【後編】兼島拓也×河井朗が生み出す日英プロジェクト『刺青/TATTOOER』

日本の「梅田芸術劇場」とロンドンの「チャリングクロス劇場」が協働する日英プロジェクトにて、脚本家・兼島拓也と演出家・河井朗が初タッグを組み、新作『刺青/TATTOOER』を上演する。

原作の谷崎潤一郎『刺青』は、評判の若手刺青師(ほりものし)である清吉が、長年の願いである「美女の肌に己の魂を彫り込む」機会が訪れて――という物語。本作はそこに着想を得た兼島拓也による書き下ろし新作となる。

英国公演に先がけ東京・アトリエ春風舎で9月20日(金)に開幕する本作について、稽古場にて脚本の兼島拓也、演出の河井朗に話を聞いた。この記事は前後編の【後編】。

楽しみながら見ているし、楽しそうだなと思う

――稽古はまだ序盤で、今日から立ち稽古だそうですが、演出について河井さんはどう考えていかれましたか?

河井 梅芸さん(主催の梅田芸術劇場)から「いつも通りやってください」と言われたので、いつも通りやろうとがんばっています。さっきの「記録としてテキストを扱う」という話(※前編の掲載)の中で、初めて直接お喋りできる人がいるから戸惑っていると言いましたが、実際は一度ここ(脚本)に残っちゃえば、それは「記録」として扱えるので、じゃあそれをどうやったら上演できるかなということをいくつか考えています。単純に物語を上演するという行為だけだと多分、谷崎の物語構造に乗っかりすぎちゃう部分があるんじゃないかなと僕自身は考えているので、出演者のみなさんがどうやったらそこに距離を持ったり近づいたりできるかなということを考えながら作業しています。

――今回はイギリスを拠点にする俳優のLEO ASHIZAWAさんとAKI NAKAGAWAさんと、日本を拠点にするド・ラングサン望さんと蒼乃まをさんによる四人芝居です。河井さんはオーディションにも立ち会ったのでみなさんのことを少しご存知だと思いますが、兼島さんは稽古の様子をご覧になっていかがでしたか?

兼島 みなさんもちろんお仕事なのできちんとされているんですけど、「ああ、すごくいい人が揃ってるな」と感じました。キャラクターもそれぞれおもしろい。LEOさんがコテコテの関西弁だったり。

河井 今回なぜかわからないんですけど、清吉役のLEOさんと和代B役のAKIさんは関西ルーツで、僕も関西弁、梅芸チームも関西弁という(笑)。

兼島 だから台詞のニュアンスについても、「関西弁ならこうだよね」「ああ! そういうことか」とみんなで話している感じとかもおもしろくて。演技もとてもいいのですが、そういうディスカッションしている時の感じも、僕にとってはエンタメ性があるので(笑)。

河井 ははは!

兼島 楽しみながら見ていますし、楽しそうだなと思います。

河井 全員が日本語も英語も話せるので、日本語と英語と関西弁がまじりあってますよね。

兼島 しかも言語が予兆もなく切り替わりますね。

河井 僕も英語はわからないので、「日本語で喋って!」と言う時あります(笑)。

――そこに墨絵師の東學(あずま・がく)さんがパフォーマンスで参加されるんですね。

河井 実は彼も関西の人です(笑)。東さんのパフォーマンスはフックとして入れたいなと思っていて、それをどうやるかみたいなことはこれから打ち合わせしていく段階です。実際に刺青は彫れないので、彼がやってきた“人の身体にペイントする”みたいなことがこの作品で昇華できたらいいなと考えています。

やっぱり言葉なんだな、人とコミュニケーションを取るのは

――ロンドンと日本では稽古の感じも違うのかなと想像しますが、どんなふうに稽古を進めていますか?

河井 それぞれルーツもキャリアも違うぶん、ルールみたいなものも全然違うので、今はまだそこを探っている最中です。ただ僕が聞いて勝手に安心した話があって、「ロンドンでは稽古が始まって一週間くらいは誰もなにも決めてない」「しばらく自由にやってる」と。「じゃあ俺も!」と今は思っています(笑)。なので今は一回フラットにして向き合っている最中です。

――昨日までテーブルワークが多めだったそうですね。

河井 そうですね。ディスカッションにすごく時間を割きました。今、土台はなんとなくイメージがあるので、それを立ち上げて、一回おまかせしてみようかなと考えています。その中で最終的に僕が出したプランから変わってしまってもいいと思っています。精査はもちろんしますけど、お任せしていい方々だなと思っているので。

――初めて会ったメンバーも多いですが、そう思える時間があったということですか。

河井 はい。普段の自分の現場だと、僕がみなさんにインタビューをしたりするのですが、今回そういうことはしていなくて。でも稽古場でおしゃべりをしていたら、それぞれみんな思うことがあって、谷崎とどう向き合うかということ、自身が舞台上にどう立つかみたいなことをしっかり考えていることがわかりました。だから「楽しみである」みたいなことのほうが強いですね。

――ちなみに台詞は、日本では日本語、ロンドンでは英語で喋るのですか?

河井 はい。すごいですよね。昨日は英語でやりました。

兼島 僕は昨日から稽古に参加しているんですけど、見ていておもしろかったです。言語の違いがあるので、日本語の脚本から想定できるものとやっぱりちょっと違うものが出てくる。そこに「こんな感じになるんだ」みたいなおもしろさがありました。観客の方は日本語と英語を比べて観るわけじゃないからこの違いはわからないことではあるんですけどね。

河井 一気に両方観てほしいくらいですよね。やっぱり言語によってフィジカルって変わるんだなって思いました。想像はしてたけど、思っていたのとまったく違う状態でフィジカルに影響が出ていた。やっぱりロンドンの英語の身体やスピード感というのがありますし、あとロンドンで許容される言語というのもある。例えば大阪の人たちは嘘の「なんでやねん」は気付くみたいな感じ。その辺りは出演者のみなさんのほうがわかっているので、僕はお任せしているんですけど、そこに関するディスカッションもしっかりできるし、そこをおそれながらも楽しんでいるなという感じです。

兼島 なんか英語だと、あれ? こんなにかっこよかったっけ? って違うように見えちゃうんですよね。

河井 ジェスチャーも変わりますしね。それをどう扱う、みたいなことを今はお喋りしています。あと、英語では日本語の時間軸が使えなくなるんです。日本語である程度ゆっくり喋っていても、英語だとちょっと早くなるし、そもそも「ゆっくり喋るってなに」ということになる。日本語と英語では時間の流れ方が全然違いますから。英語のほうが早く喋っているように感じるけど、上演時間は英語のほうがちょっと長かったりもしますし。

――その辺は脚本家として見るといかがでしたか?

兼島 昨日の本読みで一つ一つの言葉の確認をしたのですが、今回の座組に心強さを感じました。みなさん基本的に日本語も英語も堪能だから、日本語をそのまま英語に訳すると同じ感じで言えない、みたいな感覚があって、それを指摘してくれるんですよ。言葉としては正しく翻訳されているけど、この言い方だと日本語のこの感じで伝わらないからどうしたらいいのかなみたいな話になったりして。そこでふたつの言語を聞いていたら、もしかしたら日本語で書いていることをそのまま英語に訳してもらうより、ここのセンテンスはまるまる違う言葉にしたほうが意味としてはダイレクトに伝わるのかも、みたいな発見がありました。

河井 僕は出演者を「メッセンジャー」と考えている節があるんです。演出家もメッセンジャーかなと思うんですけど、出演者が台詞を観客に伝える、その作業に対して僕はメッセンジャーだと思っています。それに関して今回は、英語と日本語ってメッセージの届き方が全然変わるんですね。これは人間のおもしろさだと思いました。「ああやっぱり言葉なんだな、人とコミュニケーションを取るのは」ということをまざまざと見せつけられている。観客にとってはある意味どうでもいいことなんですけど、創作の現場で、これはすごくおもしろいです。

兼島 いま「メッセンジャーなんだ」という話を聞いていて、この座組で日英同じキャストでやっているからこそ濃密にそれができる。そういう態勢がつくられていると思ったりしました。

河井 ね。脳みそめっちゃ疲れますけどね(笑)。

兼島 キャストも大変ですよね。

兼島さんが描いた谷崎をちゃんと上演する

――兼島さんがいま楽しみにされていることはなんですか?

兼島 僕はどの作品も大体そうなんですけれども、自分で演出することはあまりないので、脚本を書いたら、演出家の方とか役者さん含めプロダクションのメンバーに「あとはおまかせします」と言うことが多いんです。だから本番が近づいてきた頃に「こういうふうになっているんだ」と見るのが楽しみなんですよ。自分が想定していたものとか書いている時に考えていたイメージとは違っていたり、別の文脈を引き入れていたり、そういうふうに膨らんでいくのが僕はすごく楽しみなので。そこは多分、演出をしない作家しか味わえない部分だと思うんですよね。僕は今回もそれを堪能したいです。

河井 その感じ、既に稽古場でちょっと感じています。

兼島 (笑)。だから現場で変わっていくぶんには全然いいです。一週間くらいは東京に滞在するのですが、残りは本番までは沖縄に戻るので。多分、お客さんと同じくらい、いやお客さんよりも楽しみにしている。どうなるんだろうというワクワクがあります。朗さん(河井)をはじめ魅力的な方ばかりなので、すごく楽しみです。

――稽古が始まったばかりですが、河井さんの目下の目標はなんですか?

河井 まず第一に健康的であることかな。国が変わるとみんな体調も変わるだろうから、そこのバランスもうまく取りたいなと思っています。プロだから仕事だからちゃんとやる、というところでは制御できない部分が今回はあると思うので。やっぱり国を渡るってそれだけ大きい作業だから。じゃあどうやったらみんなとそれが実現できるかを目下模索しているという状況です。作品に関しては、「兼島さんが描いた谷崎をちゃんと上演する」ということでしかないなと思っていて。舞台上演というのは物語によって時間進行が行われるし、出演者の身体によって時間進行が行われると僕は考えているので、その中で兼島さんの顔が見える瞬間があったり、谷崎の顔が見える瞬間があったり、それこそ出演者のオリジンみたいな部分が見える瞬間があったり、そういうものがさまざま見えるカタチになることがこの作品にとっての理想なんじゃないかなというふうに考えています。このテキストは「『刺青』である」ということより「谷崎である」という部分が強い。その中に「刺青を施す」とか「タトゥーを施す」ということが乗っかっているにすぎないと思うので、それ自体が救いなのかとか傷なのか、一生ついてくる、または付き添ってくれるものなのかとか。「ケア」の文脈としてこの物語の人たちが救われたらいいだろうなと思っているし、それを谷崎自身がいやだと思ってもいいと思う。そういう上演にしたいなと思っています。(完)

取材・文:中川實穗