稽古場に設けられた舞台の上には、椅子3脚と小さなベンチが一つ。この簡素な空間が、栗山民也が演出するフェデリコ・ガルシーア・ロルカ作『血の婚礼』の舞台、スペイン・アンダルシアの大地である。稽古開始の合図で、橙色のほのかな灯りが板張りの舞台を照らし、胸騒ぎを誘う効果音が鳴り響く。一気に遠い異国へと連れられたかのような雰囲気のなか、情熱の物語のプロローグが始まった。一人、二人……と出演者が舞台上に姿を現し、正面を見据える。レオナルド役の中山優馬、花婿役の宮崎秋人、花嫁役の伊東蒼、レオナルドの妻役の岡本玲。そして花嫁の父役の谷田歩、花婿の母役の秋山菜津子、さらにレオナルドの義母ほか多役を担う舩山智香子を始めとする、アンサンブルの柴田実奈、金井菜々、角川美紗。10名のキャストが一斉に足を踏み鳴らし、力強く歌い出す。沸き起こるのは、まるで小さな綻びから噴き出したかのような疑念、鬱憤、焦燥の匂い。これから始まる衝撃のドラマに否応なく吸引される、そんな強烈な幕開けだ。
流れのままに第一場へ、花婿とその母が結婚について語り合う。過去の因縁の憎悪を拭えない母は、息子の結婚相手が気に入らない。花嫁は、家族を殺めた一族であるレオナルドとかつて恋仲だったからだ。宮崎の明晰な声、端正な立ち姿が、母の心情を知りながらも覚悟を決めた花婿の誠実、清廉さを伝えてくる。母は不満を打ち払って笑顔で応対したかと思えば、豹変して耐えきれぬ思いを吐き出すなど、あまりの直情に息を飲まれる瞬間もしばしばだ。秋山の、艶のある低音ボイスから繰り出される強靭な表現に引き込まれずにはいられない。
第一場まででいったん稽古を止め、栗山と出演陣が向かい合い、確認のためのNOTEが始まった。真っ先に全員に向けて栗山が指摘したのは、プロローグのまさしく第一歩、舞台上に現れた時の歩き方、立ち方だ。“アンダルシアの灼熱の大地を歩き、その光景をしっかりと見つめる”イメージの大切さを、栗山が穏やかに、熱を込めて語る。中山、宮崎ら全員がその一言一言に頷きながら、真剣な表情で聴き入っていた。
第二場で展開するのは、レオナルドとその妻、義母によるこちらも不穏なやりとりである。妻子がいながらも満たされぬ日々を過ごし、花嫁の結婚話にかすかな動揺を見せるレオナルド、夫の様子に不幸な未来を感じて涙を流す妻、花嫁との過去を持ち出してレオナルドをいびる義母。焼けつく暑さのなかで、彼らの不協和音がゆっくりと高まっていく。中山の鍛えられた体躯、眼差しの強さにレオナルドの野性の魅力が匂い立ち、悲劇の始まりを予感させる。気丈に振る舞いながら胸の内で震え泣く、そんな妻の哀しみを岡本が繊細に表現。もどかしさをぶつけるように子守唄を歌う真っ直ぐな声が、稽古場に切なく響き渡った。第二幕のNOTEの後の休憩時間も、中山と岡本、栗山は舞台上へ。泣く妻をレオナルドが乱暴に抱き寄せるシーン、その動きを何度も確認していた。
稽古は第三場へ。花婿の母が息子とともに花嫁の家を訪れ、結婚話を進めていく。花嫁の父と花婿の母の慇懃無礼なやりとり、腹の探り合いの対話が、緊迫感を漂わせながらも妙に可笑しい。野卑な本性が見え隠れする父・谷田と、不信の固まりの強い視線が魅力的な母・秋山、手練れ同士による濃厚な一触即発がキャスト、スタッフの失笑を引き出していた。ついに登場の花嫁は、花婿やその母、父親の前では礼節をわきまえて終始神妙な表情だ。感情は抑えたまま、しっかりと相手を見つめる伊東の立ち姿が美しい。そして花嫁が一人になったその時、彼女の独白に気付かされるのだ。爆発寸前の強い自我、確かに内包している災いの火種……。“本当の自分”を語る花嫁の怒りと苛立ち、伊東の思い切りのいい全身表現が稽古場中の視線を奪う。
さあいよいよ次の場はレオナルドと花嫁が……!と高揚するも、その日の稽古はここで終了。実際に起こった事件をもとに書かれたという『血の婚礼』、悲劇の序章から激しく動悸を誘う展開に、この先の彼らの運命を見届けずにはいられないだろう。劇中では歌がふんだんに差し挟まれるが、それは歌というよりも、吐露する、念じる、訴える……といった、抑えようにも漏れてしまう人物たちの心の叫びである。
「演劇は、言葉によっていろんな風景を作り出さなきゃいけない。言葉にこだわらないとね」
演出家の静かな一言が、出演陣の胸に意欲の火を灯す。劇場で、魂を揺さぶるどんな光景を生み出してくれるだろうか。
取材・文:上野紀子
写真:中田智章
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