『つかこうへいTRIPLE IMPACT』演出家 岡村俊一☓中屋敷法仁 対談

 

 彼がいなくなって、もう5年が経つ。つかこうへい。終始ハイテンション、せりふと感情の洪水みたいな舞台で、演劇界をぐいぐいと牽引した人だ。彼が引き起こしてきた奇跡を、直接は知らない世代の舞台人も今は少なくない。けれどそういった人たちが、強くつか芝居に焦がれているというのだから不思議だ。つかこうへいの右腕として長く信頼を置かれ、今回「つかこうへいTRIPLE IMPACT」のうち『いつも心に太陽を』を演出する岡村俊一と、『ロマンス 2015』を構成演出する中屋敷法仁に聞いた。

 

tsukakouhei

 

岡村「2年前に中屋敷くんが演出した『飛龍伝』を観た時に、何か“未来”を感じたんです。本にこう書いてあるんだから、そりゃあこうするよなあ、というまっすぐさを感じた。理路整然と、切れ味のいいドライさというのかな」

中屋敷「僕は、つかさんと出会えていない世代なんですね。で、僕はもともと演劇オタクなので(笑)、どんな戯曲でもさらさら読めてたんですけど、でもつかさんの戯曲だけはページが全然進まないんですよ。人のラブレターを読んでいるみたいな気がして、読むのがキツくなってしまって。でも、同世代の役者たちが、とにかくつかさんの芝居をやりたがるんです。岡村さんがおっしゃったようにドライな人たちだから、ウェットなものを求めるんですね。みんなカサカサしてるから(笑)」

 

岡村1

 つかこうへいは「口立て」という方法で芝居を紡いだ。稽古を観ながら、役者の次のせりふを、つかがその場で機関銃のように叫ぶ。それが、その時点での台本になる。明日の稽古で、また変わるかもしれない。

岡村「一回、つかさんに聞いたことがあるんだ。つかさんの芝居はどうしてこんなに泣けるんですか?って。そしたら『それはな、やめないことだよ』って。普通は『このへんでいいだろ』っていうところでやめるだろ、でも俺はな、泣くまでやめないんだ!って」

中屋敷「わかります。役者も、泣くまでやりたがるんですよね。それに、つかさんの作品をやるにあたって、せりふを覚えてこない役者に会ったことがないです。きっと、早く覚えて、早く共演者にぶつけたくなる本なんですよね」

 

中屋敷1

 今回、中屋敷が手がける『ロマンス 2015』も、岡村が手がける『いつも心に太陽を』も、男同士の愛の物語だ。男同士ゆえの屈折、男同士ゆえの純愛。

中屋敷「今の人たちってたぶん、サプライズに慣れているんですよ。芸能人が急に何かしても、特にびっくりしないじゃないですか。だから『ロマンス 2015』もそういう芝居にしたいと思って。男同士が愛しあう“サプライズもの”に見せながら、ごくシンプルに、人と人が愛しあうっていうことについて深く感じてもらえるような。でもそこにはひそかに毒が混じっていて、劇場を出た後にだんだん効いてくるような。口当たりの軽いお酒をどんどん飲まされた後の、二日酔いみたいな芝居にしたいです(笑)」

岡村「つかさんって『これは効いただろ……!』っていうのが口癖だったんだよ。口立てせりふに攻めこまれて、役者がもう立ち上がれないっていうところまで来ると、つぶやくようにそう言うんだよね」

中屋敷「つかさんの芝居って、作家と役者がダイレクトにつながってしまうんですよね。つかさんの魂がこもった言葉を、役者がしゃべる。もはや役者たちは、つかさんに会ってるようなものなんですよ。でも僕はつかさんじゃないから、つかさんとは違う視点でいなきゃいけない。つかさんの本を、つかさんを知らない世代の人間が演出するということについて、僕は今回検証したいと思っていて」

岡村「つか作品の演出って、確かに難しいね。つかさんは、俳優の脳にせりふを書いちゃう人だから。あの人がやっていたことは「作家」でも「演出家」でもない気がする。天才演劇人ですよ。野球があるのは長嶋茂雄のおかげ。漫才があるのはビートたけしのおかげ。それと同じことを、僕はつかさんにも感じるんだよね」

 

今は亡き作家に出会うということ。それはどの世代の作り手にも、そして観客にも許された特権だ。そして演劇の「生」っぽさを愛する人なら、つかこうへいには是が非でも出会っておいた方がいい。早春の紀伊國屋ホールに、衰えを知らぬ熱風が吹き荒れる。

 

インタビュー・文 小川志津子