんだから今回だってもっと開けられるはず!と思えるようになるので。そういう、もう何も出ないと思った先にも何かあるんだと信じられる舞台の稽古が、私はすごく好きなんです。立つ側としても、ものすごく学びの多い場所が舞台だなと思っています。
――何度も繰り返す稽古やレッスンが、性に合っているんでしょうか。
たぶん、好きなんだと思います。ドラマとかで瞬発的に起きる、その時にしか出せないものもすごく好きなんです。でもやはり全員揃ってしっかりと準備をして、同じ目標に向かって「よしやるぞ!」と息を合わせて、それができた瞬間もすごく楽しい。ただ、今は舞台の稽古って学校みたいな感覚もあるんです。自分にはまだまだ足りないものも多いですし、知らないことも多いんですが、どなたかから「そうじゃない方法もあるよ」と指摘していただける場って、舞台以外にはなかなかなくて。毎回「ああ、稽古って大変だな」と思いながらも、結局はその大変さが身になっている実感をこれまでたくさん味わって来ていますし。そういう意味でも、とにかくできるだけ素晴らしいキャスト、素晴らしいスタッフや演出の方とご一緒できるように、そこに呼んでもらえる可能性を増やしていきたいんです。「おっ、こいつは学ぼうとしているな」と気づいてもらえるような、そういう行動をしていきたいと思っていた時に、まさにこうして素敵な機会をいただけたのでぜひともすべてを吸収したい!と強く思っているところです。
取材・文:田中里津子
ヘアメイク:瀧川里穂
スタイリスト:矢部うらら
セットアップ: Mizuid
リング: colza flap
Tシャツ&ピアス: クレジットなし
◆問合せ先
Mizuid/03-6303-2746 https://mizuid.com/
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