ブロードウェイミュージカル『コーラスライン』バーヨーク・リーにスペシャルインタビュー!

ブロードウェイミュージカルの金字塔『コーラスライン』(原題:A Chorus Line)。
トニー賞で全9部門を制覇したほか、ピュリツァー賞など各賞を総なめ。ブロードウェイ初演は1990年4月までの約15年間続き、当時の史上最長ロングランを記録し、世界各国でも空前の大ヒットを記録した、まさにミュージカル
の金字塔である。8月からの7年ぶりの来日公演を前に本作のコニー役オリジナルキャストであり、今作では演出・振付・再編成を務めるバーヨーク・リーに話を聞いた。

 

──『コーラスライン』の生みの親である演出家・脚本家のマイケル・ベネットは、どんな方でしたか?

バーヨーク・リー
「私たちがダンススクールで出会ったのは10代の頃でした。数年後『Here’s Love』(1963年)というブロードウェイショーでダンサーとして共演した時、彼は二十歳前後というキャリア初期なのに「ダンサーとしてはやりきった。自分は演出家・振付家になる」と決意していたんです。とても驚いたけど、同時に誇らしくて嬉しかった。ダンサーは振付家と切っても切り離せない関係ですが、私たちマイケルの仲間はその時点で、今後ずっと創作をともにできる「同世代の振付家」に出会えたんですから! その証拠に、あれから50年以上経つ今も、私は彼の作品とともに人生を歩んでいるんです」

 

──『コーラスライン』創作初期のお話をぜひお聞かせください。

バーヨーク・リー「(テレビやロック音楽などポップカルチャー隆盛期である)70年代当時、ブロードウェイミュージカルは瀕死の状態だと言われていました。ダンサーが多く雇われるような昔ながらの大規模なミュージカルは、予算の関係で敬遠されていたんです。そんな時、マイケルが「その話をしたいんだ。僕たちダンサーの生きざまを未来につなげるために」と、ダンサー仲間を集めたトークセッションで口火を切り、自分のダンサー人生について語り始めたんです」

 

──それが作品の原点になったんですね。

バーヨーク・リー「ええ。ダンサーを夢見た子供時代、キャリアのこと、家族のこと、現在や未来への悩み……。1日がかりのとりとめのない、気心のおけない仲間だけが集まった私的な会話の連続でした。「これが本になるか、映画になるか、芝居になるかは分からないけど、何かの形にして残したい」とマイケルは言い、オフブロードウェイのパブリックシアターに企画を持ち込んだんです。私も彼の振付助手としてその場にいて、自分の若い頃の話をしました。それがそのままコニーのエピソードになったんです」

 

──『コーラスライン』では、マイケル・ベネットが手がけた構成・演出・振付はもちろん、楽曲もとても心を打ちます。

バーヨーク・リー「マーヴィン・ハムリッシュが最初に書き下ろした“What I Did For Love”を聴いた時、崩れ落ちそうになるほど胸が震えました。これこそ、俳優でありダンサーである私たちの真髄で、生きる目的でもある。あの曲は、その想いを見事に表現してくれています。“At the Ballet”も作品のターニングポイントになった大切なナンバーです。当初は「ミュージカルプレイ」と銘打たれ、ダンサーが語ったさまざまなエピソードの羅列にすぎなかった『コーラスライン』の原型が、あの曲の誕生とともに「ミュージカル」としての高みへ昇華したんだと、マーヴィンとマイケルはよく話していました」

 

──そして、1975年にニューヨークで誕生した伝説のミュージカル『コーラスライン』が、43年の時を経た2018年に7年ぶりの再来日を果たします。

バーヨーク・リー「これまで日本で多くの作品に関わってきたので、私にとって日本は第二の故郷。『コーラスライン』を愛してくださる皆さんや、若い世代の観客にこの作品を観ていただけるのは本当に幸せです。『コーラスライン』はブロードウェイミュージカルの歴史の一部。ですから初演の設定を変えることなく、当時のままのエネルギーを、次世代のダンサーたちのからだとこころを通して、皆さんにお伝えしたいと思います。『コーラスライン』は、世界中どこでも、いつの時代でも、観客の皆さんのこころを震わせることのできる作品だと思います。それはきっと、「夢を叶えようとすることの苦しみと喜び」は誰しもに共通する感情だから。夢を追い続けることは、人間のさがなのでしょうね。私はそう信じています」