『フェードル』栗山民也 インタビュー

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今の日本に、あの熱量のセリフをしゃべれる人は、と考えたとき、大竹しのぶが思い浮かんだ。

 

フランスの劇作家、ジャン・ラシーヌがギリシャ悲劇から題材を得て創りあげた、17世紀フランス古典文学を代表する作品、『フェードル』。「人間精神を扱った最高傑作」と言われてきた古典作品で、その美しく響く台詞、神話的世界をもとにしつつも破滅的な激情にかられる登場人物たちのドラマチックな宿命、そして衝撃の物語展開には現代を生きる私たち誰もがきっと心を揺さぶられるはずだ。日本を代表する演出家のひとり、栗山民也が2011年に上演した『ピアフ』などで何度もタッグを組んできた女優、大竹しのぶと共に満を持してこの歴史的名作に挑む。

 

――以前から、栗山さんは大竹さんに「古典をやろう」とお誘いをかけていたそうですね。

 

栗山 今、とても演劇の言葉の力が弱くなっているような気がして。それで、なんとなく古典に魅かれるんだと思います。なぜ『フェードル』を選んだのかというと、もう20何年も前の話になるんですが。フランスのアビニョン演劇祭に行った時に、小さな地下室でやっていた『フェードル』を観て、そのフランス語のセリフの美しさにまんまとやられてしまったんですよ。ああ、演劇でやはり耳から入ってくるものってすごく大事なんだとその時、改めて思ったんです。劇作家が言葉を書き、それを俳優が声にする。その基本の作業が本当に素晴らしい形でできていたんですね。そのあと僕は日本で井上ひさしという優れた劇作家に出会えたので、日本語の素晴らしさも充分味わえましたが、今、その井上さん亡き後、舞台の上で語られる言葉ってなんだろうということをずっと思っていて。どうしても現代作家の言葉はどこか足腰が弱いように感じてしまうんです。そうなると言葉の力を持つ古典作品に魅かれるんですね、ギリシャ劇とか、今回のラシーヌの作品とか。

 

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――古典作品のほうが、言葉に力があると。

 

栗山 とはいえフランス語でやるわけにはいかないんだけど(笑)。だからといってこれを現代の分かりやすい日本語にしてしまうというのも、ちょっと違うんですね。だけどあえてこういう枷というか、ハードルを作ってそれを飛び越えることで、もう一回演劇の言葉というのはなんなんだろうということを見つめてみたいと思ったのかもしれません。言葉と人間の関係性だけで物語を作っていくことって、今は欠落しているような気がするし。それと昔、ギリシャ劇をやる時に「神の問題は日本人には分かりにくい」とカットする人がいたけど、あれは大間違いだよね。だって神という絶対的なものがあるからこそ、それと向き合っているわけなんだから。だいたいフェードルは父母からしてそういう存在で、そういうふたつの混乱したものが、彼女の体内には宿っているんです。だからこそ、この作品は常に対立するふたつのものを抱え込んでいて。「昼間の理性と夜の狂気」と言ったのは哲学者のロラン・バルトだったかな。フェードルの先祖は太陽神なんだけど、お母さんはこの「夜」のほう、狂おしいほどの恋愛と恐怖、罪悪みたいなものが同時にこの人の全身の中にある。これって、中心的なテーマですよね。

 

――だけどそういう意味では、そのフランス語のセリフの美しさを伝えられるように翻訳することがかなり重要になってきますね。

 

栗山 もちろん。もう、5回くらい、訳し直されているかな。

 

――5回も、ですか!

 

栗山 今回、翻訳していただいたのは岩切(正一郎)さんで。岩切さんの言葉の選び方、そのセンスが僕は好きなんですよ。彼は学者なんだけど、しっかりと、人間の感情から出た言葉を選んでくるんです。言葉が固定することなく、なんだか、動いているんですね。でも、あまり現代の僕たちに近づき過ぎてしまうと、失われるものも絶対あるので。

 

――なるほど、そのさじ加減が難しそうですね。

 

栗山 そして、実はフェードルも含めてですが、いろいろな意味でこれは怪物たちのドラマなんです。そこには美しさもあるので、さっき言った“対立するふたつのもの”というのには“美と醜”もある。“昼と夜”、“人間的なものと怪物的なもの”、そしてやっぱり“狂気の恋と罪”みたいなもの。それら矛盾したものが常に同居していて、そこで自分はどう価値を判断するかということなんです。だからこそ、やはり“等身大ではない”人間を描きたいというのもある。じゃ、フェードルは等身大じゃなくてどこにいるのか、というのはまだわからないけどね。だけど同じ人間であるのならば、どこか自分たちの眠っている感性の中に彼女が持っているものを見つけられるかもしれない。芸術の世界って、僕はそういうことだと思うんだ。そこの領域までは必ずしも到達しえなくてもいいと思うけど、そういうものに対して欲望を持って向かっていく作業が今、あまりにも欠落してしまっているように感じる。人間の業のようなものが、なんだか薄く感じてしまう。だって恋もしない若者がすごく多いっていうじゃない。だからこそこういう作品、だからこそ演劇というものが必要なんですよ。それがイコール、新しいものだけを求める現代劇ではなくて、むしろ古典の『フェードル』を取り上げるということは、僕だって今は100%わかっているわけではないけど、だけどものすごく永遠のような魅力があると思うんですよね。だって読んでいて本当にドキドキするんですから。これが俳優の生きた声になった時、もっとすごいものに生まれ変わるだろうという可能性も感じるので。もう、今すぐにでも本読みをやりたいくらいですよ。

 

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――今回の座組、キャスティングについてはいかがですか。

 

栗山 やはり重要なのは声。当たり前だけど、演劇の核みたいなものだよね。

 

――他の作品でもそうなんでしょうけど、特にこの作品では俳優の声が重要だということなんですね。

 

栗山 そうですね。それがなければ成立しない作品です、これは。台本の2ページ分くらいの分量を一度にひとりでしゃべらなきゃいけないんですから。また、この作品は“告白の文学”だとも言われていて。それぞれ、みんな告白しているでしょ。そこがまた一番ドラマチックなんです。誤報と誤解と、告白の物語ですよ。それが見事にドラマツルギーを組み立てているんです。フェードルの告白にしても、美しくて透明感のあるピュアなところから始まったものが、どんどんむき出しの狂気に変わっていく。愛は狂気である、みたいなところまでどんどんいってしまい、それにキムラ緑子さん演じる侍女が輪をかけるかのように悪魔のささやきで包み込んでいく。そのへんも、本当にからみ合っていて面白い。

 

――キムラさんと栗山さんの顔合わせも10年ぶりのタッグだそうで、そこも楽しみです。でもそれにしても大竹さんがこのフェードルという強烈に激しい女性を演じるというのは、とても興味深いですね。

 

栗山 これは僕、10年前くらいに思いついたんじゃないかな。だからその間、一緒に『ピアフ』や、井上ひさしさんの作品などもやりつつ、「この表情はフェードルだな……」なんて思っていたわけですよ(笑)。

 

――そんなにずっと前から。

 

栗山 そうなんですよ。『フェードル』のあのセリフをこの人が今しゃべったら、どんな響きで聞こえてくるのかとか思いながらね。そして今の日本にはあの熱量のセリフをしゃべれる人は、大竹しのぶ以外はいないだろうとも思っていました。

 

――フェードルが恋心を抱く義理の息子、イッポリット役の平岳大さんに期待するところは。

 

栗山 今回初めてご一緒するんですが、古典的な居住まいを持った俳優さんですよね。スッと立っていることの美しさがあるというか。あとは声の落ち着きもいい。だけどそれはあくまで出発点で、そこから高い山を登っていかなきゃいけないんですがね。だけど彼には、生まれついての品格みたいなものがある。そういうのって1、2ヵ月では身につかないものですからね。

 

――では、イッポリットが心を寄せる敵方の姫、アリシーを演じる門脇麦さんについてはいかがですか。

 

栗山 彼女はね、なんとなくとてもアウトサイダーな感じがしたんですよ、決して王道ではなくて。大竹しのぶさんのフェードルが持っていないものを持っている存在なので、対極的な人間がいいということで「絶対、彼女だ」と思ったんです。なんとなく透明な鋭さがあるような気がして。最近の子はみんな同じ顔に見えてしまうんだけど、この子はちょっと違うなと思ったところも良かった。

 

――演出という意味では、どういう感じの舞台にしようと思われていますか。

 

栗山 この舞台は音楽もほとんど使わず、言葉と、人間の存在だけの芝居で成立できたらいいなぁと思っているんですけどね。日本の演劇もこの30年くらいは、これでもかこれでもかと過剰なものを付け足して、それで豊饒さを見せていたというか。僕も若いころは何かいいアイデアないかなぁと思いながらいろんなことをやってきたけれども、ここ10年は逆にどんどん削ぎ落としていく作業をしている気がするんです。絵の具をいっぱい塗り重ねていく作業は一度、稽古場でやらなきゃいけないことではあるんですが、そこであらゆるものを出し終わったら、あとはどんどん削ぎ落していく。特にこういう作品は、太い線のデッサンだけを的確にバーンと見せることが実際素敵なんじゃないかなと思うんですよ。

 

――では、素舞台に近いシンプルなステージに。

 

栗山 そうなるかな、オーソドックスに。古い話ではあるけど、とにかく物語として面白いし、そこでいかに現代と魂の上で普遍性が見せられるか、ということなので。「人間って、何だ、昔も今も何も変わってないじゃないか」っていうところで共感したり失望したりするわけですから、そこのところはしっかりと面白く見せていきたいと思っています。

 

取材・文/田中里津子

 

 

【プロフィール】

栗山民也
クリヤマ タミヤ 1953年、東京都生まれ。早稲田大学文学部演劇学科卒業。新国立劇場前芸術監督。ストレートプレイからミュージカル、オペラまで手がける日本を代表する演出家の一人。最近の主な演出作品は『ピアフ』『デスノート The Musical』『ディスグレイスト』など。紀伊國屋演劇賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞、毎日芸術賞第1回千田是也賞、第1回朝日舞台芸術賞、芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章ほか数々受賞。

 

【公演情報】
『フェードル』

作:ジャン・ラシーヌ
翻訳:岩切正一郎
演出:栗山民也
出演者:大竹しのぶ 平 岳大 門脇 麦 谷田 歩 斉藤まりえ 藤井咲有里 キムラ緑子 今井清隆

日程・会場:
2017/4/8(土)~30(日) Bunkamuraシアターコクーン(東京)
2017/5/6(土)・7(日) 刈谷市総合文化センター アイリス 大ホール(愛知)
2017/5/11(木)~14(日) 兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール(兵庫)

★プレリクエスト抽選先行 12/24(土)12:00~受付開始!