福原充則が脚本・演出を担当し、古田新太と尾上右近がW主演するミュージカル『衛生』。この話題作にヒロインとして登場するのが、元宝塚歌劇団雪組のトップ娘役という経歴を持つ咲妃みゆだ。今回彼女が演じるのは、過去の出来事からトラウマを抱える花室麻子と、その麻子が産んだ娘である小子の二役。いずれも、これまで咲妃が演じてきた役とはかけ離れた強烈なキャラクターの難役と言える。「この作品を経験することで自分自身が変わるかも」と語る咲妃に、その覚悟に至った作品への想いを聞いた。
――今作へのオファーが来て、まず思ったこととは。
「これは新たな挑戦をさせていただけそうな作品に出会えたな」ということを最初に思いました。そのあとで大まかなあらすじや、自分自身が演じさせていただくお役の設定などを知っていくうちに、もちろん前向きな気持ちだけではいられなくなったわけですけれども(笑)。つまり、相当な覚悟と強い気持ちがこの作品を務めさせていただく上では必要だなということをすごく感じたので。とはいえ、私も役者としてさまざまな挑戦をさせていただきたいと思う気持ちはどんな時でも変わりませんから、「このお仕事はやらせていただきたいです!」と即決でお返事をしたことを覚えています。
――即決だったんですか! 引き受けるに至った一番のポイントというと、どこでしたか。
たぶん、冒険心が自分を掻き立てたんだろうなと思います。それに「この役者面白い」とお客様に思っていただくということが、自分の目標のひとつにあるので。この作品に全力で挑んだ先に、きっと何か新しい世界が見えるのではないかというかすかな希望を信じています。そして今、案の定お稽古では少し苦戦しているところなんですけれど。
――たとえばどういうところに苦戦されていますか。
もちろん今はこの作品に敬意を払って1日1日お稽古を務めさせていただいていますけど、やはりミュージカルとしては取り扱うことの少ないテーマがこの作品の要になっていることに違いはないですからね。そこをまず自分の中でしっかりと噛み砕くまでに、少々時間がかかりました。正直に申し上げてショッキングなシーンも多いですし。そのシーンの表面だけ見れば私自身もなかなか目を覆いたくなる、耳を塞ぎたくなるような場面でもあって。だけどこの作品が伝えたいのはそこではないんです。その点を自分が理解し、打破出来た時から作品に向かうエネルギーが自分の中でより増してきました。ですから、オファーをいただいてから今日に至るまでに、既に私の中ではさまざまな心情変化があったんです。本格的なお稽古が始まってから、まだ間がない現時点で「これはかなり面白いことになりそうだぞ」と、自分でも思っています。
――「面白い」と稽古中から感じられるというのは、良いことですよね。
そう思えなかったら、やっていられないですよ。あ、もちろんこれは悪口じゃないですよ!(笑) そう思えてこそ、この作品の本当のテーマを理解でき、カンパニーのひとりとしてお伝えする覚悟が決まるとも思いますからね。
――その作品のテーマとは、ズバリなんですか。
「人間とは、汚いからこそ愛すべき崇高な生き物だ」ということでしょうか。ポスターやチラシにも“善人不在”と書いてありますが、だけど登場人物はむやみやたらに暴力をふるったり、自らの手を汚したりしているわけでもないんです。性的描写も出てきますが、ひとつひとつの行動にはすべて理由があって。その人物の心情がこう動くからその行動になるんだという流れが、実はちゃんとあるんです。お稽古が進めば進むほど、最初に抱いていたショッキングな部分がどんどん整理されていくという、とても不思議な時間を今過ごしているところです。お客様にもそれぞれぜひ、ご覧になった上でいろいろな感情を抱いていただきたいですし、またその感情をなぜ自分が抱いたんだろうとご自身を見つめる時間も味わってみてほしいです。人間の生々しい姿を目の当たりにした時に「さあ、同じ人間であるあなたは何を感じますか?」と突き付けられるような作品になるんじゃないかと思うんですよね。
――福原さんの演出を初めて受けてみて、いかがですか。
お稽古中、福原さんとはやはり一番お話をさせていただいています。今回私は二役を演じさせていただきますので、とにかく密にお話をすることが必要不可欠なんです。さまざまなことを日々考えるのですが、特に今は善と悪って本当に紙一重だなということをとても感じています。まず一役目の花室麻子さんは一見、被害者のようにも見えるんですが、彼女は彼女なりに周りの人に対して怖ろしい感情を抱いていたりするんですよね。人は自分の感情を表に出したりひた隠しにしたりするものですが、その裏表をこれでもかというくらいに表現する担当が花室麻子さんかなと思います。そして二役目に演じさせていただく諸星小子さんは、とある感情が長年蓄積していくという、その過程を担当するお役でしょうか。その感情が行きつく先に、人はどういう行動をとるのか。それをお客様にお届けする役割なのかなと思います。この二役がまた極端に違うキャラクターですので、切り替えを相当がんばらないといけないなと思っている次第です。けれども、だからこそ役者冥利に尽きる思いがありますね。愛情を注いで、悪を注いで、自分の中に湧き上がるいろいろな感情を注ぎ込んで挑みます! 今の私の目標としては「えっ、ホントにあの役を演じていたのが咲妃みゆさんですか?」とか「今のは誰?」って思っていただけるくらいにまで、自分が変われたらと思っています。
――咲妃さんご自身の中にもそういう裏の顔、怖ろしい感情なんてあるんでしょうか。
あると思いますよ。それをいいことだとは思わないから、押し殺しているだけであって。決して他人事ではないです。こうして30年生きてきて、私は自分のことをだいぶ理解できていると思っていたけれど、このお稽古期間中に日々いろいろな感情が改めて湧き上がってきて、自分の知らなかった部分を既に何度も目の当たりにしています。
――たとえば、どんな自分が見えましたか。
もちろん、いまだに過激な表現を苦手とする自分もいますが、意外とそれも表面的にそう思っていただけであって、これまでちゃんと深く知ろうとはしていなかったんだということに気づきましたし。それに、すべての登場人物が自分を否定して生きてはいないんですよ。麻子さんも小子さんも、自分は自分として生きている。はたから見れば、なんて悪いことをするんだとかなんて可哀想なんだとか思われるでしょうが、本人はそう思って生きてはいない。不思議なまでの心の開放を、お稽古中にも感じることがあって。そんな中でどんな芝居のアプローチをしてみても、福原さんは受け止めてくれるんです。あがいている咲妃みゆを、よしよしと大きな心で受け止めてくれる演出家さんです。なので、素敵な方にまた巡り合えたなと思っています。
――福原さんからいただいた中で、特に印象に残っている言葉は?
二役の違いをどう出すかということについて、声のトーンだったり、仕草だったり、いろいろと変化をつけていく必要があるわけなんですが、こうしたらいいと具体的なことを福原さんはおっしゃらないんですよ。自分で考えてきなさいというか、むしろ好きに考えておいでということなんだと思い、お稽古の帰り道から、次の日のお稽古までの間にめちゃめちゃ考えました。だけど、がんじがらめに固めて考え過ぎても良くないので、大まかなプランを抱いてお稽古に挑んだら「いい方向に向かっていると思います」と言っていただけたんです。「けなげで同情できるし、一生懸命なことも伝わる。でもいい意味でウザイですね」って(笑)。この最後の一言「ウザイ」をいただけた瞬間、私の中には「先に進めた!」という想いが生まれましたね。失敗してもともとくらいの気持ちで、これまでもいろいろな作品のお稽古に挑んできましたが「ああ、このために今までの経験はあったんだ」くらいの気持ちになりました。今はお稽古場で自分のすべてをさらけ出して感情をフル稼働させているので毎日クタクタです。クタクタだけど不思議なことに、日ごと楽しさは増しているんです。
――カンパニー全体としてはどんな雰囲気ですか。
緊張感と解放感が同時に漂っている現場だなと感じています。それこそ、この作品をお届けする覚悟がある方しか、お稽古場にはいないわけですしね。笑いも毎日起きていますし、福原さんがかなりお芝居を細かくつけてくださるので、とても楽しいお稽古場です。
――古田さん、右近さんの印象はいかがでしょう。
お二人のシーンを拝見していると、本当に人となりが表れているなと思います。誠実に真摯に物事に向き合うお二方なんだろうなということがすごく伝わってきます。まさに誠実にワルモノを作り上げていらっしゃるなという感じがする。だから迷いがないし、潔いので見ていてとても気持ちがいいんです。本当に今回はみなさん、素晴らしい役者さんばかりです。
――その中で、咲妃さんが演じられる二役はかなり濃いキャラクターのようですが。どちらのほうが共感度が高いとか、そんなことはありますか?
共感となると咲妃みゆの物差しでその役を見てしまって役の幅が狭まってしまうかもしれませんから、今はとにかく「二人とも好きだなー」というくらいの気持ちで自分のこれまで生きてきた感覚では捉えないようにしています。捉えてしまうと、この二人には戸惑いしか覚えないので(笑)。もちろん、これからお役にどんどん歩み寄っていきたいとは思いますけれど。
――自分自身を、この役に重ねたりはしない。
そうですね。とはいえ、それほど深い溝もないなとは思っています。「このお役と自分はまったく違うよ、なんて言い切れますか?」って内側の自分に毎回問われるみたいな感じがするので。
――自分自身と向き合う作業もしながら、演じる感覚ですか。
そうですね。なんだか不思議な心理カウンセリングを毎日受けているような気がします。
――この芝居をした後、どう自分が変わったかをテストできたとしたら。
それ、面白そうですね。日記でもつけておこうかな。どこでどう変わっていくか、自分でも楽しみですし。たぶん明日の私も、今とはまた違うだろうし。
――下ネタもバンバン出てくるようなお芝居ですが、そこには慣れましたか。
(間髪入れず)慣れました! 見事に慣れちゃった(笑)。でも、これも不思議な感覚なんですけど。この物語の中では確かに排泄物がキーポイントにはなるんですが、別にそれが汚物だという提示の仕方ではなく、生きていく上での必要なものだという提示の仕方をずっとしているので、そこが特に面白いなあと思っています。性的描写にしても、人間が生きる上でたどり着いてしまうであろう考えをやや誇張してお届けしているだけなので。私だってひゃーって思うけれど、いや、ひゃーって思うアナタも彼らと同じ人間ですよね?ってことなんです。
――楽曲に関しては、どんな魅力を感じられていますか。
各登場人物がいろいろな面を持って生きているので、お芝居だけでは人物像をすべて語り切れないんですよ。そこを見事に助けてくれているのが今回の楽曲で。かなり曲数はあります。メインテーマをいきものがかりの水野良樹さんが書かれて、あとは主に益田トッシュさんが作られていて。メッセージが深く込められている曲ばかりなので、歌わせていただく側もきちんと真意を噛み砕いて歌いたいな、と思っています。楽曲の中でお客様に提示する重要な情報もあるし、その人物がどういう人なのかということもお伝えできるわけなので、ぜひとも集中して聴いていただきたいです。
――咲妃さんとしては今回、どんな点が一番苦労しそうでしょうか。
動機をしっかりと見つけることが、とにかく今は難しいと感じています。二つのお役をいただいていますけれど、それぞれの役の根底に流れる土台となる動機と、それとは別に各シーンでその人物がどういう心情を抱くからこの行動に移るんだという、細かい動機があって。いろいろな感情を同時進行で抱きながら取り組む必要があるんです。そこが一番苦労しそうですね。根底ではこう思っているのに、その瞬間では意に反したお芝居をする。それには絶対、理由があるわけです。そこを理解できていないと。
――ただの“不思議ちゃん”になってしまう。
そうです。もはやお客様に共感していただくためにやる舞台ではないなとも思いますが(笑)、とはいえ少しでも共感していただいたほうがお話に集中していただけるのかなとも思うので。
――ただ面白がるだけではなく、観る側にも少し引っ掛かるポイントがほしいですものね。
はい。それぞれの人物たちはみんな突飛な行動をしますが、でもそれが突飛すぎて受け入れがたい!という印象になるだけでは、もったいないですから。そのためにも、動機付けがものすごく大事な作業になるなと思います。
――わかりやすくは出せない、でも匂わせたい。その匙加減が難しそうです。
そうですね。でも登場人物の歩みはいたってシンプルだと福原さんもおっしゃっていましたから、あまりこねくりまわして考えるのも良くないなと思うんですよ。まあ、私が演じるお役も難役には違いないとは、自分でも思っていますが。もし、いとも簡単に演じ切れる方がいらっしゃるなら拝見してみたいなと思います(笑)。
――そんな人はいないと思います(笑)。そのくらい演じるのが大変なお役ですし、今後こんな役と出会えるかどうかもわからないくらい、とんでもない挑戦だとも思います。
そうですよね。ある意味、この作品に携われたのもほかならぬ自分だし、この二役に巡り合えたのも私だけなわけだし。だからこそ誇りを持って、がんばりたいなと思っています!
――覚悟が決まっていることが、ひしひしと伝わってきます。
覚悟、決まっているんですよ(笑)。肝が据わるってこういうことなんだなと、ここ数日の自分を客観的に見て思います。
――これまで経験したことのないミュージカルが観られそうで、とても楽しみです。
お客様にとっても、ある意味で肝試しになるのではないかと。お化けではないほうの、肝試しです。
――演じる側の肝も据わっていますし、観る側としてもある程度覚悟を決めて座席に座りたいと思います。
ぜひとも、普段よりも少々心を強く持って劇場に足をお運びいただけたらなと思います。もちろん「損はさせないぞ!」という気持ちで、毎日お稽古をしておりますので。自分自身もしっかりと楽しみながら、精一杯がんばりたいなと思っています。
ヘアメイク/本名和美
取材・文/田中里津子
写真/岩村美佳