『フェードル』 主演・大竹しのぶインタビュー

大竹しのぶ主演、栗山民也演出により、2017年に大絶賛を浴びた『フェードル』が、2021年1月8日(金)からBunkamuraシアターコクーンで再演される。フランスの劇作家ジャン・ラシーヌが、ギリシャ悲劇『ヒッポリュトス』に題材を得て創り、1677年元旦に開幕。およそ300年の時を経て、なお鮮烈で圧倒的なエネルギーを持つ本作は、鬱屈したいまこそ必要な突破口になるのでは? フェードルという美しく、醜く、破壊的激情に駆られる女を、圧巻の演技で魅せる大竹さんにインタビュー。「これぞ演劇の原点」と確信に満ちると同時に、「ほんっとに単純なストーリーなので」と、明るく笑う彼女。観れば元気になれる(!?)ギリシャ悲劇とは……!


――再演が決まったお気持ちをお聞かせください。

大竹「3年前の初演の際、栗山(民也)さんが「絶対にこれは再演する」とおっしゃいました。それほどの手ごたえがあったことがうれしくて、いつだろうとは思っていたのですが、いま、このタイミングでした。けれど、この状況で始める勇気を持たなければ、と思います。劇場が閉ざされていたぶんのエネルギーを炸裂させて、もう、ぶっ飛ぶくらいに(笑)。」


――打ち破る第一声を、ぜひ大竹さんに挙げていただきたいです。

大竹「やっぱり生がいい、劇場がいい、ここに来たかったんだ、と思ってもらえたらいいですね。お客様も大変な思いをしながら、それでも観たいと来てくださるのだから、応えなくちゃならない。「だよね!やっぱ劇場だよね!芝居だよね!」と一緒に思えたらいいな、と思います。」


――フェードル(大竹さん)が恋い焦がれる義理の息子イッポリットは林遣都さん。どのようなイメージをお持ちですか?

大竹「林さんの舞台を観ましたし、彼も、わたしのお芝居を2回ほど観に来てくれました。楽屋にあいさつに来られ、スタッフの方とお芝居について熱く語り合っていて。本当にお芝居が好きで、向上心にあふれ、純粋だなあと、言動の端々に感じました。」


――林さんをはじめ、キャスト陣は大きく変わります。

大竹「(キムラ)緑子ちゃん(乳母エノーヌ)が同じで、谷田歩さんは別の役で、わたしを入れて3人が初演から。ほかの5人とは新しい出会いになるので楽しみです。」


――初演時の稽古場の記憶は鮮明なのですね。

大竹「昨日よりも今日、今日よりも明日、良くなりたいという思いでみんながいました。純粋な稽古場でした。わたしは楽しい、気持ちいい、よく動いた、という感じ。栗山さんの演出は細やかで、自分が出ていないところを見ていても楽しいんです。たとえば、若い2人の告白シーンで、お、背中から言わせるか!とか(笑)。稽古場でドキドキワクワクするのは本当に幸せな時間です。」


――栗山さんの演出のおもしろさとは。

大竹「「もとの黙阿弥」(井上ひさし、1983年初演、木村光一演出)で栗山さんが演出助手をされたときからのお付き合いで、「太鼓たたいて笛ふいて」(2013年)で再会しました。稽古場に行くのがすごく楽しくて、楽しくて。学生に戻ったかのような、学ぶ喜びがありました。たとえば、「3歩歩いて、振り向いてからセリフを言って」「そこで梅干し食べて、すっぱいって顔して」とか、ひとつひとつの動きで作ってくださって、栗山さんのしっかりした役のイメージがあって、その通りにすればもう自然に役が膨れ上がってゆくんです。初舞台の演出を受けた宇野重吉さん、映画では山田洋次さんもそうでした。私はそれが楽しくて楽しくて、自由にやらせてという人もいますが、その演出の中で自由にやってゆくのもまた楽しいんです。」


――「昼の理性と夜の狂気」という異なる感情を一つの体に抱えるフェードルを演じて、自分が二つに割かれる感覚にはなりませんか。

大竹「でも……、それが人間だから。それに、このお話にはいろいろなギリシャ神話の神々が登場し、フェードルも、フェードルの母たちも、愛の女神ヴィーナスに矢を撃たれて滅亡してきたという激しい物語があるんです。愛の女神ヴィーナスに矢を撃たれるなんて、すごくうれしいじゃないですか(笑)。相手は若い王子だし、林くんですよ。お客様も「いやん」となっちゃいそう。
芝居って、そうやって人間の感情が駆け巡るもの。わたしは、ギリシャ悲劇が原点だと思うんです。ギリシャ悲劇には神も存在し、憎しみも100倍、愛も100倍と大きなものになる。中途半端な愛し方じゃないところがおもしろいと思います。」


――ギリシャ悲劇のなにが、大竹さんに原点を感じさせるのでしょう。

大竹「凝ったセットがあるわけじゃない、なにもないところで、激しい言葉(台詞)の応酬があり、感情の応酬がある。ということは、役者の声と肉体と感情だけでやらなくちゃならない。マグマのエネルギーを持っている役者同士でやっていかないと、つまらないですよね。言葉(台詞)をきちんと自分の内側から出して伝える、それは、役者として当たり前のことだけど、ギリシャ悲劇やシェイクスピアをやると強く感じます。それがおもしろいんですよ。」


――以前、古典を演じるのはスポーツのようとおっしゃっていました。どんな古典もですか?

大竹「ギリシャ悲劇やシェイクスピアだからこそ、でしょう。最初にやったギリシャ悲劇は「エレクトラ」(2003年、蜷川幸雄演出)でしたが、そのときも、スコーン! 解放しちゃえ!という感じでした。でも、その後の「喪服の似合うエレクトラ」(2004年、栗山民也演出)は、もう神は信じないという近代もので、同じ「エレクトラ」でもすごく苦しい。ヴィーナスに矢を撃たれたのとは違う、自分の責任で愛したから、自分の責任で一人になるというのがとても孤独でした。神様と会話するほうがぜんぜん楽。神様と会話できたら助けてもらえるんだ、と(笑)。「憎しみの神よ、こい!」と、超越した力がもらえるんですよ。
人が精神的な病になると、治療の一つとしてシェイクスピアの台詞を読ませると、どこかで読みました。シェイクスピアの台詞には、天と地を結ぶ役目があり、人間を元気にするのだと。そうか、わたしたちも、そういう仕事をしているんだ、と思いました。「フェードル」も血みどろの争い劇なのに、「ああ、おもしろかった!」と元気になってもらえると思います。血が巡る療法みたいに(笑)。」


――わかりやすく、元気になる古典、なんですね。

大竹「ほんっとに単純なストーリーなので(笑)。おばさん(フェードル)が若い子(イッポリット)を好きになる。若い子は若い女の子(アリシー)が好き。どうしたらいいのって乳母に訴えて、言いたい、言えない、でも打ち明けて、失敗!ひえ~! それじゃあ作戦を立てましょう。すると旦那さんが死んだと聞き、やったー!……と、思ったら、実は生きていた、嘘でしょ! という。単純なお話でしょう? 本当にこのまんまなんです。難しげにやったらつまらないけれど、戯曲に書かれた通り「好きなの!」と言っちゃうから、観ているお客様も「フェードル、本当に、おかしい!」ときっと思いますよ。「彼のどこがいいの?」と乳母に問われたフェードルの答えが、「あの顔が好きなの」なんだから。わかりやすい(笑)! 死ぬときも大騒ぎして、とりあえず説明してからちゃんと死ぬ。でも本当に凄い激しいフェードルがたまらなく好きなんです。変です、フェードル(笑)。」


――17世紀の戯曲なのに、いま聞いても新鮮です。

大竹「17世紀、300年前というと、日本は江戸時代。すごいですね……!」


――しかも、1677年の元旦が初日だったそうです。

大竹「……え、元旦からこんな芝居を!? いや、でも、このたびも、初日は来年1月8日。スコーン!と、風穴を開けられたらいいですね。」


――最後に、今回のカンパニーへの期待をお聞かせください。

大竹「なんでも言い合える仲間になりたいと思います。なんでも聞いてほしいし、わたしにアドバイスできることはしたい。歌やミュージカルなら、一緒に声を出して音を合わせるから、ワッと早く仲良くなれますが、舞台では先輩・後輩に気を遣って仲良くなるのに時間がかかる傾向がまだあります。でも、いまはそんなことを言っているときじゃない。パーン!と仲良くなって、一緒にいいものを作りたい。「劇場に来てよかった」と言っていただけるものをお見せしたいです。」

 

 

インタビュー・文/丸古玲子