サンプル『蒲団と達磨』岩松了×松井周

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セックスの話という側面もあるけど、セックスのことを書いたつもりはない。(岩松)

いろんな方向から矢印を向けられて動けなくなる、これは受け身の人の受難の話。(松井)

 

松了が劇団東京乾電池に在籍していた1988年に発表し、翌年の岸田國士戯曲賞を受賞した『蒲団と達磨』。現在も日本の演劇の通奏低音として続く“静かな演劇”の、表舞台へのデビュー作と言ってもいい記念碑的な作品だ。これをサンプルの松井周が演出する。劇作を始めた大学時代、岩松に多大な影響を受けたという松井が、劇団の創作やさまざまな外部との仕事を経て挑む原点との対峙。27年ぶりの上演を待つ岩松と、稽古を通して改めて戯曲の力を感じているという松井の対談が実現した。

 

【あらすじ】ひとり娘の披露宴を終え、自宅に戻ってきた夫婦(古舘寛治、安藤真理)。妻は夫よりかなり若い再婚相手で、娘とは血がつながっていない。宴のあとの興奮か、夫の妹(辻美奈子)、妻の弟夫妻(奥田洋平、野津あおい)、家政婦(田中美希惠)とその恋人(松澤匠)などが次々と、落ち着きなくふたりの寝室にやって来る。だがその前に妻は、近所にアパートを借りてひとりで暮らしたいと夫に申し出ていた。その理由とは──。

 

── まず松井さん、岩松さんの戯曲を演出する企画で『蒲団と達磨』を選んだ理由から教えてください。

松井 大学時代に1番読みふけっていた劇作家が岩松さんだったんです。もともと学校の図書館で読んではいたんですけど、所属していた劇研みたいな団体の先輩が岩松さんの舞台に出ていて、それを観て衝撃を受けたんです。そこからますますのめり込んで読むようになって……。実は、生まれて初めてひとりで書き上げた戯曲が、思いっきり岩松さんの文体を真似たものでした。

岩松 へぇ、そうだったの(笑)。
松井 安易ですよね(笑)。あまりうまく行きませんでしたけど。

── そこまで強く惹かれたのは、どんな点に?

松井 岩松さんの戯曲は、読んでいると、言葉の置かれ方がちょっと飛躍しているように感じるんです。わかりにくいところがあると言うか。でもやってみると飛躍なんてなくて、その場にいて喋っていない人や、そこにいない人の気配のようなものが、誰かのせりふに影響しているということがよくわかる。むしろ、物語の空間の中では人物の生理がきっちり繋がっているのが、すごくおもしろいんですね。その感じを──僕は俳優でもあるので体験してみたいと思ったし、いつか自分で演出してみたいと思っていました。『蒲団と達磨』は、当時読んだ中でも特に好きな作品です。

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── 今、松井さんがおっしゃった「そこにいない誰かがもたらす影響」がドラマを動かす、というのがまさに“静かな演劇”の核心で、岸田戯曲賞もそこが評価されたのだと思いますが、岩松さんは当時の反応を覚えていらっしゃいますか。

岩松 これ、僕の4作目なんですよ。『お茶と説教』『台所の灯』『恋愛御法度』という3本を乾電池の「町内劇シリーズ」で書いて、次に「お父さんシリーズ」をやろうということが決まって、その1作目で。で、この作品が初めて活字になったんです。「新劇」という雑誌が載せてくれてね。それがすごくうれしかった記憶が残っています。岸田を獲れるとはまったく思っていなかったな。でも選考委員の人達からやたらと褒められたので「そうかぁ、よかったなぁ」と(笑)。

松井 (岸田戯曲賞を)獲ると思っていなかったんですか? いやぁ、今読んでもこの設定は、ちょっとすげーなって思いますけど。

 

── 何が岩松了にこういう戯曲を書かせたのでしょうか。

岩松 とりあえず、劇団の事情が先行していたんじゃないかな(笑)。当時の劇団員の構成が、お父さんをやる年齢の役者は何人もいたけど、女優はほとんどが若かったとか。あと、セックスの話を書きたいという気持ちはあったと思う。もう少し詳しく言うと、金持ちのセックスと貧乏人のセックスの違いみたいなこと。お金を借りようとする夫婦がいて、貸せる夫婦がいる。そこにははっきり、対比という構造があるでしょ? それを書こうと思った気がする。あるいは、貧乏人のセックスに比べると金持ちのセックスのほうが難しいんだよね。お金で解決できないことが多く含まれるから。

松井 すごい分類ですね(笑)。

岩松 ただ、当時一番強く考えていたのは、大事なことは水面下で起きていて、問題は表に出ないところにある、ということで、それを実践として書いた。……それにしちゃあ、今読むとずいぶんわかりやすい話だとは思うけど。

松井 そう言われて思い出しました。この話に出てくる性的な欲望みたいなものには、僕も大学の頃から反応していました。成就されない性欲が、方向とか形を変えて、別の欲望として出てきている感じですね。岩松さんの他の初期の戯曲──『お茶と説教』とか『隣の男』とか──にもありましたが、やっぱりそれは強烈で。
さっき「飛躍」という言葉を使いましたけど、この『蒲団と達磨』も、人物の言動という部分では突拍子もないものもあって、ちょっと不条理のような赴きなんだけれども、実はそれは性欲と繋がっているところがおもしろい。抑圧された性欲が別の行動に変換されて、ストレートな形では外に出ないというのは、僕の作風とすごく──僕が真似してきたのかもしれませんけど──近いものを感じます。

岩松 セックスに限らず、人にとって重要なのはアクションじゃなくリアクションだと思うわけ。セックスなんてものは拒否されてなんぼ。つまり、簡単に成立するものは演劇にとって何ひとつおもしろくないんだよ。だから『蒲団と達磨』は、お父さんが若い嫁にセックスを拒否されるところから始まる問題を描いているの。人間の生理に直結するものは、拒否とか否定とか逡巡といったものによって確かめられるからね。

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松井 よくわかります。

岩松 人間の記憶に残り、蓄積されていくのは、全部、自分が被害にあった時のものだよ。言ったことではなく、言われたこと。何かを深く確かめることができるのは、全部、矢印が自分の方に向いた時だと思う。

松井 おもしろいですねぇ。矢印は僕のイメージとも重なります。この話は主人公であるお父さんが、自分から人に矢印を向けようとしていたはずが、いろんな方向から矢印を向けられてだんだん動けなくなっていく、受け身の人の受難の話だと解釈しています。しかもすごいのは、登場しない人の矢印が強いんですよね。結婚して家を出て行った娘もそうだし、離れみたいなところで寝起きしている母親もそう。そうした見えない圧力が、部屋の外側から絶えずかかっている。
どちらかと言うと僕はこれまで、ある人間が、自分の視線で他人を包むようなヌルヌルした世界を書いてきました。衝突ではなくその手前で引く、ぶつかるのかぶつからないのかわからない人々です。岩松さんの戯曲の人々は衝突するんですけど、それが(暴力ではなく)フェティシズムに起因している気がして、ヌルヌルしていないフェティシズムというのが僕にはすごく興味深いです。

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── 今回、改めてこの戯曲を読み直して、確かにセックスの話ではあるけれども、心と体とうまく噛み合ない人達の話だとも私には思えました。

岩松 そうだね。確かにセックスの話という側面もあるけど、決してセックスのことを書いたつもりはない、とも言える。さっきも言った、直接的なことには興味がないと言いたいがために、きっかけとして性欲というシチュエーションをこしらえたんだな。

松井 僕は自分を禁欲的な人間だと思うんですけど、岩松さんの倫理感というか、この話の主人公の倫理感もすごく真面目ですよね。「ここを飛び越えてはいけない」という自分のモラルを守っているからこそ、心と体が離れてしまう。セックスに対してモラルを持ったが故に、ややこしくなって、それを持て余している人達の話だと思います。そのモラルも、母親や娘という存在が、部屋の横から上から重圧をかけている。そこをなんとか乗り切ろうと悪戦苦闘している主人公のドライブ感がいいんですよね。

── 松井さん、長年読み込んできた戯曲ということで、完成形のイメージはもうお持ちですか。

松井 戯曲を読んで受けた印象を大事にしようと思っています。部屋のサイズを小さくして、廊下や階段の音、2階の気配といったものに敏感になれるように。そうした外側からの重圧──と言うほど難しいつくりにはしませんけど──で動けなくなっていく男の過程がじわじわ見せられれば。目線が少しこっちに動いた、ということがおもしろがれる話なので、できる限り小さなリアクションも活かせるように詰めていきたいです。そして最後は、お父さんが不動でそこにいる、という感じが残ればいいなと思っているんですよ。

── 達磨みたいに?

松井 達磨みたいに。

岩松 そう言えば『蒲団と達磨』ってタイトルは、飲み屋で老人が話していたの聞いてつけたんだった。川崎の柿生(かきお)だったかな、あそこが達磨の産地だって。まだそれほど緻密に中身を考えていない段階で、そういう話を劇中でするのもおもしろいと思ってね。結局、そんな話は出てこないけど(笑)、結果的に主人公が蒲団に座っている達磨という印象になっているよね。

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松井 そのアイテムだけで、いつものサンプルとはかなり違うものになると思います。僕らはいつも抽象度が高い美術でやっているんですけど、今回は思いきり時代に合わせることにしたんですね。抽象的じゃないところで俳優が遊ぶのを見たくて、まず俳優に自分達でシーンをつくるのを任せて、出来たとこから僕が見ていく方法を取っていますし。今回、俳優と戯曲の組み合わせがおもしろいので、本読みの段階から手応えがあって、稽古場でかなり刺激的なものが出来ています。

岩松 ちょうど自分の芝居(『結びの庭』)と丸かぶりなのをあとから気付いて、アフタートークを引き受けたはいいけど、それどころか観にも行けないんじゃないかとヒヤヒヤしたんだよ。その回だけちょうど空いていたから良かった。楽しみにしているよ。

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(c) 平岩亨

 

取材・文:徳永京子