岩井秀人の描くハイバイのこれまでの作品の中には、父権的で理不尽なおじさんがたびたび登場している。暴力的な論理を振りかざし、実際に暴力も振るって、劇世界を制圧しようとする。カルチャースクールの講師なのに、受講している主婦の人生まるまる全否定しちゃう演出家など、おなじみのキャラクターもいる。
ハイバイの「笑い」の突破力は、こういうおじさんたちのゴリゴリとねじ伏せてくる圧力の大きさに比例して爆発的にアガる。
岩井「ずっと大学の先生をモチーフにしていたのが、台本を書くうちにだんだん父親をそこに見ていたってことに気づいたんです」
父権的存在が岩井にとっては、読んで字のごとく父親であったということだろう。理不尽なおじさんを繰り返し描き、それを「笑い」でけ散らしてきたその執拗さが、演劇を通して父親に抵抗していたのだと思うと、納得もいく。
だがこれまでは、“70%自伝”だという「て」でも、父親はまさに暴君として描かれていたものの、直接対決はやんわりと回避されてきた。
昨春「おとこたち」の際のインタビューでは、いよいよ父親との問題に向き合うのかというこちらの勘ぐりを見透かしたかのような岩井に「実際の父親の話は、ぼくのなかで一段落していて、死ぬまで敵だし、死んでも敵だな、ってことで脇に置いといて」と、爽やかなくらいにかわされた。
このインタビューの後、外科医だった父親は自らガンを見つけたのだという。
岩井「ええ、肺ガンでした。それを切って、10日くらいで退院してくるって。仲が悪かったので見舞いに行かなかったんですけど、『あれ、10日くらいで出てくるって聞いてたよな』って思ってたら、4カ月くらいしたときに母から『ちょっと、そろそろ危ない』っていきなり言われて……。『はい?』と思って行ったら、もう、ほんとにビックリしました。集中治療室に入っていくと、とりあえずそこに寝ていたのは、もう真紫色のおばあちゃんで、『この人じゃなくて』と別のところ探したんだけれど、集中治療室だからひとりしかいなくて」
―――えー!
岩井「『これぇ?』となって、ほんとにドキーンとなりました」
―――おばあちゃんって!?
岩井「いや、男には見えなかったんですよね。べらぼうな量の真っ白な髪の毛をいつも大量のポマードでピターっと固めてたんですよね。それが洗って放置だから、フワーってなってて。あと総入れ歯だったんですけど、治療の最中は飲んじゃうと危ないからそれも外されていて、すごかったですよ。胸にドーンってなりました。写真撮りましたけど」
そして間もなく父親は亡くなり、ここ数作の台本を書く際に取り組んでいるように、岩井は取材を始める。
岩井「ほぼ付きっきりでいた母と姉に聞いたんです。手術も上手く行かなかったんだけれど、切ったところがくっつかないって言って、副作用のある薬でくっつける処置をやってるうちに、あれよあれよと」
治療に関して疑問を抱いても、直接の専門ではなければ、たとえ医学部を出た父母でも選択の余地のない選択を迫られて、あらがえなかった様が浮かび上がる。さしあたり今回のことでは、かの父親も病院そして医療に理不尽な思いをさせられた側だと言える。
岩井「父も途中でこの治療方法はマズいって……。最初は自分から言い出したことなんですけどねぇ」
―――うーん。
岩井「うちの父が勤めてた病院の医師にも取材したんですけど、その人によれば、『あれは、手術をしちゃダメな状態だった』って……。だから、最初に僕が台本を書こうと思ったのは、“真紫色のおばあちゃん”を見てで。それは、消化器系の外科医だった父が今まで50年以上携わってきた仕事にそんな仕打ちを受けたことに、“無念”という言葉が浮かんだからです。それがスタートでしたね」
―――“無念”ですか。
岩井「そう。最初は、書く動機がボンとあって。この病院ヤバいだろみたいな話でいけるよね、みたいな話なんですけど。そういう矢印で書きつづけられる気でいたんですけど」
―――ひどすぎて笑える。
岩井「みたいな感じ、そうそう」
そして、父を取り巻くさまざまな人たちに取材を重ねていく。
岩井「葬式は身内でやろうって言ってたけど、人がドンドコ来ちゃって。で、その人たちに聞いてみると、うちの中とまったく違う様子の、超くそマジメで仕事熱心で、後輩たちをあちこちに連れてって明るく陽気な父親ってのが出てきて、『気持ちワル』っと思いながら」
―――「気持ちワル」って!
でも、いまだになかなか踏み込めない領域もあるようだ。
岩井「母も父とはすごく仲が悪かったけれど、ほんと父が死んじゃう2カ月くらい前に、初めてふたりが笑顔で並んでメシ食ってる写メを姉から送られて、本能的に削除したんですよ」
―――え!?
岩井「それくらいありえないことなんですね、うちだと」
―――見ちゃいけない?
岩井「ちょっと言い方アレですけど、お母さんが知らない男としてるみたいな……」
―――うわー、そりゃありえない!
岩井「姉ちゃん、なんてもの送ってきたんだ!って」
―――でも、わずか4カ月の闘病のあいだ、寄り添うなかでそこまで関係が変わっていったのに、亡くなってしまったというのは、お母さんとしては複雑ですよね。
岩井「病院の送り迎えを母がしていて、そういうなかでどうにかコミュニケーションをとっていったのだと思うんですが、そこのことはまだ聞けてないんですよね」
―――どうしてですか?
岩井「“なれそめ”を聞いただけで、すごく気持ち悪いんですから」
―――それはどういった?
岩井「最初、父から告白されて『そん時も、断ったんだけどねぇ』みたいな」
―――ハハハ。
岩井「『そしたら、またなんか言ってきたんだよ』って」
―――ハハハハ。
岩井「話を聞きながら、『ちゃんと断れ、ちゃんと断れ!』って思うんだけど、そこで断ってたらオレがいない……」
―――ハハハハハ。
ただ、父親の内と外の二面性を織り交ぜつつ、病院や医療の理不尽を笑い飛ばすというような、当初の想定は少しずつ変わってきたのだという。
岩井「途中で諦めたのは、『おとこたち』とか『て』みたいな縦ライン、いわゆる物語ですね。こういうことがあったからこうなりましたみたいな。今回は、あんまりそこにこだわりすぎると、すごく取りこぼすものがあるなという感じがして」
―――何がこぼれちゃいそうなんですか?
岩井「うーん、なんですかねぇ。僕が思ったことじゃないかな。なんか僕の目線じゃないってウソをつきたかったんです、『おとこたち』も『て』も。『て』の2周目は母親の目線だって言ってるけど、絶対僕の目線なんですよ。だけど、母親の目線ってことにして、公共性や社会性みたいなものを持ってるフリをしなくちゃならないんですよね。だけど、今回はそのフリをやめたほうが、そのもののことを書ける気がしているんです」
高く評価されているものを手放してまで、書かなくてはならないと感じている“そのもの”とは、やはり父のことではないか。
新境地に挑むためにも、「て」の再演で母親役をやった菅原永二と、今年の「ヒッキー・カンクーントルネード」ツアーで2度目の登美男役を任された田村健太郎という、かつて岩井自身の演じた役を託されたほど信頼が厚い2人が配されている。さらに、NHK連続テレビ小説「あさが来た」に大番頭の役で出演している山内圭哉が、満を持してハイバイ作品に初登場となる。
岩井「圭哉さんはずっと出てほしかった人ですね。自分がやってることを多くの人が分かるように、まるでみんながこの人の体の中に入って共有できちゃうかのように見せられる人。圭哉さんに入ってもらったのは、いつもより演劇的な自由度を上げたいと思って。『て』でも『おとこたち』でも、ほぼ一人一役だったんですが、かなりルーズに色んな役もやるし色んな立場にもなる。それでみんなで考えているみたいな演劇の在り方のほうが、ぼくが今やりたいものに近い気がして」
―――もう少し、岩井さんが今回やりたいものについて聞かせてください。
岩井「『こういう物語をみんなで作りました、じゃ、今からやります』っていう、隙間なく何かが起こりつづけている『おとこたち』みたいなのもひとつのやり方だけれど、もうちょっと余裕を持ちながら、観てる人みんなが自分のことも考える時間があるような」
―――ハイバイの演劇は、観た後に触発されて自分のことを考えてしまうって言われますが
岩井「それでもいいけど、観てる最中にも、さらにもっと……」
―――物語が強いと、それを追っちゃうってことですか?
岩井「そうそう、『次この人どうすんの?』ってのだけだと、自分のことは置いといちゃう。今回の作品は、自分のこととか自分の周りの現実の世界のことを考えるためのものとしてっていう意味合いが強くなる気がする。ぼくにとって、なんせ演劇はそういうものだから」
演劇に対する岩井の姿勢は一貫しているとは思うのだが、ハイバイの作品としては雰囲気がかなり変わるのではないか。ちょっと気になって、最後に尋ねてみた。
―――思いっきりシリアスなのやりたい欲望ってあるんですか?
岩井「あー、それはないですね」
―――どうしてですか?
岩井「かっこ悪いですもん。『自分はこんくらいの不幸を書けますよ』ってのを、そのまんまただフルスイングするようなの。『オレはこれくらい人を傷つけられますよ』って実際に傷つけて喜んでいるのに近い感じがするから。そういうものの喜劇的側面もちゃんとあって、それを書いたほうが面白いし“ほんとう”だと思ってるから。たしかにシリアスな現実があって、でもそれを軽くする必要があるというか。共有するって多分そういうことで、ふたりで共有すれば半分になるみたいな」
ふと、見たこともないはずの、並んで笑顔で食事をしている岩井の父母の写真が思い浮かんだ。今回の創作を通じて岩井は父のことや夫婦のこと、そして瞬時に削除してしまうほどの違和感を覚えた“笑顔のふたり”について考えを巡らせるのだろう。それを共有するのは、わたしたちにとってもきっとかけがいのない時間になるに違いない。
インタビュー・文/鈴木励滋
Photo/平岩 享
構成/月刊ローソンチケット編集部 11月15日号より転載
【プロフィール】
岩井秀人
■イワイ ヒデト ’74年、東京都出身。’12年「生むと生まれる それからのこと」で向田邦子賞、’13年「ある女」で岸田國士戯曲賞を受賞。今年、NHK岐阜放送局開局75周年記念ドラマ「ガッタン ガッタン それでもゴー」の脚本を担当。
【公演情報】
ハイバイ「夫婦」
日程・会場:
2016/1/24[日]~2/4[木] 東京芸術劇場 シアターイースト
2016/2/13[土]・14[日] 北九州芸術劇場 小劇場
作・演出:岩井秀人
出演:山内圭哉、岩井秀人、平原テツ、川面千晶、鄭 亜美、田村健太郎、高橋周平、猪股俊明、菅原永二
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