『ゴドーを待ちながら』/『ゴドーを待ちながらを待ちながら』2026年1月~2月上演決定!

2025.10.10

2026年1月~2月東京・赤坂RED/THEATERにて、不条理劇の名作『ゴドーを待ちながら』と、本作をベースに2013年にアメリカで発表された『ゴドーを待ちながらを待ちながら』の上演が決定した。
『ゴドーを待ちながら』は、1953年にパリで初演。ゴドーを待ち続ける男ふたりの姿を描いた物語で、「ゴドーとは何か」が、社会の変遷とともにさまざまな解釈が展開されてきた名作だ。
一方、『ゴドーを待ちながらを待ちながら』は、『ゴドーを待ちながら』を上演する劇場の楽屋を舞台に、出番を待ち続けるアンダースタディーふたりの姿を描きます。ウィットと演劇愛にあふれたコメディで、日本初演となる。
この2作を同じ劇場で上演することで、コロナ禍後の現代における「待つ」という行為について、また演劇の力について、解き明かしていければと企画されたという。
両作の演出には文学座の気鋭の演出家、西本由香が挑む。出演は、『ゴドーを待ちながら』には、小倉久寛(劇団スーパー・エキセントリック・シアター)、横堀悦夫(青年座)、采澤靖起(文学座)、佐藤銀平、上野黎也(劇団ひまわり)。『ゴドーを待ちながらを待ちながら』には、映像でも活躍する加藤虎ノ介、モダンスイマーズの津村知与支、元宝塚トップスターの朝海ひかると、個性と実力を兼ねそろえた顔ぶれがそろった。
コロナ禍を経て、現代人はより良い未来を目指して進むことも、我慢し待つこともできない不安定な状況になっているように感じます。不確かな明日を前にした現代人とって待つことは何なのか、演劇の力とは何なのか問いかけ、停滞している「今」について、問いかける。
このたび、これら2作品の演出を務める西本由香からコメントが届いた。

演出・西本由香 コメント

今何かを「待つ」時には、ついついスマホに手が伸びる。コスパ、タイパが重視される時代の中で、ただ「待つ」ことには耐えられない、1分1秒でも有効に使いたい。その一方で、自分たちが死亡率100%の存在であることを思い出せば、最も合理的なのはさっさと死ぬことという結論に行き着いてしまう、その滑稽さ。(そういえば劇中には「墓穴にまたがってこどもを生む」という一節も出てくる)ベケットはその滑稽さを暴きたて、この世界をそのようなつくりにしている「何か」に、かなり手の込んだやり方で逆襲しているのではないか。そんな「何か」なんて存在しないかも知れない、ということを自覚しながら。
そんなベケットへの、一つのアンサーのように書かれた『ゴドーを待ちながらを待ちながら』こちらは『ゴドー〜』上演中の楽屋を舞台にしつつ、演劇の虚と実を軽やかに捻り合わせながら、今私たちが『ゴドー』とどう付き合うかの道標となってくれる作品。この両作品はそれぞれが互いの反射によってより豊かになる、二作品を同時に立ち上げることの醍醐味を日々実感しています。

STORY

『ゴドーを待ちながら』
木が一本立っているだけの何もない道。ウラディミールとエストラゴンという浮浪者のような2人の男が、ゴドーという人物を待ち続けている。2人はゴドーに会ったことはない。そこにポゾーとラッキーがやってくる。ポゾーをゴドーと勘違いするふたり。少年がやってきて、「ゴドーは明日来る」と伝言し去っていく。それでも、やってこないゴドーをただ待ち続けるふたりだが……。

『ゴドーを待ちながらを待ちながら』
『ゴドーを待ちながら』を上演中の劇場の舞台裏。アンダースタディーのエスターとヴァルはいつ来るかわからない出番を果てしなく待ち続けている。そこに舞台監督助手がやってきて、「俳優業なんてだれでもできる、舞台の進行のほうが難しい」と言って去っていく。それでも待ち続けるしかない2人。舞台裏という身動きできない場所で、人生や芸術、演劇論を語り合いながら待ち続けるアンダースタディーこそ、本当に『ゴドーを待ちながら』を理解できるのではと描く、皮肉が効いたコメディ。