Daiwa House presentsミュージカル『生きる』宮本亞門

1952年に公開された、黒澤明監督の代表作の1本でもある映画『生きる』。昨年にはイギリスで『生きる LIVING』として再映画化もされ、話題となった今作が初めてミュージカル化されたのは2018年のこと。その後2020年に再演し、コロナ禍の中にもかかわらず地方ツアーも含め全公演を力強く完走し、多くの観客の胸を熱くした。
あれから3年。この2023年の秋、さらなるブラッシュアップを経た新たな『生きる』が、リスタートする。
主人公・渡辺勘治を演じるのは初演、再演同様に市村正親と鹿賀丈史という最強レジェンドのダブルキャスト。勘治の息子・光男役は再演に引き続き村井良大が演じる。さらに物語の語り手でもある小説家役には平方元基と上原理生がダブルキャストで扮するほか、高野菜々、実咲凜音、福井晶一、鶴見辰吾らが新キャストとして参加する。
そして今回も演出を手がける宮本亞門に、この作品への熱い想いを語ってもらった。

 

――ミュージカル『生きる』は、これで三度目の上演となります。初演、再演の手応えとしてはいかがでしたか。
最初は、黒澤監督を尊敬するだけにミュージカル化することへの不安がありました。でも映画を何度も改めて観た時「これって、ミュージカルコメディだな」と思えたのです。コメディだなんて言うと、物語は主人公の渡辺ががんの宣告を受けるところから始まるだけに、がんになった方に失礼では?と思われるかもしれませんが、あえて人生というものを客観的に見て、人はこうも嘆き、驚き、戸惑うとコメディのように描かれていたのです。実際に映画が上映された当時、映画館ではドッカンドッカン笑いの渦が起こっていたそうですよ。

 

――そうだったんですか。
とはいえ、当時の視点と今現在とでは死生観にも変化があって、今では人々があの頃よりも死を真摯に感じていますから、そんなに笑いは起こりません。もともとこの「生きる」を黒澤明監督が映画化した時は、終戦直後でその前の大戦の傷跡がいたるところに残っていた時期でした。爆撃で崩壊して荒れ野原になった東京を、どう再生していこうかとみんなが思っていた頃のことです。だから死を恐れるのではなく、まだ生きていくことに焦点が強くあたっていたのだと思います。ですから「よし、これから強く生きるぞ」とか「死んだ人たちの分まで生きよう」といった熱い想いが、映画の画面から滲み出ているんです。もちろん人間の弱さも愛おしく描かれてます「困った時人間ってこんなこと言ってしまうよね」とか「こんなふうに突然余命を告げられたらコート落とすよね」などなど、自分達の普段の生活を客観視している。チャップリンはこんな名言を残しています「人生はクローズアップで見たら悲劇だが、ロングショットで見たら喜劇にもなる」と。それがこの作品が世界でも評価された原因です、ですからコメディと思えば、ミュージカル化もとても作りやすかったです。
ただ、個人的なことですが、がんを体験していない自分ががんになった人のことを演出するのは、気を遣うというか少し嫌でしたね。そもそも、がんを体験した人に「大丈夫ですか」とか「お元気ですか」って声をかけていいものかどうか悩むタイプでしたから。でも、そんなことを気にしなくていいように再演ではおかげさまで僕自身がんになりました(笑)。と笑って言えるのも僕の場合、がんになったことは“命の勲章”だと本当に思っているからです。多くのことをがんになって沢山学ばせていただきました。がんになった時の不安、孤独、混乱、そしてがんサバイバーとして生きることなど、実に貴重な体験でした。
また再演ではコロナ禍とも重なっていたため、生死感を考え得る上で意味深いものでした、感染症がうずまく中、多くの人が、生きる、死ぬということに関してとても敏感な時期を経験しました。
まだ事態は完全に収束していませんが、“さあ、あなたは何を大切にして生きたいですか? と、次に訪れる未来に向けて考える段階に入ってきたといえます。各自のお仕事への想いや生き方についても、このパンデミックをきっかけに皆さんがいろいろなことを胸に秘め、ぜひミュージカル版の『生きる』をご覧いただければと思います。

『生きる』の主人公である渡辺勘治は、役場でまるで死んだようにただハンコだけ押していました。しかし自らの病が発覚したことから“人生、これだけではないはずだ”とはじめて思うようになり、いままでとは違う生き方に挑戦します。つまり生きていても死んでいた人が、はじめて本当に生きることに立ち向かうのです。その姿は観客にまるで“あなたも彼のように、勇気を持って次の一歩を踏み出せますか?”という問いを投げかけます。

見方を変えれば、渡辺勘治は残された人生の数ヶ月を突き抜けて生きられた人でもあるのです。つまり宣告のおかげで本当に、生きることができたわけです。黒澤監督自身もこの映画を作った理由について、こう言っています。「僕はまだ少ししか生きていない。こんな気がして胸が痛くなる。『生きる』という作品は、そういう僕の実感が土台になっている」と。黒澤さんが“まだ少ししか生きていない”だなんて。だとしたら、僕なんかまだ逃げていると、思ってしまうわけです(笑)。

 

――それにしても、本当に力強さを感じる作品です。
もちろん、こんなにラッキーにうまくいくことは少ないのかもしれないし、周りから見ればほんの小さな公園であって、もしかしたらそのあとすぐ壊されたりするのかもしれないけど。それでも、戦いながらここまでやり遂げた。特に後半に人々が感動するのは「自分も、こう生きられたら」という思い。「これは架空の物語だからね」と言って諦める人もいるだろうけど、でも人間は実は変われるし、自分自身と向き合うことができるという意味では、今こうしてコロナ禍が収束に向かってきた今だからこそ、これは家族の話でもあるから、たとえばお父さんと一緒にこの芝居を観てもいいんじゃないかと思うんですよ。今はもう「男は黙って」という時代ではないし、男だから、女だからという時代でもない。誰もが対等に話し合いができるし、お互いに弱いところを認め合うことができ、それを話せることこそが勇気だったり、本当に力があることなんだという風に思えるようになってきた。そんな時代に、またこの作品が上演できるというのは本当に嬉しい限りです。

 

――上演するタイミングで、毎回世の中の状況が変わっているのも巡り合わせですね。
それだけ、今は変化の時期だということですよ。東日本大震災があり、原発事故があり、感染症が拡大し。改めて考えると怖くなってしまうと思って、なるべく過去のことは消去していかないと、次に何が起こるか不安で嫌だと思ってしまうものだけれど。でも改めて振り返ると、僕らはすごい時代に生きているんです。そのことを無視して、とにかく楽しいことだけ考えていようとしたってこれは絶対、自分に帰ってくることだから。そう考えると、それぞれが自立できるかとか、自分の本当に大事なものを探るには、むしろすごくいい時期になっていると僕は思います。

 

――そもそも、『生きる』をミュージカル化すると初めて聞いた時は驚きました。
僕だって、最初は冗談じゃないかと思いました(笑)。そして、きっと周りからは非難を浴びるだろうなとか、黒澤明のあの名作をどうするつもりだと怒鳴られるのではと思いました。だけど原作の映画を観た時、特に夜の街のシーンなんてまさにものすごくミュージカル的だったんです。これが、たとえば小津安二郎の映画だったらミュージカル化は難しかっただろうけれど、やはり黒澤明作品には力強いエネルギーが煮えたぎっているというか、それだからこそ世界からも評価されるんだろうとも思いましたし。それで、原作の映画を改めて観て「なるほど!」と思えたんです。あの、ゴーッとした疾走感と匂い立つような世界観に、テンポもいいしカット割りもすごいし、まさにミュージカルにピッタリな作品であることは間違いなかった。ですから、あの空気感とテンポの良さは活かしたいと思い、それが渦を巻いていくようにということを意識しつつ舞台化に臨みました。

 

――そして今回も演劇界のレジェンドのお二人、市村正親さんと鹿賀丈史さんが主人公の渡辺勘治をダブルキャストで演じられます。お二人の魅力に関しては、どう思われていますか。
このお二人がダブルキャストだということは、僕はとにかく大変面白かったです。役作りの方向性が、まったくと言っていいほど違うので。市村さんは、ご自身でもおっしゃっていたのが「これは鹿賀丈史のための作品だ」と。つまり、鹿賀さんの持っている世界観にとても合うと思われていたんですね。それに対し、自分のほうはしっかり作り込んでいかなきゃダメかもしれない、と思われていて。だけどそうやって役者が客観的に自分の個性とかあり方を自覚できるなんて、本当に素晴らしいことですよ。市村さんはいい意味でそうやって細かいこともしっかりと作り上げ、重ね合わせていくタイプ。一方の鹿賀さんは大きく全体を鷲掴みにして、その上で自分がどう存在できるかを考えていくタイプですからね。その鹿賀さんが初演の時におっしゃってくれたのが「僕の人生の三本作品を挙げるとしたら『イエス・キリスト=スーパースター』、『レ・ミゼラブル』、そして『生きる』だ」と。この作品がとにかく大好きで仕方がないみたいです(笑)。それにしても、お二人ともが上演するたび毎回違うんですよ。それこそ稽古場では日々、変化しますし。とにかくもっと深く渡辺勘治を探りたいと思われていて、あの貪欲なほどの探求心には頭が下がるし、感動します。さらにお二人は、お互いの稽古を見ないんです。だから僕もダブルキャストが入れ替わった時点で、再びゼロから全体を見るわけです。見事に二人は違うバージョンの芝居になっているし、表現の仕方もそれぞれと話し合うようにしているので、ここまで見事なほどに個性が違う渡辺勘治が見られる。面白い試みだと思います。

 

――さらに今回は、周囲の登場人物のキャストがガラっと変わることにも注目ですね。
それに関しては、僕もとても楽しみです。言葉の掛け合いのニュアンスはかなり変わってくるでしょうね。息子役の村井良大くんに関しては再演からの参加ですが、前回すごく良かったんです。あの息子役は一見、なんだか悪役みたいに勘違いされがちですが、ちっとも悪い人間ではなくて。だってお父さん、何にも説明しないんですからね。ひどいですよ、ずっと黙っている。口を開くチャンスも与えているのに、すべてタイミングがずれている。でも渡辺勘治としては、それまではそういうことを一切考えず「男は黙って……」という価値観だけで生きてきた人物ですからね。そういう価値観でものを見てきた父親を持つ息子の苛立ちは当然ですし「どうせ親父はこうする」とか「あんなことが起きたのも全部親父のせいだ」とか、そう思いたくなる人間関係はいまだに日本には残っていますし。結果的にお客様は勘治の病状、余命を知っているから、息子を悪役のように見てしまうんだけれど、でも決して悪役ではないのでということは村井くんともしっかり話し合い、彼も怖がることなくそこにストーンと入って存在してくれた。それがすごく良かったんです。

 

――この物語の語り手でもある、小説家役は平方元基さん、上原理生さんという新キャストになります。
ストーリーテラーである小説家も、いわゆる弱者なんです。別に人が悪いわけではないんだけど、自分がやっていることは誰からも認められず、周りからバカにされているように思えて、少々自暴自棄になっている。そんな時に勘治と出会い「随分と潔い親父がいるな、こいつは面白い」と思ったわけです。そして一緒に時間を過ごすうちに、勘治の心の裏側の痛みがわかってきて、小説家としての想いが募っていく。そういう、登場人物みんなの人生のジャーニーもこの舞台の中ではしっかりと描かれています。

 

――演出プランについては、多少変える部分もあるのでしょうか。
そんなに大きく変えることはないですが、前回、強く意識した部分というのは、やはり自分の経験を踏まえて、がんになるととても混乱したりイラだったりするので、喜怒哀楽をもっと出してもいいなと思ったんです。自分ががんになって驚いたのは、いろいろな方から「がんになっていかがでしたか?」とインタビューで聞かれるたび、その答えとして「生きるために大切なことを伝えてください」みたいなことを期待されているように感じてしまって。まるでがんになると聖人君子になったみたいな感じもして、だけど病気になっただけで人間、いきなり綺麗になんてならないんですよ。全然、何にも変わりません。自分だって「なんで僕ががんに?」と思ったし。だから、むしろもっと泣きたいし、悩みたいし。一番嫌だったのは、周囲の人から距離をあけられることだった。僕は年も重ねてることもあって、テレビで病気の話をされた時になんだか自分が、まるでもう亡くなったかのように過去の経歴を編集されているように見えたんです。最後に「惜しい人を……」って、誰か言い出すんじゃないかと思ったくらい(笑)。それを客観的に見られたことは、なかなかないチャンスとも言えるから、面白かったですけどね。人は自分のことをこう見てくれているんだと思ったし、変に良いことを言ってくれたりもしたし、逆にネットでは「あんな奴、大したことやってないのに」とか言う人もいたし。それを面白かったなんて言えるのも、今、元気だからこそ言えるんですけど。チャップリンの言葉の「クローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ」みたいな、そういう感覚は演出家という立場上いつも思うことでもあったので、自分の人生って人にはこう見えているんだ、と思えたのは面白かった。ただ、心配し過ぎで距離をとられるのは嫌だったんです。

 

――必要以上に大事にされたりとか。
そうそう、大事にされたりすると寂しいんです。そう考えると、ちょっと面倒臭い人間にはなるのかもしれないですね、年を重ねるということは(笑)。

 

――改めて、この作品を通して伝えたいメッセージというと。
コロナ禍も収束しつつあるこの状況で、これから生きるということに対して「さあ、どう生きていきましょうか?」ということを考えるには、タイミング的にも最良の作品だと思います。なので、もしできればぜひお父さんとか、ご家族で一緒に観に来ていただきたい。それから、弱さを出せている人間って素敵だよね、ということ。その弱さが出ていることが素晴らしいなと思うんです。そういう意味では、時には怒鳴ったり混乱したり、悩んでもいい。だけど、みんな一生懸命それぞれが闘っているんだということを、客観的に作品を通じて見ていただけるので。ある意味、ふだんの家族同士の会話では話しづらいこともあるかもしれませんが、この舞台を観たきっかけで、その後の関係が少しずつ変わっていくかもしれません。また、これほど高い年齢層の男性客がいらっしゃる舞台も、他にないですよ。思えばうちの親父も何回か観に来ては号泣して、その度に「俺はもっと生きるぞ!」って言っていましたから(笑)。本当に、この舞台はいろいろな方に感動を与えてくれる作品だとしみじみ思いますね。

取材・文:田中里津子