
ホラーのようで、コメディのようで、社会派のようで、エンタメのような、日本初演の話題作『ザ・ヒューマンズ―人間たち』。トニー賞の演劇作品賞をはじめ数々の賞に輝き、2021年には作家自らが監督を務めて映画化もされている、このスティーヴン・キャラムのヒット作を、劇作家・演出家であり個性派俳優としても注目を集めている桑原裕子の演出で上演する。
舞台はニューヨーク、マンハッタンの老朽化したアパート。感謝祭を祝うために集まった、ある家族の一夜の物語だ。彼らの会話から見えてくるのは貧困、老い、病気、愛の喪失への不安、宗教をめぐる対立などで、二階建ての舞台装置を行き来する登場人物たちを眺めているうちに、観客はまるで“ドールハウス”を観察しているような気持ちになっていきそうだ。
キャストは、長女でガールフレンドと別れたばかりで傷心の弁護士・エイミーを南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代が演じるのを始め、作曲家を目指す次女・ブリジットには青山美郷、その恋人・リチャードには細川 岳、認知症が進み車椅子生活を送る祖母・モモには稲川実代子、姉妹の母であるディアドラを増子倭文江、そして悪夢にうなされ不眠が続く父・エリックを平田 満という、演技派が顔を揃える。
この作品で父娘を演じる山崎と平田、そして演出を手がける桑原裕子に作品への想いを聞いた。
――まずは桑原さんに、『ザ・ヒューマンズ』というこの作品に感じた魅力についてお聞きしたいのですが。
桑原 この作品は家族劇の体裁を成していますけれども、実は人間が感じる不安という、ある意味、化物のようなものについてのお話だと私は思っているんです。私たちは常に内側にその怪物を抱えているんだけれども、それを表に出すことはほとんどありません。だからそれを演劇や映像で表現することは簡単ではないんだけれど、困難だからこそ挑戦することが面白い。もしこのお芝居をお客さんが自ら体験するような気持ちで観ていただけたなら、不安というものを感じる体感型アトラクションに取り込まれるような感覚になるかもしれません。
――アメリカの現代社会の縮図を描いているようだとも言われている戯曲ですが、かなり多くの日本人の観客の方々も共通して感じられる普遍的な部分がありそうですよね。
桑原 確かに、そうですね。登場人物はアメリカ、それもニューヨークの中流階級の人たちなので、知識的にわからないところもあるはずですが、その場で交わされている会話自体は充分に私たちと共通しています。最初、この戯曲を読んだ時に魅力に感じたのが、いわゆる翻訳劇っぽくないところだったんです。まず物語の舞台になる場所がニューヨークの中でもチャイナタウン、それも集合住宅だというところも日本における団地文化と近く感じるかもしれないし、上の階の住人に気を遣って生活したり、空気を読んで自分を抑えたりする日本人には理解できる箇所が多々あるように思います。次に今となっては時世的に慣れ始めてはいますけれども、かつて日本が豊かだった時代を知っている私たちとしては、どんどんいろいろなものが失われていく実感があって。戯曲を読むにつれそういう不安がひしひしと伝わって来たりします。また人ってちょっとイライラすることがあると不安で急に攻撃的になったりすることがありますよね。家族だとなおさら遠慮がない、そういうところもこの作品に細かく描かれていて。だからここで描かれている不安との向き合い方というのは、今まさに私たちが対面していることへの検証のようなところもあるんじゃないかなと思っています。
――平田さんと山崎さんは、この戯曲を読まれた時の感想はいかがでしたか。
平田 家族に関する会話という意味では、経験のない方は、ほとんどいらっしゃらないと思いますけれども、親子、あるいは夫婦、または兄弟姉妹との関係というものは典型的に見えたとしても、実際にはそれぞれの家族で価値観が違ったり関係性が違ったりしますよね。だからこの作品の中での家族をなんとかうまく描写することで、逆説的になりますが、みなさんのなかで思い当たる家族像、僕だったら父親を演じているわけですが、誰もが持っている感覚の部分に触れられたらいいなと思っています。
山崎 最初に台本を読んだ時は、一体どういうお話なのかな?と思いました。どういうことが起こっていて、どうなっていくのかが、ちょっとすぐにはわからなくて。特に大きな事件が起こるわけではないですし。先日、桑原さんにお会いしてお話を聞かせていただいたら、ようやく「ああ、そういう話やったんや」と思えるようにはなったんですけどね。きっと、読み合わせを経て役者が立体的に動くことによって、家族で抱えているものが見えてきて、会話のやりとりや、いろいろなことを取り繕ってるさまや、葛藤している姿を、覗き見してもらうみたいな感覚になるんだと思います。ですからはっきりと「これはこういう話です」と言える作品ではないんだな、と思いました。
――演出面では今回、どういうことを狙いにしようと考えていますか。
桑原 ちょうど今、美術プランを考えたり、翻訳家さんと打ち合わせしたりしているところなんですが、ここでもまたいろいろと発見があるんです。たとえば、台本を改めて読み直し、リビングにあたる場所をもう少し目立たせようかなと考えていると、リビングではさほど重要なことが行われていない時間帯に、二階の端の部屋でものすごく大事なことが行われていたりするんです。逆に、二階でエモーショナルなことが起きているからそちらにフォーカスを当てようとすると、下の階で誰かがジュースをひっくり返したりして、常に「こっちにも人がいますよ」と知らされるんですね。つまり、この作品は演出上、どこかにフォーカスしてもらうようにする従来のやり方では書かれていないんだということなんです。
――わかりやすくその部屋だけ明るくするとか、そういうことではないということですか。

桑原 そうです。だから注視するスポットは、あくまでもお客さんが選択できるように作らなきゃいけないと今回は思っています。「ここです、ここです」と誘導していくのも、もちろん演出の仕事なんですけどね。でも今回に限っては、どこを見てもいいという状態を前提に置きつつ、その上で自然とお客さんはどこに目をむけそうかということをキャストと一緒に探っていく作業になっていくのかな、と。あとこの作品って、途中で怪奇現象みたいなこともいろいろと起こるんです。だけど、どの現象も「なーんだ、ただの騒音か」って、たいしたことじゃないことがわかる瞬間はあるんだけど、それがわかったあとも何度も繰り返される現象が登場人物のストレスになって混乱して怯えてしまう。自分は今、一体何が不安なんだろう?と、更にもう一歩先にある心理的な不安に到達させるというこの作業は、ちょっと難しい挑戦になりそうだとも思っています。
――キャスティングに関しては、どんな方々を揃えられたのでしょうか。
桑原 まず、どこにでもいるし、どこにもいないというのが家族だと思うんですね。その、家族ならではの「あるある!」というやりとりが多いので、決して作り込んだ家族ではない当事者感をお客さんが自然に重ねることができるキャストにしたかったんです。あえて整理されていない感じがありながら、それでいてまとまった空気感もそのメンバーで出したいので、そういう意味ではそれぞれに個性がちゃんと強くある人たちがいいなと思いました。見た目は全然似ていなくても、似た空気感が出せるような力のある人たちに集まっていただけた、とも思っています。これは平田さんがおっしゃっていたんですが「従来の、いわゆる翻訳ものを頑張ってやりましたという風にしたくないよね」と。そして「あくまでも当事者として今、自分たちが生きてそこにいると表現できたら、きっとこれはものすごく面白くなる」と言ってくださったことが、私の中ですごく心に残っているんです。その当事者性をまさに出せる俳優さんたちが、今回は揃ったと思っています。
――平田さんと山崎さんは、今回のオファーを受けるにあたって一番ポイントになった点、魅力に感じた点はどういうところでしたか。
平田 まずは、登場人物が多くないところかな(笑)。
桑原 まさに、ミニマムな人数ですよね。
平田 そう。もはや、主役がいて端役がいて通行人みたいな人がいて、みたいなヒエラルキーがある作品は、もういいやというか。自分としては主役というより、むしろ通行人だけにスポットを当てるものだと面白いなと思う方なんですよ。そういう意味でもこの作品は、6人が6人それぞれにぐちゃぐちゃした関係性が絡んでいるので、そこも気に入りました。確かに、この戯曲は読みようが難しいんです。どうも、気が散ってしまうというか。
桑原 うんうん、わかります(笑)。
平田 別々の場所で同時に行われることもあるから「どっちなんだよ」って思うし(笑)。だからちょっとハードルは高いかもしれないけど、きっと稽古を重ねるに従って面白くなりそうだ、と思ったんです。これは僕の勘ですけどね。それと、ミステリアスなところも面白い。特に終盤は、なんだか普通の人間たちのドラマじゃないみたいな感覚になるというか、ちょっと宇宙的な感じさえする。そういうところで、新たな何かが発見できたらいいですよね。あるいは、そこで僕らだけでなくお客さんにも何か伝わるものがあったら、より面白く感じてもらえるんじゃないかと思います。
山崎 私はとにかく、台本を読むより前に今回は平田さんと桑原さんとご一緒できるということを聞いて、そこで即「あ、やりたいです!」って思ってしまいました。それと、私自身も登場人物が大勢出てくるお芝居だと、観る側の時も誰が何の役かわからなくなっちゃうことがあるんで(笑)、こういう家族だけでワンシチュエーションで、みたいな作品が好きです。そういう意味では、この作品はすごく見やすくていいなと思いました。だけど、それぞれに特殊な事情があったりするので、舞台上で実際にはどういう風に演じることになるのか、楽しみやなと思っています。
――ちなみに、お笑いや映像の仕事とも違う、演劇ならではの面白さはどういうところに感じられていますか。

山崎 何回も同じことをする、というのが演劇ならではかと思います。お笑いをやっている人たちって基本的に稽古ってほとんどしないんですね。1回か2回ぐらいで、あとはアドリブ。「この部分は本番でやるから」とローテンションで稽古をしておいて、本番で急にテンションを変えるみたいなことが多いんです。だから最初は演劇だと1カ月もかけて稽古をするんだということに戸惑いました。「えー、そんなにやるの?」って(笑)。
平田 ハハハ、でもそれは演劇人たちもみんな、きっとそう思ってますよ(笑)。
山崎 だけど何回も舞台のお仕事をやらせてもらっているうちに、演出家さんがみなさん素敵な方ばかりでいろいろなことを教えてもらえたりしていたので、1カ月の稽古は確かに必要なんやと思うようになりました。で、本番が始まってからも同じことをやる、というのは漫才でも同じ。毎回新鮮にやるというのは、やればやるほど難しいことなんだなと今もずっと思っています。でもやっぱり、その場でお客さんの空気を肌で感じられるというのは、お笑いも演劇も一緒だなという気がします。なんとなく、お客さんの反応を耳で、空気で、感じながら、自分のちょっとした間、みたいなものかもしれないけれど、その影響で変わってきたりもしますし。相手役の方の喋り方がちょっと変われば、こちらも変わりますし。そういうやりとりがナマで行われるところも、すごく面白いなと思っています。
――桑原さんは、山崎さんのたとえばどういうところに魅力を感じてキャスティングされたんでしょうか。
桑原 以前から映像で拝見するたび「この人が演技している姿をもっと見たいな」という気持ちがあったんです。なんだか微笑んでいるのに泣き出しそうに見えたり、内心ではムカついているのかなと思わせられたりして、内側を読めない感覚を駆り立てられる人だな、とずっと思っていました。それでいつかご一緒できたらなと頭の隅にはあったんです。でもそれとは別に、この戯曲を読んだ時、エイミーが父親と二人きりで喋るシーンがあって、そこってエイミーがすごく傷ついている場面なんですね。傷ついている娘をお父さんが慰めているところを読んでいて、不意に「ああ、これをしずちゃんで見てみたい!」と思ったんです。ふだんは、そういうボロボロになって崩れるような姿って、お笑いの世界では見せないわけじゃないですか。だからこそ、グラグラしている時には実際にどんな表情になるんだろうとか、ちょっと特別な感覚になるんじゃないかなとも思えて。その隠されている脆さや、逆にそういうところを抱えながらも奮い立とうとする強さ、そういう強さと弱さのバランスに、私はとても興味があるんです。それで、ぜひエイミー役はしずちゃんにお願いしたいなと思いました。
――平田さんとしては、現時点でこの父親役にどんな印象を持たれていますか。
平田 そこは桑原さんにお任せしていますので、演出次第でというところでもありますし、あと一緒に家族を演じる共演者の方々との兼ね合いもありますし。ですから、あらかじめこうだというのは難しいんですけどね、そもそも家族たちがギクシャクしている場面が多い戯曲なので(笑)。そこをうまく、というか面白くできればいいなとは思いますけれども。なにしろスーパーマンでもないし、特殊なお父さんでもないし。本当にそこらにいそうなお父さん、という意味合いにおいては親近感がありますので、自分のできる範囲で重なっていけたらいいなとは思っております。
――山崎さんは、エイミー役に関してどんなイメージを抱かれていますか?
山崎 自分自身もいろいろな問題を抱えていてすごく辛い状況の中、この家族のギクシャクしているところを何とかバランスを取ろうとしている存在なんだと思います。私にも姉と弟がいるんですけど、それぞれの役割ってやっぱり違うんですよね。決めたわけではないんだけど、家族って自然と、この人はこういう役割やから、こっちはそれをフォローする側に回ろうみたいなことができるというか。自分の家族の場合は、私はみんなの真ん中でバランスを取る役割になっていることが多いと思うので、そこはエイミーとちょっと重なる部分があるようにも思います。
――桑原さんとしては、お二人にそれぞれの役を演じてもらうにあたって期待していることは。
桑原 私はもともと、お二人にユーモアのセンスがとてもあると思っていまして、しかもどちらも「どうでしょうか、面白いでしょう?」というタイプではないというところに特に魅力を感じているんです。この物語も、誰かが「面白いことを言いますよ~」と言いながらお客さんのほうを向く瞬間はなくて。ただ家族を和ませようとして笑わせたりはするんだけれども、基本的にはお互いを気遣って過ごしているだけなんです。でも、瞬間的にそれがちょっと崩れることによって笑いが起きることって、よくあるじゃないですか。そういう意味では、お二人がストレートに笑いをやろうとしないところに私は期待をしているんですね。たとえばお父さんがいいことをしようとした時に、スルッと何か足元が崩れてしまう。たとえばお姉ちゃんとしてエイミーがみんなを落ち着かせるために言った皮肉な一言が、そんなに響くかね?というくらいに誰かには予想外に刺さる言葉になっていたりする。そういうところにちょっと面白みを感じさせる、そんな瞬間のお二人の立ち位置に期待している気持ちはあります。
――では、今回の舞台に向けての目標や成し遂げたいことなどがあれば教えてください。

平田 テーマなんて、そんな大きいことはまだ何も考えていません(笑)。ただ、この家族はみんなすごく頑張っているんですよね、というか足掻いているというか。そういう人たちの姿ってすごく好きだし、そういう部分を描くのならば僕も、それがたとえアメリカの話でも演じてみたいなと思ったわけです。自分だって、足掻いたり失敗したりすることはしょっちゅうですし、だからみんな揃って必死に足掻いてみることで、それが作品として作家さんやあるいは演出の桑原さんが求めるものとなったらいいな、と思います
山崎 私は、まずは台詞をきっちり早めに覚えたいと思います!
一同 (笑)
山崎 あとは先輩方についていけるように、その場の空気にちゃんと反応できるようにして、みなさんと力を合わせてこの舞台を作っていきたいです。
桑原 これって単なるホームドラマとかヒューマンドラマだと思っていると怪我するよ、みたいな作品だと思うんですよ(笑)。そう思いこんでいたとしたら、途中でおそらく「一体、自分は何を見せられているんだろう?」という気持ちになるはず。いつまで経っても、この先どう展開していくかがわからないし、起承転結もハッキリしないからひたすらジリジリするだろうし。で、そのジリジリこそが今回見てもらいたい体験なわけなので、そこはなんとか堪えて、その先のところまでお付き合いいただきたい。きっと、みなさんが予想していないところに連れていってくれるお話だと思います。「こういう話なんだ」と思っていたところから裏切られた、もう一歩先をいく面白さをぜひとも楽しんでほしいです。
取材・文 田中里津子
撮影 田中亜紀
ヘアメイク(平田 満)齊藤沙織



