【連載:『コントと演劇のボーダー』を考える】 第3回 切実(岡部たかし×岩谷健司×ふじきみつ彦)

コント師と演劇人の競演とその化学反応により創出される新ジャンルへの野望。そんなコンセプトを掲げ、異色混合の定期公演としてスタートしてから早9年目、先見性を持つマッチングとバラエティに富んだ芸でますます注目を集めているのが渋谷コントセンターによるテアトロコントだ。
コント公演を打つ演劇人、演劇公演に出る芸人。今やそんな風景も珍しくないが、コントと演劇の境界がボーダーレスになっていくまでには数々のクロスポイントがあった。そんなテアトロコントが掲げる「コントと演劇のボーダー」をテーマに、様々な出演者や作り手に話をしてもらう連載企画。

 

連載第3回は、9月に3回目のテアトロコント出演を控える岡部たかし×岩谷健司によるユニット、「切実」。ともに映像作品でも活躍する役者二人が考える演劇とコントとは? 脚本を担当するふじきみつ彦にも同席してもらい、3人に話を聞いた。

 

笑いをやる役者たち――「切実」の成り立ち

岡部たかし(以下、岡部)「岩谷さん、遅れて来るって」

ふじきみつ彦(以下、ふじき)「何分くらい遅れるんだろう?」

岡部「わかんないな。先に始めてましょうか」

 

――それではよろしくお願いします。「切実」は2017年と2019年の2度、テアトロコントに出演されていますよね。私自身は2015年の「切実『ふじきみつ彦・山内ケンジ傑作短編集』」で初めて切実と出会いました。でもその時点で「傑作短編集」だったということは、その前にも公演をされていたと思います。切実の最初の立ち上げから伺えますか?

岡部「2011年、WAHAHA本舗にいた女優の大地輪子さんから「なんか一緒にやらない?」と声をかけられて。ユニット名なのか公演名なのか曖昧なまま「切実」という名前をつけてスタートしたんです。だから2011年の公演のときは「岡部たかし・大地輪子プロデュース『切実』」というタイトルでやってるんですよ」

 

――そのときから岩谷さんも出演されて。

岡部「そうです。大地さんのかつての同僚でもあり、僕も前々から一緒にやっていた岩谷さんを呼んで、本村壮平くんという役者も呼んで、最初は4人で。僕らはプレイヤーだから作家さん何人かに声をかけて、一応僕が演出という形でやってみようと。短編だったので僕も1本書いたりもしましたが」

ふじき「新宿のサニーサイドシアターでしたね。狭かった!」

岡部「50人も入ったらいっぱいくらいの劇場で」

 

――そのときに上演した作品のうち、山内ケンジさん作の「婚約者」と、ふじきさんによる「つばめ」の二作が2015年の「傑作短編集」でも上演されましたよね。

ふじき「そうです。2018年に岡部さんたちが「城山羊の会」としてテアトロコントに出演したとき、その二作をやってくれて」

岡部「時間もちょうどよかったので、稽古し直して再演しました」

――切実がテアトロコントに出演したきっかけは?

ふじき「僕がテアトロコントの小西(朝子)さんから「何かやりませんか?」と声をかけてもらったんですよ。そこで、やるとしたら切実だなと思いました」

 

――そこから、2017年にレジャーランドを舞台にした岡部さん、岩谷さんの2人芝居を上演されたわけですね。

ふじき「はい、書き下ろしで。ただ、厳密に言うと、切実の主体は岡部さんであり岩谷さんであって、僕は呼ばれている立場で」

岡部「切実はだいぶ曖昧なんですよね。最初はふじきくんにオファーが来たから、やるとしたらふじきくんに書いてもらおうと。その流れでなんとなく2回目も、今回もふじきくんにお願いして。以前山内さんに書いてもらったのも、他にあまり知り合いの作家がいないからというのもあるんですけどね(笑)」

 

――ふじきさんは、書き下ろすときに「テアトロコントだからこうしよう」という意識はありますか?

ふじき「考えるうえでは「30分のものを書く」以外はテアトロコントだからこうしようというのはないですね。……誰だ!」

 

(岩谷健司さん登場)

 

岩谷健司(以下、岩谷)「遅れてすいません。いや、びっくりした。二度寝しちゃった。ちょっと横になったら……」

岡部「これ全部録音に入ってるからね(笑)」

岩谷「ああ……」

ふじき「話を戻しましょうか(笑)。だから、特別なことはしませんが、僕自身は元々、媒体がなんであれ笑いのあるものを書いているので、そこはテアトロコントの理念からずれていないんじゃないかと思っていますね。無理していないというか、自然に書いている。しかも、切実の二人は昔から自分たちでネタをやっていた人たちですから。あの公演、なんでしたっけ?」

岩谷「「午後の男優室」(※村松利史主宰のユニット。2002年頃から2004年頃にかけて不定期で公演を行っていた)ですか」

ふじき「そうそう。僕がまだサラリーマンだった頃、会社が終わって観に行ってましたから。同じ広告業界の先輩だった山内ケンジさんが芝居を書いていると聞いて観に行ったら、二人が出ていて」

岩谷「ああ、そうだね」

ふじき「初めて見たとき、お二人はけっこうなお笑いをやっていたんですよ。だから僕のなかではこの人たちはそもそも笑いをやる役者というイメージなわけで、切実に脚本を書くにあたって笑いを抜くという考えはないですよね。それに、僕がやりたいな、ちょうどいいなと思う笑いを体現してくれる人がここに二人もいることがうれしいと思いながらいつも書いてます。本当に、思った以上のことをやってくれるので助かります。いつもありがとうございます」

岡部・岩谷「はははは!」

岡部「何?突然」

ふじき「いや、まあ、遅刻した人に言うことじゃないかもしれませんけど」

岩谷「はは」

ふじき「でも二人があまりにもうまく体現してくれるので、他の人に書くのが難しくなってきちゃって(笑)。二人はそれくらい奇跡的な存在です」

 

笑わせようと思わなくていい作品

 

――演じる側のお二人は映像を含め、いろんな作品に出演されていますが、切実で演じるものはどう捉えていますか?

岩谷「ふじきくんの脚本には、ちょっと乗り越えなきゃいけないものがある。そこは、俳優としてすごくやりがいがありますね」

 

――乗り越えなきゃいけない?

岩谷「やってみたらなんか面白くない。それが身体の状態なのか、セリフの言い方なのか。探っていくと見つかるんですけど、その見つける作業が楽しいですね」

岡部「僕は基本的に笑いのあるものがやっぱり好きで。それは単純にギャグやるとかじゃなく、そこに悲しみとか切なさがあったり、要は“人間”を見せたら、だいたいおもろなるんじゃないかと思ってまして。それを、ふじきくんはちょうどよく書いてくれる」

 

――たしかに、切実の作品には、必ず悲しいとか切ないという感情が伴ったおかしみがありますね。

ふじき「それはわりと切実というユニット名に引っ張られているところもあって。2011年の公演のとき、ひとつだけ、作家に「どこかで泣くところを入れる」という条件が課せられたんですよ。切実は最初からそういう、ちょっとした悲しみのようなものを志向していたと思います」

岡部「その時は、なんかそういうものがあったほうが作家さんは書きやすいんかなと思ってなんとなくオーダーしただけで、今はもう全くそういう縛りなく書いてもらってますけど」

――では、テアトロコント3回めとなる今回も岡部さん、岩谷さん側からの条件はなく。

岡部「0です」

ふじき「今回書くにあたって、岩谷さんに「どんな作品がやりたいですか?」と久々に聞いたんです。そしたら「何もないよ」と。「でも、我々は演劇枠で出るからね。笑わせようと思わなくていいからね」としきりに言われました」

 

――笑わせなくていい?

ふじき「役柄の気持ちが一本通ってさえいれば、笑いが起こらなくていい、と。過去の作品の中には、ギャグとまでは言わないですが、脈絡のない笑わせるための行動を入れてしまったこともあったと思うんですよ。そういう行動って、役柄が破綻してしまうんだけど、書いていて「このページ、ずっと笑いどころがないな」と思うと怖くなってつい入れてしまうんです。岩谷さんの「笑わせようと思わなくていい」というのは、そういうことをしてくれるなという意味だったんでしょうね。「こいつ、ちょっと笑わせようとしてるな」みたいなポイントって、稽古をしていてもひっかかってしまう。今はそういうことはないけど、前回や前々回はたまにそういう面が出て、困らせてしまったこともあったかもいしれないとこの前思いました」

岩谷「困りました。2019年の公演の、ハンカチのくだりとか」

ふじき「ハンカチね!」

 

――岩谷さんが演じる男性が、ハンカチをポケットからたくさん取り出すシーンですね。

岩谷「あれがね、どうしてもできなくて。なんでいっぱい出すのか全然分かんないし」

ふじき「一応なんとなく自分の中では意味はつけてるんだけど、でも「なにか笑える行動をさせたい」というほうが勝っちゃってるから、そうすると、やっぱりちょっと引っかかっちゃうんですよね」

岩谷「しかもこの時、タオルを首に巻いて出てるんですよ。なのにタオルじゃなく、新しいハンカチを出して汗を拭く意味がわからなくて。それを成り立たせるために、わざわざ汚いタオルを家から持ってきて、水でくっちゃくちゃに濡らしたやつを絞って首にかけて出たんです。そしたら、本当に汗を拭きたくなくなる。新しいハンカチを出したくなる」

 

――なるほど、ハンカチを出す理由ができたわけですね。

岩谷「そういう動機がちゃんと見つからないと動けないんです」

「何を見せられてるんかな」から引き込まれていく客席

 

――このインタビューのテーマは「演劇とコントのボーダーを考える」なのですが、お二人は演劇とコントの違いをどう考えますか?

岡部「演劇とコントのボーダーというよりも、やっぱり見て面白いか面白くないかだと思うんです。コントでも芝居でも、おもろなかったらコントでもなければ芝居でもない。笑いがなくてもおもろいものってたくさんありますからね」

岩谷「コントは、成り立ちとして2種類あると思います。演劇から発生した演劇寄りのコントと、漫才の「お前ちょっとやってみろよ」から発生した、いわゆる漫才コントから生まれたもの。で、漫才から生まれたコントっていうのは、設定を無視するんですよね。つまり、初対面の人にも急にツッコミを入れたりする。それも面白いんだけれども、やっぱり僕は演劇をベースにしているコントが好きで。自分でもやっていくうちにより演劇的なコントが好きになってきたかなと思います」

岡部「だから僕らがテアトロコントに出ると、芸人さんを見に来ているお客さんは特に「あれ、つっこめへんのや」と思うと思うんですよ。「何を見せられてるんかな」という雰囲気とか、お客さんの戸惑いも感じましたし。でもそこからだんだんとお客さんが引き込まれていく。僕らだけではなくて、先日、劇団普通をテアトロコントで観たときも客席が引き込まれていく感じを受けました」

岩谷「そうそう、アウェイ感。テアトロコントは、自分のお客さんじゃない人の前でやって受け入れられないかもしれないという怖さ、ヒリヒリ感が面白いよね」

 

――ふじきさんはいわゆる芸人さんのコントにも携わっていますが、演劇とコントの違いをどう見ていますか?

ふじき「今はもう、差がなくなっている気がしますね。やっている人の腹積もりと、見ている人がどう思っているかだけで。やる側が、あるいは見る側が演劇だと思うかコントだと思うか。僕の立場でいうと、書くときに「コント書いてるぞ」と思うか「演劇書いてるぞ」と思うかの差。で、僕は切実には演劇を書いているんですよ。結果としてコントだとしても、演劇を書くぞというモードで書いています。今回のタイトルは「朝の人」ですけど、暗転中に「コント、朝の人!」と言って明転して始まるわけじゃないし(笑)。「冒頭でつかみを入れなきゃ」とかも一切思わないんです」

面白さを表現するための身体性

 

――岡部さんと岩谷さんは俳優として活動される中で、ふじきさんもおっしゃるように笑いのある芝居にずっと出てらっしゃいますよね。お二人の笑いのルーツは?

ふじき「岩谷少年は何を見て育ったんですか」

岩谷「僕はドリフ世代ですね、完全に。志村けんになりたくてしょうがなかった。憧れてた。その後の漫才ブームとかも見てましたけど……」

ふじき「でも、演劇の道に入ったんですね」

岩谷「結局笑えるものが好きだから、自分で脚本を書いていた頃はベタな笑いをやっていたりしましたけど。やっぱり、演技力がないと面白くならないんですよ。だから演技力を追求していったら、しぜんと演劇に入っていた。元々演劇をやりたかったわけではなくて、結果的に今そうなっているというだけですね」

岡部「僕もお笑いが大好きでという人生を送ってきたわけではないし、たまたま入った東京乾電池という劇団で笑いについて何かを培ったかといっても別になくて……。ただ、乾電池をやめてすぐに岩谷さんに出会ったんです。そこで芸人でもあり俳優でもある九十九一さんとも出会った。当時の僕は、もっとカッコつけてたんですよ。でもそれがバカにされて、笑われる。「あれ? 俺、もっとカッコいいはずやん?」と思いながら、笑われるのが意外と嬉しくて。どんどん面白いことを追求していったんですよね。何もわからないままに、岩谷さんや九十九さんが書いた作品に出たりして。何かわかってきたのは本当に最近のことで」

 

――最近。

岡部「たとえば、明転して岩谷さんが座ってるだけで面白い、ということがあるじゃないですか。その人の身体性、立ってるだけで面白い、動いても面白い。真剣にしゃべればしゃべるほど面白い。その面白さは、やっぱりお笑いではなくて演劇ならではやな、と思うんです。どうやって座ったら、この言葉をどう発したら面白いのか。笑わせるための言葉じゃなくて、たったひとつの何気ない所作で面白さを追求するのは、演劇だなと」

 

――たしかに、2017年のテアトロコントで切実がやった作品では、岩谷さんが座っているだけで悲しくて面白かったです。

岡部「あれも岩谷さんと話しながら作っていったんですけど、無意識に座っているよりも、足を閉じて座っておにぎりを食べてもらったら、ぐっと面白くなるんですよね。本当に単純に、足を開いて座るか、閉じて座るかで、岩谷さんの気持ちも変わってくるんですよ」

岩谷「その所作ひとつの違いだけで、もうキャラクターになっていくんですよ」

岡部「だから困った時には、自分の立ち方、座り方という“身体”に戻るんですね。その人が持つ面白さに戻る。あれはきっと、僕がやっても面白くないんです。岩谷さんだから面白い。意外と、そういうことに助けられている気がしますね」

岩谷「切実だけじゃなくてどの作品でも、「そこにどういるか」は細かく考えますよ。その居方に、気分がぜんぶ支配されるから」

岡部「いや、ほんまに。不思議なもんで、衣装ひとつとっても、Tシャツじゃなくシャツ着たら背筋がしゃんと伸びるしね。それを考えるのが演劇なのかね。お笑いの人も考えているかもしれないけど」

 

――昨年11月に上演され、お二人も出演された城山羊の会『温暖化の秋』 では、シソンヌのじろうさんがキャストの一人として出演されましたよね。そのとき、芸人さんとの身体性の違いは感じられましたか?

岡部「ああ、じろうさんは身体能力が相当高いと思いますよ」

岩谷「うん、思う。……今、ちょうどじろうからLINE来た」

岡部「今このタイミングでLINEしてくるのも面白い(笑)。舞台からはけていくときの身体も、意識していると思います。で、それは、自分の気持ちというよりも、笑いを意識していると思うんですよ。それがさりげなくて絶妙で、彼ならではの身体性を使って演じているなと思います。『温暖化の秋』の中でも、「ここから飛び降りようと思ったけど、ちょっと高いからこっちへ行こう」みたいなことを動きでやって見せるんですよね」

岩谷「ああ、あれ演出されてじゃなくて、自分からやってたよね」

岡部「じろうさんと動きの話になったときに、「いや、僕は全部お笑いのセオリーでやってます」という言い方をしてたんですけど」

 

――なるほど。じろうさんは「こう動いたら笑いが起きるだろう」「より笑えるだろう」 という動きをやられていて、お二人は「こう動いたら登場人物の生理に合う」「その人として自然、その人らしい」という動きを追求されているのかもしれませんね。

岡部「まあ、どちらかといえばそうかもしれないですね」

岩谷「そうですね、僕らは気持ちを裏切ってまで自然でない動きはしたくないですもんね」

岡部「うん。だから、やっぱり岩谷さん(の気持ち)が「通る」かどうか。だから、僕がここで立ってほしいと思っても「いや、ここでは立てない」と言われることがある。そしたら無理やり立たせることはしないです。僕も「ここで座れんな」と思ったら、座れるところを脚本上からも身体からも探しますよね」

岩谷「いやほんと、ただ立ってるだけでも、いろいろやることがあるんだよね」

 

取材・文:釣木文恵

写真:明田川志保