2012年にデビュー作となる短編連作集「犯罪」で、一躍世界的なベストセラー作家となったフェルディナント・フォン・シーラッハ。彼が2016年に世に送り出した、初の戯曲「TERROR テロ」が日本でも上演されることになった。この戯曲では、ハイジャックされた航空機が7万人が観戦しているスタジアムへと向かう中、その飛行機を追って緊急発進した空軍パイロットの決断をめぐる裁判が描かれている。乗客を見捨て、7万人を救った男は、英雄か、それとも犯罪者か…。その判断は、観客の投票に委ねられるという異色の法廷劇だ。この新たな舞台に挑む、橋爪功、松下洸平、演出の森新太郎の3人に話を聞いた。
――橋爪さんは昨年にこの「テロ」を朗読劇として上演されましたが、その際の印象はいかがでしたか?
橋爪「投票によって有罪か無罪かが決まって、そのあとの芝居は二通りあるんです。でもお客さんの中には、なんてことをさせるんだなんて思った人もいるでしょうね。ドイツでは30数か所で上演されたんですが、実際に“人の命に関わるような決断を、なぜ私にさせるんだ”と声を上げて、投票をためらった人もいたと聞いています。結局、投票はしたそうですが…どちらに投票したのかまではわからないですけど。お話を聞いてみたいですよね、その方に。なぜそう決めたのかとか、何を考えたのかとか」
森「戯曲を冷静に読んでいくと、どうしても有罪になっちゃう。役者たちはそれぞれ全力を尽くしてそれぞれの主張を表現していくわけだけど…今の日本だと、どう考えても有罪になる。でも、状況によって変わるんですよ。ドイツ公演の中にでは無罪になったところもあって、それは国の意識の表れだと思うし、テロをどれだけ想像できるかという部分で変わっちゃうんですよね。テロの脅威を前に法だなんだという正論を言っても人は救えないという気持ちが高まれば無罪に傾くだろうし。だから正直読めないところはありますね」
橋爪「朗読劇ではその場でピアノ演奏をしていて、言い回しとかでいろいろさじ加減を変えてみたりしたんですよ。砂糖をちょっと多めにするみたいに(笑)。結局、差が縮まった回もあったんだけど、無罪にはできなかったね」
松下「僕も読ませていただいて、正直なところ有罪だなと感じました。でも僕が演じる被告人のパイロットは決して情に訴えかける人間ではないと思うんです。任務として行ったことが、法に反してしまう。けれど、自分自身の責任でやっているんですよね」
橋爪「ドイツで無罪になったところは、被告人の役者がずいぶんいい役者なんだよ。いい役者っていうか、愛嬌のある人。座っているときにちょっと遊んでいたりとか…。そういうのが意外とお客さんに受けたと思うんだよな。ちょっとスタンドプレイみたいな」
――いろいろな影響で舞台の結末が変わってしまうのは、非常に興味深いですね
森「実際、裁判っていうのは一般市民が見た時でもそういうものに左右されますからね。冒頭に『法廷は劇場です』っていうセリフがあるんですが、事件を再現するという部分でも、それ以外でも、そういうところはあると思うんです。検察と弁護人の化かし合いみたいなところがありますからね」
橋爪「松下君みたいに、若くてさわやかな好青年が被告人だと、若い女性はみんなそっちにつくよ(笑)。そういう要素もあるよね、絶対に」
松下「何せ、僕は頭がいい。役が、ですけど(笑)。一般の人が起こしたことだったら、情に流されるようなこともあるかもしれない。でもいろいろなことを熟知していて、哲学も持っていて、そういう人が下した決断ということが、お客さんの目にどう映るのか…。彼も純粋ではあると思うんですよ。そういう“若さ”の部分は重要視しています。国のためにやらなければならないという思いもある。そこは繊細すぎるくらいにやりたいと思っています」
森「役者はけっこうしんどいと思いますよ。いい意味で誤魔化しがきかない舞台ですから。シェイクスピアなら下から照明を当てたりして、雰囲気を作ることもできる。でもこういう法廷ものは蛍光灯の下というか、お客さんも照らされているような明かりの中でやるしかない。俳優には助けがないんです。そういう意味では、俳優陣には心強い人たちが揃ってくれました」
橋爪「プレッシャーを与えるわけじゃないけど(笑)、被告人は大変だと思うよ」
松下「勉強します…。やっぱり裁判ものは、裁判長よりも、検察よりも、弁護人よりも、被告人を一番見ると思うので。妙なところで不用意にため息をついてしまったら、それだけで“あれ?”って思われるかもしれない。隙が無いんです。ちょっと目線が泳いだだけでも、印象が変わってしまう」
森「そのあたりは稽古で細かく作っていくことになると思います。あんまり自由にできるようなお芝居ではないですね。リアクションのひとつひとつを、彼だったらこうするんじゃないかというのを稽古の中でひとつひとつ見つけていくことになるでしょうね。動揺も、怒りも、それを冷静に考えることもある。その芝居をどう見せていくかは考えていかなきゃならない部分だと思います」
――芝居による影響もそうですが、観客自身の考え方も大きな要素ですよね
森「ある意味、主役は観客のようなところがありますね。この舞台で問われるのは、観客の人生で、否応にも自分の人生と向き合わざるを得ないんです。判断を下すために、自分が世の中をどう見ているのか、社会の仕組みをどう捉えているのか、人の命をどう考えているのか…。観客にかかる負担は大きいですが、その分、知的な興奮も大きいと思いますね」
橋爪「ちょっと違う話なんですが、森君と『ゴトーを待ちながら』をやっていた時に3.11があったんですよ。稽古中で。そしたらセリフがそれまでやっていたものと印象が全く変わってしまった。お客さんも全く違う様相になりましたね」
森「そんな感想を持たれますか、というお客さんも多かった。対面式の劇場だったんですが、向こうに座っている人が亡くなった人に見えたとか…、考えもしないような感想が出てきた。お客さんもそうだけど、僕らもきっと変わってるんですよね」
橋爪「でも、忘れていっちゃうんですよね…。芝居って、お客さんのものなんだなと思います」
森「日本はテロの脅威というところではトップレベルに安全な国です。でも、そんなものは一度何かが起こってしまえば簡単にひっくり返る。いつでもその可能性はあるんですよ」
――何か大きく価値観を変えてしまうような出来事があれば、判断も変わるということですよね。舞台を通して、役者もいろいろなものの見方が変わりそうな気がします
松下「僕はまだまだ無知なので、いろいろなことを知っていかなきゃいけない。今回もそうですが、お芝居をやらせていただくことで、社会の勉強も一緒にやっているような感覚になるんですよ。国は違えど、法の中で生きている人々が何を考えて、何にすがって生きているのか。まだ稽古に入る前ですけど、すでに思いを巡らせています。ドイツの人々にとって国とはどういうものなのか、また軍隊はどういうものなのかとか、そういう細かい部分も理解しておきたいし、そういった知識や考えの積み重ねが大切なんじゃないかなと思っています。僕は日本人だし、軍人でもない。でも、そこで嘘をつきたくないので、やれることはやっておきたいです」
森「芝居ひとつで世界が広がるというか。最近話題になっているAIのモラル問題とかも、芝居を通して考え方が変わってくると思いますね。いろいろなことが考えられる舞台だと思います。人は、判断を迫られないと決断しないものですから」
松下「自分で答えを出すということは、とても重要だと思います。人それぞれ考え方は違うので。今回の舞台に限らず、どんな舞台でもこの人はどういう考えなんだろうとか、このあとこの主人公はどうなったんだろうかとか、想像しながら帰ることは多々あるんですけど…」
森「今回の舞台は、スッキリするような感覚ではないかもしれないですね。投票した後も、あれでよかったのかと考えてしまうような余韻が残る。ドイツでも、見終わった後にお客さんが議論するような場面もあったようですし、似たような状況が日本でもあるんじゃないかと思っています。有罪無罪の結果から、日本の現状みたいなものが見えてくるんじゃないかな」
――最後に、公演に向けての意気込みをお願いします。
松下「僕自身、本当に…挑戦です。これほど素晴らしい皆さまとご一緒できる機会もそうですし、これまで演じてきた役の中でも特にハードな、しんどい役になると思うんですけど、この作品を通して役と向き合うということを、改めて一から森さんに教わりたいと思います。森さんだけじゃなく、橋爪さんもそうですし、皆さんの背中を追いかけて…とにかく、1回くらいは無罪にします! 頑張りますので、よろしくお願いいたします」
森「観客に突き付けられるという意味では、こういうハードさを持った芝居は、僕はこれ以外に知らないので。唯一無二のものになると思うのでぜひ体感してほしいと思いますね。たぶん、この後にもこういう芝居はないと思いますから」
橋爪「僕はもう、本当におんぶにだっこです(笑)。毎回、お客さんの様子を見て、遊べる…って言い方はよくないか。あんまりお客の様子を見て変えちゃうと、怒られちゃうから。でも、やりかねないかな(笑)。とにかく、楽しみにしています」
インタビュー・文/宮崎新之
【公演概要】
TERROR テロ
日程・会場:
2018年1/16(火)~28(日) 東京・紀伊國屋サザンシアター
2018年2/16(金)~18(日)≪予定≫ 兵庫・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール
*2月初旬、下旬に地方公演予定
作:フェルディナント・フォン・シーラッハ
翻訳:酒寄進一
演出:森新太郎
出演:橋爪功 今井朋彦 松下洸平 前田亜季 堀部圭亮 神野三鈴