「ミュージカル『生きる』は発明だと思う」│村井良大インタビュー

黒澤明監督の同名映画を原作にしたミュージカル『生きる』が再び9月に上演される。

『生きる』は、日々を淡々と繰り返す役所の市民課長・渡辺勘治がある日不治の病となり、残りの人生が変化していく様を描く1952年公開の名作映画。初のミュージカル化となった本作は、市村正親、鹿賀丈史がWキャストで主人公・渡辺勘治を演じ、作曲・編曲はジェイソン・ハウランド、脚本・歌詞は高橋知伽江、そして演出は宮本亞門が手がけ、2018年に初演された。2020年10月にはよりブラッシュアップされた演出で再演し、今回が三度目の上演となる。

2020年公演から引き続き勘治の息子・光男を演じる村井良大に話を聞いた。

日本でつくられたミュージカルだから伝わるものがある

――村井さんは2020年公演に初めて出演され、今回、市村さんと鹿賀さん以外で唯一続投で出演されることになりました。どんな気持ちでいらっしゃいますか?

「非常にうれしかったです。渡辺光男という役を演じられることもそうですし、このミュージカル『生きる』が素晴らしい作品だと思っているので、また携わることができるだけで感謝と喜びがあります」

――「素晴らしい作品だと思っている」について詳しくうかがいたいです。

「日本人に響くミュージカルだと思うんです。海外の作品が多い中、このミュージカル『生きる』をつくろうと考えたホリプロさんはすごいと思いますし、よくこれをミュージカルにしたな!?という気持ちもあります。これは発明だと思うんですよ。“今までなかったものをつくり、みんなを納得させる”って発明じゃないですか。だから『生きる』は発明のミュージカルです」

――日本でつくるミュージカルとしてどんな魅力があると感じますか?

「海外のミュージカルは、例えばアメリカンジョークとか、どんなに翻訳しても伝わりにくいものが作品の中にいくつか出てきてしまうんです。でも、この「生きる」は、最初から日本でつくられて、日本の人が演じるから、物語の全てがしみじみと伝わってくる。そこがいいなと思います。日本語の持っている深さや、慈愛に満ちた響きなどが、きちんと伝わってきますしね。ただ、イギリスで映画『生きる-LIVING』としてリメイクされたように、テーマは世界に通じるものなんです。そういう意味では世界中で上演できるミュージカルでもあると思います」

光男は自分を悪いと思っていないから最悪です。

――宮本亞門さんの演出は前回が初でしたが、受けてみていかがでしたか?

「亞門さんは本当に少年のような心を持った方で、たのしく芝居をつくられるし、その中に『新しいものをつくりたい』『固定観念を変えたい』というような思いを感じました。僕の役である光男も、前回は初演と全く違うアプローチになったんですよ。初演で観た時の光男自身も不器用だから父親とうまく会話ができなくて、『お父さん、なに考えてるんですか? 僕にはわからない!』という意思疎通がうまくいかないイメージで演じていたのですが、ある日、亞門さんが『父親をとにかく否定して』『お父さん、間違ってますよ!という態度でいきましょう』とおっしゃったんです。なぜかと尋ねたら、『よくよく考えたら、父親の意見を大事にする息子はそんなにいない』と。これ文字にするとけっこうきついかもしれないですけど……」

――でもわかります。お父さんの気持ちを一生懸命考えている息子って多くない気がするので。

「僕自身も亞門さんにそう言われて、一気に光男という役の存在理由が納得できました。光男の反抗的な態度で勘治がもっとかわいそうになるし、観ている人みんなが光男に対して『どうしたらいいか、こいつを!』と思えるのがいいなって。光男本人はヒールと思ってないんですけどね。自分のことを悪いと思っていないから最悪です」

――今回、二度目でどう演じたいと考えていたりしますか?

「シンプルな構成だからこそあまりこねくり回して演じたくないというのが正直な気持ちです。今回は初共演の方もたくさんいるので、その方々と渡辺勘治という役を中心に、どうつくっていくかを考えたい。でも亞門さんって“できあがったもの”とかがお嫌いなんじゃないかな。今、その瞬間にほとばしっているもののほうにエキサイトされる方だと思うので、そういうことを大事にしながらみんなと一緒に稽古をしていきたいです」

市村さんは「逃げる勘治」、鹿賀さんは「立ち尽くす勘治」。

――2018年の初演から渡辺勘治をWキャストで演じる市村正親さんと鹿賀丈史さんとは共演していかがでしたか?

「市村さんは僕の中では“逃げる勘治”です。怒って逃げる。嫌になって逃げる。僕をパシンと叩いて『あ』ってなるけど、いたたまれなくなって逃げる、みたいな。一方で鹿賀さんは“立ち尽くす勘治”です。精神的なダメージを食らったときに『そうか……』って静かに立ち尽くして、そこにスポットライトが当たりそうな、悲しい勘治なんですよ。その違いがおもしろいなと感じました。逆におふたりに共通していたのは、“勘治として生きている”というパワーが溢れ出ていたことでした。それがこちらの胸を打つし、いじめ甲斐がある……」

――いじめ甲斐。

「(笑)。実際、前回は光男としてとにかく勘治をいじめること、否定することしか考えていなかったですから。いかに否定して壁をつくるかと」

――そういう役は大変じゃないですか? 心理的負担とか。

「心理的負担はないです。光男は自分が悪いと思ってないから」

――それって自分をお父さんに理解させたい、みたいな感情なんですかね?

「理解してほしい、わかってほしい、みたいな感じかな。会話をする気もあるんです。だけど光男がバカなのは、『僕は会話する気あるんですよ! あるんですかあなたは!?』みたいな言い方をしちゃう。そんな言い方じゃ勘治は会話できないですよね。やっぱり光男のせいだなと思います。不器用なヤツなんですよ。頭でっかちだし、亭主関白だし。ただ俳優としては、演じているとだんだん嫌われることに快感を覚えてきて……」

――(笑)。村井さんはいい人役が多いですしね。

「だからこういう役がくるとうれしいんです。最後のお葬式のシーンでも、妊娠している一枝が弔問客にお酒を注いだりして働いているのですが、それに対して僕は座ったまま『早くしろ』って小声で言うんですよ。あれはほんとに、『こいつクズだな』と思いながらも、楽しんで演じていました(笑)。他人の顔色ばっかり窺って、妻には亭主関白でね」

――特に令和だともうギャップがすごいですよね。昭和ではそういう風景が普通でしたけど。

「でも、やはりそこは今も血みたいなところで完全にはなくなっていない文化というか。『男女平等』ってこれだけ叫ばれていても実際はそうじゃない部分も多いじゃないですか。きっとそういう血がまだ僕たちのどこかに流れているから、『生きる』のいろんなシーンが響くんだと思います」

ジェイソン・ハウランドを天才だと思った。

――音楽も、観る前は暗い楽曲をイメージしていたんですけど。

「そうですよね。黒澤明監督の映画は低音が強いから、そう思うのもわかります。それに映画の中ではとにかく(勘治の死への)恐怖を描いていたから、重そうに感じますよね」

――実際は、観た後に口ずさむような楽曲がたくさんありました。ジェイソン・ハウランドさんの楽曲にはどう思われていますか?

「これをつくったジェイソンのことを天才だと感じました。心に染みるとてもきれいな音楽で、旋律がそんなに派手じゃないんですよ。バックコーラスは豪華だけど歌のラインは甲高くないというか、しっとりしていて情緒的なんですよね。そして勘治の楽曲は湿り気がある。それ以外の役はスパッとしている楽曲が多いけど、勘治だけは違う。劇中でも勘治だけが後ろ向きに『どうしよう』ってその場で立ち尽くしちゃうような存在なので」

――特に好きな楽曲はありますか?

「最後の曲の最後のコーラスが完璧です。全員で『あー』と歌う場所があるんですけど、(しみじみ)あそこがよい……ほんとに。勘治が去っていくところで、コーラスは盛り上がっていくんですけど、海外の作品だったら大体そのままジャーン!と盛大に終わると思うんです。だけどこの作品は静かに終わります。これが!すばらしいです! 盛り上がって終わらせない。ジェイソンもきっとお客さん目線で、情緒的にしっとり聴かせて終わりたいと思ったのかなと想像しました。実際、あそこでまたさらに泣けますしね。いや~素晴らしいです、『生きる』!」

 

取材・文:中川實穗