舞台『華氏451度』白井晃・吹越満インタビュー

左:吹越満 右:白井晃

書物が燃える温度を題した、ディストピア小説の傑作「華氏451度」が、演出・白井晃×脚本・長塚圭史のタッグで舞台化される。

書物を読むことが禁止され、テレビやラジオのみが情報源として許されている近未来。本が発見された際には「ファイアマン」と呼ばれる機関によって直ちに焼却されていた。主人公のモンターグは模範的なファイアマンだったが、ある女性との出会いによって自身の振る舞いに疑問を抱き始め、隠れて持ち出した本を読むようになり…。

キャストは吉沢悠、美波のほか、堀部圭亮、粟野史浩、土井ケイト、草村礼子、吹越満。主人公のモンターグを演じる吉沢以外、ほとんどのキャストが2役以上をこなし、社会を鋭く風刺した語り継がれるべき傑作を舞台上に具現化していく。

本作で演出を手掛け、KAAT神奈川芸術劇場の芸術監督を務めている白井晃と、主人公に立ちはだかる上司など、数役を演じる吹越満に話を聞いた。

――今回の舞台について、どのように企画されてきたんでしょうか。

白井「KAATでは私の芸術監督就任以来、近代戯曲や文学を扱っていく方針を打ち出していまして、その中でジョージ・オーウェルの小説「1984」の舞台版を上演してみたいなと考えていました。ですが他劇場で上演されると聞き、もう1本やってみたいと思っていた小説の「華氏451度」を舞台化して上演することにしました。思想や情報を統制しているような全体国家という存在が、今我々が感じているような危機感に繋がる部分があるだけに、やる必要があると感じていました。加えて、私たちはだんだん本や新聞を読まなくなっていて、このままそういう文化になってしまうのかという危機感もあります。いろいろなメディアで流れていることが、もし嘘だったとしても鵜呑みにして信じてしまうような…。65年も前の本が予見のような形で書かれていて、これは今だよな、と感じたんです」


――だんだんと本から離れていっている現代人は、焚書をしているわけではないけど、実質的には同じような状況にある、と。

白井「どんどん自分たちで紙を失くしていっていますよね。僕はやっぱり古い人間なので(笑)、厚みがあって、ページをめくって…というのが本だと思っていて。紙を失くしていくことは自然保護の部分では意味があるのかも知れないですが、どうも生理的にタブレットのようなもので読んでも、何か自分のものにならないような物足りなさがあるんです」


――吹越さんは出演のオファーを受けてどう感じられましたか?

吹越「僕は単純にどういうふうにこれを舞台化するのだろう?ということに興味を持ちました。もちろん、出来上がったもの観るだけであればオファーをいただかなくてもできるんだけれど…この稽古場も見てみたいなという気がしたんですよ。って言い方をすると、ちょっと無責任な感じがしちゃいますけど(笑)。あとは、KAATという劇場もすごく素敵な劇場だし、白井さんや長塚くんと一緒に仕事をするのは初めてなんですよ。すれ違いというか、ご挨拶は何度もしていたんですけどね。そこも大きな要因でした」

白井「吹越さんとは前から是非ご一緒してみたかったんですが、機会がなくて。吹越さんはご自分で演出されたりしていますし、なかなか声をかけるのが難しいなあ…と思っていたんです。僕自身もよくあるんですけど、演出をやるようになると俳優の仕事で声をかけにくくなるみたいです(笑)。俳優としてもどんどんやりたいんですけどね。そんなこともありまして半端なものを吹越さんにお願いできないな…という気持ちも正直あったんです。今回、受けてもらえて嬉しかったですね」――今回の脚本は、長塚圭史さんが担当されましたね。

白井「企画を考えていた時にちょうどたまたま一緒に仕事をしていて、『華氏451度』をやろうと思っている、という話をしたら“僕も大好きな本だから、是非脚本を書かせてくれ”と言ってくれたんです。これは渡りに船だな、と(笑)。「書かせてくれないと怒るからね?」くらいの勢いでしたから(笑)」


――作品の印象についてはいかがでしょうか。

吹越「オファーを頂いてから読んだんですが、僕は65年前にレイ・ブラッドべリが予見していたのとは今は違う世の中になっていると感じました。あの当時から見た未来に対する警鐘が描かれているんだけれど、ちょっと違うぞ、と。あの時代は上からの圧力によって管理されているけれど、今は自分たちでそれを選んでしまっている。この違いは大きいと思うんですよね。物語が終わりに向かっていって、この結末をどう感じるのか、そして、なぜそう感じるのか。そこが面白いところだなと」

白井「確かに、それももう一つの大きなテーマ。管理社会に対する警鐘的な意味合いからやりたいと思った作品ではあるんですが、実のところ、我々は利便性から、管理されることを自ら選んでしまっているということを、表現したい。実は情報統制する全体国家といったものは、作中に1回も顔を出さないんです。権力をもった長官みたいな人物や役人みたいな人間が出てくるわけではない。それがこの本に観念的な印象を与えています。作中に主人公の頭上をジェット機が通過する場面があるんですが、ジェット機が爆撃しているのは敵ではなく、自分たちの文化を自分で壊しているような感じがするんです。そして、それを示すようなセリフもある。私たちって、どこか本を自分の周りに積み上げているだけで、何か知識を得たような、人類の歴史の中に自分が立っているような意識になることがあるんですけど、本が無くなってしまうと、今しか見えてなくて過去を忘れていくような…そんな感覚を覚える。そういうことが今回の舞台を通して見えてくればいいなと思いますね」


――吹越さんは、主人公のモンターグをだんだんと追い詰めていく上司のベイティー隊長ほか、複数の役を演じられるそうですね。

吹越「なかなか大変なんですよ(笑)。ほかの登場人物もそれぞれが何かの象徴だと感じているんですけど、ベイティー隊長も面白い役。とても正直でね。ベイティー隊長も主人公モンターグもきっと同じ道をたどっていて、その結果が違っている。モンターグはまだベイティー隊長の手前に居る状態なんです。そして、ベイティー隊長は矛盾を抱えた先にいる人物で、セリフにも矛盾があったりする。今の時代を肯定しているのか否定しているのかがわからないからね。そういう意味で、ただ敵役というだけでなく、もっとそれ以外の見方のできる役だと思います」


――ベイティー隊長のほか、後半に登場するグレンジャーも演じられることになりますが、この2人は対になる存在のような印象があります。

吹越「グレンジャーという男も、きっと同じ道をたどってベイティー隊長とは違う結末にいる人物。その違いのために、それぞれ必要な登場人物ですよね。この話の中で変化していくのは主人公のモンターグだけなんですよ。ベイティ―隊長は、“以前”を想像させるような登場の仕方で、“今”があって、“結末”がある。そこもやりがいのある役だな、と思います」

白井「ベイティー隊長とグレンジャーなど、複数の役を同じ人に演じてもらうということは演出上のポイントになりますね。裏と表のような…、ベイティーが本来の理想とする姿、まるで魂が抜け出てきたような、それがグレンジャー、そういう描き方ができればと思います。観ているお客さんに演技的な仕掛けとして、そのように見えてくれればいいな、と。複数の役を演じてもらうこと、この7人でやるということが、演劇的な仕掛けとしては大きなところになります」――主人公のモンターグ以外のキャストが複数の役を演じること自体が、重要なんですね。そのほか、演出でイメージしていることはありますか?

白井「脚本を書いてくれた長塚さんが原作をとても尊重してくれているので、通常の上演台本に比べるとかなり乱暴なト書きがたくさんあるんですよ(笑)。でもそれをいちいち具体的にしていくことはできないので、空間としてはあえてシンプルに見せていきたいと考えています。空間がモンターグの脳の中のようにしてみようか、と。モンターグと登場人物たちは何かしら関連している、と捉えて空間を作っていくつもりです」


――吹越さんは、現時点で役づくりなどこんな風に演じたいなどのビジョンはありますか?

吹越「どうしてもほかの舞台や劇場での経験がありますから、考えてしまう部分はあります。でも、それをやっちゃいけないというのもあるんですね。余計なものは取っ払っていかないと、という気持ちでいます。具体的な設定がある…例えば昭和40年代の四畳半のホームドラマです、というようなものとはやはり違うと思うので。単純にね。白井さん含めて、全員がばらばらのイメージを持っている。例えば、作中に猟犬が出てきますが、それがどんなビジュアルなのかは突き合わせていかないとその違いがわからない。イメージはどうしても持ってしまうけれど、それを統一していくところから始めるので、イメージを作ってしまって固執してしまうとみんなと合いにくくなるんですよ」

白井「確かに、表現の仕方を試行錯誤しないと見えてこない部分もあるので、限られた時間の中ではありますがみなさんとじっくりトライ&エラーを繰り返していきたいですね。まだこんなやり方があったのか、という演劇的な見せ方をみつけたいですし、今回のみなさんはそれを共有できる方たちだと思っています。今回のような、どうやるのコレ?というような作品を一緒になって創作して、それを楽しんでいただけるんじゃないかと…こちらの勝手な我儘ですが(笑)」

吹越「いやぁ、大変でしょうね(笑)」――キャストには吉沢悠さんや美波さんなども出演されます。彼らの印象はいかがですか?

吹越「吉沢悠さんは以前ドラマでご一緒したことがあるんですが、ずいぶん前で。とても大人になった印象がありますね」

白井「吉沢さんがまだ20代のころに、何かお仕事をお願いしたいなと思ってお願いしたこともあったんですが、タイミングが合わなくてできなかったんですよ。それで今回お願いした時に、もうすぐ40歳になると聞いて、そんなに経ったのかと感慨深かったですね」

吹越「美波さんは面白い子だよね。フランスに拠点を移して向こうの演劇学校にも通ってたみたいだし、とてもアグレッシブ。面白い話が聞けそうな気がしていますね」

白井「僕にとってはもう、やんちゃ坊主(笑)。少女っていうより坊主なんですよ、いまだにね。放っておいても勝手にあっちこっち行くし、ジッとしてない。外見はキレイな大人ですけど、中身はやんちゃな子ども。今回の稽古でも十分に引っ掻き回してくれると思います。稽古場で僕が怒っているとしたら彼女にだと思いますよ。落ち着け!じっとしてろ、って(笑)」


――それはそれで、楽しい稽古場になりそうです(笑)。最後に、公演を楽しみにしている方にメッセージをお願いします。

吹越「まだどういう形になるのかわからないという現状は、すごくラッキーなスタート地点。せっかく舞台にするのだから、舞台にしかできないというものにしたい。そんな舞台を僕自身も楽しみにしていますし、それを目指して頑張りたいと思います」

白井「この作品は焚書の話ではあるけれども、主人公のモンターグひいては我々自身の自己回復の物語にしたいと思っていて。今、私たちの立っている場所がだんだんと不安定になっていく中で、ちゃんと立つ場所をもう一度作り直す、もう一度本を積み上げていくような、そういうお話になればと思っています。作り手の思いとしては、そういうふうに見せたいと考えていますので、楽しみにしていただければと思います」


――楽しみにしています。本日はありがとうございました!

インタビュー・文/宮崎新之