
ⓒ木村塁
英国出身の劇作家アリスター・マクドウォールが手掛けた一人芝居『キャプテン・アメイジング』は、スーパーヒーローに扮する一人の男とその娘による「記憶」の物語。2013年の英国初演時に多くの称賛を浴びた今作が、近藤公園・田代万里生・松尾諭のトリプルキャストで日本初演を迎えます。ひとつの戯曲を、俳優三名×演出家一名×観客でそれぞれ立体化させることこそ、この企画の醍醐味と言えるでしょう。近藤・田代・松尾、演出の田中麻衣子による座談会では、時に賑やかに、時に真面目に、物語の奥深さを語ってくれました。
トリプルキャスト公演について
近藤 今回はトリプルキャストということで、舞台には一緒に立たないですけど、心強さもあります。
田代 早速ご飯に誘って頂きました。この後三人で行ってきます。
松尾 その席でどういうやり取りが起こるのか。みんなで足を引っ張り合うとか?
田代 (笑)。慰め合ったりしてね。
近藤 今日で袂を分かつかもしれない(笑)。
田代 これってどう稽古を進めます? 三人一緒ですか?
田中 基本的に別々ですけど、日によって変わる可能性もありますし、もしご希望あれば三人一緒に。
田代 じゃあ、結構個性が出るかも。
田中 かなり出ると思います。
近藤 良くも悪くも影響を受けざるを得ないから、それをどうするか? ですよね。
松尾 公園くんの稽古で笑いが起きたシーンでも、俺がやったら笑えない、とか。
田代 人によって成立する・しないもありますし。
田中 皆さん違う仕上がりが良いと思っていて。
稽古場でトライしたいこと
近藤 台本だけ読むと落語的だったりして、以前落語に挑戦させてもらったことがありますが、その時もすごく難しかった。なので、まず会話を成立させること自体がトライだと思います。
田代 稽古の段階では麻衣子さんがびっくりするようなサプライズを何度か持っていきたいです。良い意味で、予測不能こそが今作の魅力だと思っているので。
松尾 僕は翻訳ものに出演させて頂く機会が多く、難解な戯曲も多いのですが、そういう本は身体を一歩動かすだけで発見があったりするんですよ。本の解釈は自由ですし、僕は積極的にトライしたい人間なので、稽古場でも、できれば幕が開いてからも、トライできるといいですね。もちろん田中さんの許可を得て、ですけど。
田中 作家(アリスター・マクドウォール)も言っているのですが、「演劇は何でもできる」という側面があると思っていて、今それを強く実感しています。舞台上に役者が一人いるだけで、こんなにもドラマが巻き起こり、劇場で一緒に体験できる。お客さんと一対一の関係性ですから、群像劇より直接的と言えますし、ぜひ「何でもできる」にトライしたいです。
田代 これは(上演中に舞台上から)はけない?
田中 はい、はけないです。
松尾 そうすると体力勝負でもありますし、トライだらけですよ、今回。
田中 私は、やはり違うものが好きと言うか、例えばですけど、皆さんの実年齢と重なりたいと思っていて、原作で描かれる父親は皆さんより少し若い設定なので、そこから皆さんが経験している実年数を足して、その違いを見てもらいたいと考えています。更に言うと、シーンによってアドリブというか、全然違う言葉を発するような膨らませ方もあって良いかな? と。
松尾 みんな台本の解釈も違いますし、三者三様で良いってことですよね?
田中 はい、そうです。
松尾 なので、同じ本ですけど全く違う作品になると思います。解釈の幅が本当に広くて。
田代 余白だらけと言うか、明確に書かれていない。
松尾 終盤なんか特に…。
近藤 カオスですね(笑)。
三者三様が際立つ公演に
田中 割と短めの戯曲ですが、シーン数はそれなりにあって、演じる役も随時変わり、怒涛のように終わる可能性もあります。それがお客さんに伝わらないと大変なことになるので、使うべきシーンでしっかり時間を使い、伝える工夫をしないといけない。
近藤 どの役が喋っているかをどの程度分かりやすくするか? は、表現の選択肢が沢山あるし、演出にも関わってきますよね。
田中 仰る通りです。
松尾 一人だから、どうとでも動けるじゃないですか。
近藤 そうなんですよねぇ。
松尾 逆に動かない、なんてこともアリかな?同じ台詞を言ったとしても、絶対動き方が違いますよね。それだけで物語のエッセンスが変わってくる。
田代 本当にそう。
松尾 多分ですけど、お互いに稽古を見たくなくない?
近藤 見れば影響受けそうだし、どっちなんでしょうね。最初は「見たくない」と思ったけど、最近は「見るのもアリじゃないか」とも。
松尾 見ちゃうと、逆に「…あれはやらんとこ」みたいな。
近藤 そういう発見があるかもしれない。
田代 そうか。お二人はダブルキャストをあまりやられてないのですね。
近藤 全くないです。
松尾 全く全く。
田代 ダブルやトリプルキャストの稽古場では、人によって「見たくない方」もいらっしゃいます。
近藤 ですよね。
田代 僕はなるべく見るようにしていますが、この作品は特殊ですし、悩みますね…。スタートラインと、ボールを投げる弧の描き方が三人とも異なるので、チャプターイメージングと言いますか、全体像を把握する意味では見たいかも。
田中 稽古の進捗次第で「そろそろ(見ても・見せても)いいですよ」なんてことも。
近藤 そこは演出の範疇でもあるので、麻衣子さんに仕切って頂いて。
田代 見ない期間を経て、ある程度みんなの個性が出始めた頃に、ひとつの参考例として見せて頂くのはすごく楽しそう。
田中 ご希望制ですかね、お互いに。
近藤 希望制か〜。
松尾 見られたくないし、見たくないなぁ(笑)。
田中 見られたくない気持ちも分かります。
田代 個性を出す以前に、作品をしっかり成立させること自体が大変そう。
一人芝居の台本と向き合う
松尾 一人芝居はやったことある?
近藤 ないです。
田代 三人とも未知の世界。
松尾 ちょっと前にたまたま一人芝居を観たのよ。で、例えば一人で何役もやる時に、技巧的に表現すべきなのか、そうではなく、お客さんに伝わることを心掛けるのか、みたいな。
近藤 この本はリアルなシーンと漫画的なシーンが共存するから、それ次第でアプローチが変わってもいいのかな。
田代 なぜこのシーンがあるのだろう?というのがいっぱいあるんですよ。
田中 ありますよね(笑)。
松尾 これ、どれくらいで立ち(※立ち稽古に移行)ますか?
田中 人それぞれで良いと思います。
田代 そういう感じなんだ!
松尾 (台本を)全然覚えてないくせに「立ちたい」と言うかもしれない。
田代 覚えるの大変ですよね。普段なら台本にマーカー引いたりするけれど、そうすると全部引くことになる。
近藤 相手役も自分だから。
松尾 俺は普段ならマーカー引かないけど、今回は引こうかな。どの役の台詞か分からなくなりそう。
田代 色分けした方が分かり易いかも。
田中 確かに。
松尾 (台詞の頭に役名が)書いてないんですよ。
田代 あれ、なぜ書いてないのですか?
田中 わざとだと思います。おそらく、決めたくない。
松尾 お客さんが混乱してもいいや、位の感覚?
田中 おそらく。
近藤 先日観たサイモン・スティーヴンスの作品も役名の指定がなかったと聞きました。いま流行りなんですか?
田中 そうかもしれない。
松尾 翻訳の永田(景子)さんの注釈に「順番で言うと娘の台詞だけど、父親の台詞かもしれない」とあって、どういうこと!? と。
田中 夫婦の会話なども、どちらとも取れる箇所がかなりあって。
松尾 もしかすると記憶の中の会話かもしれない。そうするとどっちが喋ってもあまり関係なくなる。
近藤 そうなんですよね、その解釈がある。
作品全体から見えてくるもの
松尾 ラストとか、希望のない話のようにも受け取れて。
近藤 最初に読んだ時は「残酷だなぁ」と思いましたが、何度か読んでいくうちに「あ、そうでもないかも…」と。
松尾 ヒーロー像という、希望の象徴みたいなものがモチーフだから、明るく見えると同時に悲劇的でもある。それを表現する難しさ。実際にやってみないと分からないけれど。
田中 今日皆さんのお話を聞いて思ったのですが、やはり「記憶・思い出の物語」なのかも。思い出は生きていく力になる。内容自体は悲劇的ですが、あとはやり方次第と言いますか。
松尾 だから、観る人によって見え方が異なることが理想。
田代 結末が違って見える。
近藤 物語を空想する自由。人々は空想の世界に、救われたり、癒されてきた。そう解釈することもできます。スーパーヒーローは強い者。では「強さとは?」と考えた時に、例えば人に寄り添うことだとか、それを大切にしたいのに叶わないとか、そういう葛藤、苦悩を丁寧に掘っていけたら。
田代 あるシーンで登場人物が客席に語りかけるじゃないですか。そこまでが勝負と言うか、自分がどれだけこの物語を生きて、届けて、初めて客席に向かって語りかけた時、それをお客さまがどんな気持ちで聞くのか。そこがターニングポイントになり得ると考えています。
取材・文/園田喬し