新納慎也インタビュー|ミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』

2018年度トニー賞10冠を制した、ミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』の日本版が初上演される。2007年に公開された映画「迷子の警察音楽隊」(カンヌ国際映画祭ある視点部門・国際批評家連盟賞、ジュネス賞、一目惚れ賞/東京国際映画祭・最優秀作品賞)を原作に、ミュージカル『ペテン師と詐欺師』の作曲家デヴィッド・ヤズベックが作曲と作詞を手掛けた作品だ。

初演時にブロードウェイで実際に観劇した新納慎也に話を聞いた。「やるならトランペットの役かな」と思っていたら、本当に演じることになる巡り合わせ。イスラエルに演奏旅行に来たエジプトの音楽隊が道に迷い、地元のイスラエル人と一晩交流をするというシンプルな物語だ。この作品ならでは魅力を、作品テーマ、音楽、演出など、さまざまな視点から、新納自身の経験も交えて語ってもらった。

 

――ブロードウェイでご覧になったそうですが、なぜご覧になろうと思ったのですか?

僕はニューヨークに行くと1か月ほど滞在するんです。せっかく行ったのに1週間くらいではもったいないと思ってしまうから、最低でも2週間くらい休みが取れる時を狙って行きます。夜は芝居を観ますが、ほとんどオフブロードウェイに足を運んで、オンのものはあまり数多く観ないんです。向こうの友達が僕の好みをよく分かってくれていて「今、何がいい?」と聞くとおすすめを教えてくれるのですが、「この作品はオンブロードウェイだけれど、オフブロードウェイっぽいから好きだと思うよ」と言われました。そして、ホリプロさんが出資していることは聞いていたので、いつか日本でやるかもしれない、観て面白かったらやりたいとアピールしておかないと(笑)。そう思って観に行ったらすごく面白くて。面白いという表現は違うかな、良い作品だなと初めての感覚でした。こういうミュージカルがあるんだなと。

 

――それは例えば、ストレートプレイやドラマだったらあり得る良さですか?

人が死んだり戦争が起きたりというような、大きな事件が何も起こらない「日常」を描いた作品はストレートプレイならあり得ますが、ミュージカルでは珍しい形態だなと思います。「何も起こらなかった……」という、さざ波がさざ波のまま終わるミュージカルです。心温まるというか、心癒される感じで、とても良い作品だなと思いました。新しいスタイルのミュージカルですよね。僕は新しいスタイルのミュージカルが好きで、だいたい出たいとすぐに言うんですが(笑)、本作品ももれなく出たいと言いました。そして、やるならトランペットの役かな、と思いました。

 

――トランペットが吹けたわけではないんですか?

全然吹けません(笑)。でも、良い役なんです。

 

――ブロードウェイの客席の雰囲気はいかがでしたか?

爆笑の渦でしたね。ブロードウェイの観客はほとんどが観光客なので、僕も含めて母国語が英語じゃない人が多いんです。この物語は、母国語が英語ではない人同士が英語でしゃべっていて、文法がめちゃくちゃだったり、小学生みたいな英語でしゃべっている感じが自分を見ているようで(笑)。中東の人の英語ってこういう感じじだよねと、みんなが共感するところだったり、とにかく面白かったですね。それが日本語になるとなかなか再現しづらいので、その部分のコメディ要素は若干削らざるを得ないのかもしれませんが、逆にこの作品のテーマをお客様にストレートに届けられるようになるのではないかなと思います。

 

――作品のテーマについてお聞かせください。

人に国境はないということですね。僕はこの作品を観た時に、自分に置き替えたらどういうことかなと考えました。歴史的に対峙してきたエジプトとイスラエルには緊張感があり、その国の人がやって来るということが日本人には分かりにくい。でも今戦争はしていないにしても、日韓には何となく国同士の歴史的なシコリがあったりしますよね。僕も韓国旅行に結構行きますが、普通に過ごしていても全員が日本人を好きなわけじゃないという緊張感がありますよね。例えばタクシーに乗った時に「日本人?」と聞かれた時に、もしかしたら「日本人だめ!」と降ろされるかもしれないと考える緊張感とか。エジプトとイスラエルの緊張感はそれよりももっと凄いものだと思います。

でも、例えば僕が街中で「韓国のことをどう思いますか?」と聞かれても、僕は「好きです。韓国料理も好きですし、韓国ドラマも好きです。国同士がもめていて政治的なことでは何かあるかもしれませんが、僕が個人的に韓国の国民に何かを思うことはありません」と答えます。実際にYouTubeで韓国の人に同じようにインタビューしている動画を何本か見ましたが、「国同士はどうか知りませんが、私は日本の楽曲やドラマ、ファッションが好きだし、日本にもよく旅行に行きます。日本人のことも悪く思っていません」と答えていた人が多かったんです。多分それがリアルなんですよね。

ただ、それはニュースでは報道されなくて、「国同士がもめています」だけが取り上げられていて、マスコミが煽っているだけだと思うんです。でも、ほとんどの人は仲良くしたいと思っているだろうし、特に悪くは思っていないと思うんです。僕は少なくとも、どこの国の人だからどうのと言う目では見ません。僕は元々、差別に厳しいんです。小さい頃からいろんな国のミックスの人が周りにいたりしたので、人種だったり肌の色だったりセクシャリティで差別するという概念がないんです。実際、ほとんどの人はそんなに個人を差別の目で見て生きてはいないだろうと思います。そんなことが、この作品のテーマのひとつにもなっていると思います。

 

――それがただ一夜の出会いで描かれるんですね。

大きな事件は起こらない、それが余計にリアルというか日常というか。ドラマティックなことばかりが世の中で起きているわけではなくて、本当はこういう些細なことでみんな心を動かして心を通わせて生きているんだよね、という良さがこの作品にはあるんです。

 

――新納さんにも、そういう一夜や、ひとときの出会いはありますか?

いっぱいあります。僕はひとりで海外によく行きます。ロンドンに行った時に、ロンドン郊外に舞台を観に行きました。新幹線みたいなものに乗って、東京から名古屋くらいまでの距離を行ってしまったんです。芝居を観て帰ろうと思ったら電車がなくて、オーマイガーとなって(笑)。ものすごい田舎町で、たまたま歩いていた小学校低学年くらいの男の子を連れたお父さんに「ロンドンまで帰りたいんだけど……」と話しかけたら、「そんなの無理だよ」と。困っていたら「じゃあ、うちにおいでよ」と泊めてくれたんです。でも別に「アジア人だ!」みたいな目でも見られませんでしたし、普通に人として扱ってくれたというか。翌朝お礼を言って別れました。住所を聞いて、後日日本から絵葉書を送ったりもしました。あとは、東京でヒッチハイクしている人を捕まえたこともあるんですよ。男の子が「○○まで」と書いていたから、これは面白いと思って。危険な目に合うかもしれないとちょっと思ったけど乗せてみようと思い、停まって「乗りな」と乗せました(笑)。

 

――結構チャレンジされるというか、そういう出会いを面白いと思われるんですね。

多分「首を突っ込みたがり」なんだと思うんです(笑)。何か起こるかもなと。見た目が明らかに殺し屋みたいな人は怖いですけど、どう考えても大学生くらいの子だったから、単純に終電がなくなったとかそういうレベルなのかなと思って乗せてあげました。

 

――そういう時に、人の温かみを感じますよね。

楽しいですね。

 

――新納さんが「やるならこの役」と思っていた、トランペット奏者のカーレドを演じることになりましたが、どんな役でしょうか。

いわゆるチャラい男ですね(笑)。でも警察音楽隊なので、一応日本で言う国家公務員であり警察官。風間杜夫さんが演じるトゥフィークがわりと固いタイプで、カーレドはとてもよいスパイスというか、いわゆるちょっとフランクな役。ゆるいし、多分女性との遊びも長けているし、好奇心旺盛で、その一夜だけでも知らない場所で街に出かけようとするんです。みんなは楽器を演奏していたり、ダイナーで飲んでいたりするんですが、カーレドだけは「街を見たい」と言って出ていく。そういう男ですね。

そして、カーレドだけがジャズを歌うんです。チェット・ベイカーが好きという設定なので、チェット・ベイカー風の楽曲という意味もあるんでしょう。もしかしたら彼は、アメリカへの憧れや外国への憧れ、現代っぽさを兼ね備えた人だというのを表現しているのかなと思います。いわゆる中東の音楽ではないものをカーレドだけが歌うという、ちょっと飛び抜けた異質なキャラクターという感じですね。

 

――物語の主軸となる風間杜夫さんが演じるトゥフィーク、濱田めぐみさんが演じるディナとはどんな関係がありますか?

ディナのやっているダイナーに僕ら8人の楽団が行き、帰れなくなったのでディナが泊めてあげると言ってくれるのですが、ひとりの家に全員が泊まれないから何人かずつに分かれます。僕とトゥフィークはディナの家に泊めてもらい、僕は街を見学に行き、ふたりはふたりで食事に行く。お互い食事なりが終わって帰ってきて、また同じ部屋で一緒になります。関係性としては、そんな感じです。

 

――じゃあ、変化していくその一夜の間、一緒に過ごすわけではないんですね?

そうですね。なぜならカーレドは、このふたりがちょっと惹かれ合おうとしていると気付くんです。だから「どうぞふたりで行ってきて。俺はいいから」とあえてふたりにする。そういう勘も働くので馬鹿な男ではないと思います。

 

――カーレドのどの辺に魅力を感じましたか?

まず、ひとりだけ歌う楽曲の雰囲気が違って印象に残ったんです。あとは、とてもいいヤツなんです。なんかチャーミングで憎めない。チャラいけど、めちゃくちゃハメを外すわけではない。街には女性をナンパしに行くわけではなくて、永田崇人が演じるパピという若い男の子と一緒にローラースケート場に行きます。パピは女性恐怖症なのですが、女性の口説き方を教えて帰ってくる。ただそれだけの男なんです(笑)。

 

――いい人ですね。

そう、いいヤツなんです。その感じもとてもチャーミングでしたし、目立っていました。あの役をやりたいというよりも、僕がやる役っぽいな、と(笑)。

 

――トランペットはどのくらい吹かれるんですか?

1曲の半分くらいで、ずっと吹いているわけではありません。いま練習していますが全然上手くならないです。トランペットは凄く難しいですね。ブロードウェイでも実際には吹いていなくて、当て振りなんです。もちろん今回も当て振りが前提ですが、一応ぎりぎりまで挑戦だけしてみますねという段階です。多分当て振りになります(笑)。

 

――当て振りだとしても、やってみるだけで違いますよね。

もしかしたら生まれ持った才能があるんじゃないか、やったことがないだけで異常に上手いかもしれないと思ってやってみましたが、才能はなかったみたい(笑)。もうひとつ、Riq(リク)という楽器があって、カーレドはそれも演奏します。中東の楽器で、見た目はタンバリンのような打楽器です。そっちのほうが今はちょっと楽しいです。タンバリンのようですが、音も叩き方も違います。すごく難しいのですが、音も素敵で楽しいです。何せトランペットは音が出ないので、楽しいまでいかないんですよね。数ヶ月の練習で演奏できるものではないんだなと思います。

 

――ソロナンバー「Haled’s Song About Love」が、パピに教える曲ですよね。音楽的な魅力はどのように感じていらっしゃいますか?

僕のナンバーだけはジャズだというところに、カーレドのキャラクターをすごく表現しているなと思います。すごく色っぽいナンバーなんですね。なんでこんな色っぽい素敵なナンバーを永田崇人に歌うんだろうという不満はとてもあります(笑)。濱田めぐみさんやエリアンナさんに向かって歌いたいのに、崇人かよ!と(笑)。

 

――全体的には中東の音楽ということですが、他に音楽の聴きどころはありますか?

全体的には、ミュージカルでは聴いたことのないような音色やリズムだと思います。でも、音色や周波数みたいなものが日本人に合うと思うんです。多分、日本人の魂に触れる音色なんだろうな。僕はすごくヒーリングミュージックだと感じます。

普段僕たちが聴いているのは、アメリカやヨーロッパや韓国の現代ミュージック、もしくはジャズやクラシック、日本独特の演歌とかですよね。それとはまったく違う「こういう音楽があるんだ」と感じる様な楽曲ばかりです。なんとなくそれが日本人に合う気がしています。もちろんアップテンポの曲もあったりするんですが、何だか癒されるんです。

 

――中東には独特のリズムがあると聞いたことがあります。

今僕が練習しているレクも見た目はタンバリンですが、ぽんと叩いた瞬間に一気に「おお!中東の音がする!」と思いました。普段劇場でミュージカルを観ているお客様は、こんな楽曲のミュージカルを初めて観るでしょうし、なんて素敵な気持ちにさせてくれるんだろうと思われるんじゃないでしょうか。すごく穏やかになれる。心躍るじゃなく、心を鎮められるという感じですね。「いい作品を観たな。帰りは地下鉄に乗りたくないな、歩いて帰ろうかな」と思ってしまうでしょう。実際僕はNYでホテルまで歩いて帰りましたから(笑)。

 

――日本オリジナル演出は森 新太郎さんが担当されますが、『パレード』などでご一緒されていますね。

僕は森さんがすごく好きで、森さんからのオファーはスケジュールが許す限り断らないと決めているんです。森さんの演出は、作品の背景などをすごく勉強されていて、まず森さんの頭の中で完璧に出来上がっている状態で稽古が始まります。僕は何本かご一緒していますが、森さんの言う通りに着いて行けば必ず良い作品が出来ると信じているんです。

 

――森さんが作るものに対する信頼があるんですね。

すごく好きな世界観を持っていらっしゃるので、森さんの作品もよく観に行きます。本作品の演出が森さんと聞いた時に、ピッタリだと思いました。特に大きな事件も起こらない、派手な演出もない、テーマが明確に表現されるわけでもない。目くばせひとつで多くを語るような、ものすごく繊細な人の心の動きを表現する作品なんです。そういう人の心の繊細さを描いた世界観を演出するのはやっぱり森 新太郎じゃないとね。

 

――お話を伺っていて、映像の繊細さと似ているのかなと思いました。

そうかも知れませんね。群像劇なので、いろんなエピソードがそれぞれに起こりますが「こういうことが起こって、こういう解決をしました」という明確な表現が全然ないんです。「今の時間は何だったの?」みたいな。でも帰り際に「そういう意味か」「こういうテーマがあったのか」「あの目配せはそういうことだったのか」と察する。多くを語らない、そういうところが大人のミュージカルですね。

 

――製作発表では、森さんから「不条理劇」というワードが出ていましたね。

不条理劇の要素は含んでいますが、エピソードごとに実はちゃんと完結していますし、一夜でみんなちょっとだけ変化したんだね、という感じかな。そのちょっとが、イスラエルなど砂漠で暮らしている人たちには大きな変化だったりするんでしょうけれどね。

 

――彼らはその後どんな生活を送られるのでしょうね。

多分、また元の生活に戻るんでしょうね。それがちょっと予測できてしまうんです。彼らに出会ったことで大きく人生は変わらない、また同じ日々を過ごすんだろうなというところに哀愁があって良い。人生には時にそういう一夜があって、でも未来を変えるような大きな出来事ではない。ただ、ほんの少し何かが変わる。そんなところがこの作品のいいところなんですよ。

 

――誰もがどこかで経験してきたような、ほんの一夜をそこで体験する。

そうなんです。普通に生きていて、そんなドラマチックなことばかり起きないでしょう。それが人生なんですよ。ちょっとしたことで一日がちょっと素敵になる、それでいいんですよ。そういうことも、本作品のテーマのひとつなのかなと思います。

 

取材・文/岩村美佳

撮影/渡部孝弘