桃尻犬『瀬戸内の小さな蟲使い』劇評

2025.07.07

撮影/塚田史香

『地上50メートル、人間の「小ささ」という眺望』/丘田ミイ子

2年前に観た演劇の劇評を書くとなった時、「さすがにどんな演劇だったか、事細かには覚えていないぞ」となるのがごく自然な感触である。しかし、2023年6月に下北沢OFF ・OFFシアターにて上演された桃尻犬『瀬戸内の小さな蟲使い』(作・演出:野田慈伸)のことはあまりに鮮明に覚えていて自分でも驚いた。冒頭の風景、その後のハイテンポな会話の応酬、そして、後半にかけての予想外の展開…。どれをとっても観劇当時の具体的な感触がありありと思い出される。それは何というか、「記憶が残っている」というよりも、「体が覚えている」という感覚が近い。私にとって本作はそれだけ強烈な劇体験、いやアトラクション体験だった。

物語の舞台は、兵庫県のとある寂れた遊園地。フリーフォールアトラクションの頂上から瀬戸内海を臨む宮崎(片桐美穂)と道夫(鈴鹿通儀)の姿がある。恋人同士のなんてことのない日常会話から幕が開けたか、と思いきや、状況はその実とんでもない超非日常にあった。乗車中に突如機械のアクシンデントが発生、二人はかれこれこの宙ぶらりんの状態で5時間もの間、地上50メートルに取り残されていたのである。おそらく最初はその事態に周囲も乗客もひとしきり騒いだはずであるが、一定の時間が経過したことによって現場は膠着状態に突入、緊急事態にもある種の慣れが生じ始めていた。そんな中、悠長に瀬戸内海を眺望する道夫に対し、宮崎は「なんで、遊園地じゃなくて実家に連れていってくれなかったのだ」と怒りをぶつける。二人は東京で同棲していたのだが、道夫が「仕事を辞めて実家の家業である“蟲使い”を継ぐから付いてきてほしい」と言い出したがために一緒にきたものの、道夫に結婚の意思はなく、その煮え切らなさに痺れを切らした宮崎は、別れを考えあぐねているようだった。そんな二人の痴話喧嘩に割って入るのが隣の乗客、奇妙な馴れ初めの果てに現在はともにパン屋を営むまゆ(橋爪未萠里)と咲(中尾ちひろ)である。「あんた、それはないわ」と恋愛リアリティショーのコメンテーターよろしく、道夫の言動が男としていかに酷く、その器がどれだけ小さいかを怒涛のごとくまくし立てる。そんな二人に気圧されながらも、妙に納得してしまう宮崎と、ただでさえ逃げ場のない上空でますます立場のなくなっていく道夫。そんな4人を中心にした会話がしばらく展開するのだが、実はその横にはもう一人の乗客・前田(てっぺい右利き)がおり、彼もまた彼なりの不安と焦燥を抱えながら、静かにその様子を見ていたのだった。時を同じくして、地上では遊園地のスタッフ・山本(伊与勢我無)と機械の作業員・ともき(野田慈伸)がアトラクションの復旧に奔走するが、地上ではなす術がなく、シート裏に設置されているらしい安全装置を手動に切り替え、半ば強制的にフォールさせることを試みる。突如、現実味を帯びる「死」の可能性を前に、7人それぞれの本音が溢れ出し…。

と、ここまでが前半の第一部、劇中でこそその運転は停止しているが、まさにフリーフォールでいうところの「上昇」と言っていい。関西弁で畳み掛けるボケとノリ、そしてツッコミ。関西出身の橋爪、中尾、鈴鹿の緩急極めた物言いが実に清々しく、そのけたたましさに戸惑う片桐とてっぺいの表情がまた雄弁であり、ミニマムにとどめた舞台美術の中で、その状況の可笑しさが俳優のやりとりのみで客席にもまざまざと伝わってくる。会話のテンポの良さもさることながら、言葉が重なっていく毎に、それぞれの人物造形や背景の情報が徐々に詳らかになっていき、飽きる暇なく引き込まれていく。俳優陣の技量に裏付けされた怒涛の畳み掛けのみで、「緊張」と「緩和」を往来する特異な情景を浮かび上がらせる見事なアトラクション活劇である。

しかしながら、本作は文字通りその後の急転直下によって、さらなる物語のうねりを見せつける。フリーフォールはフォールを終えたらそこで終了だが、本作はそこからの第二章で一層にドライブがかかっていくのだ。タイトルにもある「蟲使い」という聞き慣れない家業の秘密、宮崎と道夫の恋の行く末、そして、それらの思いもよらぬ余波が、より思いもよらぬところに押し寄せ、やがてその結末は静かに、しかし鮮烈に予想不可能な場所へと辿り着く。フリーフォールでの会話劇に忍ばされたあらゆる伏線が、想像を越える形で回収されていくこの様相こそが本作の、そして、劇作家・野田慈伸の本領だろう。上昇から下降、そしてさらに再上昇と、まさしく制御不能な劇世界。徹頭徹尾スピードを落とすことなく、しかし細やかに張り巡らされた回路の設計によって、観客を華麗に裏切るその展開はまさにそれそのものが80分のアトラクション、いや、もはや『瀬戸内の小さな蟲使い』という一つのワンダーランドとして成立している。観劇を終えた後、ようやく地上に降りることができたような妙な浮遊感に襲われ、やや覚束ない足取りで劇場を後にしながらそんなことを思った。

観劇から2年が経った今改めて、この物語のテーマは一体なんだったのかを考える。そして、それはやはり「小ささ」であったように思う。どの瞬間を切り取っても、本作には道夫という男の小ささ、みみっちさが隙間なく差し込まれていた。そして、その「小ささ」こそが、我々人間の等身大の姿でもある気がしてならない。ノミの心臓、蚊の鳴くような声、飛んで火に入る夏の虫…虫にまつわる諺に人間の小心さや頼りなさ、横着さが擬えられることは多々あるが、果たして虫そのものよりも人間が偉大かと言われたら、甚だ疑問である。もし、何かしらの呪いによって、ある日突然虫の姿に変えられたとして、私たちは虫よりも長く、たくましく生きられるだろうか。フランツ・カフカの『変身』にあるような巨大な虫ではなく、人間の手でいとも容易く握り潰せる程の小さな虫である。例えば、フリーフォールがフォール直前で止まった時なんかにその心は試されるのかもしれない。そこから見下ろす来場客は虫のように小さいが、地上から見上げられる乗客もまた虫のように小さい。虫がよく、弱虫な道夫の姿にふと自分の「小ささ」をも重ねながら、私もまた下降のその時を今か今かと虫の息で待つ他なかった。地上50メートル、そこにはただ、人間の「小ささ」という眺望があるのみである。

文/丘田ミイ子

上演記録

桃尻犬本公演「瀬戸内の小さな蟲使い」

作・演出:
野田慈伸

出演:
伊与勢我無(ナイロン100℃)、片桐美穂、鈴鹿通儀、てっぺい右利き(パ萬)、中尾ちひろ(おなかポンポンショー)、橋爪未萠里、野田慈伸

日程・会場:
2023年6月21日(水)~28日(水)東京・下北沢OFF・OFFシアター

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※配信期間:公開中~7月20日(日)まで