
7月8日より武蔵野芸能劇場 小劇場にて、ロロ『校舎、ナイトクルージング』が開幕する。本作は作・演出を手がける三浦直之によって、2015年から2021年にかけて高校演劇の活性化を展望して創作された連作群像劇『いつ高(いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校)シリーズ』のvol.2。6月に上演された『いつだって窓際であたしたち』に次いで上演される、再演企画の第二弾である。
シリーズ完結から数年の時を経て「新たなまなざし」で展開される『いつ高シリーズ』を彩るのは、フルキャストオーディションによって選ばれた9名のキャストたち。『校舎、ナイトクルージング』には小川紗良、徐永行(ザジ・ズー/さるさる松井絵里/サンバーチャイチャイ)、竹内蓮(劇団スポーツ)、野口詩央(劇団かもめんたる)、古川路(TeXi’s)が出演する。
いつ高シリーズや本作の魅力、稽古で得た新たな実感、個性豊かな役柄を通じて感じていること…創作の余韻と開幕への熱気が滲む稽古場で、5名の俳優にそれぞれの“まなざし”を聞いた。
個性豊かな役柄に対するそれぞれの思いと実感

―まずは、出演が決まった時の心境や稽古を通じて感じたことからお聞かせ下さい。
野口 オーディション時に事前に共有されていた役には私が演じるおばけちゃんはなく、最後に「この役を読んで下さい」と言われたのがおばけちゃんだったんです。そんな経緯もあり、自分の中では役作りもほぼせず、最も素に近い状態で臨んだ役だったんですよ。実際におばけちゃんのセリフを口にしてみて、「無理しなくても自分の近いところにある役」という実感がすごくあったので、おばけちゃん役でオファーをいただけた時はすごく嬉しかったです。
古川 オーディションでは希望の配役にチェックを入れる部分があって、私はとくに希望を入れずに行きました。でも、いざ(逆)おとめという役柄が決まったら、周りの人から「ぴったり」とか「予想通り」と言われることが多くてびっくりしました。自分では分からなかったけど、側から見たらそう見えているのだなと思って…。一方で、自分には持っていないものを持っている役でもある気がしています。
徐 稽古場でみんなのシーンを見ていると、「登場人物とめっちゃ合ってる!」っていう実感を端々で感じます。バランスや関係性も含めて本当にギュッとした密度でハマっているんですよね。ロロの稽古場では序盤からみんなの反応も高くて、「ビシバシ稽古してるぞ」って感覚があり、そこに一生懸命食らいついているような感じです。
―竹内さんと小川さんは6月23日に終幕した『いつだって窓際であたしたち』に次いでの出演となります。同じ役を2作品にわたって演じる中で感じていることはありますか?
竹内 『いつだって窓際であたしたち』での将門はすでにみんなと友達だったけど、この作品でおばけちゃんと(逆)おとめという新たな登場人物と初めて出会うことを通して、将門の人との接し方がより色濃く出るんじゃないかなと思うんですよね。将門がどういう感覚で人と付き合っているのか。そういう視点を大切に、役への理解をより深めていきたいと思っています。
小川 私はvol.1のインタビューでも舞台の出演が8年ぶりというお話をしたのですが、3週間ほど二つの作品を横断して稽古をしてきた中で、ようやく自分の体が舞台の空気感に馴れてきた実感がありました。今はそこからさらに通し稽古にも突入、作品の世界そのものにも馴染んできた感じがしています。それぞれ独立したお話なのですが、時系列的にうっすら繋がっている部分もあるので、『いつだって窓際であたしたち』を観た方にも楽しんでもらえたら…。そうした繋ぎ役としても頑張っていけたらと思っています。

竹内 僕も二つの稽古が並行して進んでいくことによる相互作用みたいなものを感じています。どちらかの稽古をしている時だけだと気づけなかった側面を再発見していくような感覚があって、自分の演じる将門というキャラクターにもそれ以外のキャラクターにも様々な見え方があるんだなって改めて感じますね。上演順的にvol.1で感じたことをvol.2で活かす機会が多くはなるのですが、合同稽古があったりもするので、vol.2からvol.1へ還元できることも増えてきて、とても豊かだなと思っています。
いつ高シリーズにおける“ファンタジー”の魅力が凝縮した一作
―配役についてもお話を聞いていけたらと思いますが、それぞれの役どころにはどんな印象や魅力をお持ちですか?
徐 僕が演じる楽は、映画好きで映画の話になると周りが見えなくなるくらいお喋りになるんです。あるゾーンに入ったらとことん集中をする、一つのことに没頭ができる子だと思います。その感覚はわかりつつも、僕自身は周りの視線が結構気になったりもするので、この役に没頭すること自体が一つの挑戦だと思ったりもしますね。
野口 おばけちゃんはその名の通り幽霊で、年齢も年代も何もかもが不詳な漠然とした存在。他のキャラクターについてはセリフをヒントに好きなものや人物像が見えてくるんですけど、おばけちゃんはなかなか見えてこないんです。そういう意味でもとってもファンタジーなキャラクターなんですけど、その分「この子に何があったんだろう?」「生きていた時はどんな風景を見ていたのかな?」っていう想像が掻き立てられ、その余白を埋める楽しさがあります。
古川 私もいざ稽古をしてみて、ファンタジーなキャラクターだなという実感がより強くなりました。(逆)おとめもいわゆる演劇の嘘みたいなところで遊び尽くしていいキャラクターなのかもと感じています。内向と外向のバランスにおいても、自分自身の生理ではそうはならない部分があるんですよね。でも、通し稽古をして「ファンタジーってそういうことなのかも」って思ったりもして…。

野口 私は中学時代にあまり学校に馴染めなかったのですが、自分が当時見ていた風景とおばけちゃんの視点がふとリンクするシーンがあって、エモーショナルを感じたりもしました。この作品は「人を見つめる」という行為を通じて「見えないものを見ようとする」お話でもある気がしていて…。だから、見えない存在であるおばけちゃんとして、そういう感触やまなざしを大事にしながら演じたいなと思います。
古川 『いつだって窓際であたしたち』に比べて、『校舎、ナイトクルージング』の方がよりフィクション度が高いという特徴もあると思います。おばけちゃんという時空を越えたキャラクターも出てくるくらいなので(笑)。そういったファンタジー然とした部分を楽しみながらやっていきたいと思います。
小川 私もそう思います。この作品はいつ高シリーズの中でもとりわけファンタジーに振り切った作品ですよね。私自身もその世界観がすごく好きなんですけど、中でもおばけちゃんがみんなを巻き込んで暴れるシーンは楽しい!
野口 おばけちゃんは物語や登場人物たちを割とかき乱す役なのですが、その場を楽しんで自由な状態でいられることが許されている感触もあって、すごく居心地が良くて…。なので、「ここはこうしたい」みたいなのを考えすぎず、素直な感覚で楽しみたいなと思います。
徐 ファンタジーな役だけど、みなさんがすごく自然体で役を演じているのがすごいなって思います。僕はその感覚を手探りで見つけようとしている感じ…。「この先、楽は一体どうなっちゃうんだろう!」と思いながら…(笑)。
野口 私はむしろ、楽を見れば見るほど『いつだって窓際であたしたち』のどこかにもいたんじゃないかなって思うんですよ。そのくらい徐さんが自然に役に溶け込んでいて…。
小川 徐さんの魅力についてはこの間の稽古でも詩央ちゃんと話していたんですよね。天性の面白さというか、ありのままで楽にハマっていて、真似しようとしてもできない感じなんです。
徐 きゃあー!ありがとうございます。

―役柄の個性もさることながら、いつ高シリーズはそれぞれの多様な関係性も見どころの一つですよね。そこを作り上げる上で感じていることはありますか?
徐 楽と朝と将門は幼馴染という間柄なんですけど、それぞれが互いに影響しあっているというか、イメージ的にはやじろべえの重りみたいな感覚があって…。そこが上がったり下がったり、時にぴったり一緒の重さになる時もあって、そのあたりのバランスが役を通じてうまく描けたらいいなって思ったりしています。
小川 そうですよね。「3人」という単位って、2人と1人に分かれがちだったりもして、すごく難しいものだと思うんです。だけど、その上で三浦さんはその2:1の組み合わせを全パターン作ってくださっているから誰も浮かないというか、3人の中に1対1の関係性があることが伝わるんですよね。そういう瞬間を大切にひとつひとつのシーンや関係性を作っていきたいと思います。
竹内 あと、朝と楽の二人が恋人同士であることが周囲にすんなり受け入れられている感じもあって、将門が二人の中に入っても違和感がないというか、嫌な感じが全然しないんですよね。
小川 朝と楽は性格も好きなものも全然違う凸凹カップルなんですよ。でも、好きなものに対する熱とか集中度とか、そうした性質は似ていたりもするから、話題が一致した瞬間はすごく盛り上がるんだろうなと思ったりします。
竹内 うんうん。「波長が合う」ってこういうことなのかもって思ったりしています。2:1の多様な関係もたくさん描かれているけど、3人ならではの空気や時間が伝わるシーンもいっぱいあるので、この居心地の良いグルーヴ感をさらに高めていきたいなと思います。
野口 側から見ていてもそんな3人の関係性がすごく豊かで魅力的だなって思います!同時に、おばけちゃんと(逆)おとめという新登場のキャラクターが、夜の学校でどんな時間を過ごして、どんな気持ちでいたのかっていうことにも思いを馳せてもらえたら嬉しいなって思います。

「夜の学校」だからこそ描ける風景や感情を見つめて
―たしかに、夜の学校が舞台という点は『校舎、ナイトクルージング』の大きな特徴ですよね。
野口 夜の学校が舞台っていうだけで、めちゃくちゃワクワクしますよね。多くの人が経験されてきたお昼の学校の風景にはノスタルジーを感じてもらえると思うんですけど、夜の学校はファンタジーの中にあるノスタルジーなんじゃないかなと思うんです。経験してなくても、不思議と切なくなったり、懐かしくなるというか…。「夜の学校がこんな素敵な世界だったら私も冒険に繰り出していたかもな」と思ったりもします(笑)。
竹内 すごいわかります! 僕も「なんで行ったこともないのに、夜の学校ってこんなにも魅力的で、ノスタルジーに刺さってくるんだろう」と思いながら稽古をしています。『校舎、ナイトクルージング』というタイトルだけでも、「何が起こるんだ!」ってワクワクがすごくありますよね。
徐 僕は、(逆)おとめの夜の学校での過ごし方にグッときているんですよね。昼の学校には行けないけど、夜の学校には行けて、録音した昼休みの音を再生して追体験する。その姿になんとも言えない感情になります。(逆)おとめがそこまでして昼休みを体験したくなる理由を考えたりもさせられます。『いつだって窓際であたしたち』で昼休みの尊さを感じてから『校舎、ナイトクルージング』を観ると、より迫るものがあるような気もします。
古川 (逆)おとめは「人がいない校舎で人の声だけを再生して作り上げる昼休み」を大事にしているのだと思うんですよね。「誰も介在できない」という絶対条件があるところに安全を感じているというか、そういうセーフティな状態だからこそ、昼休みの追体験を楽しめている。頑張ってお昼に学校に行っても、こういう体験には絶対ならないと思うんです。
徐 うんうん。そうですよね。
古川 「昼に学校に行けないからこれをしている」っていう部分もあるけど、「これができるから夜には学校に来ることができる」という因果関係が逆転しているような部分もあるんじゃないかなと感じます。そこに偶然3人が現れることによって、たまたまそのことにフォーカスが当たったというか…。いずれにしても、この夜の時間は(逆)おとめがその高校生活においてすごく楽しく過ごせている瞬間なんだろうなって思うんですよね。

―夜の学校だからこそ見えてくる風景や、辿り着ける人々の思い。そうした本作ならではの“まなざし”が感じられるお話です。
竹内 (逆)おとめと将門のやりとりの中で、「(逆)おとめがシューマイがどんな人なのか気になって聞いてくる」という描写があるんですよ。それで顔写真を見せようとした時に(逆)おとめが言うあるセリフがすごく良くて…。古川さんが丁寧に言語化されていたこととも通じるシーンなので、是非楽しみに見届けていただけたらと思います!
野口 あと、固有名詞が沢山出てくるんですけど、今回は再演ということで令和版の固有名詞も増えていて、それらが効果的に使われているところもロロの演劇やいつ高シリーズの個性だなって思います。ただ出てくるだけじゃなくて、登場人物を救っていたり、形作っている“バイブル”であることが伝わるような登場の仕方なんですよね。そこをあえて出すことによって、作品や人物の解像度が上がる部分が魅力的だなって思います。
小川 「ファンタジーであること」に対して、「固有名詞が飛び交うこと」が現実とのバランスを絶妙にとっているような感じもありますよね。
野口・竹内 たしかに!
小川 その固有名詞を知らない人がいたとしても、教室って「誰かは知っていて、誰かは知らない会話」が飛び交う場所でもあるから、お客さんにもそういったリアルな空気感が感じてもらえるようにできていると思うんです。あと、いつ高シリーズではキャストみんなで劇中に登場した固有名詞を説明した脚注を作っているので、終演後は是非それも併せて作品の世界観や余韻を楽しんでもらえたらと思います!

インタビュー・文/丘田ミイ子
写真/ロロ制作部
稽古場写真/Yuki Kikuchi