キ上の空論 獣三作三作め『緑園にて祈るその子が獣』|稽古場レポート

2024.09.08

演劇ユニット「キ上の空論」が、『緑園にて祈るその子が獣』を9月11日(水)~16日(月)東京・本多劇場にて上演する。

今年3月上演の1作目『けもののおとこ』、5月上演の2作目『除け者(ノケモノ)は世の毒を噛み込む。』に続き、タイトルに「けもの/ケモノ/獣」という言葉を入れて「獣」をテーマにした物語を描く企画「獣三作」の3作目として上演される本作は、祈る家で育った丸琥(マルコ)が家族や友人らとの関わりの中で生きていく姿を、小学3年生から大人になった現在までの時間軸を行き来ながら描いている。本番迫る稽古場を取材した。

この日稽古をしていたシーンは、小学3年生の丸琥(久保田秀敏)が駄菓子屋からカードを盗もうとしているところを母親(藍澤慶子)に見られてしまい、そのことを家で責められる場面から始まった。丸琥の性格がこじれていくきっかけとなった出来事で、それを今は大人になった丸琥の同級生・晴人(藤原祐規)が丸琥の娘・ノコ(高柳明音)に過去の話として語っているという形式のため、舞台上には過去パートの登場人物と現在パートの登場人物が混在している状態だ。丸琥や晴人、彼らの同級生の英(日向野祥)、ヨージ(佐藤永典)らは、過去パートと現在パートの両方に登場するので、同じ人物でありながら小学生から高校生を経て30代後半の現在まで様々な年齢を演じることになる。しかし、中島の演出は殊更に年齢を意識した演技を要求せず、むしろ年齢が違うシーンになっても、演技のベースとなる声のトーンやしぐさなどはほとんど変わることがなかった。

例えば小学生のシーンでわざと拙い口調にしてみたり、あどけない表情をしてみたりして幼さを演出することはできるのかもしれないが、表面的なものを強調することで逆にその役の本質を曇らせてしまうこともあるだろう。途中でノコが過去の丸琥のことを「9歳なんだよね」と思わず確認するセリフが出てくるが、小学生が大人と同じような口調で、大人と同じような内容を話している(だがより稚拙で直接的である)、ということがむしろ本作ではポイントであり、幼さが表面的に浮かび上がってこない分、かえって彼らのやりとりにゾッとさせられる。

宗教二世、毒親、いじめ、パワハラ等、描かれている内容は重たい。しかし、笑いの要素が細かくちりばめられており、稽古場の空気はむしろ明るく笑いが絶えなかった。前後のシーンの繋がりや、作品全体通して見れば印象もまた異なってくるかもしれないが、シーンごとに区切って細かく稽古をしていると、重たいテーマの中に沈みっぱなしではなく、ユーモアやウィットの部分で程よく息継ぎをしているから、物語が停滞することなくテンポよく進んで行っていることがよくわかる。また、笑いの部分に関しても決して手を抜くことなく、よりよい見せ方を稽古場にいた全員で一緒に考えている空気感もよかった。

中島の演出は、論理的な部分と感覚的な部分の両方のバランスを取りながら組み立てていくという印象だった。同じ時間軸の中に登場する人数が7名というシーンでは、中島が「(人数の多いシーンが)一番難しいな」と思わずつぶやきながら、セリフの間の取り方や、言葉のトーンなどをひとつひとつ丁寧に説明していた。観客への見え方、聞こえ方を論理的にとらえる一方で、役の気持ちとしての感覚的な部分を損なわないように考えながら全体を整理していくことで、シーンが見やすく伝わりやすいものになっていく過程を目の当たりにすることができた。それと同時に、中島の演出指示に対する俳優たちの反応の早さに驚かされた。中島の伝え方がわかりやすくて丁寧だというのもあるし、それを的確に理解して即座に対応できる適応能力を持った俳優がそろっているというのも大きいのだろう。終始、非常にスムーズに稽古が進んでいると感じられた。

丸琥役の久保田は、どんどんこじれていく丸琥の屈折した感情を、緩急つけた演技で見せており、感情を爆発させる場面では見ているこちらが思わず息をのむような凄みがあった。丸琥を追い詰めていく母親役の藍澤にも他を圧倒する力強さがある。現在と過去を行ったり来たりしながら物語を牽引していく役割を担う晴人役の藤原祐規の安定感が全体を支え、現在の視点からこの物語を見つめるノコ役の高柳明音の軽やかな存在感が、ともすると重く暗い雰囲気になりそうなところを引っ張り上げていた。

中島が繰り返し「お客さんに想起させるようにしてほしい」「もうちょっとお客さんに説明してほしい」と、観客からの視点に言及していたことが印象的だった。「キ上の空論」は、「椅子さえあれば芝居はできる」と2013年12月に中島の個人ユニットとして旗揚げされた。本作では椅子の他に机や小道具などが登場するが、大きなセットは組まないという旗揚げ当初からのコンセプトは継続されており、観客の想像力によって補完されるところが多々ある。ある意味、観客との共同作業により本作は舞台作品として完成されるともいえるだろう。本番を迎えた本多劇場で、俳優たちの演技や音響・照明などのスタッフワークに想像力を刺激され、笑える部分で息継ぎをしながら、本作の物語世界の中をぐんぐん進んで行く観客の姿が目に浮かんでくるようだ。ぜひ劇場に足を運び、物語の世界を楽しみながら自由に泳ぐような感覚で本作を体感してもらいたい。

取材・文:久田絢子