チェルフィッチュ × 藤倉大 with アンサンブル・ノマド『リビングルームのメタモルフォーシス』│岡田利規 インタビュー

ウィーン芸術週間の委嘱により2023年5月に世界初演、その後ヘレンハウゼン芸術祭、オランダ・フェスティバルでもツアー上演をしたチェルフィッチュ×藤倉大『リビングルームのメタモルフォーシス』。世界初演から約1年を経て、クリエーションワークショップをともにしたアンサンブル・ノマドの演奏で日本初演が行われる。
東京芸術祭2024に向けて作品を深めているタイミングで、稽古の後にチェルフィッチュ主宰・演劇作家の岡田利規への取材会が実施された。

――基本的なことになりますが、今回の脚本と音楽はどのように制作しましたか?

藤倉さんがリハーサルとテキストを見ながらです。藤倉さんが住んでいるロンドンのご自宅は音を出す環境が整っているので、オンラインで繋ぎ、リアルタイムにセッションしました。こちらのやりとりを藤倉さんが見て、その場で音を出して修正できる環境を作って進めました。

――今回はどのようなテーマで作品を描かれたのでしょうか?

「芸術」にはいろいろな形式がありますが、その中でも「演劇」は比較的人間中心だと思います。役者が表現しますし、扱うテーマも人間のことが多い。例えば絵画でいう風景画のようなものは、演劇においては一般的ではないですよね。人間中心なところから逸脱するというか、超えていくようなものが必要だし、作ってみたいと思いました。
ある意味、作品の構成はわかりやすいです。「家から立ち退け」と言われて悩む人間の問題から始まり、だんだんそれがどうでも良くなっていく。人間が「これは誰の家か」ということにこだわっていても、全くスケールの違うことが起きたら意味がなくなる。そういったことを、人間中心の形式だと感じる演劇でやってみたいと思っています。

――世界各地での公演を経て、日本初演をどう作っていきたいと考えていますか?

今、稽古3日目ですが、ずっとテキストを読んでいます。日本公演は日本語がダイレクトに伝わるというのもあるし、何回か上演し、寝かせた上での再演ということで成熟させるチャンスでもある。もちろんいろいろな部分を熟成させたいですが、まずは言葉。今回に限ったことではありませんが、舞台上で発する言葉がお客様の中に入っていくのって、原始的だけど大事。それでいて実はあまり起きていないことだと僕は思うので、ちゃんとやりたいです。音楽はできているし、演劇と音楽の組み合わせで面白くなることはもうわかっているので。

――ウィーン芸術週間での公演について打診を受けた時に、すぐイメージは湧いたんでしょうか

前提として、作品を作るなら自分が全幅の信頼をおく役者と作りたいと思いました。役者を念頭に置いたときに歌うのは難しい。藤倉さんにお話ししたら、「歌わなくていい」と言われました。そこで、人間の感情や情景を描写・装飾するためじゃない使われ方で音楽が関わってくるといいんじゃないかと考えました。
少し話が逸れますが、劇伴音楽ってシーンやキャラクターに寄り添う音楽ですよね。言うなれば音楽が演劇に奉仕している。個人的にオペラは逆で、音楽を面白く聴かせるために演劇があると思っています。そのどちらでもない、音楽と演劇が並置され、拮抗しているものを作りたかった。
今回の作品では奏者がステージの前方に並びます。普段はオーケストラピットや舞台の脇の方にいることが多くて、演劇を見ている人の中でどうしてもバックグラウンド化しがち。そうすると音楽をしっかり聞けなくなってくる気がします。だからまずはビジュアルとして音楽を前に持ってきています。

――演劇と音楽を拮抗させるということですが、聞いていて感じる藤倉さんの音楽の魅力はどこでしょう?

強いですよね。クリエーションの時に、藤倉さんが100回ぐらい「映画音楽のオファーが来てサンプルを提出したら、強すぎると言われて没になった」と話していました。強いと困るということなんでしょうが、僕としては「じゃあ、なくていいじゃん」と思うんです。僕も藤倉さんと話す中で何回も言いましたが、演劇に音楽はいらないと思っている。照明も舞台美術も衣装も、いらないと思っているから一緒に仕事できるんです。

――ということは、岡田さんにとってまず重要なのは言葉なんでしょうか?

言葉というか役者ですね。もちろん言葉も役者が発するものとして重要です。俳優の身体もあるし、俳優が発するイマジネーションもあります。

――藤倉さんとのクリエーションの中での発見はありましたか?

これも藤倉さんが100回くらい言っていましたが、リモートでの制作によるデメリットはありませんでした。リハーサルを見て音楽を作り、試してみて「これはよかったけどここはうまくいかなかった」と試行錯誤するための環境が十分に整っていたんです。稽古場に来ていただいても設備を完全に整えられるわけではないので、やりやすかったとおっしゃっていました。
また、アンサンブル・ノマドの皆さんが稽古場に来てくれて合わせることはありますが、それ以外では演劇だけに集中しています。もちろん曲のデータはもらっているけど、「音楽に合わせてこう作る」ということを考えなくても大丈夫な公演です。

――2021年のワークショップから2年かけて作り上げてきたとのことです。2年間での進化、日本公演で深められそうな部分はどこでしょう?

深めるのは言葉だと思います。聞こえればいいわけじゃなく、言葉を受け取った人の中で何かが起きることで「言葉が働いた」と言える。変化を起こす力を強くしたいですね。時間がかかりますが、東京公演以降に向けて今までより深めたいし、そうなると思っています。

――「音楽劇」と単純に言い表せない、新たなジャンルの作品を制作されているわけですよね

元々は「音楽劇を作ってほしい」と依頼されて、音楽と演劇を一緒にやれば注文に応えられるよね、ということで作り出しました。演劇と音楽において主従関係ができるのが嫌で。これは、演劇制作において僕のポジションがどちらかといえば主従の主になるからかもしれません。でも、それはつまらないことでもあります。
さっき「音楽も照明も舞台美術も衣装もいらないから一緒にやれる」という話をしました。「必要だ」というのは、「僕の中にイメージがあるから、それを作ってね」ということでもあると思う。僕はそういうものを作りたいわけじゃないし、自分がイメージしていたものと違うものが入ってきた時に「自分の世界が壊された」とは思わないんです。「僕の世界」というものがないから、何が入ってきても壊れないともいえます。

――この作品を見た方に感じてほしいことはありますか?

今回の上演に関係なく、ないです。見てくれた人にこう思ってほしいと期待する必要がない。僕はすごく具体的な作品だと思っていて、リハーサルでも具体的なものを作っていく作業をしています。見ている方がどう楽しめばいいかわからなくなってしまうのは、言葉が届いていない時だと思います。そうなると失敗だと思っていて、稽古場でも「抽象的」という言葉はほぼネガティブな意味で使っています。できるだけ具体的に描いていく作業中ですね。

――最後に、皆さんへのメッセージをお願いします

見たらこういうものを得られるということを伝えて、「へえ」と思ってもらえたら来てもらえると思うんですが、あれこれ説明しても意味がない。だから結局お客さん頼りです。「見に行こう」と思うのは大変なことでしょうが、東京公演に向けてのコメントでも書いたように、お客さんに見てもらい、世界を変容させて、こつこつと新しいものを作っています。ぜひ見に来てください。

取材・文・撮影/吉田沙奈

日本初演にあたり、岡田利規&藤倉大からコメントが到着!

岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰) コメント

『リビングルームのメタモルフォーシス』は、そういう題名の音楽劇というより、そういう名の冠された何か、音楽と演劇の拮抗からなる何か、なのです。ただ、そんなこと言っても通りが悪い。イメージしてもらえない。
なので不承不承、音楽劇、と呼ばれることに甘んじている次第です。こういうのは、時間がかかるものです。
何十年とかかるかもしれない。チェルフィッチュは(きっと、藤倉大さんも)待つつもりです。待つしかないので。こつこつとやるしかないので。東京公演もそのこつこつの一環です。お客さんに見てもらうことによって世界を変容させることによって。

藤倉大(作曲家) コメント

岡田利規さんとチェルフィッチュの役者さん達と2年掛けて、東京と僕の住むロンドンをネットで繋いで作り上げたこの音楽劇。最初から最後までお互い全く妥協することなく、その上今までにないものができたと思う。僕がアーティスティック・ディレクターで東京芸術劇場が主催する音楽祭、ボンクリ・フェスに、岡田さんが来てくださり、そこでの経験がこの音楽劇の最後の部分に反映されている、とおっしゃっていた。まさにその場所、東京芸術劇場で東京公演ができるのは運命なのだろう。より特別な舞台になると思う。