「ミュージカルってなんだろ?」というノゾエ征爾の一言からはじまった企画、舞台『お化けの進くん』。ノゾエが主宰する劇団はえぎわの番外公演として、ニッポン放送がプロデュースしている。はたしてどんなミュージカルなのか──稽古場の扉を開けると、まず聞こえてきたのはラップだった!?
──今回の企画内容は、ノゾエさんの「ミュージカルみたいなの、やってみたい」というつぶやきで決まったそうですね。なぜミュージカルを?
ノゾエ「最初にニッポン放送さんが「劇団規模でなにかやらない?」と誘ってくださった時に、よく組んでいるミュージシャンの田中馨くんともっと深くからんだ企画をやりたいなと思いました。もともと音楽をからめる舞台をよくつくっていることもあって、より音楽と密になった作品をやってみたいなと思いまして。実際、いわゆるミュージカルではないし、音楽劇でもない……コレという枠や境界があまりないところに行き着く作品にしたい。いわゆるミュージカルだと思って観たら、全然違うと思います(笑)。」
──物語そのものも、とても音楽に密接な話ですよね。
ノゾエ「あるバンドの話です。“バンド”、“高校生”、“青春”……というキーワードがあって、物語の軸は“青春”なんだけれど、青春どころじゃない人たちの物語です。人って、だれかと何かが合うと、肯定できるような気持ちになったりするけど、合わないと真逆の方にいって苦しくなる。音楽もそうで、それぞれが奏でる音が合わさって音楽になると気持ちいいんだけれど、でもなかなか協奏できない。交響や合奏のように、共に奏でるのって難しいよなぁ、と思うんです。そこを重ねて描きたかった。音楽も、僕らのいとなみも、合わせるって難しいな、共生って難しいな、というテーマがあります」
──主人公の進くんは「音階」の概念がわからない、という設定にも繋がりますね。
ノゾエ「はい。音階の概念がわからないってつまりオンチですよね。それは、一般的な考えや、常識的な感覚とズレちゃうことと重なっています。本人はそんなつもりはないけどズレている人って面白いんですよね。本人はズレているかわかんないという感覚は、誰しもあるものだと思うんです。その感覚のズレや、人とズレることそのものについて、「音階」という言葉を借りて考えようとしている作品です。やっぱり……肯定できたらいいというか、ダメなところはたくさんあるけど、この社会にいていいんだ、というふうに思えたい。お客さんも、楽しく笑って舞台を観終わったあとに、ふっと前向きになれたらいいな」
───音楽の物語だということも関係があると思いますが、生バンドであることにこだわられたそうですね。
ノゾエ「そうですね。ナマじゃなきゃできなかったと思います。作品のつくり方も贅沢で、稽古の最初からずーっと一緒に試行錯誤できました。稽古序盤では、キャストさんは休んでもらって、音楽チームと僕だけで「なにがいいんだろうね」「演劇と音楽ってなにができるだろうね」と悩む時間をもうけたりしました。遠回りなんだけれど、こんな贅沢な創作は劇団公演でしかやらせてもらえないんじゃないかな」
──稽古をすこし見せていただいたんですが、かなり吹き出してしまいそうな笑いのあるシーンが多いです。それでも、生バンドの演奏があることで、人と人が合ったり合わなかったりすることの切実さが感じられる。「音と音」、「人と人」、だけでなく、「音と人/音楽と俳優」が合わさることで力強い芝居になるのでは。
ノゾエ「音楽の力ってすごいんですよ。強いんですよ。同時に逆もあって、音楽と芝居がぶつかってしまうこともある。でも、それすらも作品のテーマではあります。全部が綺麗に奏でられなくていいし、なんとなく居心地の悪い瞬間があっていい。音と言葉が混ざらなかったり、混ざったりを繰り返して、「あ、気持ちいい!」と感じる瞬間もある。そうやって舞台上で音楽と言葉が合わさっていくこと自体が物語のテーマでもあります。ただ、お客さんにはそこまでしっかりとらえてほしいわけじゃない。なんとなくでも感覚として染み込んでいるといいな、という希望はありますけれどね」
──音と言葉、については、物語のなかでも意識的に表現されていますね。
ノゾエ「言葉と音。その二つは近しいものだと感じていて、僕は台本を書く時に、台詞のリズムをすごく気にします。その一言の台詞があるかないかを決めるだけでかなり時間がかかったりするんです。「気持ちいい」か「気持ち悪い」かってだけなんですけど。もともと僕は高校のときにバンドをやっていて、同時に詩も書いていたことも関係あるのかもしれません。大学に入ってからは演劇をはじめて、物語を書くことに踏み込んでいきました。だから音楽と言葉と物語はぜんぶ繋がっている感覚です」
──なるほど。音楽にもいろいろあると思いますが、ノゾエさんの肌にあう音楽はどんなジャンルなんでしょう?
ノゾエ「僕ね、バラッバラなんです。その時々によって、オルタナティブ系の気分の時もあれば、テクノ系の時もあるし、ロックの時もある。高校のバンドでは、ビートルズにハマっていた瞬間もあるし、真心ブラザーズやTHE BLUE HEARTSや洋楽のヘビメタに挑戦していた時もありました。バンドのメンバー5人の好みもバラバラで、みんなが好き勝手に好きな曲を持ちよって、それを全部受け入れてやるという体制だったんです」
──それはこの作品の、ミュージカルでも音楽劇でもなくジャンルの境界を越えるコンセプトと繋がっている気がします!あと、舞台のチラシビジュアルにも近いですね。たくさんの色と楽器が溢れているようなチラシです。(WEBでも見られます)
ノゾエ「このチラシはすごいですよね!ぜんぶ手書きなんですよ!チラシの打ち合わせをした時に、宣伝美術の成田久さんがものすごくたくさんの案を書いてくれたんですが、この粗書きのイラストを見て、「これな気がします……」と決めたんです。チラシの中心にいる子とたくさんの手がお化けっぽくて、楽器がわわわーっとたくさん散らばっている感じに、音楽と人間の整理しきれないガチャガチャ感を感じました。合っているようで、合っていないようで、なんかしっくりきたんです。台本より先にチラシをつくっているので、物語を書くにあたってこのチラシには助けられましたね」
──会場のイマジンスタジオについてはいかがですか?劇場というより、ライブイベントを開催することも多い場所ですよね?
ノゾエ「イマジンって、ジョン・レノンの楽曲のタイトルから来てるんですよね。劇場の壁にぽこぽこと穴が開いていて、それは全部『音符』になっているんです。たぶんイマジンの曲じゃないかな……。気づく人は気づくかなというようなデザインですが、音楽ととても密接な場所なので、音楽に関わる作品をやりたいという気持ちに自然となったんですよね。実は、裏話なんですけど、今回声をかけてくれたニッポン放送のプロデューサーは、僕の高校の時のまさにバンドメンバーなんですよ。きっと彼も色々とよぎりながらこの作品を見ていると思います。高校の頃を思い出してね(笑)」
──そうなんですね!もしかして、この物語にはノゾエさん自身のバンド体験が反映されているんですか?
ノゾエ「ちょろちょろと自分のエピソードも挟んでいます。バンドでは僕はベースをやっていたんですけれど、実は始めた時に「ベースやる?」って言われて「やる!」と答えたのにもかかわらず、ベースってなにかを知らなかったんですよ。楽器屋さんにベースを買いに行って初めて見ました(笑)その時の、エピソードも書いたりします」
──ご自身の体験を思いきり書けるのは、劇団公演ならではでもあるのかなぁと思います。ノゾエさんは劇団以外でもいろんな舞台を手がけられていますが、劇団でやることは自分にとってどういう位置づけですか?
ノゾエ「自分が一番さらけだせる場所だと思っています。自由なんですよ。なにをやってもいい。依頼をいただくお仕事は当然ながらある程度企画が先に決まっているんですけれど、劇団の場合は「なにがやりたいんですか?」と突きつけられる。だからこそ、やっておくべきだなって思います。今の自分はなにをつくるのかという問いと向き合うのは、クリエイターとして一番ハードルが高い。なにがやりたいんだろうっていつも悩みます。キツいけど、たまにでもちゃんと向き合うことはとても大事。貴重な場所です。」
──今回は番外公演ですが、本公演とはなにが違うんですか?
ノゾエ「本公演は、ちょっとプレッシャーのようなものがあります。これくらいのものを提示しないといけないんじゃないかと、僕が勝手に思い込んでいるんでしょうけれど……。でも番外公演は、すこし楽にして、自由度を高めて創作しています」
──ノゾエさんも出演されますね。ほかの舞台でも、演出と脚本を担当されているノゾエさんがその役をやるからこその配役の妙を感じることが多いです。今回の役どころにはどんな意図がありまうか?
ノゾエ「悩んだんですけど、僕と田中馨くんが軸になってこの企画が立ち上がったということに関連した配役になっています。具体的なことは言えないので、ぜひ観にきてほしいです。ちょっとでも興味がわいたなら来ていただきたいです。劇場に来た時よりもちょっとだけすがすがしく劇場を出られるような、そんな作品かなと思っています」
インタビュー・文/河野桃子
【プロフィール】
ノゾエ征爾
脚本家、演出家、俳優。はえぎわ主宰。8歳までアメリカで過ごし、小学校を転々と7校。 99年、松尾スズキ氏のゼミを経て、青山学院大学在学中に「はえぎわ」を立ち上げる。