近藤公園・平岩紙 二人芝居『あたま山心中』
近藤公園・平岩紙・寺十吾による鼎談インタビュー

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(左から)平岩紙、寺十吾、近藤公園

 

 大人計画の俳優・近藤公園と平岩紙が自身初の二人芝居『あたま山心中』を今秋上演する。演出を担当するのは、シス・カンパニー公演『グッドバイ』(2013年)、『草枕』(2015年)等で演出家としても活躍する、演出家・俳優・劇団「tsumazuki no ishi(つまづきのいし)」主宰の寺十吾(じつなしさとる)。演劇ファンの目にも新鮮に映る、この三人の組み合わせ。当人たちに企画の成り立ちや公演の展望を聞いてみた。

−−この3ショット自体が新鮮に映るのですが、普段の交流というのは?

近藤 僕は矢口(史靖)さんと(鈴木)卓爾さんの『ワンピース』の現場が最初かなぁ。

寺十 あ、はいはい。

近藤 もう10年以上前のことですが、寺十さんとご一緒させて頂いて。その後に tsumazuki no ishi を観に行かせてもらいました。

平岩 私は学生の頃からtsumazuki no ishiが好きで、一ファンでした。寺十さんを繋げてくれたのは近藤さんです。

近藤 「演出は誰にお願いしよう?」と相談していた時、二人とも寺十さんの作品が好きで、この三人の組み合わせは意外性もあるし面白いのでは? という流れでした。連絡先も知っているし、ダメ元でオファーしてみようと。

平岩 ほんとダメ元でしたよね。

寺十 だから最初に話を聞いた時はびっくりしちゃって「え? 本当に俺でいいの?」と。

近藤平岩 いやいやいや!

寺十 紙さんが観てくれていたことは先日初めて聞いたし、近藤くんが観に来てくれたのも知っていたけど、そんな風に思ってくれていたとは夢にも思っていなかった。

平岩 tsumazuki の舞台は良い意味で癖があり、それが自分と合っているからいつも刺激を受けています。ちょっとアングラっぽいところも。たまんない! という要素がいっぱい散りばめられている。

寺十 うち、お客さんはそんなに多くないし(笑)、凄く偏った作品もあるので、好んで頂けて良かったし、その「癖」の部分を僕ら三人で一緒に楽しめたらいいなと。

平岩 寺十さんに決まってめちゃめちゃ嬉しいけど緊張もします。凄く好きな方にお会いするのってイヤじゃないですか?

近藤 分かる。自分を知られちゃうからね。

 

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−−この企画が立ち上がった経緯について教えて頂けますか?

近藤 去年、『不倫探偵』(※日本総合悲劇協会/2015年)という舞台をやった時に、(出演者の片桐)はいりさんと一緒に飲んでいて「二人のコンビ感が面白いから何か一緒にやれば?」みたいな話になったんです。僕ら、劇団の同期みたいな感じなんですけど、その舞台で結構久しぶりに絡んで、夫婦漫才っぽいシーンもあったから「面白そう。やってみましょっか?」という流れになり。

平岩 はいりさんは「コンカミシアター」という名前を提案してくれたりして、とりあえず二人でやってみようと。二人芝居というのは早い段階から決まりました。

近藤 二人芝居、やったことないんですよ。うわ、大丈夫かな? と思いますけど、挑戦もしてみたかった。

平岩 その後「ユニット名を考えましょう」という話も出たんですが、「まず試みたい」みたいな気持ちだったし、ユニット化して縛りを作るのもアレだなと思って。「近藤公園・平岩紙二人芝居」というのがユニット名みたいなものだし、これで良いと思いました。それから二人で脚本を探して、二人とも響いたのが竹内銃一郎さん。その上で寺十さんに演出をお願いしたら、快く引き受けて下さって。

近藤 戯曲を読んで「寺十さんにお願いしたら面白くなりそう!」と思ったんです。

 

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−−寺十さんは近藤さん平岩さんに対して、事前に抱かれたイメージはありますか?

寺十 まずうちの芝居を観て「面白かった」と言って下さるのは、やっていく上でヒントになるかと思います。それから、初めてお二人に会った時に感じたのは、悪い意味ではなく、思っていることと言っていることに違いがあるということ。つまりそれは「『人間は思っていることを言い切れない』ことをよく知っている二人」という意味。だから、「これ、本当のことを言っているのかな?」「あれ、今ここにいるけど、いないぞ」「何か違うことを考えてない?」など、そういうことをふっと感じる瞬間があって。思っていることと言っていることが違うということは、「思っていることなんて言えやしない」と捉えることも出来て、その感覚が『あたま山心中』という戯曲と繋がる部分がある。この本の「本当は何が言いたいんだろう?」という部分、書いてあることと書こうとしていることの微妙な距離感が、お二人のセンスとリンクするような気がしていて、その辺が楽しみだなぁと思っています。もしかしたら竹内さん自身が思ってもいない作品になり、それを観た竹内さんが「そうそう、これなんだよ!」と仰ってくれるかもしれない。もちろん実際にどうなるかは分からないけれど、そうなることもあり得ると。

近藤 なるほど、鋭いなぁ。

平岩 初めて言ってもらった言葉かもしれない。確かに、なかなか言えないことはあります。嘘をついている訳じゃないけど、気を遣い過ぎたり、遠慮しちゃったり。あるかも。

 

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−−戯曲を読まれた時の感想や惹かれた点などについて教えて下さい。

平岩 声に出して読み合わせをした後に、近藤さんと「きれいなお話ですね」と話しました。黙読では分からなかったけれど、声に出すと台詞がとってもきれいなんです。絵も浮かんでくるし、色々な想像力が膨らみました。

近藤 「いいよね!?」と。

平岩 戯曲自体は繊細で、その繊細なやりとりも印象的で。

近藤 比較的地味な芝居だと思うのですが、表現の自由度が高いと思います。その辺りはこれから寺十さんと相談しながら、稽古をしながら、の作業になってくると思いますけれど。

寺十 難解といえば難解な戯曲ですよね。何故こんなに難解なことを繰り返し書いているのかという、そのもどかしさがずっと続いて、ある状況に至る。説明しようがないものを説明しようとして、その結果矛盾を帯びたものになる。その連鎖の果てに辿り着く風景は、お二人が仰ったようにきれいだなと思います。演者によって全く感触が異なる仕上がりになると思うので、そういう意味で懐の深い、尚かつ「果たしてこれでいいのかな?」という面もお見せ出来る戯曲だと思います。

 

−−近藤さん平岩さんは大人計画の同期で、同じ創作現場も沢山経験されていますし、ある種「互いの呼吸を理解している」間柄だと想像したのですが、今回の二人芝居において、その関係性を活かすべきだと考えますか? それとも敢えてそれらを捨てて挑まれるのでしょうか?

平岩 私はあまり分けて考えていないです。劇団でやる時はいつも真新しく出来るんですよ。それは近藤さんだけではなく、他の先輩方とやる場合も同じ。やっているうちにどこかで血が繋がっている……みたいなことになるので、演技はまた別の気持ちでやっています。舞台上では近藤さんとたった二人、信頼してますし心強いけれど、それ以上の依存はしない。

近藤 今回に関していうと「稽古を通して新しい発見があるかも」と思いながら戯曲を読んでいます。大人計画の舞台で絡む時とはまた違う一面が見えるかもしれない。それはちょっと楽しみです。

平岩 それ、あると思う。そこが楽しみでもありますし、それを劇団の先輩方に観てもらうことも楽しみです。劇団の芝居は当て書きも多いし、想像がしやすい部分もあるんですけど、今回は竹内さんの脚本をお借りして、演出は寺十さんで、初めてづくし。どんな世界へ行けるのかな? みたいな楽しみが。

近藤 企画の成り立ちの話に戻っちゃいますけど、どうせやるなら大人計画で出来ないことをやろう! という理由で選んだのが『あたま山心中』でした。

寺十 竹内さんの本をやる場合は「作る」というより「見つける」という作業が多くなると思うので、見つける為にはあまり手段を限定しない方がいいと思う。普段使っている引き出しもアリだし、使っていない引き出しもアリ。僕自身、今回は作・演出じゃなくて演出のみだから、竹内さんの狙いに沿うというより、俳優側に立って見ると思う。演出家だけど、多分こっちで二人と一緒に見る。一緒に見る、一緒に向かう、そこに何があるのかを一緒に探す。僕は答えを持っていないから、どこへ辿り着くか分かりません。

平岩 地図があって自分達で路を決めていける感じですね。 わー、面白そう。

 

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−−せっかくですので、最後に少しだけ「三人の作戦会議」の一幕を見せて頂きたいのですが。

寺十 既に本読みをされたと仰っていたので、その心地とか、良かった台詞は知りたいなぁ。予備知識なしで感じたことは(演出上)大きな手掛かりになる。まずそれを聞きたいし、そういう話を少しずつ膨らませながら進めていけたら。

平岩 今は戯曲の音を楽しむことしか出来ていなくて、心の中は割と空洞のまま読んでいるんですよ。だから「私、どういう意味で喋っているのだろう?」と思いながら読んでいる。もっと答えのある戯曲だったら見解を間違えて指摘されることがあるんですけど、この戯曲は間違えても大丈夫というか(笑)。

近藤 見解がいっぱいありそう。

平岩 寺十さんにも「それはちょっとないだろう」という所があれば指摘して頂きたいです。近藤さんにも聞きまくっている。「何ですかこれ、どういうつもりで喋ってるんですかね?」みたいな。

寺十 難しく考えちゃうときりがないから、難しく考えすぎずにどう行くか? というのはあるね。空っぽで読んだ、音に任せて読んだというけれど、音だって言葉だから、それは結構頼りになる。ただし厄介なのは、色々と考えた後に「前みたいに考えないで読んで」と指示してもそれが出来なくなっちゃうこと。

近藤 あ〜。

平岩 分かります。

寺十 だから、早く本読みを聞いてみたいな。

近藤 そうですね、いつにしましょうか?

寺十 でも、それだとプレッシャーになっちゃうから、二人が本読みしている時にこっそり聞きに行けばいいのか。

平岩 優しい〜。

近藤 (稽古前に)あまり戯曲を読み込まない方がいいですか?

寺十 この戯曲は、要は最後の風景に辿り着くまでに色々なものをすり替えている。例えば、自分の確信だったり、死だったり。そういうことをどうすり替えていくか、登場人物のやり口とお二人の実際のやり口がどうシンクロするかを見たい。それって、直感的だったり本能的だったり、既に身についているものだから。そういう意味で、自分本来の性質が濁るような考え方はしない方がいいですね。全く考えないのもアレだけど、あまり考えすぎない方が。

近藤 ひとまず普段の性質を大事にってことですね。

平岩 近藤さんと私では、その性質が違うから面白い。寺十さんを交えて作品の話をするのはこれが初めてだったので、今日の取材はとても参考になりました!

 

取材・文/園田喬し

 

【公演情報】

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近藤公園・平岩紙 二人芝居
『あたま山心中 ~散ル、散ル、満チル~』

鬼才・竹内銃一郎が古典落語「あたま山」を
モチーフに書き上げた傑作戯曲
「あたま山心中 ~散ル、散ル、満チル~」が、
寺十吾の演出により現代に甦る!!

日程:2016/10/12[水]~19[水]
会場:東京・下北沢駅前劇場

作:竹内銃一郎
演出:寺十吾

出演:近藤公園、平岩紙

 

★抽選先行決定
プレリクエスト抽選先行:7/7[木]12:00~31[日]23:59

▼詳しいチケット情報は下記ボタンにて!