コント師と演劇人の競演とその化学反応により創出される新ジャンルへの野望。そんなコンセプトを掲げ、異色混合の定期公演としてスタートしてから早9年目、先見性を持つマッチングとバラエティに富んだ芸でますます注目を集めているのが渋谷コントセンターによるテアトロコントだ。
コント公演を打つ演劇人、演劇公演に出る芸人。今やそんな風景も珍しくないが、コントと演劇の境界がボーダーレスになっていくまでには数々のクロスポイントがあった。ローチケ演劇宣言!は、そんなテアトロコントが掲げる「コントと演劇のボーダー」をテーマに、様々な出演者や作り手に話をしてもらう連載企画をスタート。初回は、2016年よりテニスコートとしてテアトロコントに出演、8月には自身のユニット・画餅として初出演となる神谷圭介と7月にテアトロコント初出演となる桃尻犬の主宰・野田慈伸に話を聞いた。
短編演劇としてやるのか、コントとしてやるのか
神谷 テアトロコントにはかつてアフタートークがあったんだけど、あの場所がこういう連載になって帰ってきたみたいな感じがありますね。初期の頃はそのアフタートークがもう怖くてさ……(笑)。
野田 どういう意味で怖かったんですか?
神谷 今のテアトロコントの客席はお笑いのお客さんと演劇のお客さんがすごくいい感じに混ざり合っているけど、僕らが初めて出たテアトロコントの最初の頃はまだガチガチの線引きがあって、両サイドから温度差を感じるような客席だったんですよ。芸人さんがいつものお笑いライブの感じで出てきたら演劇サイドのお客さんは一歩引いているし、演劇枠の人のステージにお笑いのお客さんは戸惑っちゃうし、当時は相まみえない雰囲気だなと思いましたね。二者が交わるアフタートークはそれこそ地獄のような温度差だったから、初めてテニスコートで出るってなった時は本編通り越してアフタートークのことばっかり考えてたくらい(笑)。
野田 その話聞いて、なんか一気に怖くなってきました……。安易に笑いをとりにいくべきではないのかもしれない、とすら思ってきました。
神谷 いや、今はそんなことはないよ! テニスコートが出た時はvol.5とかだったけど、その時にすでに初期の観客として見ていたような地獄感はなかった。その時一緒だった芸人枠がニューヨークさんだったんだけど、MCも柔和ですごく助かりました。今は、コントをやる演劇の人も多いし、芸人さんでも演劇に出ている人も多いよね。前はそんなこと言い出す人すらいなかったんだから、やっぱり二つのジャンルをここまでボーダレスにしていったテアトロコントの功績ってすごく大きい。野田くんの桃尻犬は今回が初めてだよね?
野田 コント自体作るのもはじめてです。まあ、厳密に言うと、コントとして作ってやろうっていう感じでは現状考えてはいないんですけど。
神谷 なるほど、演劇として作るんだ。
野田 持ち場の30分をコントとして作る人と短編演劇のスタンスで作る人がいるとすれば、桃尻犬はやっぱり短編演劇として作ることになるんだろうなとは思っていますね。基本的には演劇が好きで演劇をやっているので。
神谷 でも、桃尻犬がこの間やった演劇(6月上演の『瀬戸内の小さな蟲使い』)の設定自体はコントだよね? フリーフォール系のジェットコースターの頭頂部で取り残された乗客っていう……。
野田 それ、色んな人にもすごい言われたんですけど、自分ではコントと思って作ってはいなかったんですよ。ただ、「あの設定で演劇をやってみたい」と思って作っていたというか。
神谷 そこがいいなと思った。コントの設定が重なって、ドラマが生まれて、演劇になっている感じ。かつ、コントの面白さもしっかりある。画餅もそこを目指しているんだけど、好きな漫画家の短編を読んだような満足感があった。終わり方も良かったよね。あれ観たら、桃尻犬のテアトロコントは全然いけそうだと思う。桃尻犬はこれまでも「笑い」の要素は多分な方だったと思うけど、意識的に変えたところとかあったの?
野田 これまでやったことのない、新しいことやろうとは思っていましたね。ただ、コントをやろうと思ったわけでも、会話劇をやろうと思ったわけでもなくて、「面白い会話ってどうやったら生まれるのかな」と思って書いたら、あんな風になったという感じだったんですよ。
神谷 場所をワンシチュエーションにしたら、そこからは動けないし、会話でしか走らせられないもんね。だからこそ、盛り込んだ設定が活きたというのもあるかも。
野田 確かに、場が動かせられない=会話勝負で成立させるというのは創作する上で大変だったことかもしれないです。
神谷 そこがコントっぽくもあったんだよね。危機的状況で悲喜交交がだんだん見えてくるみたいな……。でも、それも演劇っぽいと言えば、演劇っぽいのかな。
野田 演劇とコントの違いって、考えれば考えるほどわからなくなっていきますね。
コントの演劇の違いは、笑いの配分と性質?
野田 でもやっぱりテアトロコントという場に呼んでもらったからには、短編演劇として作るにしても「笑い」はがんばらなきゃという気持ちはあります。演劇枠で呼んでもらっているので、30分の短編演劇の中で笑いの配分を多くやっていくっていう感じなのかなって。画餅はどうですか?
神谷 画餅は「笑い」を目的に据えてやっているんで、そこに+ドラマが出てきたらいいなっていう気持ちかな。配分というよりも、もうベースが「笑い」なんだと思う。そこから何かちょっとずれたドラマが発生していく様が画餅の追求したい面白さだと思っています。
野田 テニスコートでテアトロコントに出た時はどうでした? 神谷さんの笑いに対するスタンスは。
神谷 「お笑いのお客さんも演劇のお客さんもどっちも笑わせた方がいい」という目的で頑張っていましたね。そういう意味でもテアトロコントはいい修行になったし、それを経て自分のつくるものも変わっていったと思う。あのクラスの芸人さんと並んでやるわけだから絶対スベリたくないし、そこでちゃんと「面白い」って思われたいっていう気持ちもあった。あとね、映画館だから空間が縦長なの。届かない時は届かない造りだから、それも含めて修行感があった。そういう意味でも桃尻犬の熱量は届きやすいんじゃないかなと思ったり。
野田 劇場とはまた違う空間というのも怖いですけど、新鮮で嬉しくもありますね。舞台からの景色はまだ全く想像つかないですけど。
神谷 客席と舞台の間に一幕ある感覚なんですよ。普段の劇場の距離感じゃなくて、一個フィルターがかかっていて冷静に見られちゃう感じ。だから届けるための熱量ももちろん大事なんだけど、それだけで30分何とかしようとすると怖い目を見るというか……。「ここではそれではウケません」みたいな空気がある。テアトロコントは会場もストイックです(笑)。
野田 ビビってきた。「笑い」を冷静に見られるの……。
神谷 でも、「笑い」にもタイプがあるし、当然お客さんの好みもあるからね。テニスコートは性質的にはナンセンスコメディの系譜の笑いで、どちらかと言えば演劇の文脈が強い笑いだったとも思うんだけど。
野田 シティボーイズとか?
神谷 シティボーイズもだし、イギリスのモンティ・パイソンの流れが入ってきたくらいの文化人の笑いって、お笑いよりは多分ちょっと演劇のカルチャーが強いと思う。僕らはそういう文脈の笑いで、お笑いじゃなく、かつ演劇でもない状態の裏口入学的な感じでまさに演劇とコントの間をずっとゆらゆらしていたわけで。そこをダウ90000がぶっちぎっていったよね(笑)。今回、桃尻犬はダウ90000と一緒だから、いつもと違うことで言えば、お客さんの層が若い可能性がある。
野田 なるほど! 確かに出るカンパニーのカラーによって観客層も変わりそうですよね。
神谷 若い人になるとまた見方も違うだろうから、そこは是非体感してもらって。僕たちは演劇の人たちからは芸人だと思われちゃうし、芸人さんからは演劇だと思われちゃうから色々難しいとも思っていたんだけど、一つ思うのは、コントは芸人さんじゃなくてもできるということ。漫才と違って、お笑いの人だけがやるわけじゃない。
野田 確かにそうですよね。劇団のコント公演とかもあるくらいですし、コントやってますっていう演劇の人も増えてる気がします。
神谷 あと、最近つくづく思うのが「面白かったら、もうそれ以上言うこともない」ってことなんですよね。評論もできないし、面白かった感想って僕はあんまり書かないんだけど、野田くんはどう?
野田 書かないですね。でも、面白くなかったときの感想も書かないかも。ただ、書きはしないけど、めちゃくちゃ考えはしません?
神谷 そうだね。とくに自分は面白くなかったけど、面白いと騒がれているものがあった時に、「自分はどうターゲットじゃなかったんだろう」とか考える。野田くんが演劇観る時もそういうことある?
野田 めちゃくちゃあります。それでいうと、面白かった時も「何がこんなに自分にハマったんだろう」って考える。答えが出ない時がほとんどですけど、もうここまで考えてしまうってことは何か引っかかるものがあったんだろうなって思うようにしてます。コントでもありますよ。例えば、『ごっつええ感じ』のコントとかもそうなんですけど、何でこれがこんなに面白いんだろうって……。
神谷 確かに、ごっつは変な魔法がかかっていた感じもあるよね。面白いものと、面白い魔法にかかっていたものが入り混ざっている魅力があるから、冷静に判断ができなかったのかもしれない(笑)。でも、なんかこういうことを語り始めたら途端にダサくなるから、大学生くらいを機にもう言わなくなったんですよ。あのくらいの頃って、評論したり解析したりするのが好きじゃないですか。僕も課題でやったりしていたんだけど、あんなことするもんじゃないなと今は思っていますね。
野田 神谷さん、桃尻犬の前作についてはめちゃくちゃ色々言ってくれましたけどね。
神谷 それは野田くんとは色々話せる距離感だから。めちゃくちゃ面白かったから、ここがこうなったらもっと面白いかも、自分ならこうするかもって、もう完全に余計なことを言っていましたよね。
野田 あはは! でも、めちゃくちゃありがたいですよ。
神谷 そもそも自分が野田くんの先輩だなんて微塵も思ってないけどね。でも、先輩が後輩の公演を観に行ってあれこれ言っていたら、確かに嫌だな。気をつけなきゃね、距離感。うわ、もう絶対に言わない。
野田 言ってくださいよ!(笑)
いやはやコントの演劇の違いはやはり…長さ? メッセージ性の有無?
神谷 演劇枠の人が30分で短編演劇に仕上げる時に、長く取れない分、骨格的な笑いを目指すようになるのと同じように、通常はネタライブとかで5分10分でやっている芸人さんにとっては、コントが長くなればなるほど「笑い」だけで走りきれないからちょっとした物語を忍ばせたりして演劇に近づいていく部分もあると思うんですよ。結果的にみんなが「テアトロコント」という箱や仕様にあわせてやったら、近いものになっていった感覚というか。
野田 なるほど。箱そのものが演劇とコントを互いに近づかせているんですね、面白い! 去年のM-1で王者のウエストランドさんが「長尺のメッセージ性あるコントはいらん」みたいなことを言ってたじゃないですか。小劇場演劇を揶揄して。あれ、確かにあるなとも思うんですよ。演劇を作っていると、どうしてもメッセージ性とか物語の強みみたいなのは意識しちゃうから。
神谷 そういうのって、多分、さだまさしさんの歌みたいな構造だと思うんですよ。最初ちょっと笑わせて、最後グッとこさせるみたいな。やっぱりその展開が気持ちいいし、お客さんも満足感を得られるんだろうなとは観ていて思いますよね。さだコント。
野田 あはは! さだコント! 確かにそれってやっている側も気持ちいいですもんね(笑)。
神谷 でも、それを良いと思わない仲間内の芸人さんもいるよねって。そういう話ですよね。
野田 そう、それなんですよ。まさに自分たちがそう見られる可能性もあるなって思っていたんですよね。
神谷 大丈夫。だって、桃尻犬、全然グッとくるシーンないじゃん。
野田 あるよ!(笑)。もっとわかりやすくってことですか?
神谷 そう。もっとシンプルにグッとこさせる形をとっている演劇もあるでしょ? 突然いい曲がかかる、みたいな。
野田 なるほど。でも、やっぱり演劇をやっている側の人間としては、30分の中にも何か1個軸になるものがあればいいなとは思っちゃいますよね。メッセージ性とまでは言いたくないですけど、付け足したものじゃなくて、ちゃんと頭から通して30分を作れるといいなって。だからこそ、演劇枠で出る意味があるかなと思って。
神谷 それは、野田くんが演劇を背負って出る、みたいなこと?
野田 そういうわけじゃないですけど、劇団公演でも「こんなシチュエーションで始まれば面白いな」と思って作り始めるけど、そこに登場人物の背景やドラマがないとお客さんは見てくれないなっていう懸念はやっぱり最後までつきまとうんですよね。興味を惹かせ続けなきゃいけないから。お客さんが何を見にきているかにもよりますけど。
神谷 確かに演劇を観ている時って、登場人物のバックボーンとか物語性が徐々に出てくるんだろうな、とか想像しちゃうもんね。そこを徹底的に外していく手もあるんだろうけど。それでいうと、僕らがテニスコートで出た時は演劇枠ではあったけど、演劇って感覚では出ていなかったかも。お客さんがどう思っていたかはわからないけど、30分で2,3本のコントをやる感じだった。
野田 全然関連性のないコントを3本ですか?
神谷 そう。後半にちょっとまとめるようなことはあったけど、基本的には独立している感じだった。
野田 悩ましいのはそこなんですよね。分けて3本やるとしても、繋がりというか、関連性がないといけないのかなとかやっぱり考えちゃうんですよ。これは、演劇特有の考え方なんですかね。
伏線回収って、そんなに必要?
神谷 ちなみに、演劇やってて「伏線を回収しなきゃ」という圧は感じるの? よく感想とかでも「見事な伏線回収!」とか見たりするけど……。
野田 全部が全部じゃないですけど、「ここは多分お客さんがどうしても気になるだろうから、なんか言っておかないと」とかは思いますね。
神谷 なるほどね。事情として出てきたものの回収っていう感覚なんだね。これを最後に持ってきて、ラストをドーンと盛り上げる!とか、そういう回収の仕方ではないのか。
野田 そうです。むしろ、先のことはあんまり考えないでばら撒いておいて、後々「これ使えるから使おう」って気づくような感覚が強いです。このネタを転がしていたから、ここをこういう言い方したら伏線回収みたいになるし、最終的に笑いも取れるかな、みたいな。
神谷 使いどころは後で考えて、先に撒くだけ撒くってこと?
野田 そうです。
神谷 忍者じゃん。
野田 あははは! だから、使い忘れるとかもあります。それで、お客さんに「あれは一体なんだったんだろう」って思われたりも……。
神谷 撒いた石を拾い忘れるわけね。でもさ、生きていたらそんなことばかりだよね。「今日の電車乗る前に見たあのおじさんの動きはなんだったんだろう」とかさ。いっぱいありすぎてむしろ日常では気にならないけど、演劇とかコントで伏線回収すると、なぜかみんなが喜ぶという不思議……。
野田 伏線回収、喜ばれるんですかね。その感覚はあんまりなかったな。
神谷 作っている側が伏線を回収したつもりが全くなくても、観てくれた人の感想見てると、「前に言った言葉をもう一度言っただけで伏線回収ってことになるんだ」とか不思議な感覚になることがある。僕自身も伏線を回収することを目的にはしてないんだけどね。
観客の感度や時代の流れで変わる「笑い」と「演劇」
野田 ちなみに、これを機に桃尻犬を観て下さっている神谷さんに聞きたいのですが、桃尻犬がテアトロコントに出る時に何か変えた方がいいことってありますか?
神谷 今のまんまで大丈夫じゃないかな? 今回出演するのは青山(祥子)さんと浅見(紘至)くんと野田くんの3人でしょ? ときたら、もうコメディ一択でしょ。「コメディするぞ」ってオーラが全員から出てるもん。もはや「コメディがやってきた!」って感じ(笑)。ただ、一つ思うのは、お笑いのお客さんって、自分が思っているよりも相当の前のラインで引いちゃうって印象はあるかもしれない。
野田 引かないっていう話だと思ったら、引いちゃうんですね。それは例えばどんなことで?
神谷 例えば、グロさとか下ネタとか、人が「うわ、嫌だな」って思う感度。お笑いのお客さんの方が、案外そこが敏感な気がするんですよね。芸人さんの打ち合わせでも「このネタは引いちゃうかな」「ここやりすぎるとよくないかも」とか気にされている様子も結構見るし……。
野田 へえ〜!それは知らなかったです。興味深い違いですね。
神谷 演劇を沢山観ている人って、お笑いを中心に観ている人よりよくも悪くも耐性があるというか、生々しい描写に対する感覚がちょっと麻痺してきちゃうと思う。普段通りの桃尻犬ならそんな心配はないけど、野田くんが芸人さんたちの中で変に演劇を背負って逆張りする方向に行ったらそういう可能性もあるかなと思ったけど、そっちの方向に行くのはテアトロコントでは結構リスキーな気がする(笑)。
野田 なるほど! そういう意味でもいつも通りでいくのがいいんですね。確かに、演劇でもお客さんが結構繊細になっていると感じますよね。極端だけど、「作品に傷つけられた」ってお客さんが思うこともありますし。線引きをどこでするのかも難しい話ですよね。
神谷 作っている側も気にしちゃうよね。少し前の時代の、特にナンセンスコメディものって「ここでタブーを入れる」っていう目的があって、よくないことは重々わかった上でその良識の中で使うタブー性のネタが成立していたけど、今はそれが難しいとも思う。
野田 そうですね。だからおいそれとは出せないし、出すにしても、予め言わなきゃいけなくなってきていますよね。
神谷 今、画餅がナンセンスコメディの笑いでやっていないのもそういう理由があって、かつては、そういうパンチのショックを持ってないと飛躍が足りないって思っていたけど、今はいらないんじゃないかなって思っているんですよ。例えば、バーンという音がしてびっくりするみたいに、「ここでショックを与えるぞ」っていう演出を僕個人が必要としてないんです。野田くんはどう?
野田 ショックを与えたいとは思ってないですね。ただ、全部がマイルドになっていく寂しさみたいな、そういう気持ちはあります。
神谷 難しいよね。マイルドになっているのか、そういうタブー性のあるもの以外の表現が主になっていっているのかちょっとわからないけど。でも、モラルを問うような人物が登場しても、出来事が起きても、作っている人間とその場にいる誰かしらに良識を感じさせる何かがあれば、僕はいいと思うというか、そこもセンスなんじゃないかなとも思う。極端な話、「この人は信用できる」って思うか思わないかで印象も変わると思うんですよね。その人の良識や認識が信用できたらちゃんと笑えるけど、ツッコミの人間の常識が間違っていたら、そのツッコミには絶対笑えないですよね。そういう意味では、作り手も信用できるテイストを作っていかないとは思っちゃうよね。
野田 話が飛躍しますけど、神谷さんは長編の演劇を作ろうと思わないんですか?
神谷 現状、思ったことないですね。そもそも自分は1個1個の完成度や密度を上げて短編を作るのが好きだから、個人的なプロジェクトである画餅ではそういう自分の好きなことをとことんやりたいって思う。さっきも言ったけど、昔から漫画とかの小説の短編集の持っている力強さが好きだったんだよね。作家の味もギュッと濃く出るし、 短い中でこそ出る余白や行間に魅力を感じてるというか。
野田 だから、画餅も短編を何本かやるっていうスタイルを貫いているんですね。神谷さんは、画餅やテニスコート以外でも長編の演劇にも外部出演しているから、どう感じているんだろうと思っていたんですよ。
神谷 演劇に客演する度に思うのは、みんながなんとか長編作品にするために悩んで苦労しているってこと。短編が好きな自分としては、「一体誰に求められているんだろう?」とも思うんだけど、岸田戯曲賞とかの賞レースが長編作品を対象にしていることとかも関係しているのかなと思ったり……。
野田 それはあると思いますね。さっきの話に通じますけど、だから僕も劇団公演をやるときは何か一本テーマがあった方がいいのかなとか考えますし……。お客さんの反応や満足度も含めて。
神谷 もちろん長編だからこそ面白くなる作品もあるし、賞レースに合わせてお笑いの人がネタを短くやっているのと同じで、演劇も「このくらい長いのものでないといけない」みたい縛りがそこはかとなくあるんだとも思う。だからこそ、桃尻犬の前作の“軽さ”がいいなと思ったんだよね。そこは僕もすごい気にしているところで、「軽やかに観られる作品」って今すごく必要な気もするというか。
野田 確かに前作は80分という演劇にしてはコンパクトなサイズ感にも好反応を沢山いただきましたね。そう考えると、時代にも合っているのかもしれないですね。
神谷 つい、思いを強く熱く込めようとしちゃうけど、そういうものが今は無理ですっていう人も結構いるんだよね。だから、テアトロコントのような軽やかさや観やすさはめちゃくちゃ必要だと思う。画餅が配信にこだわる目的もそこで、小分けに気軽に何度も見られるっていうのを大事にしているから。あ、画餅の『モーニング』が7月15日より、再度配信となるので絶対よろしくお願いします! 今回は8台のカメラが入っています。
野田 8台! それはすごいですね。撮影風景もただならぬ感じですね。
神谷 もう今舞台上をぐるって回ってカメラが入っていったからね(笑)。そんな画餅も桃尻犬出演の一ヶ月後の8月に初めてテアトロコントに出ます。ワークショップを開催して、その中から出会いもあればと思っています。野田くんの告知は?
野田 まずは、ここで色々とお話ししたように、7月にテアトロコントに桃尻犬が初登場としてお邪魔しますのでよろしくお願いします。その後、9月に平田満さんと井上加奈子さんが制作する企画プロデュース共同体・アルカンパニーで『POPPY!!!』という作品を外部の作・演出としてやらせていただきます。2021年に上演した作品の再演で、今回は東京公演、愛知公演と豊岡公演があります。
神谷 演劇の人、最近みんな豊岡に行ってない? もしかして、これもコントと演劇の違い?
野田 かもしれないですね!
取材・文/丘田ミイ子
<プロフィール>
神谷圭介/コントグループ「テニスコート」のメンバーとして、2016年よりテアトロコントをはじめとする様々なライブに出演。2022年より自身初のソロプロジェクト「画餅」を始動し、1年間で『サムバディ』、『ホリディ』、『モーニング』の3公演を下北沢で上演、全回チケット即完&満員動員で終幕。東葛スポーツや玉田企画、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出の舞台『世界は笑う』に外部出演するなど、俳優としても幅広く活躍。8月に画餅としてテアトロコントに初登場。
画餅 第三回公演「モーニング」 7月15日(土)12:00より、ローチケ LIVE STREAMINGにて配信チケット販売開始!
詳細はこちら → https://l-tike.com/emochi03/
野田慈伸/2009年に「桃尻犬」を立ち上げ、全ての作品の作・演出を手がける。2021年には『ルシオラ、来る塩田』でMITAKA“Next”Selectionに選出されるほか、アル☆カンパニー『POPPY!!!』の作・演出を担うなど劇団内外で多様な活躍を見せる。舞台・映像問わず俳優としてのオファーも多く、映画『僕の好きな女の子』、『あの日々の話』(ともに監督:玉田真也)、コンプソンズ『われらの狂気を生き延びる道を教えて下さい』のほか日本のラジオやシンクロ少女、20歳の国など注目劇団へも多数出演。7月に桃尻犬としてテアトロコントに初登場。