ある場所に杭を打ってどこまで遠くに行けるか試す。そんな話かもしれません。
所属する劇団モダンスイマーズが同年代の男優ばかりで(現在は女優も在籍)、彼らが活躍する作品を多く書いてきたことから“男芝居の蓬莱”と呼ばれていた劇作家、蓬莱竜太。この人に「女性だけの戯曲を書かないか」と持ちかけたのが、当時、新国立劇場の芸術監督だった栗山民也だった。それに応え、10代から70代までの女性6人にとっての妊娠を描いた『まほろば』で、蓬莱は岸田國士戯曲賞(2009年)を受賞する。そして栗山との4本目の仕事となった『母と惑星について、および自転する女たちの記憶』(17年)は、奔放な母と、母亡きあと旅をすることになった三人姉妹の物語だったのだが、鶴屋南北賞という大きな戯曲賞をまたもや蓬莱にもたらした。そして次女を演じた鈴木杏も、読売演劇大賞の最優秀女優賞を受賞。栗山✕蓬莱✕女たちが引き起こす奇跡は、新キャストを迎えた再演でどんな形を見せるだろう。
──蓬莱さんはあまり締切に遅れない劇作家なのに、この戯曲を書き上げるのに非常に苦労したと初演時にお聞きしています。その理由も含めて『母と惑星〜』を書いたスタート地点の話を教えていただけますか?
蓬莱「実はこの舞台をやると決まったのがかなり急で、スケジュールから言うと、何かの原作を翻案するという方向で、プロデューサーさんとの話は進みつつあったんです。でも演出が栗山さんということとキャストの一部が決まっていて、栗山さんから新作をという話があったんですね。で、僕が内容を決めかねている時に、『まほろば』の続編的な感覚で書いてみないかと言われたんです。でも僕自身にとってこの10年弱は、『まほろば』からどういうふうに離れていくかを考え続けた時間でもあったので、一気に難しい挑戦になりました」
──確かに『まほろば』は、蓬莱さんにとってイレギュラーな作品でしたから、あれが“劇作家の登竜門”である岸田戯曲賞を取ったことで、ご本人が戸惑ったのは理解できます。
蓬莱「そうなんです。出演者女性だけでしたし、栗山さんが長崎弁が大好きで、ぜひ長崎弁でというリクエストがあって、それもやっぱり『まほろば』に近付いていくわけで……。そうしてできていった枠を、自分なりにどう超えていくかに苦しみました。でも具体的にキャスティングが決まっていくにつれ、異国を放浪する三姉妹というイメージが自然と自分の中で湧き上がってきて、母を思いつつ知らない国を歩き回る三姉妹の話は、何かちょっとおもしろいんじゃないかと思ったんです。奔放な母親だったんだけれども、細かく答え合わせをした時に、それぞれ全く違う母親像が浮かび上がって来る、そういうことを体験する旅になったらいいなと思いまして。旅をすれば長崎という場所から離れられますし(笑)」
──姉妹の旅行先がイスタンブールというかなりエキゾチックな場所なのは、それぐらい長崎から離れたいという蓬莱さんの願望だったのでしょうか(笑)。
蓬莱「本能的にそうしたのかもしれないです(笑)」
──オープニングのシーンを鮮烈に覚えていますが、3人がある重いものを持って呆然とイスタンブールの道端に佇んでいるんですよね。あれももしかしたら、蓬莱さんの悩みのメタファーだった?
蓬莱「栗山さんと組む時って、ちょっと特殊というか、他の演出家の方とは違う感覚があるんです。栗山さんは演出をつける時にご自分でやって見せることが多いんですが、女性の真似がすごく上手いんですよ(笑)。僕はそれが大好きなんですけど、何となく栗山さんも、僕が描く女性像に出会った時に楽しそうな印象があって、そういう女性とまた出会わせたくなってしまう。ロードムービー的な設定で、コメディっぽい雰囲気で始まる話という、自分でもほとんど書いたことのないものを持ってきたのは、だからやっぱり、無意識のうちに栗山さんに引っ張り出されたアイデアなのかもしれません。『まほろば』の少し前から、僕は口語に近い書き方を意識していたんですが、それとはまた違う、フィクション度を少し上げたせりふ、戯曲を書くことにして、筆が進むとそれも楽しかったですし」
──4人中ふたりが新しくなった再演版ですが、まず、母親役のキムラ緑子さんについてお聞きしています。斉藤由貴さんとはまったく違うタイプなので、作品全体のイメージにも大きく影響しそうですね。
蓬莱「そう思います。僕のイメージで言うと。子どもにとって、こういう母だから仕方ないという感覚が、より強くなりそうですね。由貴さんの時は、母ではあるけれども未だに女性であり、未だに子どもでもあって、その軽さがある種のおもしろさにもなっていましたが、ドリさん(キムラ)の場合は、いよいよ笑えない母が誕生するんじゃないかという期待もしています」
──子どもにとってつらいことを天然でしていた初演の母より、わかっていて悪いことをしても笑顔を絶やさないような……。
蓬莱「強力ですよね。確信的に、自分の人生を優先する母みたいな。その分、娘たちは苦しいでしょうね。でも演劇としてはおもしろそうです」
──そして三女役の芳根京子さんですが。
蓬莱「相当エネルギーを消耗する役だと思うんですけど、芳根さんには楽しみを見出してもらえたと思います。実は、当て書きだったこともあって、俳優が変わったことで書き直しが必要になるかもしれないと思っていたんです。特に僕にとって俳優の声はとても大事で、せりふと合わない声だと言葉を変えたほうがいいだろうと。でも稽古を見学して、まったくその必要がなかった。すごく自然に芳根さんの三女役を受け止められました」
──続投の長女役・田畑智子さんと、この作品で大きな賞を獲った次女役の鈴木杏さんについても教えてください。
蓬莱「杏ちゃんは、とにかく演じるのが好きなんだというのが稽古を観ていてわかります。栗山さんのクリエイションに対して、更にその先を提示して、むしろ栗山さんがそっちのプランを使いたくなるような、そういうことに挑むのが好きなんですよね。だから今回もどんどん掛け算になっている。栗山さんの演出って理論的だから、そのままやっても成立するんです。でも杏ちゃんみたいな意識を持った役者がやることで、ものすごく広がっていく。智ちゃんも同じで、彼女が具体的にそういう考え方をしているかどうかはわからないですけど、演出家が要求してくるベースを成立させるスピードがすごく速い。そしてその先で悩んでいる。どちらも自分の芝居に対して“これでよし”ということがないので、息も合うし、この作品にとっては不動のふたりだと思います」
──印象的な長いタイトルの由来を教えてください。
蓬莱「僕としては、あくまでも仮のタイトルとして出していたものなんです。まさか正式に採用されるとは思いませんでした(笑)。母親を巡る娘たちの話を書こうと思った時に、なんとなく惑星同士みたいだと思ってつけたんです。芝居の中で母親は“自分はずっと飛べなかった”という不満を持っていますけど、娘たちからしたらものすごく浮遊しているように見えるし、まるで自分達の前を公転しているみたいな、そんなイメージです。それともうひとつ、この芝居を書く前ぐらいから、個人的に、自分の欠点を親のせいにするようにしていてですね(笑)。こういうふうに僕が同じ間違いを繰り返すのは、これはもう遺伝なんだ、DNAって怖いなと(笑)。そう思うと楽になることもありまして、便宜的にそう考えて自分の罪の重さを減らそうとしていたわけですけど、ある時、逆も起こるかもしれないと考えたんです。つまり“親がこういう人だから、自分が何をしでかすかわからない”と考えて、その延長線上で、家庭をつくることをためらうケースもあるだろうと。それで、そう考える女性を主人公にしたんです」
──なるほど。ただ、母と娘の関係だけに視界が絞られず、おっしゃるようにどこかユーモアがあり、風通しが良いのが大きな特徴ですね。
蓬莱「タイトルにありますけど、これ、記録の話なんですよね。芳根さんの役は、今から父になるであろう人に手紙という形で旅を記録する。杏ちゃんは旦那にラインという形で記録を残していいる。智ちゃんは仕事として手記を書いている。それが外に開かれた時間になって、風通しの良さを生んでいるのかもしれません」
──今の言葉を聞いて気が付きましたが、記録を遺すという作業は、過去を反芻しながら意識を未来に向けることですね。過去と未来を行き来することで、人間は現在を確認できるのかもしれません。
蓬莱「ああ、そうですね。彼女たちは長崎だったり母親だったりの引力をすごく感じていて、だから離れることに意味があるんですけど、結局、長崎に戻っていく。ある場所に杭を打って、どこまで遠くに行けるか試してみる。そうやって自分を確認したり再発見したりする。そういう芝居でもありますね。
インタビュー・文/徳永京子