舞台『賢治島探検記』|西本由香×石橋徹郎×多田直人 インタビュー

舞台『賢治島探検記』は、「劇場がなくとも、美術や照明がなくとも、いつでもどこでも上演可能な芝居を」というコンセプトの下、演劇集団キャラメルボックスの成井豊が宮沢賢治の童話の数々を原案に描いた作品で、2002 年の初演以来、再演、再再演と進化を遂げながら上演されてきた。宮沢賢治生誕130 年となる2026 年に、文学座と演劇集団キャラメルボックスのコラボレーションで『賢治島探検記2026』として新たな演出で上演される。
なぜこの2つの劇団がコラボレーションすることになったのか、演出の西本由香(文学座)と、出演者の石橋徹郎(文学座)と多田直人(演劇集団キャラメルボックス)に話を聞いた。

──まずは、このコラボレーションが実現した経緯と、決まった時の心境を教えてください。

西本:プロデューサーの木村さんが『賢治島探検記』を以前ご覧になって、いつでもどこでも上演できる作品で、「どんな時でもエンターテイメントが必要だ」という作品のコンセプトに共感されてこの企画が立ち上がりました。今回は本作をさらに広げていきたいということで、キャラメルボックスと文学座という組み合わせでやってみてはどうかという話になりました。普段はあまり混じり合わない2劇団といいますか、なかなか出会いにくい組み合わせであえて上演することによって、もう一つ大きな輪に広げていきたいというのがコラボレーションに至った経緯です。文学座で芝居を作っている時、ある種内側に密に閉じたエネルギーがあって、それはそれですごく密度の濃いものができるのですが、固まってしまう部分があると感じているので、そこをもう一つ突き破れるような出会いになるのではないかな、とお話をいただいたときに思いました。

多田:僕は、文学座さんとのコラボレーションと聞いた時に、いまいちピンとこなかったんです。というのも、石橋さんがキャラメルボックスに何度も客演されていたので、石橋さんを通して文学座さんのことを知ったつもりになっていたんですね。でも待てよ、と。そういえば今までの交流や会話を振り返ってみると、どうやら石橋徹郎という人は文学座の中において、かなり異端な存在であると。

石橋:(笑)。

多田:なので、今回ようやく文学座さんのことを本当に感じられる企画をやらせていただけるんだな、と時間が経つにつれてどんどん楽しみになってきているという感じです。

石橋:僕はこれまで成井さんの演出作品には6回参加させていただいて、なんとなくキャラメルボックスと文学座は、色で言えば反対色的な印象があります。でも同時に、それが補色の関係になれば、これは面白い色合いになるだろうな、と思いました。稽古の過程で、根になる部分や幹になる部分を徹底的に掘り下げていって、それにちゃんと基づいた作品作りをしていけば、いろんな色彩の面白い花が咲くと思うので、そうなることを願っています。

──石橋さんと多田さんは何度か共演されているということで、お互いどのような印象を抱いていらっしゃるのかお聞かせください。

多田:石橋さんとはキャラメルボックスの『無伴奏ソナタ』という作品で初めて共演して、その後再演されるたびに共演できる機会をいただきました。だから、役の関係性もあって、一言で「先輩」ということでもないし、「師匠」というほど別に師匠でもないし……(笑)。

石橋:そりゃそうだ(笑)。

多田:でもすごく自分にとっては、大きな存在であることには間違いないんです。それを何と呼んだらいいのか、良い名称がなかなか思い浮かばないのですが。石橋さんはライブ感のある芝居をされる方だとずっと思っています。それゆえに舞台の上でしっかり生きて存在している俳優さんなんです。よく「俳優は舞台の上で生きるのが仕事」と言われますが、きっと俳優はみんなその境地を目指しているけれども、言うは易く行うは難しなんですよ。石橋さんはその境地に達している俳優の一人なのではないかと僕は思っています。

石橋:全然達してないよ……(笑)。

多田:達していないですか? じゃ、訂正で!

石橋:訂正してください(笑)。

多田:(笑)。でも本当に、僕は目指すべき先輩俳優さんの一人だと思っています。

石橋:多田くんは、こういうことを言ってくれる優しい人なんですよ。出会った最初の頃は、とっつきづらい雰囲気もあったんですよ。シャイな様子を少し見せてみたり。

多田:見せてみたり、って(笑)。

石橋:実際シャイなのかどうかは未だにわからないのですが(笑)、だんだん付き合いが長くなってきて、今の印象としては、すごく可愛らしい人という感じですかね。綺麗な人だなと思うこともあります。ちょっとした仕草とか、ちょっとした話す内容とか、物事に対しての感覚が可愛らしいし、綺麗なんですよね。それがそのまま舞台に出ていると思います。

──西本さんにはぜひお二人の印象を伺いたいのですが、多田さんとは今回初めてなのですね。

西本:多田さんはすごく集中力がある俳優さんだとうかがっていて、実際に演技を拝見してすごく納得しました。石橋さんのおっしゃった「綺麗な人」という話は、スッと純度が高くお芝居に入っていかれる方だという印象があるので、そういうところなのかな、と思いながら聞いていました。これからご一緒できることに、すごくワクワクかつドキドキしています。石橋さんは、一言でいうとロマンチストです。

多田:分かります!

石橋:恥ずかしいじゃないか(笑)!

西本:でも実は、石橋さんとは同じ劇団にいて数々の現場を共にしているのですが、演出と出演者という立場でご一緒するのは初めてなんです。だからすごく新鮮な気持ちです。

──みなさんそれぞれ、ご自分の劇団の特色をどう感じていらっしゃるのか、そしてそれを今回のコラボレーションでどのように生かしていきたいか、お聞かせください。

石橋:文学座の良いところは、今現在劇団に所属している人もいるし、既に文学座を通り過ぎていった人もいて、そうやって大勢の人が通ったということですかね。最近はコミュニケーションが非常にデリケートになってきていて、伝えることが少し難しいと感じる瞬間も多くなってきましたけれども、文学座はとても語り合う劇団なので、劇団を通った多くの人たちが長い年月の中で重ねてきた語り合いによって蓄積された「叡智」があるというのは、良いところかなと思います。

西本:芝居には「開いた芝居」と「閉じた芝居」というものがあって、根本的なスタンスとして、文学座の芝居はどちらかというと閉じていく傾向があり、キャラメルボックスの芝居はむしろ開いていく傾向がある、ということは成井さんともお話しをしました。開いた芝居というのは、お客さんに対して演じて見せることで客席との関係を築いていくというものです。そういう意味ですごく対照的な部分があるなと思います。文学座で芝居を作っていても、もう一つお客さんに対してアプローチといいますか、「あなた見ていますよね、私たち演じていますよね」という、舞台と客席は地続きの世界なんだということを実感させる瞬間を生み出したい時があるんです。今回も、ある種開いた芝居を作る部分と、閉じた芝居を作る部分、その対照的な部分がお互いに良い刺激になりうるのではないかと期待しています。

多田:自分の劇団の良さとして僕が感じるのは、みんなホスピタリティとサービス精神を持って演技をしているところです。とにかくお客さんを楽しませよう、そしてすごくおこがましい言い方ですが、感動させよう、という強い気持ちでやっています。キャラメルボックスは、「ここは泣いて。ここは笑って」と、どんどんお客さんを引っ張っていくんです。そのためには舞台上で強いエネルギーが必要とされるので、うちの劇団の良さというか特徴はそのパワーなんだと思います。

──この作品自体の魅力については、どのようにとらえていらっしゃいますか。

西本:元々、震災を背景にして作られた作品なので、希望を見つけないとやっていられない状況とか、何も手がかりがない中で「でも物語だけはあるよ」という状況とか、そういったものが描かれている本だなと思います。宮沢賢治の童話自体がそうなのですが、この作品の登場人物は、人間の嫌らしさというか怖さがあって、それがちゃんとピックアップされていると思いました。その怖さと、それを俯瞰して包んでいる賢治の視点というものを両立できたら面白いし、このメンバーだったら実現できるのではないかと思っています。

石橋:キャラメルボックスの舞台は毎回非常に感動的な脚本で、今回の作品も、非常に大切なものを失った時、何もなくなった時にこそ気づける何かが描かれているのだと思います。今一緒に生きている仲間がいるということ、もしくは生きているというだけでなく、例えば宮沢賢治という魂は今もこうしてあるじゃないですか。作品があるし、僕たちがこうやって宮沢賢治について語っているということは、明らかに「在る」ということですよね。失ったからこそ気づく、というのは非常に残酷でグロテスクなんだけど、そこに気づけたら良いですし、それによってすべてが互いに親しみ合って、握手し合うものになれる。そんな作品だと思います。

多田:この作品が非常に秀逸だなと思う点は、宮沢賢治の作品をそのまま上演するのではなくて「今から宮沢賢治の作品を上演します」と、劇中で宣言する流れがあるんですよね。だからお客さんは劇中劇のような感覚で宮沢賢治の作品を観ることができるし、僕たちも劇中劇のような感覚で演じることができます。「これは演技ですよ、演劇ですよ」という世界観をお客さんにお届けすることによって、何でもありになるという自由度の高さが素晴らしいなと思います。あと、元々震災をきっかけに立ち上がった企画・作品なので、込められた思いといいますか、僕たちにはお芝居しかできなくて、だから劇場じゃなくてもどこでもやれるお芝居を作ったんですね。この作品を上演するとき、震災で苦しんだ人たちの思いと、その時に僕たちが感じていた思いと、今の僕たちの思いとが、ギュッと繋がっていくような感じがして、この作品をやる意味が今ここにあるんだ、と実感します。

──宮沢賢治の作品自体についてはどのようなイメージをお持ちですか。

西本:小学生の時に宮沢賢治の作品に初めて出会ったときは、実は苦手だったんですよ。なんだかよくわからない気持ち悪さというか、怖さがあって。この微妙な後味の悪さは何なんだ、と。その痛みというか、読んだ後に何か暗い気持ちが残る感じが当時は苦手でした。

石橋:わかるな~。

西本:大人になってから「銀河鉄道の夜」を最初に読んだ時にものすごく感動したんです。列車の座席にカンパネルラの姿が見えなくなった瞬間に思わず読んでいて声を上げたくらいの衝撃があって、それだけ繋がりがあった人間がふっと消えてしまう、でも消えてもそこにやはり「在る」という、宮沢賢治が書こうとしていることが私なりに伝わってきた感じがしました。銀河の星はそれぞれが孤独だけれども、それぞれに在ることを意識すれば、完全に一つになるわけではないけれど孤独ではないんじゃないかな、と。今回ピックアップされた他の作品たちとも向き合った時に、人間の弱さや怖さのようなものを糾弾するわけではなく、それも全部ひっくるめて「人間なんですよね」という大きな視点で描いている部分を感じたので、そこをうまく表現できたらと思っています。

石橋:徹底的に掘り下げるというか、人間の原初的なところからまず考え直してみるというところが、やはり力強さなのかなと思います。ギリシャ劇やシェイクスピアがいつまでも繰り返し上演される迫力のようなものが、宮沢賢治の作品にも実はあるのかもしれないな、と思ったりしました。あとはやはり、真剣味の強さのようなものがあると思います。「生きる」ということについて考える真剣味の深さが強く感じられるところが魅力なのかもしれません。

多田:宮沢賢治といえば、教科書にも載るような分かりやすさと、ファンタジーでコミカルなところ、ポップと言ってもいいかもしれません。そうかと思えば「銀河鉄道の夜」のように孤独や死生観を表していて、大人が読んでもハッとするような奥深さもあり、これらすべて備わっているところが、宮沢賢治の作品の魅力だと僕は思います。これを舞台で立ち上げようとする時に、色々な想像が膨らむんですよね。百人いたら百通りの「銀河鉄道の夜」のイメージがあるんじゃないでしょうか。非常に幅があって、遊び心があって、器の大きさを感じる中で、じゃあ僕たちは何を選択してどう表現するのか、という挑戦をさせてもらえるところも魅力の一つだと思っています。

──作品を楽しみに待っているお客様に向けてのメッセージをお願いします。

西本:宮沢賢治は、この世界の残酷さや汚い部分も描いていて、そうした暗い部分や辛い部分を全部ひっくるめて届けてくれる懐の大きな作家だと思っていて、そこが演劇と非常に相性の良い部分だと思っています。この厳しい世界の中で、存在していることが嬉しくなるような瞬間に劇場で出会っていただけたらなと思っています。

多田:コラボレーションは、やってみないと分からない部分もすごくあるので、不安や怖さのようなものもあるのですが、正直に言うと「うまくいかなくてもいいかな」とすら思っているところもあるんですよね。あんまりうまくいかなかったね、という結果の中にも「良かったね」を内包できる企画のような気がしているんです。だからぜひ、良かったか良くなかったかを皆さんの目で判断してください!

石橋:僕は、コラボレーション自体はうまくいくと思っています! その上で、大人になって体験する宮沢賢治の世界と、宮沢賢治を愛してやまない成井豊さんの言葉がすごく綺麗に親和しているので、まっすぐな綺麗な感動を得られる作品になると思います。ぜひ劇場に観にいらしてください。

取材・文/久田絢子