東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』開幕レポート

2025.10.06

10月3日(金)、三鷹市芸術文化センター 星のホールにて東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』が開幕した。本公演はMITAKA “Next” Selection 26th参加作品であり、東京にこにこちゃん10周年記念公演でもある。主宰で作・演出を手がける萩田頌豊与が本作で描くのは、ある国民的アニメの収録現場を舞台にした声優たちの“声”と“人生”を巡る物語。東京にこにこちゃんの持ち味である怒涛のボケ数、愛らしいキャラクター達が織りなすドラマ、そして文字通り、“後ろを振り向くことなく”目前のハッピーエンドへとひた走る最高温度のクライマックスが繰り広げられた。
本記事ではその初日の様子をレポートする。(文/丘田ミイ子・写真/明田川志保)

※以下多少のネタバレあり。気になる方は観劇後にお読み下さい。

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劇場前のバス停で降りた人たちが続々と劇場の中へ。平日夜、駅からやや距離のある立地にもかかわらず、開場前から列に並ぶ人々の姿にMITAKA “Next” Selectionへの期待 、そして東京にこにこちゃん新作への待望が見て取れる。予定していた予約席数は満席、当日券に対応できるよう急遽増席をスタンバイしての初日となった。あっという間に埋まる客席。当然、私もその中の一人である。

「こんなこといいな、できたらいいな♪」
「楽しいことならいっぱい、夢見ることならめいっぱい♪」

『ドラえもん』、『ちびまる子ちゃん』、『鉄腕アトム』に『サザエさん』…。客席に座ると、聴き馴染みのあるアニメソングが次々とかかり、思わず一緒に口ずさみそうになってしまう。テレビの前で今か今かとその放送を待っていた子ども時代はずいぶん遠くとも、30歳を越えてもなおその歌、その詞、そしてその“声”をこうしてぴたりと忘れずにいるのだから、「国民的アニメ」はつくづくすごい。そう、本作はまさにそんな、ある国民的アニメを巡る声優たちの物語。

あの頃夢中になった、そして今も変わらず大好きないくつものキャラクターの声が脳裏をかすめる中、劇場は暗転。そして、明転とともに主人公のこんな一言から物語は動き出した。

「あの!はじめまして!」

いつも以上にカラフルに、そしてレトロに彩られた衣装(モリィ)や美術(濱崎賢二)を改めて見渡す。そう、時は1968年。まだアニメがメインカルチャーではなかった頃に遡り、収録現場での共演声優たちの出会いが描かれる。

舞台中央にはマイクが3本。その傍らで眉毛を八の字に下げ、辺りをキョロキョロと振り返りながら、不安いっぱいの面持ちでいるのが小山笑子(西出結)だ。「困った顔をさせたら右に出る者なし!」でお馴染みの俳優・西出結の魅力を存分に味わえるシーンでもある。笑子が困るのも無理もない。アニメ収録は劇団の研修生である笑子にとっては思いもよらぬ初仕事。笑子はひょんなことから新たに始まる『ぼーっと☆ぼう子』の主人公声優に抜擢されてしまったのだ。

そんな笑子を温かく迎え入れ、緊張を解すのは先輩声優の中島詩子(高畑遊)。と言っても、これは東京にこにこちゃんの演劇である。ただただハートフルに和らげるはずもなく、初手から恒例のボケに次ぐボケのボケ倒し。客席からも早くも大きな笑い声が上がる。初対面の緊張をほぐされているのはどうやら笑子だけではないらしい。

そして、中島は笑子の背中をそっと押すようこう伝える。

「この子の心臓を動かすのはあなたの声なの」

かくしてぼう子は “産声”をあげた。誰でもない小山笑子という声優の声で命を宿したのだ。怒涛のボケと笑いの隙間から、閃光のようなセリフが真っ直ぐと胸を射抜く。あえて早めに言っておきたい。東京にこにこちゃんの演劇には「笑い」が満ちている。しかし、「笑い」だけでは決してない。

近年ますますナンセンスコメディに欠かせぬ俳優として存在感を発揮している西出だが、本作はそれのみに止まらない。声優の葛藤に切り込んだシリアスなシーンでは、西出の繊細な表現力が本作のドラマの力をさらに確かなものにしていた。そして、そんな西出演じる笑子とバディを組み、収録現場でもアニメの中でも彼女のピンチを救うのが高畑演じる中島なのだ。ドスの効いた低音ボイスも魅力的だが、本作では技量と包容力に裏打ちされた高畑の一面、慈愛に満ちた声にも心を奪われる。

当然注目すべき登場人物は2人に限らない。収録現場に続々と集まる一癖も二癖もある愛すべきキャラクターたちは、誰をとっても注目必須の爆笑必至。ちなみに初日では、なんと開演10分ほどで客席から一度目の拍手笑いが起きた。それがどんなシーンであるかはもちろんここでは控えるが、まさに東京にこにこちゃんならではの演出、そして、星のホールだからこそ叶った名珍シーンであることだけは伝えておきたい。

笑子と同じく新人声優の藤本を演じるのは東野良平。ナルシストで変わり者の藤本をある時は可笑しく、またある時もやっぱり可笑しく演じ切る。キレの良い発声からサイレントながら饒舌なマイムまで、一挙手一投足笑いの粒子をまとう姿はもはや勇ましい。そんな藤本に負けず劣らず、最初の登場から鮮烈なインパクトを放つのが加藤美佐江扮する谷沢。笑子を声優の世界に導いた劇団主宰・谷沢をはじめ、小学生から酔っ払いまで最も多くの役柄を唯一無二の演技体で見事に演じ分ける。

人気声優・山田を演じるのは、見れば見るほど、聞けば聞くほどクセになる魅惑の俳優・てっぺい右利き。「おいら」、「やんす」といったどう考えても人を選ぶ一人称や語尾を、ここまで自然にチャーミングに扱える俳優を私は他に知らない。俳優志望の若手・原に扮するのは最少年の東京にこにこちゃん常連俳優・土本燈子。笑子とは対照的な野心に燃える強気なライバルの過信と自省を、持ち前の明るさを以て愛嬌たっぷりに彩る。対して最年長の近藤強が演じるのはやはりその道のプロ、ベテラン声優の斎藤だ。ベテランといってもただのベテランではない。斎藤にしか、そしてそれは同時に、近藤にしか演じられないオンリー“ワン”の役柄に技量と魅力が光る。

そんな7人の声優を見守りながら、『ぼーっと☆ぼう子』を国民的長寿アニメにしようと奔走するのが音響監督の寺沢(江原パジャマ)とプロデューサーの塚地(立川がじら)。収録の様子を見ながらキューを出す、だけにはもちろん止まらず、別室には別室の事情と奮闘がある。投げ込まれるボケにフル対応しながら、感度の高いリアクションで場の空気を調える江原と、落語家として培った技術と去り際まで計算し尽くされた繊細な笑いで魅了するがじら。別室から『ぼーっと☆ぼう子』を、そして東京にこにこちゃんの世界観を底支える二人にも是非注目してほしい。

10周年の節目と劇団史上最大規模公演にふさわしい、9名のキャストとともに駆け巡るアニメ一代記。劇中に流れるアニメ映像(ドラゴン)がまたそれぞれのキャラクターの愛らしさに輪をかける。

「アニメーションなんて誰も受け付けない。ドラマだよ時代は」
「僕はプロデューサーとして、時代が動く瞬間に立ち会いたいんだ」

そんな塚地の言葉を半分裏切り、半分実現するかのように『ぼーっと☆ぼう子』は、時を経る毎にみるみる人気アニメになっていく。世間に広く知られ、“名声”を手にしたアニメと7人の声優たち。しかし、一心同体とはいえアニメのキャラクターのように人間がずっと同じ状態でいられるはずがない。それぞれの歳を重ね、人生は進んでいく。変わっていく。そう、ここに流れているのは物語だけではない、時代であり、9人の人生そのものでもあるのだ。

これまでの東京にこにこちゃんの演劇は、主人公の幼少期から始まり、その歩みが描かれることが多かった。しかし、今回はそのお約束を一旦封印し、もう一つ大きなスケールで物語を描くことに乗り出したのだ。それはまさに時代の生い立ちを描くということ。そして、世代を横断して人々の人生を描くということ。本作は、劇作家・萩田頌豊与のこれまでの集大成であり、同時に新境地。そして、今ある限りの全てを託した 一つの“声明”でもあるのかもしれない。後ろは振り返らず、前を向いて放つ、これからの未来に向けた声としての。

「声はきっといつか忘れてしまう。あんなに好きだったあの声も。それでも、これは、声の物語。声が届くまでの物語」。タイトルにそう添えた通り、『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』は、どこまでも余すことなく声の物語だ。一つのアニメの“産声”から始まり、そのキャラクターの声を通じて、半世紀ほどにわたる登場人物の生き様を映し出す。永遠のアニメと有限の声。その狭間で揺らぎながら、声優たちは今日も今日とてマイクの前に立ち、魂を吹き込んでいく。吹き込んでいる。アニメのキャラクターと、その心臓を動かす声優たち。双方の心の機微がどちらからともなく一つの大きな“声”となって心に届く。
その声に、風景に、どうか劇場で立ち会ってほしいと思う。

終演後、劇場を出た人たちが劇場前のバス停からバスに乗っていく。来た時よりも歩いて帰る人が心なしか多い気もする。あるアニメが駆け抜けた一つの時代を、9人分の人生を噛み締めるには、駅までやや距離のあるこの帰路がちょうどよく感じる。この帰路で、観客はきっとそれぞれの心に持っているであろう、あのキャラクターのあの声をも思い出すだろう。少なくとも私は思い出していた。まだ忘れていない、忘れるまで忘れない、忘れられるまでは忘れられない。たとえその声が永遠ではなくても。

「声はね、私たちの心でもある」
「聞こえてこない声も声ですよ」

足をすすめる度に劇中のセリフが断片的に去来するけれど、後ろを振り返っても劇場は、演劇は、みんなはもうそこにはいないから、前を向く。あの時たしかに聞いたいくつもの愛おしい声を思い出しながら。

東京にこにこちゃん『ドント・ルック・バック・イン・マイ・ボイス』は10月13日まで三鷹市芸術文化センター 星のホールにて上演。出演は西出結、近藤強(青年団)、東野良平(劇団「地蔵中毒」)、立川がじら(劇団「地蔵中毒」)、土本燈子、高畑遊(ナカゴー)、加藤美佐江、江原パジャマ(パ萬)、てっぺい右利き(パ萬)。上演時間105分。

文/丘田ミイ子
撮影/明田川志保