爍綽と vol.2『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』稽古場レポート

2025.01.22

1月29日(水)より浅草九劇にて爍綽とvol.2『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』が開幕する。

2022年夏初演の東京にこにこちゃん・萩田頌豊与による同名作を爍綽との新作公演として上演する本作は、世界的悲恋として演劇史に刻まれる『ロミオとジュリエット』をハッピーなホームドラマへと大変換する異例のドタバタ喜劇である。「ロミオとジュリエットが生きて家庭を築いていたなら」というifの世界を朝ドラさながらの明るさで彩るのは内田紅多(人間横丁)、海上学彦(グレアムズ)、佐久間麻由、清水みさと、高畑遊(ナカゴー)、土本燈子、てっぺい右利き(パ萬)、東野良平(劇団「地蔵中毒」)、吉増裕士(ナイロン100℃)、ブルー&スカイ。文字通り十人十色の個性溢れるキャストが縦横無尽に駆け回る稽古場の様子をレポートする。

稽古場レポート

「おはよう」から始まる、どこの家でもありそうなドタバタとした家族の画。稽古はそんな朝ドラのような風景から始まった。『ロミオとジュリエット』を原作とした作品とはとても思えない、しかし同時に、実に東京にこにこちゃん・萩田頌豊与作品らしい、賑やかな家庭の風景である。

朝の忙しなさに輪をかけるように飛び交う会話に次ぐ会話、と見せかけて、ボケに次ぐボケ。プロデュース公演でも萩田節の本領、比類なきボケ数は健在、どころかむしろ加速しているようにすら見える。そして、その加速をもろともしないキャスト陣の背負うエンジンのタフさと、各々個性の異なるチャーミングさが早くも垣間見えてくる。

爍綽と主宰であり、本公演の発起人である佐久間麻由演じるしっかり者で愛情深いジュリエット。佐久間のアクティブな人となりがそのまま役の魅力へと接続し、物語内外ともに支柱を担っていることがうかがえる登場シーンだ。ささやかなやりとりにこそ愛と魂を込める。そんな姿勢もまた本作のジュリエットの生き様に重なっていく。

そんなジュリエットの手を取る、ちょっぴりおバカだけどその明るさで家を温かく灯すロミオ。演じるのは、萩田作品二回目にしてすっかりその世界に馴染む海上学彦だ。コント師の顔も持つ海上ならではの軽やかなボケ具合は冒頭の重要なシーンでも一際輝く。体重を感じさせない笑いにこそ観客は身を任せられる。海上からはいつもそんなことを気付かされる。

二人の繰り広げる凸凹とした噛み合わなさがむしろカップルとしての歴史を物語っているようで、思わず頬が緩んでしまう。そう、これは世界的悲恋として後世に名を刻んだロミオとジュリエットのもう一つの物語。何かが違えばあったかもしれない、とある未来を描いたハッピーな喜劇なのだ。

朝ドラ顔負けのファミリー喜劇に不可欠なのは、やはり子どもたちの存在だろう。

息の合ったコンビネーションで小競り合いを展開するのは長男のペレッタと次女のマグノメリア。演じるのは、東京にこにこちゃん過去作でも可笑しく可愛らしい子どもを演じたてっぺい右利き土本燈子だ。お調子者なのに内弁慶なペレッタとたくましい小賢しさで親を味方につけるマグノメリア。どことなく『サザエさん』のカツオとワカメを彷彿させる、懐かしい昭和な小学生コンビの爆誕に思わず笑いが起きる。てっぺいの一度見たらたちまちクセになる佇まい、最年少である土本の引けを取らないオリジナリティ溢れる居方。喋っていなくてもつい目で追ってしまう二人の存在感もぜひ堪能してほしい。

その傍らで喜怒哀楽の感情をくるくると行き来するのが、思春期真っ只中の長女のミア。5年ぶりの舞台出演、そして萩田作品初参加の清水みさとが持ち前の豊かな表情と愛らしい所作で“お姉ちゃん”を好演する。この人が笑うと思わずうれしくなってしまう。そんな誰しもが持っているわけではない、愛される才能を清水は物語の中でも遺憾なく発揮する。ハイカロリーなコメディに添えられるやわらかさ。そんな魅力に視線を奪われる。

思春期をより思春期めいたものにするのはやはり恋と友情ではなかろうか。東野良平演じる面倒だけれど憎めない幼馴染のクルルと、内田紅多演じるマイペースで変わり者だけれど心許せる親友のトット。青春ならではの“いつメン感”が繰り広げられる登校シーンにも多くのボケとギャグが乱立するのだが、この二人の仕掛ける「笑い」にもやはり経験と技術がキラリと光る。それもそのはず。ここ数年小劇場から大劇場まで様々な舞台で存在感を発揮してきた東野は素っ頓狂な役どころの名主でもある。そして、内田は初舞台ながらお笑いでのキャリアとそこで培った感度を以て場を沸かせるコメディエンヌ。家族の外から家族をかき回す二人からも目が離せない。

と、ここまで読んだところで「ハッピーなホームドラマ」の「王道展開」を感じた人も多いのではなかろうか。しかし、安心してほしい。ここまではまだネタバレ以下、ほんのプロローグに過ぎないのだ。萩田は「喜劇」と「王道」を愛しながら、しかし、王道喜劇のままでは決して終わらせない劇作家である。そして、誰も辿ったことのない方法と道順で「ハッピーエンド」を目指す演出家なのである。

そのことを示す言葉や演出は語りきれないほどあるのだが、それこそをどうか劇場で見届けてほしい。ひとつ言えることがあるとするならば、残る3人の登場人物の異質さもまたその劇作のオリジナリティを担っている、ということである。

萩田の描く幼少期や子どもの姿はヘンテコで愛らしい。しかし大人もまたそうなのだ。ヘンテコな子どもは愛されて、変な大人は愛されないなんてことはあってはならない。萩田作品から私はいつもそんな登場人物への等しく愛情深い眼差しを、そして、マイノリティへの絶対的肯定を感じ取る。

そんなおかしな大人、愛すべき狂人たちを演じるのが高畑遊、ブルー&スカイ、吉増裕士の3人だ。家族でもなく、友人でもない。そんな立ち位置から家庭に絡んでいくこの3人は、ある意味家族の形を色濃く縁取る重要な存在である。だが、そこは萩田節。たとえ重要であろうともボケ倒す。なんなら、クライマックスこそボケ倒す。それが萩田の劇作家としての揺るがぬ信条なのだ。

ある秘密を抱えながら家族を見守るチューシーを演じるのが高畑遊。本作の初演から萩田作品に欠かさず出演してきた高畑は萩田の目指す世界観に寄り添い、時に周囲にそれを共有する、まさに座組の精神的支柱でもある。チューシーは、そんな高畑の懐の深さと頼もしさをそのまま当てがきしたような役どころ。小さいことは気にしない、気にしなすぎてむしろ周りが気にする。それでも我が道をゆく彼女の清々しさにきっと誰もが励まされる。そんな存在だ。

チューシーと同様に秘密を抱えつつ、秘密を抱えているとは到底思えぬ大胆な手口で家庭の内部へと侵入していくのがブルー&スカイ演じるゾイである。舞台上を歩くというよりも漂うような飄々とした存在感と、ひとたび話し始めたらみるみる術中にはまってしまう独特の語り口。ゾイのいるところだけ流れている時間や磁場が違うのではないかと思うほどのユニークさと自由さで文字通り家の奥深くまで潜り込む。その姿はまさに歩くナンセンス。そんなブルー&スカイの底知れぬ魅力をフルに堪能できる配役である。

そして、家族の秘密と物語のうねりを一身に背負っているのが、吉増裕士演じるモリアンである。吉増は複数の役を演じるが、いずれも素顔の見えにくい役どころと言っていいだろう。長きにわたってナンセンスと不条理劇を追求し続けてきた吉増だからこそ叶う演じ分け。瞬間最大風速のボケで大爆笑をさらったかと思うと、次の瞬間にはすっかり背中が冷えている。そんなコミカルとシリアスを器用かつ大胆に往来する姿には思わず感嘆が漏れる。数々の舞台作品で豊かなキャリアを築きながらも、稽古場では常に新しい表現を探る姿も印象的であった。

そんな可笑しくも愛らしい10人の登場人物たちのチャームを最大限に引き出すべく、萩田の演出にもみるみる力が入る。可笑しいをより可笑しく、愛らしいをさらに愛らしく。ふとした仕草や声色や間合いにも細やかな人物造形が忍ばされていく。瞬発的なアイデアを元に、その場で彩られていくセリフや演出。そして、それらにフレキシブルに、かつ倍返しで応答する俳優陣の技量。それらは本作の魅力と個性を底から支える最大の見どころと言っていいだろう。

「おはよう」から始まった、どこの家でもありそうなドタバタとした家族の画。何かが違えばあったかもしれない、ロミオとジュリエットのもう一つの物語。それらは果たしてどんなクライマックスへと駆け出していくのだろうか。

本作のキャッチコピーをたずねたとき、萩田はまっすぐとこう言った。

「手をつなぐまでの物語」。

悲劇から喜劇へ、夜から朝へ。歴史の中で離ればなれになってしまったままの手と手が再び結ばれるまでの時と歩みに思いを馳せる。新たに紡がれる『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・バルコニー!!』という物語とその結末を心して客席で、願わくば、手をのばせば届きそうなくらいの近さから見届けられたらと切に願う。

取材・文/丘田ミイ子