
これまでも意欲作を送り出してきたNana Produceのvol.22『熱風』がまもなく幕を開ける。戯曲を手掛けたのは、演劇ユニット鵺的の主宰・劇作の高木登。夫婦と娘、妻の妹が同居する家族と、隣に越してきた夫婦によって、触れてはいけないような、でも誰もが持っているであろう心の暗部が綴られていく。演出は、高木作品の経験も豊富な寺十吾。そしてその繊細な芝居に、小出恵介が挑戦する。どんなものがあぶり出される作品になるのか。二人に語ってもらった。
──寺十さんはこれまでも、Nana Produceの作品を演出しておられますが、どんな特徴があると感じておられますか?
寺十 Nana Produceさんは幅広い作品を上演されていると思うんですけど、僕が演出した作品の傾向で言うと、僕が主宰している「tsumazuki no ishi」という劇団がわりと社会の陰とか底辺で生活している人たちの話を面白おかしく描いているところだったので、ここでも屈折した人たちが繰り広げるお話が比較的多かったですね。痛々しいんだけども、痛すぎて笑ってしまったり。最終的には何かしらの希望があったり。といっても、安易な希望ではなくて、絶望的かもしれないけれども次に進んでいこうという意志がほのかに垣間見えるというものですけど。
──小出さんは初めて参加されますが、どう感じておられますか?
小出 寺十さんが演出された『シェア』(20年)と『莫逆の犬』(21年)を映像で拝見しましたけど、どちらも衝撃的な(笑)。
寺十 そう(笑)。やっぱり社会の陰の部分とされている人たちの話でしたね。
小出 それは2作とも別の作家の方の作品だったんですけど、今回の作家の高木登さんが主宰されている演劇ユニット鵺的の『お前の血は汚れている』も拝見しました。高木さんは、鵺的とNana Produceとでは書かれるものが違ったりしますか?
寺十 高木くんはすべてあて書きで書いているので、鵺的でも外でも、そのとき集まった俳優さんで変わってくるんだと思います。僕もそれに合わせて演出する感じです。
──今回の『熱風』の戯曲については、まずどんな印象を持たれましたか?

寺十 実は今日やっと最後まで脚本が届いたばかりなので細かくは分析できていないんですけど。一見普通に見える家庭が、どんな努力で維持されているかということがわかる話になっています。その努力の仕方は千差万別なんでしょうけど、ここで描かれている家族はその究極にある感じがして。自分を殺しながら、人との関係に目をつぶりながら、いろんなことを黙認しながら生活している。しかもそれを一切表に出さない。ここまでして普通を保つか!?と思いますけど(笑)。そういう意味では、これ以上ないくらいキツい。
小出 そうですね。ある意味、地獄ですよね。
──その中で小出さんが演じられるのは、ある家族の隣に引っ越してきた夫婦。その隣家の妻が元カノだったというところから話が始まります。あて書きされたという広志についてはどう思われていますか?
小出 最初にあて書きとお聞きしたので、高木さんとお会いましょうかと僕から提案させていただいたんです。でも、実際に会ってということではなく、高木さんの中にある僕のイメージを膨らませて書かれるということだったので、どう書いてくださるんだろうなとワクワクしながら待っていたんですけど。見透かされたというか、いや実際の僕は見ていないわけですからどう言えばいいかわからないですけど、これ僕のどこから引っ張り出してきたんだ!?というようなことを感じなくはないといいますか。ちょっとゾクッと背筋が凍るような感覚がありました。
寺十 見透かすっていうときに、血管が全部見える人、骨が全部見える人、内臓が全部見える人と、たぶんその能力って違うと思うんだけど、高木くんは内臓を見る人かなと思います。そういう見透かし方をする。
小出 うわぁ、そうなんですね。寺十さんもあて書きされたことあるんですか。
寺十 ある。
小出 そのときもそういう感触があった。
寺十 うん。生活保護を受けているおじさんの役だったんだけど。惨めさもあれば怖さもあり、ねじれた愛情を持っているという感じでしたね。だから恥ずかしいですよ。こんな見方をしてたのかと思ってね。ただ、あて書きと聞かされて意識して力を入れてやると、意外ともっと普通にやってくれと言われるときもあるから。あまり意識しすぎないように、もらった役を楽しめばいいんだなって、楽しんで芝居していました。
小出 確かにそうですね。あくまでも役は役ですから、あまり自分に引っ張り込むのは良くないなと思いますし。僕はいつも、自分が役に近づいていくことで組み立てていきたいと思っているんです。
寺十 ご一緒するのは初めてですけど、ドラマで観ていたときからそうじゃないかなと思っていたら、やっぱり芝居に対して真摯な人でした。ちょうどいい距離感で、少しずつ間合いを詰めていく感じなのでありがたいですし。とにかく、芝居が好きだというのがすごく伝わってきて、それが好感が持てる好き度というのかな。エチュードやシアターゲームをしたときも、積極的に提案して率先してやってくれるので、俺も何かやらなきゃと思ってやったんだけど(笑)。そういう気持ちにさせてくれるまっすぐな好きさが、とてもいいなと思っています。
小出 僕も寺十さんを拝見していて、演劇に対して、すべての表現、芸術に対して、かなり純度が高い思いを持っていらっしゃるなというふうに感じています。そういうのって、言葉の端々や一挙手一投足に出ますから、それに誘われるように自分の体も動いている部分がかなりあって。すごく稽古場にいたくなる現場です。
──深めていく稽古はまだまだこれからでしょうけど、現段階で寺十さんからもらった言葉で印象に残っているものはありますか?

小出 急には出てこないですけど(笑)、僕、久々に稽古場でメモっていて。出てくる言葉がクリエイティブというかシャープなんです。
寺十 たぶん名言集的なものはないと思いますけど(笑)。何に向けてどのタイミングで言うかということにポイントを置いた言葉ですから。でも、なるべく言葉にするように努力はしています。感覚で伝えるのではなく。
小出 だから、すごく優しい演出家さんだなと感じます。流さず、ちゃんと止めて、丁寧に伝えようとしてくれるのは、やっぱり愛情であり優しさだと思うんです。僕のシーンはまだ始まったばかりですけど、ほかの共演者の方への演出を見ていても、演技を見てくださっているのがわかるので、俳優にとっては本当にありがたい贅沢な時間だと思います。
──寺十さんは俳優の芝居の何をご覧になっているんですか?
寺十 その人の体や心にあるもの、だと思います。言ってみれば気の流れというのかな。たとえば、セリフが滞っていたりすると、言いにくいんだな、なぜ言いにくいのかな、どこを風通し良くすると言いやすくなるのかなというふうに考えていくんですけど。それで言うと、気の流れとしか言いようがないかもしれないです。
小出 すごくいい表現ですね。
寺十 だから、観客として舞台を観に行っても、気の流れが渦巻くようにバーッと立ち上がって重なって、というふうになっていたら、すごく面白いなと感じるんです。
小出 しかもそれは、役としての気の流れであって、役者自身の個の気ではないんですよね。稽古でも、素になったときに寺十さんの指摘が入っているような気がします。役者ってどうしても、台本に書いてあるセリフ、ト書き、動きという点と点をつたうように演じてしまうんですけど、そうではなく、もう生理的に役の状態で呼吸して存在していればいいっていうことであって。それがそう簡単にはいかないんですけど。
──では、広志という役にはどういう気が必要になってきそうですか?この作品は普通を保つ努力をしている人を描いているということですけど、広志はどんな努力をすることになりそうでしょうか?
寺十 まだまだこれから考えていくことではありますけど、生きるために選ぶ方法というのが登場人物それぞれにあって、それは傍から見ればすごく卑屈でみっともなくてだらしなかったりするんだけれども、本人にとっては切実なもので。なんでそんなつまらない嘘をつくんだと思うけど、自分を少しでも保たせていたいという思いから身についた致し方ないものなんですよね。そういう意味で言うと、広志には広志の道理があって、広志が何を選択して何を諦めてどういうものに目をつぶるのか、一緒に考えながら広志を形作っていければいいなと思っています。ただ、それはひとりでできることではなく、相手との芝居で積み上がっていくものだったりするから、どういう人物になるのかは、周りが作ってくれるかもしれないですね。でも、広志を簡単に言うと、責任を取らない人たらしです。小出くんが、雰囲気といい、声の質といい、惹かれるものを持っているでしょう。それを広志は無駄に使っているんです(笑)。
小出 なるほど(笑)。広志は確かにそうですね。あと、本が全部出来上がる前に寺十さんが、「薄ぼんやりと何かいろいろなものが欠けた人間たちの集まりである」とおっしゃっていて。欠け方はそれぞれだけど、その薄ぼんやりと欠如したものを正当化したり指摘し合ったりする戦いが起こるという世界線が、この作品の軸になるのかなと思ったりしています。決してわかりやすい地獄ではないけれども、この見えにくく表現しにくいドラマを上手く形にしていければ、この作品の魅力が出るのかなと思いますし。それから、社会的な体裁というものや、家族を運営するとはどういうことなのかといったところを掘り下げていけるといいのかなと思っています。
──そして、寺十さんが最初におっしゃっていたように、それでも希望が見える
寺十 それぞれが生きるために選ぶ方法は、人から軽蔑されるものかもしれないけど、みんな多かれ少なかれ恥を忍んでそうやって生きている。生きるのは大変だけど、でも、そのすったもんだを笑ってもらえたら少しは救われるかなと思いますし。最後には家族の構造に変化が訪れる。その新しいものがこれからどうなっていくんだろうと、思いを馳せてもらえるように作れたらとは思っています。
小出 寺十さんはほかの作家さんの作品も演出されていますけど、高木さんの特色ってどこにあると感じますか。
寺十 何かを壊したり、何かから逃亡したり、七転八倒しながら、今じゃない、こんなふうじゃないものを探して、進化・変化していくということかな。
小出 そのプロセスを探る作品が多い。
寺十 そうですね。基本、破壊することが多いです。全部ダメにする(笑)。
小出 現状をまずボコボコにする(笑)。
寺十 そう。グチャグチャにして、そのグチャグチャにされた側から、あるいはグチャグチャにした側から、何が出てくるかということをやっている。でも、最近は少しやわらかくなってきたかな。そのやわらかくなった本を初めてもらったとき、これ面白いのかなと疑問に思ったんだけど、全体にやわらかくなった分、最後の毒がすごく効くの(笑)。
小出 緩急が強くなったんですね。
寺十 そうそう。過剰摂取じゃなくなって、毒がより突き刺さる。
──今回の『熱風』もやわらかい部類ですか?
寺十 今回はグニャグニャしているかな。箱の中身を当てるゲームで、手を入れた瞬間「うわっ」ってなるじゃない。
小出 イヤなやつだ(笑)。
寺十 そういうグニャっとする感じじゃないかなと思います。
──小出さんはこの高木さんの作風はお好きですか。そこにどう挑戦されたいですか?
小出 僕はすごく好きです。いわゆる二重構造というのでしょうか。表面的な会話の裏にそれぞれ何かを思っているというこの構造がカッコいいと思うんです。インテリジェンスの戦いというか、それぞれのセンスも出てくるので、観るのも本当に面白い。その分、演じるのは難しいですけど。とにかく、寺十さんについていって思い切りやりたいです。
インタビュー・文/大内弓子