『エクウス』|織山尚大 インタビュー

ピーター・シェーファーの戯曲『エクウス』が、東京・東京グローブ座と大阪・サンケイホールブリーゼにて上演される。本作は実際に起きた事件を基にしており、異常犯罪を描きつつも、人の心の情熱と暗部に切り込んだ傑作。今回は小川絵梨子による新訳・演出で、人間の正気と狂気の境界に向き合っていく。馬の目を潰すという猟奇的な事件を起こす主人公・アラン役に挑むのは、織山尚大。果たして彼は、この難役にどのように挑むのか。話を聞いた。

――出演が決まり、3年ぶりの主演舞台となります。今のお気持ちからお聞かせください。

自分にとって色々な節目を超えた上での今回だったので、本当に嬉しかったです。個人的にずっと「舞台をやりたい」と言い続けてきました。やはり、しっかりとお稽古の時間を組んでくださる現場というのは、映像だとなかなか難しい部分もあるので、決まった時は本当にありがたかったです。 ただ、資料を見た時は「これはまずいぞ」と思いました(笑)。色々な方から「『エクウス』はすごい大変そうだよね」と言われて。これは、ただ者じゃない舞台だ、というところからスタートしました。

――演出の小川絵梨子さんとお話しされて、作品に入るヒントになった言葉などはありましたか?

小川さんは、自分と似ている部分があると感じています。ものすごく明るいようで、ものすごく「暗い」というか……。それは僕も同じなんです。そこの運命共同体のような感覚で、毎日手をつなぎながら「アランというものがどこにいるのか」を二人で探しています。 小川さんの舞台を拝見した時に「間」の詰め方が不思議だなと思っていたのですが、実際にやってみて、考えてから言葉を出すのではなく、言葉を言ってしまったがゆえに感情が生まれるんだと気づきました。感情はあくまで「結果」なんです。アランがどう思うかについて、毎日突き詰めながらお芝居をさせていただいています。

――アランという役を、現在はどのように捉えていらっしゃいますか?

ものすごくかわいそうというか、孤独で孤独でしょうがないんだろうなと思います。でも、ふて腐れることができない子なんです。自分のコンプレックスを抱えているけれど、登場人物の誰もがそこを突き刺してくる。生身の人間として内臓が剥き出しになっているような状態で、それに触れられると痛いんですよね。 役と自分を重ね合わせないといけないので、毎日落ち着かないような感覚がありますが、それが「エクウスをやってる!」という感じがして楽しいです。

――「馬」が非常に重要なモチーフとなりますが、乗馬を体験されたりもしたそうですね。

最近、馬というワードを出しすぎて、スマホの広告が馬しか出てこなくなりました(笑)。先日、初めて乗馬体験をさせていただいたのですが、馬ってこんなに大きいんだ、乗るとこんな景色なんだということを生身で体験できて、刺激的な一日でした。 驚いたのが、馬の体の構造です。鞍を乗せるところが、まるで神様が「人間が乗るために作ったんじゃないか」というくらい絶妙に凹んでいるんですよ。そこに跨って風を切った時、アランと馬が一つになる感覚を頭の中で試行錯誤しながら感じることができました。真っ白な馬に出会ったのですが、目が合わないからこうして首を落として覗き込んでくる姿が、すごく可愛いかったです。アランも劇中で馬の匂いを嗅いだりする描写がありますが、実際に馬に触れた後、厩舎から手綱を引いて連れ出して、最後は駆け足まで四段階くらい体験しました。想像以上に落ちそうになるというか、振り落とされそうになるのが新鮮で、すごくいい体験になりました。

――稽古の手ごたえはいかがですか。

まずは「『エクウス』って何なんだろうね」という雑談から、出演者のみなさんとコミュニケーションをとっています。小川さんは台本の解釈にすごく時間をかける方ですが、僕も、納得して噛み砕かないとセリフが入ってこない体質なんです。今回、僕は別の仕事の関係で稽古初日に参加できず途中参加だったので、最初はものすごい巨大な石像に囲まれているような気がするほど圧倒されていました。ほかのキャストのみなさんが神様のように高い椅子に座っているように見えて、「これに追いつけるのか?」という恐怖で参加初日はどっと疲れました。芝居ができなさすぎて、劣等感に打ちのめされたんです。でも、2日目以降にみなさんと向き合う中で、少しずつ役への実感を得られるようになりました。本当に周囲のみなさんに、リスペクトを感じています。

――今、特にお稽古で楽しみにされていることは?

今はまだ、全員が揃うことがなかなか難しいのですが、いざ全員が揃った時に広がる景色が楽しみです。舞台は人が代わると結果が変わる生モノなので、みなさんの視点を交えながら、ゴールがどこまで高く積み上がるのかをワクワクしながら待っています。

――舞台となる東京グローブ座についての印象はいかがですか。

グローブ座は、ずっと憧れだったけれど、なぜか今までタイミングが合わなかった場所なんです。「やっと立てるんだ」という喜びがあります。以前お邪魔した時に、客席との距離の近さや包み込まれるような感覚に驚きました。今回は舞台の一部が客席に張り出していて、傾斜がついている特別な構造になります。いつもと違うグローブ座を、客席のみなさんと作れたらなと思っています。

――アランの姿に、共感する部分はありますか?

アランが自由になりたいと叫ぶシーンには、ものすごく共感を抱いています。僕自身、アイドルとして活動する中で、全てが自由なわけではないと感じることがあります。それが特別なことではなくて、どんな環境でも「普通はこうだよ」という平均的な価値観に、強制的に属させられてしまうのが現代社会。僕も敷かれたレールに対して不満を抱いてしまう時期があるし、そういう言葉に敏感なところはアランと似ている気がします。だからこそ、観てくださる方が「生きづらい」と思っているなら、この作品が一つの答え、自己啓発本のような救いになるのかもしれません。

――来年は入所から10周年となります。これまでの歩みを振り返っていかがですか。

常に120%でやってきましたし、一切手を抜いてこなかったので悔いはないです。でも、いくら本気でやっても結果が中途半端ならダメなんだ、という現実の壁にもぶち当たってきました。「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」という、入所当時におじいちゃんがくれた言葉を今すごく噛み締めています。 20歳を超えて、大人になれたと思ったけれど、まだまだ未熟で劣等感を抱えることもあります。でも、その劣等感も含めてアランと共通している。今この年齢、この節目で『エクウス』に携われたのは運命だと思います。

――最後に、公演を楽しみにしている読者へメッセージをお願いします。

3年ぶりの主演舞台、そして10年目という節目。この作品が自分に、そして皆さんにどんな影響をもたらすか、今も試行錯誤しながら稽古をしています。 言葉ではなく、その場で出てくる空気感や感情の揺れを、ぜひ生で感じていただきたいです。皆さんの人生の一個のチェックポイントになるような、そんな刺激をお届けしたい。劇場でお待ちしています。

取材・文/宮崎新之