主役から脇役まで高い演技力で幅広くこなし、存在感やユーモア、色気を放つ俳優、橋本さとし。2015年にブロードウェイで上演され、観客の爆笑を誘ったコメディミュージカル『サムシング・ロッテン!』の日本初演では、うさん臭いノストラダムスに扮する。物語の舞台はルネサンス時代のイギリス。シェイクスピアの陰に隠れた、売れない劇作家のニックは、劇団運営にも行き詰まり、ノストラダムスのもとを訪れる。ニックは、ノストラダムスの怪しげなお告げで、卵が主役のおバカなミュージカル『オムレット』(『オムレツ』の意味だが、実は『ハムレット』の間違い)を書き下ろすが、ネタに困っていたシェイクスピアが舞台稽古に潜入し、アイデアを盗もうとするコメディだ。橋本が単独インタビューに応じ、作品の魅力や、30年目を迎えた役者人生、シェイクスピア作品などについて語ってくれた。
――私はブロードウェイでこの作品を見ているのですが、ノストラダムス役が橋本さんとうかがって、なるほど、絶対に面白そう。でも、かっこ良すぎるのではと思いました(笑)。
橋本「僕もYouTubeでブロードウェイ版の映像を見たんですが、おじいさんやんと(笑)。ノストラダムスの一般的なイメージはおじいさんなのかも知れません。でも、設定では、ノストラダムスの甥なので、思いっきりノストラダムスに忠実じゃなくてもいいのかなと思っています。解釈の仕方もありますし、福田雄一さんがどんな演出をされるかにもよりますが、生まれて初めての老け役になるかもしれません(笑)。占い師や予言者は、僕らのような人間からすると、本当かなとうさん臭い存在です。ノストラダムスの予言はまぐれで、それがたまたま、この時代にはまだなかったミュージカルの誕生につながっていくみたいな感じでしょうか。僕が演じるからには自分流のノストラダムスを新たに作っていきたいなと思っています」
――タイトルの『サムシング・ロッテン!』は、「何かが腐っている」という、シェイクスピアの『ハムレット』からの引用です。シェイクスピアをはじめ、有名ミュージカル作品のパロディが盛りだくさんの内容です。
橋本「僕は仮の台本を読んだだけですが、日本人の文化でどこまで通用するのかなと思いました。日本では、有名ミュージカルの楽曲が皆の耳に残っているほど、ミュージカル文化が浸透しているわけではない。シェイクスピアや宗教的なことも重要なポイントで、ブロードウェイやウエストエンドでやるのとは違う笑いどころになるのかなという気がしますね。もちろん、ミュージカルが大好きなお客さんもいるので、「このフレーズはあの作品だな」と楽しく見る方法もあると思う。福田さんは、日本人が笑えるような作品にするのがすごく得意な演出家なので、時事ネタやアドリブを取り入れた日本オリジナル版ができると思います。今までの僕のスタイルとしては、時事ネタやアドリブを極力抑えたところで舞台に入り込んできたので、福田さんとディスカッションしながら、作品の世界観をくずさないように、かつ『これね』と笑えるものを作っていきたいです」
――橋本さんはアドリブが苦手だそうですね。舞台で笑いを取られるときは、全部アドリブに見えるので、意外です。
橋本「アドリブを仕掛けるのは得意なんですが、仕掛けられるとタジタジとなって関西弁が出てしまったりするんです(笑)」
――「サムシング・ロッテン!」でしたら、関西弁でも違和感がないように思いますが(笑)。
橋本「そうですね。ただ、ご当地ネタになるのは、役者として恥ずかしいことで、大阪だからといって関西弁にするやり方はしないと思うんです。英語圏でもロンドン訛りやオーストラリア訛りがあったりするから、もし、どこかで方言を使えればドンドン使っていきたいですね。福田さんは何でも武器にさせてくれる方だから、武器にできるものは何でも武器にして出し惜しみなく稽古に臨んでいきたいです。テレビのコント番組で何回か福田さんとご一緒させていただいたことがあって、リハーサルで、散々アドリブをやって大笑いするんですが、それがけっこう、ボツになったりもするんです(笑)。どのネタを使うかはうまいことチョイスをしてくれる方です。舞台でも映画でもドラマでも『笑い』にはすごくこだわっていらっしゃるので、福田さんを信じて一緒に作っていきたいですね」
――ノストラダムスには、『ミュージカル』という、数秒ごとに『レ・ミゼラブル』『シカゴ』『コーラスライン』『レント』など、有名ミュージカルの名シーンや踊りをパロディで織り込んで歌うビッグナンバーがあります。今作で最大の見せ場の一つですね。
橋本「ブロードウェイではドッカンドッカンと笑いが起こっていたそうですね。今回、全然受けなかったら、すべて僕のせいになってしまいますよね(笑)。僕はかつて、『レ・ミゼラブル』のジャン・バルジャン役をやっていましたから、その人間がパロディをする面白さはミュージカルファンにとっては見どころでもあると思います。でも、全くミュージカルを知らない人でも面白いように福田さんは考えると思います。ただ、ミュージカルをよく知っているほうが楽しめるのは間違いないですね。今年の夏に、僕は新感線☆RS『メタルマクベス』disc1に出ていたんですが、シェイクスピアの『マクベス』を宮藤官九郎がアレンジしていて、シェイクスピアを読んだことがない人でも間違いなく楽しめる作品になっていたんです。だけど、知っているからこそ、クドカンが、『ここ、シェイクスピアにあえて突っ込んでるな』というセリフが分かったりして、マニアックな楽しみ方ができるんですよ」
――確かにそうですね。
橋本「知っていたら、より面白いと思いますし、商売根性たくましいみたいですが(笑)、リピートしたら新しい発見があって、尚、面白い。例えば、『レント』だと、分かりやすく、作品の一番有名な歌の部分を引用していたりするので、YouTubeで有名ミュージカルを見て、後から調べ直すのも楽しいと思います。登場人物のニックとその弟のナイジェルという名前もシェイクスピアの作品(『真夏の夜の夢』)から取っているんですよね」
――そうですね。ポーシャなど、ほかの登場人物の名前もシェイクスピアから来ています。シェイクスピアやミュージカルを知れば知るほど楽しめますね。橋本さんとしては、観劇前に少しでもリサーチしてくることをおすすめしますか。
橋本「いや、僕はミュージカルを見たことがない人にも、ミュージカルはいいな、面白いなというのが伝わればいいと思います。だから日本で上演する意味もある。僕は『ミュージカル』というビッグナンバーを歌いますが、分からない人にどれだけ楽しんでもらえるか、それは役者の仕事でもあるんです。リピーターになれば、よりいいですが、絶対数からして、『この歌、聞いたことある』という人のほうが少ないと思います。それを覚悟した上で、ミュージカルはこんなにも素晴らしくて、楽しいものだよと伝えたいですね」
――ブロードウェイ版のこのシーンでは、ノストラダムスのタップダンスもありました。日本版では変わるかも知れませんが、橋本さんのダンスも拝見したいところです。
橋本「僕、タップは踏んだことがないんですよ。膝があんまりよくなくて(笑)。チャレンジの一つにはしたいと思っています。役者として踊るミュージカルにはあまり出ていないので、ついに山場がやって来ました(笑)」
――『アダムス・ファミリー』では、タンゴを踊られていましたよね。
橋本「そうでした、踊っていましたね。あれはでも、タンゴ風ですよ(笑)。魂で踊るしかない。『俺はタンゴを踊っているんだ』という気合いです。『アダムス・ファミリー』のときは、踊りよりも〝アミーバ〟〝ンニャッ〟とか、掛け声のほうが大きかったんです(笑)。自分が踊りで行き詰まったときは声の大きさでごまかしていたんです(笑)」
――ノストラダムスのダンスも魂で踊ると(笑)。
橋本「笑えたらいいですよね。笑えるものに持っていこうとは思っています。物語の設定はルネサンス時代で、芝居をやっている最中に、「歌い出す、踊り出す」というミュージカルに違和感がある時代なんです。踊りには〝すげえ!〟〝ハハハッ〟と二つあると思うんですよ。笑いに逃げるという意味ではないんですけれど、〝笑うほどすげえ〟と思わせたいですね。うさん臭い感じで、『コイツ、本当にタップ踏んでるの?踏んでないの?』と。でも気持ちはめっちゃタップ踏んでるみたいな(笑)。バカな大人が頑張ってんなと思ってもらえれば。真剣にやればやるほど価値のあるものになると思います」
――こんなおバカなミュージカルを、大人が真剣にやること自体が面白いですよね。
橋本「それが許される作品だと思いますね」
――ニックを中川晃教さん、シェイクスピアを西川貴教さんが演じられます。この二人の歌の対決はもちろん、ブロードウェイでは、それこそ〝笑うほどすごい〟タップダンスの対決もありました。日本版はどうなるのか、今からワクワクします。
橋本「西川さんと中川さんの対決を稽古場から見られるのは、役者というより一個人としてとても楽しみです。お二人とも何かを究めている。ミュージカルを超えた歌唱力があって、表現力も半端じゃないですよね。アッキー(中川)とは2回、舞台でご一緒したことがありますが、僕は本当にリスペクトしています。それこそ、ミュージカル『モーツァルト!』の歌にある『彼こそ音楽』ですよ。音楽と一体化していて自由自在に音を操れる。西川さんは共演したことがないんですが、僕の中ではCMの『消臭力』の人なので(笑)。冗談ではなく、あのワンフレーズを聞いただけで〝すげえこの人〟と思いますよね?ワンフレーズで人の心を動かせるなんて、声とパワーとエネルギーに満ち溢れた人だと思います。バラエティー番組でもいつもユーモアにあふれていて、同じ関西人として共感できるし、素直にすごいです。本当に楽しみですね」
――ところで、橋本さんは劇団☆新感線でデビューされて以来、いのうえひでのりさんをはじめ、蜷川幸雄さん、宮本亜門さん、ジョン・ケアードさん、マイケル・メイヤーさんなど、そうそうたる演出家と仕事をされてきました。稽古場では、演出家と話し合いながら作品を作っていくというスタンスなのでしょうか。
橋本「そうですね。僕は完全に作品は演出家のものだと思っています。役者は演出家が描くものに使われる絵の具だという意識です。僕は演出家と闘うことは一切しないですね」
――劇団☆新感線時代からその意識なのですか。
橋本「新感線がそうなんですよ。いのうえさんの作ったものに対して全く否定がないんです。いのうえさんが演者より演技が上手だったりするから、いのうえさんが演じてみせたものを僕らが自分なりにコピーするんです。姿形が違うので、それがいつの間にか橋本さとしのものになるという環境だったんです。新感線が僕の原点なんです。でも最初に蜷川さんに演出していただいたときは、『お前がやってきたことはここでは通用しないんだ。才能を見せろ』と怒鳴られましたね。新感線でやってきたことを大きく覆されたのは蜷川さんです。蜷川さんで本格的なシェイクスピアの世界観やスペクタクル感を培ってきましたね。色んな演出家と仕事をさせていただいたのは、役者冥利に尽きます。ミュージカルだけやっていると、ミュージカルの役者に偏ってしまう。僕は、かつては小劇団だった新感線から出てきて、様々な演出家と出会って、多彩なジャンルをやらせてもらった集約が、役者を30年間やってきた自分やと思うんです。自分にしか表せない表現もある。今回は、福田さんが僕の演技のバロメーターになってくれると思います」
――今年で役者生活30年を迎えられました。
橋本「もう52歳なのに、本当に舞台は怖くて、自信がないんですよ。大丈夫かなと初日は毎回思って、毎回逃げたいぐらいです。劇場にはだいたい、初日の3日前に入るのですが、舞台に入る前日は、必ずルーティンのように訪れる感情があって、『あと1週間ください』と願っています。そのぐらいプレッシャーがあり、劇場に向かう勇気がなかなか湧いてこない。30年やっていてもいまだに初心ですね。初心で小心者(笑)。でも、小心者の自分だからこそ、お客さんを目の前にしたときに、バーンって閉じていた目が開かれるんじゃないかなと思います。僕は自分の実力じゃなくて、常にお客さんの力があって、それが偶然のエネルギーとして生まれ、舞台で発揮できていると思っています。僕はいまだに人前に立つのが怖くて緊張する。『なんで、こんな仕事やってるんやろな』と思いますけど、自分で自分をすげえと思える場所が舞台の上だけなんです。それ以外の自分には否定的ですから」
――それは驚きです。
橋本「経験して覚えたことは、自分の器の中では絶対ダメなものでも、お客さんが絶対に僕をのせてくれる。お客さんがエネルギーをくれる。そのためには、稽古で自分の中で100%出来上がっていないと、本番には臨めないです。100%というのは、役者にとっては最低のアベレージやから、あと数パーセントが必要です。その数パーセントを与えてくれるのがお客さんです。だから、答えは幕が上がらないと毎回出ないんです。『サムシング・ロッテン!』はブロードウェイでも好評だったし、面白い作品には違いないです。でも、ノストラダムスという役は僕の中で、幕が開がるまで答えは出ないですね。自分の中で答えを探し求めるのが稽古であるし、幕が上がったときにこれっ!ていう答えが出る。答えは絶対に、間違いなくお客さんが楽しめるキャラクターになっているかにかかっています。そのために、頑張って稽古で100%に持っていくんです」
――本番では200%ぐらいの勢いでしょうか。
橋本「もう、200%いけたら最高ですよね。だいたい出るのは102~3%ぐらいです(笑)」
――2%しか増えない(笑)。
橋本「でも、その2か3%がとても重要なんです」
――なるほど、そうですか。たったではなくて、その僅かな差を出すのが大変なのですね。
橋本「そうですね。99.9999%は僕にとっては失敗なんです。とにかく、僅かでもいいから100%以上を出したい」
――ところで、話は変わりますが、橋本さんはシェイクスピアと同じ誕生日だそうですね。
橋本「僕の自慢です。意外と誰も知らないんですけど(笑)」
――この間まで、新感線☆RS『メタルマクベス』disc1に主演されていましたし、数々のシェイクスピア作品を経験されてきて、いかがですか。
橋本「シェイクスピア作品に挑むときはいつも覚悟ですね。シェイクスピアのセリフは英語圏の人でも謎めいていたりする。解釈の仕方が様々だからこそ、現代にも成立する。よく見ると、男女の関係や権力欲、人間のさまざまな滑稽さなど、普遍的なものを扱っているんですよね。シェイクスピアの悲劇と喜劇を経験して、人間の中にある感情は昔から変わらないんだなと思いました。シェイクスピアの美しいセリフを、どれだけ分かりやすく現代のお客さんに伝えるかというのは闘いであり、覚悟を決めないと、立ち向かっていけない。もう、セリフを入れるのは大変なんですよ。でも入ってしまったときの快感といったらないです。その中で、一言一句丁寧に言うんではなく、捨て台詞も必要なんだなと。ここを立てれば、必ずあそこのセリフが伝わるというのがあるんです。セリフに尾ひれがくっついていたり、詩的であったりするんですが、詩の部分は、後からお客さんがジワジワくるもので、まず、届けないといけないキーになる言葉がある。シェイクスピアは毎回、スリリングですね」
――身体にセリフを入れたら、ずっと残っていて忘れないものですか。
橋本「それは、ぶっちゃけ、年齢とともに(笑)。昔とは違って、舞台が終わったらスーッと抜けていくんですが(笑)、本番中は出てきますね。また、シェイクスピアはセリフが飛んだときに、僕ごときが作れるセリフではないんですよ。もし、シェイクスピアのセリフ回しのどこかが抜けて、何とかアドリブでつなげようとしても、どだい、無理な話です。セリフを入れこんで、完璧に表現しないとダメなんです。ほかの作品をやるときよりも、シェイクスピア作品はセリフを自分の言葉にできるように、常に反復していますね。散歩しているときでも、ブツブツと言いながら染み込ませています」
――数々のシェイクスピア作品を経験されていた観点から見て、『サムシング・ロッテン!』はどうですか。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」など、『ハムレット』の有名なセリフをはじめ、たくさんのシェイクスピアのセリフが飛び出します。
橋本「アメリカ人が解釈するシェイクスピアとイギリス人が解釈するシェイクスピアは同じ英語圏でも違うんです。シェイクスピアに対する思い入れも全く違う。ジョナサン・マンビィなど英国人の演出家たちと仕事をしたときは、皆、できるだけ、原作に戻そうとするんです。分からなかったら1行ずつディスカッションしていく。リストペクト感が半端ではない。シェイクスピア博士みたいな人たちです。でも、マイケル・メイヤーはアメリカ人で、登場人物がマリファナ吸っていたりして(笑)、『こんなことやっちゃっていいの?』ぐらいのアメリカンなシェイクスピアでした。彼が演出した『お気に召すまま』で、シェイクスピアの超有名なセリフ『この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ役者にすぎぬ』を僕が言ったんですが、スウィングジャズがバックだったんです(笑)」
――あれはスタイリッシュでかっこ良かったですね。
橋本「オシャレでしたよね。その大胆さがアメリカ人的な発想ですね。その中でも『サムシング・ロッテン!』は、アメリカよりの解釈じゃないですか。どこかシェイクスピアをパロディにしている。もちろん、リスペクトもしているんです。シェイクスピアに対して、〝おいっ!〟と突っ込んでいるような解釈の仕方なので。アメリカ風ですね」
――笑いにしつつ、リスペクトしている。
橋本「アメリカンのシェイクスピアのほうが観客はなじみやすいんではないですか。福田さんはミュージカルという概念を破壊しようとしているんですよね。そこはロックです。福田流ミュージカルです。福田さんはミュージカルが大好きで、その大好きなミュージカルを何か破壊したがっている。僕もミュージカル俳優ではない。小劇場が演劇の真骨頂という中で育ってきて、僕がミュージカルをやったら、例えば劇団四季さんとか、ミュージカルを勉強してきた方が表現するようなミュージカルではない。何か新しい表現を持っていけるのではないかということでミュージカルをやっているんです。福田さんはそれを許してくれるし、それを求める人だと思うんです。僕は誰もが思うミュージカルの違和感を、できるだけ面白おかしく削いでいきたいなと。芝居の途中で急に歌い出すのは、やっぱりファンタジーではないですか(笑)。どれだけシリアスなシーンでも、歌われるとちょっとさめるところがありますよね(笑)。そういうところをできるだけ研磨していって、セリフと歌の境目をなくしたいなと思います。『サムシング・ロッテン!』は急に歌い出すのが笑いにできる作品でもあるから、演じるほうも思いっきり楽しみたいです」
――『レ・ミゼラブル』のバルジャンという大役もされたのに、ミュージカル俳優ではないと感じられるのですね。
橋本「おこがましさもありますね。僕はいまだに音符も読めないんです。勘で歌っていたりだとか。感情が高まるときに歌というのは生まれてくるのだと思うし、感情が生まれて何かがコロッとチェンジする。ストレートプレイにしてもミュージカルにしても感情を表現する、言葉を伝えるのが僕の仕事です。また、ジャンルに縛られたくないというのもありますね。僕は、何何風で育ってきて、何何ごっこの延長線上にプロになったんですから。ミュージカルもストレートプレイも表現の一つです。これからも、ジャンルにとらわれず表現者であり続けたいですね」
取材・文/米満ゆうこ