海外招聘公演『鼻血―The Nosebleed―』|アヤ・オガワ インタビュー

撮影:阿部章仁

ニューヨーク・ブルックリンを拠点に活躍している、劇作家・演出家・パフォーマーのアヤ・オガワによる自伝的作品『鼻血―The Nosebleed―』が、11月に新国立劇場小劇場にて招聘公演として上演される。「失敗」をテーマに、亡くなった父親との複雑な関係を描いた本作は、2021年にニューヨークのジャパン・ソサエティにてワールドプレミアを迎えた後、これまで米国ツアーを行うなど各地で公演を重ね、22年にはオフブロードウェイなどで上演された優れた舞台に与えられるオビー賞を受賞した。 

文化や世代間のギャップ、親子の関係性などを独創的に描いた本作を、自身のルーツである日本で上演することについて、作・演出・出演のアヤ・オガワに話を聞いた。

──まず、この作品が生まれた背景を教えてください。

2015年に『Ludic Proxy』という作品を発表しました。この作品は当時の私が抱えていた非常に複雑な感情を描いたものでしたが、ある批評家が劇評記事で「failure(失敗)」だと書いたんです。それはやはりショックでしたし、「あれ? なんで失敗なんだろう?」と考え始めて、「結局、失敗とは何なのだろう?」という考えに入っていきました。作品を創り始めようというときに、いつも第一歩として、スタジオにコラボレーターを呼んで実験的なことを行うのですが、次の作品ではこの「失敗」について話し合うことにしました。

集まった仲間たちに失敗談を提供してもらい、その物語を演じてみよう、という実験でしたが、その話を提供した本人が演じるのではなく、別の人がナレーターになったり、当事者を演じたりすることで、当事者と物語をずらしていく、というやり方をしてみたんです。それによって当事者が、物語と自分との間に距離を持つことができ、自分の失敗に対してもっと温かい視点を持つことができたり、今まで抱えていた失敗の気持ちが解消されたりする様子がうかがえました。このやり方をすることで、作品を通して「失敗」を癒すことができるんじゃないかな、という目的が非常にはっきりしました。

じゃあ私の人生の中の大きな失敗は何だろう、と考えたところ、亡くなって10年以上経つ父のことが思い浮かびました。「私は自分の父親に対して温かい気持ちを持っていなかったな、これって失敗だよね」と思ったんです。じゃあ父について書こう、と思って書き始めたら、スラスラと1ヶ月ほどで台本が書き上がりました。完成した台本を初めて稽古場で仲間に渡す時に、内容は個人的な話だし、しかも自分の醜い部分も入っているから、本当に申し訳ない気持ちで「ごめんね」と言いながら渡しました。

──台本を渡した時、皆さんからはどんなリアクションがありましたか。

みんなすごく私を大事にしてくれている人たちなので、私の役を演じるということに責任を感じたのだと思います。「アヤの動きや喋り方に近づけて演じればいいの?」と聞かれたので、「そうじゃなくて、みんなそれぞれ自分を出して欲しい。それがこの作品の“アヤ”になるから」ということを伝えました。

“The Nosebleed”ワシントンD.C.公演 ©️ DJ Corey Photography

──本作は、テーマは「失敗」であったり、父親の死を描いていたり、シリアスな面も大きいですが、ユーモアが随所に見られて、それによって見やすくなっている印象です。

笑いってすごく大事だなと思うんですよね。この作品は、笑いとシリアスが同時に起きているようなシーンが多いと思うんです。逆に笑いが無いと、そこまでシリアスな部分に目を向ける力が(観客から)うまれてこないかもしれない。笑いがあるからこそできることがあるんだと思います。

──もしお父様がこの作品を見たら、何とおっしゃると思いますか。

うーん……どうだろう(笑)。この作品のプレミアが2021年にジャパン・ソサエティで上演されたとき、私のことを以前からずっと応援してくれていた、ジャパン・ソサエティの芸術監督の塩谷陽子さんが、「He will be so proud of you.(お父さんはきっとあなたのことを誇りに思うでしょう)」と言ってくださったんです。

私は、父がもし生きていてこれを見たらどんな感情を持つのだろう、とは考えてみたこともありませんでした。でも彼女がそう言ってくれて、ちょっと不思議な気持ちになったんです。というのも、私は父に誇りに思って欲しくて作ったわけではなかったし、父の良くない部分も含めて複雑なところを出しているつもりだったので、そんなふうに思ってもらえると想像していなかったんですね。やはり今現在から過去を振り返る、という距離があるからこそ、父のことを一人の人間として見つめられたところはあったと思います。

──タイトルが『鼻血』となった経緯を教えてください。

最初に書き上げた時は『Failure Sandwich』、つまり『失敗サンド』というタイトルだったのですが、2019年に招かれた演劇祭のプロデューサーから「タイトルを考え直した方がいい」と言われました。「タイトルに『失敗』という言葉を入れない方がいい」と。それは多分、日本でも言われることかどうかわかりませんが、アメリカだとセリフの中で「眠いね」とか「長いね」とか言わない方がいい、と言われることがあって、「作品の中でそんなことを言われると、観客は(作品を)長く感じる」ということなんです。それと同じような発想で、タイトルに「失敗」と入れない方がいい、ということだと思います。

そこからタイトルを色々考えたとき、やっぱり私としては、中盤の「鼻血が出る」というカオスの場面をターニングポイントに話が大きく変わるんです。前半は過去の話で、「現在」とは距離のある話を描いているのですが、その鼻血がきっかけで、「過去」と「現在」の距離がどんどん縮まってくるんですね。親と私と子ども、全部を繋ぐ“血”が流れている、しかもその血は“鼻血”という形で出てくる。鼻血というものは、誰にでも普通にあることで、決して特別なことではないですよね。それによって結ばれている、という思いをテーマにしているので、『鼻血』というタイトルにしました。

撮影:阿部章仁

──作中で鼻血を出した息子さんは、もう大きくなられたと思いますが、本作を見てどんなことをお話しされていますか。

初演の時は9歳くらいで、作品で描かれているのは4~5歳ぐらいの時だったから、最初のうちは「なんで僕をそんなバカみたいな感じに表すの? 僕、そんなふうじゃないよ」と怒っていました。でも、何年も繰り返して見ているうちに、「ママの成功は全て僕のおかげ」「この作品は僕の話だから、そのことを忘れないで」みたいに言われるようになりました(笑)。

──本作は息子さんに伝えたい、というメッセージも込められているのではないでしょうか。

もちろんそれもあります。そもそもなぜこの作品を作ったか、という理由の一つに、移民として日本からアメリカに渡った当時の私には、「自分の文化的なアイデンティティを大事にするんだよ」ということを言ってくれる人が誰もいなかったんです。だから当時は、アメリカの文化にとにかく入らないとダメだ、という圧力しか感じなかったので、自分が日本人であること、アジア人であることが、すごく嫌だったんです。そういう思いを子供には絶対させたくない、自分のアイデンティティ、自分の歴史を知ること、それが自分の力になるということを知ってもらいたい。環境によって自分のアイデンティティは変わるけれど、変わることがダメだとか弱いとかではなくて、変わることを意識すればそれは自分の力になるんだ、ということを子供に伝えたいと思っています。

──観客は作品を見ながら自分と重ねるところもあって、結果的にアヤさんの物語が自分の物語にもなる、という作りになっていると感じました。パフォーマーから観客に話しかけたり、観客を巻き込むような形になっている意図を教えてください。

観客の中には色々な人がいて、みんなそれぞれこの作品と向き合う距離感が違うと思うので、どうやってその距離を縮められるかということを考えたときに、観客の入り口を作ることがすごく重要だと思ったんです。それは、「アヤ」を演じるパフォーマーを複数人にした理由の一つでもあります。でも逆に、日本の観客はそのやり方をどう受け取るんだろう、という恐怖も今は感じています。

撮影:阿部章仁

──初演から公演を重ねて行く中で、観客との関係性に何か変化はあったのでしょうか。

カンパニーとして観客をどんどん信用できるようになっていると感じています。実は、最初のプレミア公演では、観客に失敗談を話してもらう、というくだりはなかったんです。次の年の公演で初めて、観客にも話をしてもらおう、ということになりました。冒頭の失敗談のところは、言うなれば作品の中に入るための“儀式”だと私は思っていて、作品全体は私の失敗がキャンバスになっているけれど、4人のパフォーマーはそれぞれ自分の失敗談を提供するという儀式を通して作品の中に踏み入れることができる。それだったら、観客からも1人募ってその儀式をやってもらうことで、一緒に作品に入り込む、というような仕組みにしようと。だから、毎回違う形にはなりますが大事な瞬間だと思っています。

──今回、翻訳上演ではなくアメリカのプロダクションをそのまま持って来るというのも、ひとつポイントなのかなと思います。

この作品は日本語で上演するのは難しいと思います。4人のパフォーマーのアイデンティティがすごく大事ですし、その4人と私との距離、重なる部分と重ならない部分がすごく大事なので、日本人の俳優を使って日本語で演じても、根本的なところが違ってしまうんじゃないかと思います。

──日本公演に向けて、何かブラッシュアップしたりプラスしたりする部分は考えていますか。

私も一応日本語が話せますし、塚田さおりさんはアメリカ生まれの日本育ちで彼女も日本語がしゃべれるので、日本語を話す部分を増やすのか、これから考えていこうと思います。この作品はアメリカでやる時もそうですが、観客と出会って初めてフルに完成する作品なんです。だから、日本公演も実際に観客の前でやるまでは、どうなるのか予想できないですね。そこがとても楽しみです。

――日本の観客へのメッセージをお願いします。

私としては、どなたでも作品の世界に飛び込みやすいような作品を作っているつもりです。だから舞台を見たことがない方もすごく楽しめて、意義のある観劇体験になると思うので、オープンハートで見に来てほしいです。

取材・文:久田絢子