12月25日(木)より東京・吉祥寺シアターにて上演される『零れ落ちて、朝』。これまでに、松山、京都、豊岡、仙台、豊橋、広島、三重で上演されてきた、世界劇団の代表作だ。グリム童話の『青髭』をモチーフに、医師たちの戦争犯罪である“生体解剖実験”を絡め、独自のナラティブで戦後日本の闇にメスを入れる。
世界劇団の主宰で作・演出を務める本坊由華⼦は、現役の医師でもある。自身の経験した違和感が、本作を作るきっかけとなった。作品ごとに俳優やスタッフを日本各地から招聘する、“拠点日本”のカンパニーの創作の裏側とは、いかなるものなのか。話を聞いた。
──『零れ落ちて、朝』がどういうところからスタートした作品なのか教えてください。
私の父は外科医なのですが、身近な彼の存在が大きく影響しています。外科医とは他人の身体にメスを入れることに関して、ある種、正当化されている職業ですよね。社会的に認められていて、誰もがこの状況を当然のこととして受け入れている。むしろどこか神格化されているようにすら感じる。でもよくよく考えてみると、倫理的にはマズいんじゃないかって思ったりするんです。私自身も学生時代や研修医時代に何度もオペ室に入ったことがあるのですが、かなり独特な空気が充満しているんですよね。密室空間で他人の身体にメスを入れ、皮膚や肉をさばいているあいだ、みんなの気分がいくらか高揚しているのを肌で感じていました。やがてあのときに感じたことを作品として昇華させようと考えたとき、『青髭』をモチーフにすることを思いつきました。それがこの作品のはじまりです。
──劇作家であり医師でもある、本坊さんならではの視座から立ち上がった作品なのだと。
そうかもしれません。オペ室内に漂う独特な高揚感は、もしかすると戦場における軍人の精神状態に近いものがあるかもしれない、とも思いました。だから外科医というある種の神格化された存在に対する懐疑心が、この作品の根底にはあります。そしてここで、太平洋戦争末期に起きた“九州大学生体解剖事件”を扱おうと考えました。捕虜である米兵を生きたまま解剖し、血液の代わりに海水を入れるなど、倫理観の崩壊した実験が行われた事件です。本作ではここにも言及しようと。
──本作は“激情のノンストップフィジカルシアター”と謳っていますが、実際にあった事件から着想を得ていますし、演劇作品として強度の高い物語があると感じています。戯曲を読んだかぎり、決して難しいわけではないなと。ご自身としてはいかがでしょう?
私の作劇スタイルとして、世界的な作品をモチーフにすることが多いんです。たとえば今回のようにグリム童話や、『かぐや姫』のようなおとぎ話、あるいは芥川龍之介の作品だとか。ありふれた物語を現代的な視点で演劇化するとどうなるか。いまの社会や歴史的な問題を扱うこともそうですが、ここにこそ関心があります。だから私が描く物語には、ふたつの軸があるんです。誰もが知る世界的な物語を語り直す軸と、社会的/歴史的な問題を扱う軸。『零れ落ちて、朝』に関しては、『青髭』がひとつの軸で、“九州大学生体解剖事件”がもうひとつの軸ですね。これらが表と裏として何度も入れ替わり、やがてふたつの世界が一体化していく。その過程で、私がオペ室で抱いた違和感や、外科医に対する懐疑心、医師倫理までをも描けたらなと。自分としてもうまく物語に昇華させられたと感じています。

──2023年の2月に松山での初演を迎え、それからこの3年弱のあいだに上演を繰り返していますね。
そうなんです。もちろん初演の時点で完成していましたが、はじめて東京で上演する今回までに、何度も改稿を重ねています。なのでこの期間、ずっと書いている感覚すらありますね。
──同じ座組で上演を続けるからこそ実現できる取り組み方ですね。
とはいえ、改稿すると演出プランに変更が出てくることだってあるし、俳優はセリフを覚え直さなければなりません。なのでとくに俳優には確認を取りますね。「変えてもいいですか?」って。というのも私が書く言葉って、かなり覚えづらいんですよ。たとえば現代口語劇であれば、会話の流れで覚えられるじゃないですか。でも世界劇団の作品はすべて激語体だし、多くのセリフがポエティックで、一つひとつが本坊の言葉。たしかに、『零れ落ちて、朝』に関しては同じ座組で上演していますが、世界劇団には劇団員がいないので、作品ごとにお声がけする俳優が変わります。私の書く言葉に慣れるのはみなさん大変なようです。

──そのいっぽうで、全体的に非常にリズミカルなのが本坊さんの作品の特徴だと思っています。観劇後、つい口ずさみたくなる言葉たち、というか。
リズムをすごく大切にしているので、そう受け取っていただけるのは嬉しいですね。言葉を並べることによって、どれだけ観客のみなさんのイマジネーションを刺激できるか。ここに重きを置いています。ひとつの言葉そのもので何かを訴えるのではなく、言葉の組み合わせによって新たに生まれる意味や、そこから膨らむイメージにはどんなものがあるのか。劇中で同じ言葉を反復させることでリズムが生まれますし、これによって観客の中には何かしらのイメージが蓄積されていく。演出も含めて、世界劇団の作品の特徴ですね。そもそもリズムに関しては、戯曲の執筆段階から重要な位置付けにあります。
──どういうことでしょうか?
じつは台本よりも先に、音楽が出来るんです。世界劇団の音楽は、2019年頃から音楽家のムー・テンジンさんにお願いしています。いつもプロットしかできていない段階でご相談し、やがてムーさんのイメージからいくつもの音楽が生まれます。そして私はこの音楽たちを聴きながら書き進めていくんです。だから世界劇団の作品には、あらかじめ音楽がある。もちろん、書いていく過程で具体的な演出イメージまで湧いてきたら、またムーさんに相談して曲調を変えていただいたりしますし、俳優との読み合わせを経て修正を加えていただくこともあります。俳優の声の周波数と音楽の周波数が被るとセリフが潰れてしまうので、上演に向けてこのあたりもブラッシュアップしていただきます。すると囁き声でもちゃんと客席に届く音楽が出来上がるんです。
──ムーさんの音楽なくして世界劇団の作品は誕生しない、ということですね。
まさに。そのとおりです。プロットをお渡しした時点で、これから作ろうとしているシーンのイメージをお伝えします。そして出来上がった曲を聴きながら一つひとつのシーンを書いていくので、どれもムーさんの音楽の影響を強く受けている。次のステップではこちらが書いたものに合わせて作り変えていただくので、一緒に創作しているともいえますね。音楽が俳優の動きや動線を決めることも多々ありますし、物語が転調するタイミングの目印となる“目印音”を作っていただいたり。世界劇団の創作に、なくてはらない存在です。

──先ほど触れたように本作は“フィジカルシアター”と銘打っているわけですが、パフォーミングアーツにおける身体表現への興味はどこに端を発しているのでしょうか?
カッチリと決められた振り付けを表現するのがあまり好きではなくて。だから本作ではコンタクト・インプロビゼーションを多用することにこだわっています。とくに冒頭では私を含めた3名の俳優が、お互いの身体や存在そのものに影響を受け合いながら動き続けるシーンがあります。3つの身体はやがて同質のものとなり、それは絶えず流動的に変化していく。これが『零れ落ちて、朝』の重要なコンセプトのひとつ。与えられた動きを実現することよりも、ある状況下における身体の状態に関心があるんですよね。
──身体の状態。
そうです。大きな負荷がかかっているときなど、この負荷に身体は抗えず、状態が変わってしまうものですよね。こういった状態を、いかにして作品の中で生み出すか。これを重視しています。
──現代口語劇などに見られる身体性とはまったく異なるものですね。
これはあくまでも観客としての立場からの発言ですが、現代口語劇に見られる所作は、どれも私たちの日常の範疇にあるものですよね。イスに座る、コップを持つ、水を飲む、とか。どれも私たちの身体がすでに知っている動きです。私が作品の中で立ち上げる身体性は、こうした日常生活の範疇から抜け出したい。あらかじめ決められた枠組みから自由になりたい。そんなことをいつも思っています。コンタクト・インプロビゼーションでは相手の動きは予測不能だし、相手の動きによって、こちらの動きも、ひいては身体の状態そのものも変化していく。すると自然と、発する言葉の質感も変わってくる。これがパフォーミングアーツにおける私の関心事です。
──身体への負荷のかけ方として、具体的にどのような手法を採用しているのでしょう?
この『零れ落ちて、朝』は、杉山至さんの手がける美術がすごいんですよ。客席からは分からないかと思うのですが、じつは床に角度がついていて、客席側の前方部分が上がっているんです。だから俳優は真っ直ぐに立つことができません。どうしても踏ん張るような体勢になってしまう。これだけでも大きな負荷がかかります。それからこの美術は床面が正方形ですが、端の部分はあえて低い強度で作られています。それも、体重をかけたら折れてしまうほどに。だから劇中では大胆な動きをたくさんしますが、どれも慎重さが求められます。私たちはこの美術の上に立っているだけで緊張を強いられるんです。

──美術にそのような設計が施されているとは。多角的なアプローチで身体に負荷をかけているんですね。
そのうえ頭上からは砂が降ってくる仕掛けがあるのですが、これはシンプルにしんどいですね(笑)。俳優の一つひとつの動作は強い意志がないと成立しないし、本番中は柔軟かつスピーディな選択と判断が求められる。私が描く世界観をより際立たせるため、どれも至さんが出してくださったプランを採用しています。
──身体の状態の作り方が非常にユニークです。しかも本坊さんを含めた3名の俳優だけで、このスケールの大きな世界を表現するんですもんね。
これまで世界劇団は全国各地のさまざまな俳優のみなさんにお声がけし、クリエイションと上演を重ねてきました。『零れ落ちて、朝』は⼩林冴季⼦さんと本⽥椋さんとともに、それぞれが複数の役を演じ分けながら、特異な世界観を立ち上げていきます。おふたりとも強靭なフィジカルの持ち主です。本気でタックルしても揺るがない身体性を持っている。とても頼もしい存在です。
──『零れ落ちて、朝』にとってこれが初の東京での上演で、世界劇団にとっては吉祥寺シアター初進出となりますね。今回の上演はどういう意味を持ち、本作は劇団にとってどんな位置付けの作品になりそうでしょうか?
代表作になりそうです。2023年からずっと上演を重ねてきましたし。でもそれも今回で一区切り。台本もパフォーマンスもブラッシュアップを重ね、いまようやくこの作品のひとつの完成形が見えている気がします。それから、東京で上演をするというのは、作家である私にとっても劇団にとっても、プレゼンテーションの機会でもあると思っています。本坊由華⼦がどのような作家で、世界劇団がどんな作品を志向しているのか。これらを消費サイクルの激しい東京できちんと提示できたらと思います。消費サイクルに回収されることなく、創作・上演を続けていくために。

インタビュー・文/折田侑駿
