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劇団ONEOR8の田村孝裕が作・演出を務める舞台「チノハテ」が、7月6日(木)~16日(日)に東京・赤坂RED/THEATERにて上演される。逃げに逃げてきた地の果てで拳銃を突き付けられたある家族は、遠く離れた日本を想いながら何を見つめるのか――。主演を務めるのは、数多くの映画やドラマに出演し、現在はNHKの連続テレビ小説「らんまん」にも出演中の女優・鶴田真由。彼女は久しぶりの舞台にどのように臨むのか。話を聞いた。
――舞台はしばらくぶりになりますが、どのような経緯でご出演されることになったのでしょうか?
久しぶりに舞台のお話をいただけたのと、田村孝裕さん作・演出の書き下ろしだったのでぜひ出演したいと思いました。前回ご一緒した時は演出だけで脚本は別の方でした。田村さんの書かれるものにはダメ人間が多く出てきます。その人たちが究極な状態に追い込まれた時に、どうなっていくのか。そこに見えてくる人間の本質を描いているように感じます。だから面白い。そして、どんなにダメでも、それを見つめている神(脚本家)の目線に愛を感じるんです。だからお話そのものに救いがなくても救われる感じがするのです。
――田村さんのご印象をお聞かせください
前回演出を受けたときに感じたのは、稽古場での演出がとても丁寧で、ナビゲートがお上手な方。「こういう心情で、このセリフを言ったらどうだろうか」というような提案をうまくしてくださる感じがしました。具体的に語尾を上げて、というのではなく、気持ちをどう持っていくのか、に焦点があるような演出でしたね。人にはいろいろな目線があるので、同じ「ありがとう」と言うのでも、どういう気持ちで言っているかによって、言葉の響きが変わってきます。私の解釈と田村さんの解釈が違っていた場合に、言い方ではなくて気持ちの提案をしてくださる。そこに正解も不正解もないのですが、作家と演出家と役者がその本をどう解釈するのかのすり合わせだと思うんです。それは、意識というソフトウェアを書き換えるような作業をしている感覚で、深いところからエスコートしてくれているように思いますね。
――現時点では、日本ではないどこかで、ある家族に銃口を向けられるような危機が迫っている…というあらすじだけわかっているのですが、物語については何かお聞きになっていますか?
私もまだ、詳しくは伺っていません。家族を装っている家族じゃない家族、というところまでは聞いています。まだまだこれから設定が変わってきそうなので、田村さんによってどんな世界が描かれるのかを楽しみにしています。
――役を演じる上で大切にしていらっしゃることは、どのようなことでしょうか?
一番やりたいことは、その場その場で反応していくこと。あまり決めつけすぎず、相手のセリフを受けたときに自分がどう感じるのか、役者同士の間で何が生まれてくるのか、そういうことを大事に演じたいです。芝居の形を決めすぎてしまうと、そこを柔軟に変えられなくなってしまうので、稽古で心情の流れを丁寧に体に入れた後は一度手放して、役者同士のエネルギーの反応によって芝居がちゃんと成り立っていけるよう、できるだけ自由で居られればと思っています。
――セリフなどが決まっている中で、自由さを見失わないというのも難しい気がします
そうですね。だからこそ裏付けはとても大切で、そこの組み立てはしていかないとならないんです。そのうえで、セリフをどう言うかという部分については、ベースとしての裏付けがありつつ、瞬間ごとの”どう反応するか”でやっていきたい。例えば、パソコンだとしたらやっぱりソフトなんですよ。自分の内側、ソフトの部分をどうキャラクター付けするか。そこを組み立てておかなければならなくて、どういう環境で生まれ、どういう育ち方をして、学生時代はどう過ごして…という想像はソフトに打ち込んでおく。でも、それ以外のアウトプットの部分は、ソフトの要素を使いながら反応していくという感じです。日々ライブなので、役者さんも毎回同じ芝居をするとは限らないですし、芝居が変わったら、こちらも同じ返しはしない…そうやって、嘘のない芝居をしていきたい、というのは心掛けています。なかなか難しいんですけどね。
――映像のお芝居と、舞台でのお芝居にはどのような違いを感じますか?
時間軸が全く違いますね。映像は瞬発力が必要で、リハーサルを数回やって、すぐに本番でどんどん撮っていく。でも舞台の場合は稽古が1カ月くらいあるので、体の中に大事に積み重ねて入れていって、それを本番で出していく。生の舞台になるほど、その場に委ねていくような感覚です。そういう感じで作り方が違うので、エネルギーの配分が全く違います。お芝居は音楽のセッションみたいなところがあって、もちろん積み上げて作っていくものもあるんですが、初めてご一緒する役者さんたちと舞台というライブでセッションすることで、どんな音が奏でられるのか楽しみにしています。
――今回のお話では、日本の外から日本を見つめるようなところがあるとお聞きしています。鶴田さんが海外で感じられる日本らしさはありますでしょうか?
私自身が感じたことではないのですが…アルピニストの野口健さんから伺ったお話で印象的なものがありました。命を懸けてアルプスに登頂し、下山して街に帰るまでにも盗賊に襲われるなどしてやっとの思いで日本に帰ってきたら、テレビのニュース番組では「川でアザラシが泳いでいました」という話題が流れているのを見て、ものすごく平和を実感されたそうなんです。やはり日本は平和なんですね。そういえば、中国からパキスタンに入り、そこからアフガニスタンに抜けて、またパキスタンに戻ってから日本に帰ってくるという旅を2カ月かけてしたことがあったんです。そのうち1カ月は標高3000m以上の高いところでテント生活でした。ほとんど人にも会わないような大自然の中で、文明的なものもないような旅から日本に帰ってくると、立っているだけでも動く歩道に乗っているかのように景色がどんどんと通り過ぎていくような感覚になりました。街中で流れている音も細かく聞き取れず、ただウワンウワンと騒音が鳴り響いているような感じになりました。それが一週間くらい続きましたね。やっぱり、大自然の中と都会の中では、時間の流れ方、音の響き方が違うんだなと実感しました。
――日本での暮らしは、慌ただしく感じてしまうところはあるかもしれないですね
深いところで見れば、日本は素晴らしい国だと思うんですよ。水もきれいで山深いところもたくさんあって、八百万の神ではないですが、本当にそこかしこに命がちゃんと宿っているような空気感があると思います。そこには、ある種の神聖なものがあると感じています。ですが、手前を見ると随分と汚れてしまっていて…人間がかなり汚してしまっているところはありますよね。自然も破壊してしまっているし、本当に大切なことが何なのかを見失ってしまっているようにも思います。どこに焦点を合わせるかによって、美しくもあれば、汚れているようにも見える。そんなふうに思います。
――久しぶりの舞台に臨むうえで、課題はどのようなことになりそうでしょうか?
いつもみんなに信じてもらえないんですけど、本当に基礎体力が低いので…6~7年ぶりの舞台なんですが、その時でさえ稽古の段階でヘロヘロになっていたので、今回は体力万全でのぞみたいです。稽古に集中し早く寝て体を休めるようにして、本番では全開でいきたいですね。
――体を休めるための工夫は、どのようなことをされているのでしょうか?
その時々で違うんですけど、体がとても疲れていても、頭が興奮しているとやっぱり眠れないんですよね。そういうときは、お香を焚いて少し瞑想してから寝るとか。一度、興奮している頭を手放す時間を作るようにしていますね。肉体的に疲れているときにはマッサージに行くこともあります。
――今回の作品に臨む上で、芯になるのはどのような想いになるでしょうか?
人を理解するということじゃないかと思っています。これは私の個人的な好みなんですが、普段は本当にできるだけ社会の雑音が入らないように過ごしたいと思っています。でも芝居というものは人間を描いていて、しかも田村さんの描く人間はとても人間らしい人間です。人にはいろんな感情、いろんな境遇があって、それぞれに一生懸命生きている。そこを知るために、芝居をするのかな。人を演じるので、人を理解していかないと演じられない。そういう役の人間臭い部分にしっかりと向き合っていかなければ、と思っています。
――最後に、公演を楽しみにしているみなさんにメッセージをお願いします
舞台に上がっているその瞬間に嘘が無ければ、お客さまにもきっと届くと信じています。ですので、みなさんもまっさらな気持ちで観劇していただけると嬉しいです。そして、舞台と客席のエネルギーが大きくグルーヴしていく様子をともに体験できたら嬉しいです。ぜひ一緒に楽しみましょう。
――公演を楽しみにしています。本日はありがとうございました!
取材・文/宮崎新之