
『ままごと』『iaku』『劇団普通』『マームとジプシー』『小松台東』『ぱぷりか』『劇団アンパサンド』——
小劇場界の次世代を担う劇団が数多く選ばれてきた、若手の登竜門「MITAKA“Next”Selection」。
第26回となる今年は、「いいへんじ」と「東京にこにこちゃん」の2劇団がラインナップされている。
今年の3月末に三鷹市芸術文化センターを退職するまで、出演劇団の選出に関わってきた演劇ジャーナリスト・森元隆樹が、前回の「いいへんじ」中島梓織インタビューに続き、東京にこにこちゃん主宰・萩田頌豊与をインタビュー。
創作の原点から今回の作品に込めた想いまで、率直に語られたその言葉から、劇団の現在地と未来が見えてくる。
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前回の「いいへんじ」中島梓織さんのインタビューに続いて、今回は、今年のMITAKA “Next” Selection の第2弾「東京にこにこちゃん」萩田頌豊与さんです。よろしくお願いします。
萩田:よろしくお願いします。いやあ、でもほんとに思うんですけど、今年の2劇団が「いいへんじ」と「東京にこにこちゃん」って、なにげにすごいなあって。真逆というか両極端な劇団ですもんね(笑)。
MITAKA “Next” Selectionって、今年で26回目なんだけど、最初から「今年の共通テーマは」とか全く決めないようにしていたんだよね。とにかく、担当である演劇企画員が公演を観て歩いて「この劇団は面白い」と思ったところに声をかけてきたので。だから、自分たちが面白いと思うなら、ストリートプレイでもいいし、ダンスでもいいし、コメディでもシリアスでも関係なかったから、「いいへんじ」と「東京にこにこちゃん」が並んでいても、三鷹の担当者の中では何の違和感も無い感じなんだよね。
萩田:なるほど。そうなんですね。三鷹が作ってくださった2劇団合同チラシの、それぞれの劇団からのメッセージも、トーンが全然違いますものね。
私の年齢が今年で10歳ってやつね(笑)。校正来た時「まあ、劇団がこれでいきたいんなら」と修正無しで戻したけど、少しは反応あったのかな?(笑)。ボケで使われて、まったく反応無かったら、もう『貰い事故』みたいな悲しさなんだけど(笑)。
萩田:ありました!ありました!(笑)。「むちゃくちゃふざけてていいね」って言ってもらえました!(笑)。大丈夫です!結構ウケてます!(笑)。
ほんとかなあ(笑)。だからもう、いつもふざけてる感じだから、萩田さんのプロフィールの「フランス・パリ生まれ」ってのもさあ・・・ほんとなの?(笑)。
萩田:ほんとです!(笑)。ほんとに7歳までパリにいたんです!
じゃあフランス語を少しは喋れる感じ?
萩田:これが違うんですよ。言語って、7歳~10歳の時期にいないと定着しないんですって。だから、ちょうど定着するギリッギリでパリを離れちゃったんで、全部忘れちゃいました。
ちょうど7歳ってあたりも、なんか怪しいよね(笑)。
萩田:いえ、ほんとなんです(笑)。で、7歳で日本に住み始め、最初の1年だけ栃木にいて、その後はずっと練馬です。だから、フランス語は全部飛んだ上で、日本語も危うい状態で、日本に来ちゃった感じでした。
じゃあまあ、話が進まないから信じるとして(笑)。そんな中、演劇との出会いというか、萩田さんの演劇的な原風景はどのあたりにあるの?
萩田:中学2年生の時の、父親の死ですね。そこから精神的に落ち込んで、高校時代は誰も友達がいなくて、三年間ラジオだけ聞いてました。
学校には行ってたの?
萩田:毎日行ってました。でも進学したのが不良しかいない荒れてる高校だったので、その不良たちが昨日喧嘩したとか万引きしたみたいな話しかしなくて、「話ついてけねえ」と思って、学校行っても「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」と、「伊集院光」とか「爆笑問題」のラジオばっかり聞いて、一人でお笑いの素養を身に付けてました(笑)。
なるほど。
萩田:だからまあ、直接的に演劇ではないですけど、今作ってる舞台の原風景的なものは、その中学2年生の時の父親の死と、高校3年間の超孤独体験ですかね。
学校にいる間は、不良たちからは、上手に逃げてた感じ?
萩田:これがですね。とにかくラジオ聞いてじっとしてるから、不良たちからは「風景の一部」みたいになってたんですよ(笑)。だからまあ、いじめられたりしたことは無かったですね。皆、カラッとした不良でしたし(笑)。
じめっとした陰湿な感じではなく。
萩田:そうなんです。だから、じっとラジオを聞いてれば構って来ないんで、「風景の一部」だったんだと思います。で、ラジオを聞きながら「いつの日にか人気者になるためには、どうすればいいんだろう」って、ずっと考えてました。
そうなんだ。
萩田:で、たまに不良たちの会話を聞いてたら、やっぱ面白い不良が人気あるんですね、不良の中でも。仮に万引きした話をするにしても、どういうふうに万引きしたかとか、そのトークセンスが光る不良が人気あるんですよ。
なるほど、なるほど。男子校?
萩田:共学です。だからもう、ギャルとヤンキーしかいない中においても、面白い奴が覇権を握るんだなと思ったんで、いつの日かのために面白さを磨こうと、とにかくずっとラジオを聞いてました(笑)。
例えばだけど、爆笑問題の太田さんが高校時代の3年間全く誰とも喋らず、大学生デビューを果たしたって話は有名だけど、あのエピソードは心の支えになった?
萩田:支えです、支えです。ものすごく支えでした。
で、高校時代に偶然喋る機会があって「萩田、面白えじゃん」という評価を得たこととかは?
萩田:いや、それがもう、そんなお披露目をすることなど全くなく、そしてその後2年間の浪人時代もラジオだけが友達って感じの時間を過ごして、和光大学に入って爆発するんですよ(笑)。だからもう、大学入ってからは止まらなかったです(笑)。

で、大学入って、いよいよ演劇をやろうと。
萩田:いや、サザンになろうと思ってました。
サザン?サザンオールスターズ?
萩田:そうです、そのサザンです(笑)。5年間ラジオを聞いてただけの奴ですから、音楽の情報とかも(ラジオから)結構入って来るんだけど、とにかくサザンが好き過ぎて、青学(=青山学院大学)に入ろうと思ってたんですよ。
サザンといえば青学ですからね。
萩田:でも結局、2浪もするわけで、高校の3年間に浪人の2年間、合計5年間ずっと孤独ですよ(笑)。5年間、面白部分を全然出せずに過ごすのは、やっぱりすごくエグくて。で、その培った『面白いことを喋りたい』マグマが強かったんでしょうね、和光大学に入ったら、もういろんなサークルに行って「サザンになりたいです!」とか言って、結構面白がられるのが快感で(笑)。そこから『五年温めたトークスキル』を爆発させる訳です(笑)。
それはそれは。
萩田:で、「サザンになりたい」と言いまくってたら、「サザンになりたいんなら、演劇研究会じゃない?」みたいなことを周りから言われて。
ん?おかしくない?(笑)。軽音とかロック系サークルじゃなくて?
萩田:おかしいです(笑)。というか、和光大学って自由な校風だから、いい意味でおかしな奴らがたくさんいたんですよ(笑)。その人たちが「サザンになるなら演劇研究会」って言うから、じゃあそうなんだろうと(笑)。で、入ったんですけど、脚本も演技もできないから、じゃあ音響担当でというのが、一番最初の演劇との関わりですね。
まあサザンになりたかった訳ですし、まだ演劇を志す訳ではないように思いますが、くりぃむしちゅーや爆笑問題や伊集院光のラジオを聴く日々の中で、芸人を志すって選択肢は無かったの?
萩田:友達がいない5年間、誰とも喋らない5年間があったから、もしも芸人の道に行ったら、さらにこれから毎日、生きるために面白いことを考えなきゃいけないんだなっていうのが、怖すぎたっていうのがあったんだと思います。こっから先、お笑い芸人としてもっと面白いことを考える日々が押し寄せて張り詰めたら、もう壊れちゃうなと思ったんで。
なるほど。でも、ラジオ聞いてトークスキルを磨いてたって言ってたけど、トークって、実際に喋らないとスキルが上がってるかどうか分からないと思うんだけど。
萩田:いやあ、なんででしょうかね。絶対に面白いと思ってました(笑)。
例えばだけど、誰か一人だけ、こいつとだけは喋ってて、こいつだけは俺の笑いが分かってて、こいつが笑えば満足・・・みたいな人はいたの?
萩田:全然いなかったです(笑)。多分、そういう成功体験があったら、芸人目指すんだと思うんですよ。でも、それが無かったから芸人への道に行かなかったんですよ、きっと。だから、いろいろ後に引けないというか、大学でもし何もなかったらもう終わるって思ってたのもあったんで、本当に追い詰められたような自分の居場所作りの感じでしたよ。5年間1人も友達ができなかった奴が、大学サークル連合入って、100以上あるサークルの人たちと一気に会話することになるわけですよ。もう「友達100人できるかな?」状態なんですよ(笑)。自分としては大フィーバー状態なんで、毎日が面白過ぎて。だからほんとに一番喋ったんじゃないですか?人生で。いろんなくだらないことから何から、もう全部自分の身を削って笑いを取ってましたね。大学生の時は。
その頃に、「5年間ほとんど喋ってなかったんで」とかも言ってたの?
萩田:言ってました、言ってました。その頃の話をバンバン面白話にしてました(笑)。もうなんか1回全部リセット状態だったんで、自分の中では。あと2浪してるので、何やってもかっこつかないんですよ(笑)。だからまあ、全部さらけ出してましたね。
で、演劇研究会に入って、音響を担当し始めたわけだけど、芝居作りは楽しかったの?
萩田:楽しかったです。楽しかったんだけど、なんというか、演劇が楽しかったというよりは、大学生活が楽しかったんですよ。ずっと学校にいて、家に帰ってなかったですもん。僕、本当に授業をまともに受けてないんですよ。サークルの部室にいるのが楽し過ぎちゃって。
東京にこにこちゃんの舞台「シュガシュガ・YAYA」(2023年7月/下北沢OFF・OFFシアター)の世界ですね。
萩田:そうです、そうです。あのまんまです(笑)。

初めて脚本を書いたのは?
萩田:3年になった時に「作ってみる?」って言われたのが最初ですね。
どうでした?
萩田:それがもう本当に、コント公演なのに笑いが一切起きず、自分の心臓の音とクーラーの音しか聞こえないぐらい滑るわけですよ(笑)。
心中お察し申し上げます(笑)。
萩田:さっき言ったように、「友達100人できるかな?」状態なんで知り合いも多くて、「サザンになりたいって言ってたあいつが、コント書くってよ」って、みんな見に来てくれて、和光大学内の学生ホールがパンパンになるんですよ。で、もう人生で一番悔しいぐらい失敗するんですね、そこで。
何分物のコントだったの?
萩田:5分のコントが5本です。まじで1本も受けなかった。
それは萩田さん的にはもうちょっと笑ってもらえるはずだったのが、本番で全部外したってこと?それとも、稽古の段階から上手くいってない気配を感じてたの?
萩田:ウケると思ってました。「もう絶対面白い、超面白いから」って言って、先輩や後輩を口説いて何人も出演してもらって、結構練習して本番を迎えたんですけど。
心臓の音とクーラーの音しか聞こえない(笑)。
萩田:はい(笑)。面白いものを作るんじゃないかという期待感も信頼感も、思いっきり失いました(笑)。
萩田さんの中では『勝手にシンドバット』のはずだったのに(笑)。
萩田:『夜のヒットスタジオ』に出るつもりで書いてました(笑)。
終演後は?
萩田:泣きました(笑)。もう、誰にも会わずに帰って泣きました(笑)。だからやがて、2回目の公演をと思い始めた時に、1回目の公演に出てくれたキャストの1年生の子に出演をお願いしたら「すいません、用事があります」って断られたり(笑)。で、先輩に頭下げて出てもらったり、もうなんかいろんな人に頭を下げて、ちゃんと勉強してコント作って、第2回公演やったら、それはウケたんですよ。
よかったですね。初演の作品、今だったら、もうちょっとうまくやれるとか思ったりします?
萩田:いやいやいやいや(笑)。台本、残してありますよ、残してありますけど、「更新時2014年」って書かれたその奥にしまってありますから(笑)、今読んだら、震えが止まりませんね、きっと(笑)。
その時から「東京にこにこちゃん」だったの?
萩田:いえ、最初は「にこにこちゃん」だけでしたね。
劇団名の由来は?
萩田:一番バカにされそうな名前というか、なんか、舐められたかったんですよ(笑)。どうせ演劇やるんだったら、舐められた上で、思いっきり上から叩きつけるような笑いと感動をと思って(笑)。「こんなクソみたいな名前の劇団、面白いわけねえだろ」って思ってもらえるものとして「にこにこちゃん」って付けて。で、2年後に学外で公演を打ち始める時に、「東京」って付けたらもっと舐められるんじゃねえかなと思って(笑)付けました。
「にこにこちゃん」って劇団名は、すっと決まった感じ?
萩田:はい、割とすぐに。とにかく、舐められそうだから「ちゃん」は絶対に付けようと思ってました。バカにされそうだなと(笑)。
なるほど(笑)。さて、萩田さんって、筆が進まなくなった時はどうやって切り抜けるの?
萩田:これが不思議なもので、最後から考えるっていう手法で書いているので、ラストシーンを思い付いていれば、全部書けるんですよ。ところが、最後を考え付かないと、全然書けないんです。
そうなんだ。
萩田:最後が決まってない時に、なんとか繋がれと思いながら書いていくと、結局(脚本の流れが)停滞してる状態になってしまいがちで。そうすると全く筆が止まってしまって、部屋を暗くして、ずっと頭抱え込んでます(笑)。だからとにかく、筆が進むかどうかは、ラストシーンが決まるかどうかですね。後は、普段から漫画を読むのが好きなんで、脚本に行き詰まると、必ず読む漫画とかありますね。
教えてもらえますか?
萩田:まずは『ブラックジャック』ですね。気合が入ります(笑)。後は増田こうすけ先生の『ギャクマンガ日和』。そして『ドラえもん』ですね。
そのラインナップからいくと、もう何度も何度も繰り返し読んでる漫画って感じですね。
萩田:そうですそうです。ストーリーもセリフも全部分かってて、それでも面白い漫画を読んで、テンション上げて、再び筆を持つって感じですね。
演出は、脚本を書いている時から、自分の中で演出プランがある感じですか?それとも稽古場で作っていく感じですか?
萩田:出演してもらっている役者さんたちが、ほんとにみんな上手いんですよ。脚本を膨らませてくれるし、「結局のところ、僕はこれをやりたかったんだな」と思わせてくれるような、もう一段階先の笑いを見せてくれる方たちなので、なんか稽古場でどんどん笑いを足していけるから、そこを信頼して脚本を書いてる感じなんで、脚本の段階でシーンが固まっていることは無いですね。究極を言うと、そもそも脚本の段階で、そんなに煮詰めなくていいんじゃないかって思うくらいで。まあ筆が遅いことへの言い訳にしか聞こえませんが(笑)。
今回のCASTも、どこからでも攻めれて、どこからでも点を取れる感じの、魅力的な役者さんばかりですね。
萩田:本当に、ものすごく信頼のおける仲間であると同時に、俺の笑いに一番厳しい人たちなんですよ。だから、本読みの段階では、笑わない、笑わない(笑)。
そうなんですね。
萩田:いやほんとに厳しいです。例えば「これ、前にやったボケだよね」とか、「そのやり方するんだったら、こっちの方がいいんじゃない?」とか全然あるんで。すごくありがたいなって思いますね。だから、中途半端なものじゃ笑わないですね、あの人たちは。でもみんな、一切アドリブとかもしない人たちなので、そこは絶対に俺の言葉を信頼してやってくださるので。何度も言いますが、本当にありがたいです。

その信頼するCASTやSTAFFと作る、今回の『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』。どんな芝居ですか?
萩田:あのですね、僕がアニメーションを見始めた時に、ドラえもんの声って大山のぶ代さんだったんですよ。その前の野沢雅子さんの頃を僕は知らなくて、もう100%、ドラえもんの声と言えば大山のぶ代さんなんです。ところが、その声優が大山さんから水田わさびさんに変わった時に、人生で初のショックっていうものを味わって。いやほんと、水田わさびさんには申し訳ないんですけど、「なんで一生大山のぶ代じゃねえんだよ!」って思ったんですよ、その時に。でも、仕方ないんですよ。それまでだって、アニメの声優さんは、いろんな事情で代わってきたわけで。でも俺、大山のぶ代さんの声のドラえもんが好き過ぎたのか、新しい声に違和感があって。周りも結構同じ意見だったんですけど、とにかく衝撃だったのが「みんな1ヶ月ぐらいしたら水田わさびさんの声のドラえもんを普通に見てる」んですよ。「嘘だろ~!」って。みんな「なんか違うね」って言ってたじゃんって。声って慣れるんですよ。
なるほど。
萩田:その時に、こんな切ないことあっていいのかって思ったんですよ。アニメーションにおける声って命だと思うんです。その命が変わってるのに、みんなすぐに慣れてしまう。だから、新しい声に違和感も無く「ドラえもんだあ!」って言って見てる、こいつら異常だろって思って。でも結局僕も、3ヶ月もしたら、水田わさび版のドラえもんを見てるっていう残酷性があって。今回は、そこから着想して「アニメの声優をやり続けたい」と願う声優の女の子の一代記で、その子が、あるアニメの声を変わらずに出し続けるという物語となります。
時代設定は?
萩田:一応1968年を設定して書いてまして、ちゃんと1968年に合わせた固有名詞を書いてたんですけど、漫画やアニメが大好きなんで、もう我慢できなくなって(笑)、全然2000年代だろうっていう固有名詞も出しちゃってます。声優って職業は、今は大人気ですけど、実は1968年頃は評価が低くて、しかもアニメ自体も(実写の映画に比べて)少し軽んじられていて、長編アニメなんてヒットするわけないと思われていたので、(声優をやりたいと)手を挙げる人が少なくて、悪い言い方をすると寄せ集め的な感じもあったようなんですが、その声優たちが、一つの家族みたいな連帯感で、長編アニメーションの吹替えに挑んでいくんですね。
私は1964年生まれなんで、小さい頃に見ていた、いくつかのアニメが脳裏に浮かびます。
萩田:で、永遠にこのメンバーで声を出し続け、アニメーションとして完成させるんだと意気込んでいたのですが、待遇や労働条件も悪かったのか、1人辞め2人辞め、歳で辞め寿命で辞め、病気で辞め家庭の事情で辞め・・・と、どんどんどんどん声優が変わっていって、主人公の女の子だけが取り残されていく。それでも「主人公の声は、私の声だ」という思いで留まり続ける女の子の一代記の話なので、ちょっと切なくはあります。
声優やアニメの話だけど、今の時代のあらゆる人間模様にも通じる話ですね。そして、生の声とサンプリングやボーカロイドなどの人工的な声の話にも通じそうです。
萩田:そうなんですよ。だから、今回の物語の根本を、その「永遠の声」っていうテーマにすると、結局「機械との共存」についても書くことになるんですよ。生成AIとの共存の時代が来てますけど、俺はそれがなんか嫌で。声っていうものが、全部機械で生み出された声になってしまうと、僕の中ではバッドエンドであって、東京にこにこちゃんが掲げているハッピーエンドにはならなくて。そのあたりをしっかり描いて、ハッピーエンドにもっていきたいですね。
楽しみだなあ。
萩田:ありがとうございます。
では、お客さんに向けてのメッセージをお願いします。
萩田:「一番好きな声が変わる瞬間」というシチュエーションのもと、最後、完璧なハッピーエンドで終わらせていただきますので、どうか皆さん観に来てください。よろしくお願いします。
ありがとうございました。
萩田:ありがとうございました。
(9月17日収録)
インタビュー・文/森元隆樹