KAAT キッズ・プログラム2021『ククノチ テクテク マナツノ ボウケン』稽古場レポート

コンテンポラリーダンスの新たな可能性を開拓し続ける北村明子と、現代美術家の大小島真木がタッグを組んでお届けする、KAAT キッズ・プログラム2021『ククノチ テクテク マナツノ ボウケン』。

キッズ・プログラムは、KAATが開館時から開催している取り組み。2021年は「夏休み」をテーマに、新たな発見や体験を約束する“ボウケン”に繰り出していく。振付・演出を担う北村にとって、今回のようなキッズへの舞台づくりは初めての取り組み。スタイリッシュなコンテンポラリー作品を多数手がけてきた彼女だが、今回は自身の中の“子ども”と向き合いながら作り上げているという。

7月12日の開幕を前に、着々と準備が進められている稽古場を見学させていただいた。

最初に見学したのは、嵐のような音が響き、何かを打ち付けるような衝撃音が繰り返される中で踊る場面。ダンサーらが、力強く体を躍動させるさまは演武のようにも思え、細やかなステップ、しなやかな跳躍には勇壮さも感じられる。彼らが舞う姿を見ていると、嵐のような風音は、体内を流れる血液の音のようにも思えてくるし、衝撃音は体の中で響く鼓動のようにも、運命が扉を叩く音のようにも思えてくる。

振付・演出として、ダンサーらに「動きを“音”重視で」と北村は繰り返し伝えており、音を感じることをとても大切に作り上げていることがうかがえる。また、上体を起こす動作が、直線的な動きなのか、それともしなやかに起こすか、といった動きの微妙な違いを指摘。振りが間違っているわけではないが、そういう細やかな認識の差異を何度もすり合わせ、全体のクオリティを高めていた。

それはただ単に、動きを揃えることが目的ではない。北村が発した「みんな(の動きが)違うのは嫌いじゃない。でもグルーヴ感の違いはなくしたい」という言葉の通り、同じ動きをするキャストが通じ合っているような感覚が求められていると感じた。

その他にも、振り終わりからの移動の時の所作や、シャープな動きの合間に入ってくる“抜き感”の重要さなど、鋭い指摘が続く。ただの移動ではなく、歩みも振り。動きの到達点を意識すれば、おのずと抜きが生まれてくる。そうやって次々と入る指摘を、ダンサーらはすぐに修正を加えながら対応していた。

ダンサーから北村へのコミュニケーションや、ダンサー同士のコミュニケーションが活発だったことも印象的だった。ダンサーらが演出・振付家から教わる、受け入れるという一方向のやりとりではなく、双方向のコミュニケーションがあることで、よりよいクリエイションが生まれていることが、確信をもって感じられた。息が上がるほどの激しい動きを繰り返していながら、終始いきいきと、笑顔の絶えない稽古場だったことが、その何よりの証だろう。

後半では、公演中に観客と一緒に踊るシーンの振付も考案されていた。こちらは、客席に座ったままでできる手振りなどのダンスで、各公演の15分前に5分間程度、ダンサーがレクチャーしてくれるもの。高く手を伸ばしたり、手で胸や膝を打ったり、足を踏み鳴らしたりと、座席の距離感などを考慮しながら、客席でできることを試行錯誤していた。本番で客席とステージが一体になる瞬間はさぞ壮観に違いない。

そして、本番には大小島真木による舞台美術が舞台上を彩る。猿と思しき手や、心臓、肋骨など体のパーツが舞台上のあちこちに象られ、命が蠢くような情景に心がざわつくかもしれない。夏休みにはお盆もあり、命に触れる季節。命に触れることは、自らのルーツを感じることでもある。この作品は、舞台上で繰り広げられるものをただ客席で傍観する舞台ではない。五感で命を感じる自分自身の“ボウケン”を、ぜひ、その身で体感してみてはいかがだろうか。




 

北村明子 コメント

キッズ・プログラムですから子どもはもちろん、それぞれの世代の人が、誰もが持つ“子ども心”を思い出したり発見したりする“ボウケン”ができる時間にしたいなと思っています。今回は初めてストーリーラインのあるダンス作品に挑戦していて、私にとってもある意味“ボウケン”です。これまでの私の作品を知っている人には、ひと味違う作品世界をお見せできると思います。
今回、大小島真木さんが初めて舞台美術を手掛けますし、そこに横山裕章さんの躍動感溢れる音楽が加わって、ダンサーの身体と呼応しあって、楽しいファンタジーの世界をお届けします。心身を開放して、死生観について考えたり、自分の子ども時代に会いに行ったり、そんな“ボウケン”を体験しに、ぜひ劇場に足をお運びください。

 

大小島真木 コメント

タイトルにある“ククノチ”は木の神様のことで、この作品の大きなシンボルとして、生と死を舞台上で繋いでいく存在になっています。私たちが生きるために体の細胞たちが常に生と死を繰り返していたり、私たちがいろんな生き物たちの生と死に支えられながら生きていたりするように、“生きる”ということは“死”と切り離されているものではないと思います。私たちは私たちだけでは生きていけないということ、私たちはマルチスピーシーズに生かされ、生きているという感覚とまなざしが、この作品の中でも繰り広げられていると感じます。ダンサーさんたちの身体の動きが、あたかも人間が様々な生き物たちにトランスフォーメーションしていくようで、すごく魅力的でドキドキ興奮する、そんな作品になっていますので、ぜひ楽しみにしてください。


 

取材・文/宮崎新之
撮影:大洞博靖