“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!
【第9回】宮下雄也 YUYA MIYASHITA
自分自身があまり好きじゃないけど、
役を演じて舞台に立っている自分はすごく好き
Writer’s view
若手俳優ファンの間でも一目置くような存在として、この人の名は知れ渡っているかもしれません。宮下雄也さんは、若手俳優界随一の怪優、性格俳優と言っていいポジションを築いています。ボサボサ頭を掻き乱し、イッちゃったような目で暴れまくる、そんな役を演じたりもしますが、実はものすっごくキラキラと澄んだ瞳が気になる……と思っていたら、なんと15歳でデビューしたアイドル出身。アイドルから性格俳優へと、極端な転身を遂げたその謎。解明せずにはいられません!
取材・文/武田吏都
――当企画に出ていただきたいとずっと思っていたんですけど、取材させていただいたことがなかったので、こういった場ではどんな方なんだろう?と。ロングインタビューに真面目に答えてくれるんだろうかと、ちょっと不安でもあったんですよ。
宮下 ちゃんとしゃべりますよ、もちろん!(笑)
――一スイマセン。完全に舞台上での役のイメージなんですけども(笑)。
宮下 あー、濃いキャラクターを演じることが多いので。公演終了後には体中傷だらけになってることも多いですから(笑)。
――若手俳優界と小劇場界の交わるところというか、独自のポジションを築いていますよね。例えば矢崎広さん主演の、なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年)であのメンツの中に名前がある違和感は全くありませんが、芝居は明らかに異質なんですよ。単なる上手・下手ではなく。初めて宮下さんを観た人はたぶん、そのクラッシャーぶりに驚いたと思います。
宮下 あれはまさに演出のヤシキさん(中屋敷法仁)に「壊してほしい」とは言われてましたからね。キレイな人らがいっぱいいる中でキタナイ話にというか、見たことない世界にしたいって。ヒロシ(矢崎)が実は抱えてる黒さと俺の持ってるぶち壊すエネルギーみたいなものが求められていたんだと思います。ヤシキさんは新しいオモチャ見つけたみたいに、僕にいろいろ演出してくれました。だから、あの作品ではアドリブもあんまりないんですけどね。
なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年) 撮影/引地信彦
――今すごく客観的におっしゃいましたが、その「キレイな人ら」に自分は含まれていない?
宮下 もちろんもちろん。そっちじゃない自覚は、全然ありますね。
――今の質問は、宮下さんがアイドル出身というのを知っているのであえてお尋ねしましたし、今の反応にちょっと驚いてもいます。今回個人的に掲げているテーマは、「アイドルがいかに性格俳優になったのか」でもあって……。少しずつ、紐解かせてください。アイドルグループ“RUN&GUN“として15歳でデビューしていますが、もともとアイドル志望?
宮下 いえ、お笑い芸人になりたかったんです。大阪出身なんですけど、大阪って一番モテるのは面白いヤツなんですよ。ジャニーズの子らとかよりもよしもとの芸人さんがモテるぐらい。それで僕もモテたくて相方とコンビ組んで、よしもとのオーディションに応募したら、相方が落ちて僕だけ受かって。「あれ?」と思って応募用紙を見直したら、“アイドルオーディション”って書いてあったんです。それでグループを結成して、15歳から20歳くらいまではずっと、大阪と東京を行ったり来たりして活動してましたね。
――思わぬ方向へのシフトだったわけですが、アイドル活動は自分の中ではしっくりと?
宮下 いや、今だから言えますけど、ものすごく違和感がありましたね。もともと大阪の貧しい下町の生まれなので、カッコいいDNAがないんですよ(笑)。だから、どうカッコつけたらいいとかわかんないし。
――とはいえ10代の頃の写真やPVなどを見ると、当時のメンバー4人の中でもバランスがとれているし、アイドルとしてのポテンシャルがとても高い感じがします。地元で相当モテたんじゃないですか?
キラキラのアイドル時代!
宮下 (笑)いや、それは全然ないです。ほんっとにないですね! 初めて彼女ができたのが16歳のときで、それこそデビューして1年後ぐらい。地元の学校のクラスメイトの子だったんですけど、1ヶ月で別れたんですよ。理由が「テレビで見てた感じとなんか違うかった」(笑)。中身が全くないってことで、めちゃくちゃヘコみましたけど(笑)。それに小学生のときはスーパーいじめられっ子でした。登校拒否にはならなかったんですけど、「具合悪い」ってずっと保健室にいたりして。だから、キラキラしたとこにいる違和感やズレがずっと消えなくて、「もうアイドル無理やな」と思ってこの世界を辞めようと思ったのが二十歳ぐらいのとき。その頃はスケジュールもらったら白紙、みたいな状態になっていたし、「人生失敗した!」としか考えてなかったですね。当時、カラオケボックスでバイトしていたんですけど、夜中に酔っ払いをおんぶしてるときに上からボトボトッてゲロかけられて。「東京来てゲロかけられてるよ。よくわかんねー」と思ったらもう、めっちゃ泣いて(笑)。
――ずっと鳴かず飛ばずだったのではなくて、RUN&GUNはデビュー当時のイベントに5000人の観客を集めたりもしたとか。栄光みたいなものをちょっと知っているからこそ、逆にキツいものがあったでしょうね。
宮下 10代の頃は単純な話、調子にノッたんですよね。天狗になったんです。電車とか乗ったらキャーキャー言われるし、プレゼントもいっぱいもらうし、握手会とかで握手したら失神する人とかもいたから。でもこれ絶対書いておいてほしいんですけど、調子ノッたら早いですからねー、仕事なくなるの(笑)。一瞬です、一瞬! 1ヵ月後にはもうない。で、調子にノッてるんでちょっとずつ減っていることに気づかないんです。いつの間にかレギュラー番組がなくなったりとか、取材をしていただけなくなったりとか。コンサートもお客さんがちょっとずつ減っていくのと同時に会場の規模を小さくしていくから、見た目はいっぱいだったりするし。そうして気づかないうちに、ゆくゆくは何もないっていう。そういう10代でしたね。
――それが、今も辞めずにいられているのは?
宮下 辞めようと思って親にも話していた頃、『エア・ギア』(2007年)という舞台に、俺ら4人に声が掛かって、ちょっと頑張ってみようかなって。やってみて、「あ、面白いかもしれない。これまでとはまた違うかもしれない」と思ったんです。『エア・ギア』がなかったら確実に辞めてました。あの作品でまたちょっとファンがついたし、その後のRUN&GUN stageにつながったし、僕は「遊☆戯☆王5D‘s」が決まって、声優もちょっとやり始めたり。いろんな“今”につながっていますね。
ミュージカル『エア・ギア』シリーズでは、闇の演劇部の一員・パック役
(画像はパンフレットより)
ミュージカル『エア・ギア』vs. BACCHUS Top Gear Remix(DVDジャケット/2010年)
(C)大暮維人・講談社/株式会社マーベラスエンターテイメント・ネルケプランニング
――そもそも、アイドルグループだったRUN&GUNが芝居を始めたきっかけは?
宮下 初めて本格的にやったのは、俺らが1ヶ月に1回舞台に立って、元惑星ピスタチオの腹筋善之介さんのパワーマイムを1年間通してやるっていう企画(「RUN&GUN-再編- theater odyssey 05-06 ~大人のエンターテイメント~」/2005~06年)で。ニワトリの役をやらされたりして、いろんなことを覚えました。そこで僕はもう、腹筋さんの芝居が全てだって勘違いしたんですよ。当時、「仮面ライダー」のオーディションに行ったりもしたんですけど、周りはみんなカッコいい芝居してるのに、僕一人だけなんかパワーマイムし始めて。そんなん絶対受かるわけないじゃないですか(笑)。でも腹筋さんが教えてくれたこと、例えば発声とかお客さんへの見せ方とかは、お芝居の入口としてはものすごく勉強になったし、今となっては面白く感じられて取り入れるようになりましたね。今まで一緒にやらせていただいたいろんな演出家さんのいろんなパーツを組み合わせて、今の自分ができている感じ。だからやってきた経験ってムダじゃなかったなぁ、あのとき辞めなくてよかったなぁっていうのは、最近になってよく思いますね。
――お芝居することに対して、すぐ楽しいと思えました?
宮下 最初はあんまり好きじゃなかったんですよ。わかんないしできないし、やったらなんか怒られるし。なんで面白いと思い始めたのかな……あ、RUN&GUN stageの第二回が、カムカムミニキーナの松村(武)さん脚本・演出の芝居(「YooSoRo!~日本を変えたヤツらを変えたヤツら~」/2008年)で。そこで松村さんの演出に全然応えられなくて、僕もうほんっとにコテンパンにされて。稽古が僕のダメ出しで終わったりとか、役者は普通休みになる仕込みの日も僕の稽古になったりとか。ほんとに稽古に行きたくなくて、電車停まって稽古が急に休みになんねーかな、とかずっと考えてました(笑)。本番通じても別に褒められもしないし何かあったわけではないんですけど、あの作品からですね、ちょっと本格的に役者で頑張ってみようかなって思い始めたのは。
――そのとき以来、そこまで演出家にコテンパンにされた経験は?
宮下 あれが最後です。でも今またもう1回、松村さんとやりたいとか思いますね。
――演出家の指示には従順なタイプですか?
宮下 もちろんです。演出あってのことですから。できるだけというか、100%従いたいですよね。でもその中で1個プラスアルファ、俺の味というのを加えて見てもらう。「それはナシ」ってなったら「わかりました」という感じで。
――役作りについてですが、現場に来る前にじっくり固めてくるタイプ? それとも現場で瞬発的にやるタイプ?
宮下 あー恥ずかしい話、家で台本1回も開かないんです。稽古場まで1度も。特に家では絶対に開かないですね。その分、稽古場にちょっと早く行ってやるんですけど。家には仕事を持ち込まない、みたいなことにしたいです。……て、カッコいい風に言っているけど、基本ダメですよね(笑)。でもやっぱり、稽古場でやりながら作りたいっていうのがバックボーンとしてあって。稽古場では別に失敗してもいいやと思うから、いろいろ試したいし。映像だとそんなに時間がないので、事前に台本開きますけど。それでも家じゃなくて、やっぱり喫茶店とか行きますね。
――だいぶ戻る話になりますが、先ほどいじめられっ子だったとおっしゃってましたが、人前に出ることへの恐怖心とかはなかったんですか?
宮下 それが、意外に大丈夫だったんですよね(笑)。なんでだろな? 目立ちたいって気持ちもあったし……あ、でもあれですね、自分が嫌いだからでしょうね。今も宮下雄也という自分自身があまり好きじゃない。例えばオフのときの俺とか、ほんっとイヤ。たまに街歩いててふとウィンドウ見ると「うわ、なんやコイツ! ……あ、俺か」って思うことがあるんです(笑)。こんなヤツと絶対仲良くならないし、逆の立場だったら、こんなヤツのインタビューしたいなんて絶対思いませんよ?(笑) やっぱりなんかコンプレックスがあって、自分に自信がないんですよね。だけど、役を演じて舞台に立っているときは、自分のことがめちゃめちゃ好きなんです。なんとなく他人に思えるし、一番好きな状態の自分が出せるから。稽古ではほかの人の芝居観ながら「上手いなぁ」とか「この人すげえな」って思うんですけど、舞台に立ったら俺が一番になってやろうって気持ちがなんかあるし。
――“性格俳優”を作り上げている要素が少しずつ見えてきたような。
宮下 影響が大きいのは、やっぱりこれまで出会ってきた人ですね。そしてもともとの自分の性格もある。すごいイヤなヤツの部分も持ってますし。イヤなことされたら絶対忘れない! 根に持ちます(笑)。あと、女の子っぽいところもあるのかもしれないですね。恋が好きなんですよ(笑)。東京出てきて初めて付き合った彼女に惚れすぎて、「一生この子と一緒にいる!」と思ったんですけど、1年でフラれて。ちゃんと話し合おうと思ってその子が住んでた最寄りの駅まで行ったんですけど、結局来てくれなくて。終電の中で窓の外の街並み見てたら、それまでのその子とのいろんなことが思い出されて、つり革持ちながらポロポロ泣けてきたんです。ほんとにクソガキみたいに嗚咽してたら、前に座ってた2人の男女が「大丈夫?」ってハンカチくれたりして。「実はぁ、好きだった彼女にフラれましてぇ」って話してたら、その方たちも渋谷で一緒に降りてくれて、駅前の喫茶店で話を聞いてくれたっていう。
――ええ!? 大都会の喧騒に潜むちょっといい話(笑)。
宮下 たぶん異様に泣いてたから無視できなかったんでしょうね。東京で感じたあったかい瞬間でした(笑)。そういう経験が、芝居で出てくるんですよ。例えば根本宗子さんの芝居で未練がましい男が出てくると、「あのときの気持ちだ」って。覚えてますから、それをスッと出したりとか。「殺意の衝動」(2015年)のときは、いじめられてたときの「アイツ、こらしめてやりたい」って気持ちを思い出したり。良いことも悪いことも覚えているから、台本読んでて「昔のあれと似てるな」ってことがよくあります。だから逆に、自分の中に全くないものをやるのはちょっと難しいかもしれないですね。
あと漫画、映画、アニメなんかが大好きなんで、そこから芝居のヒントを得ることも多いです。例えば『エア・ギア』のパックのときは、ゲームの「ファイナル・ファンタジーⅥ」に出てくるケフカっていう道化のイメージで稽古場でやってみたら、演出家も気に入ってくれました。でもそういう映画やアニメを芝居の勉強のために観ることはないんですよね。子供のときから、単純にずーっと好きだから、ただ娯楽として観ている感覚。今しゃべってて思ったんですけど、基本、勉強が嫌いなんでしょうね。家で台本開かないのも、そうすると勉強っぽくなるからイヤなのかもしれないです。稽古場行ったらやるしかないから、パッと開く。そういうとこ、子供なんだろうな。
――では先々の出演作の話も少しずつ。最新作は現在上演中の「舞台 増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」ですが……いやぁ、なかなか振り切れたビジュアルですね(笑)。
「舞台 増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」(21日まで博品館劇場で上演中)での普通田父之介
宮下 いーすよね、あれ。LINEで「わかりました」のスタンプ代わりにあの写真使ってます(笑)。あのお父さんは、会社を辞めてヨガ教室を開いたヨガインストラクター。どういう舞台なのか、これ言葉ではなかなか説明できないですね。ただ原作者の増田先生も監修に入ってますし、全部の話が一応つながるようにはなってて、一本のコメディとして見やすい形になっています。原作を知らなくても面白いと思いますよ。設定なんかはシュールではあるけど、ちょっとマンガっぽいキャラが出てくるような普通のコメディとして観ていただいて、全然大丈夫です。
――アイドルから出発した宮下さんが15年経ってこのお父さんにたどり着いたというのが独自路線で素敵だし、なんか痛快でいいですよね。
宮下 いいですよねぇ。でもバリバリ調子にノッてたデビュー当時、神様が急に現れて「15年後のお前を見せてやろう」ってこれ見せられたら、絶望で死ぬかもな(笑)。
――(笑)。その次は10月、11月の2ヶ月連続で月刊「根本宗子」に出演。宮下さんは以前から、オススメの劇作家、演出家として根本さんの名前をよく挙げていましたよね。
宮下 根本さんの作品、好きですね。毎回面白いです。特に男女の黒い部分とかもつれ、恋愛のほんとめんどくさい部分を書くのがものすごく上手いですね。5分ぐらい無音のシーンとかあって、超リアル。観てて、ものすごい“あるある”なんですよね。だから客席で観ていても、いつの間にか前のめりになってる、みたいな。この前観に行ったときは、気づいたら手汗びっしょりでした。それでいてちょいちょい面白いセリフがあって笑えるし、ホロッと来るところもあるし、全てのバランスがいい。(根本は)まだ24歳で若いのに、大したもんだなぁと思います。
――さらに11月「逆転裁判2~さらば、逆転~」(大阪公演のみ出演)、12月「夜の姉妹」、来年2月「ハンサム落語 第七幕」と、情報がオープンになっている作品だけでもこれだけあります!
宮下 まさか「逆裁」が来るとは(笑)。こういうのやりたかったなっていう面白い役どころなんで楽しみです。「夜の姉妹」もわかぎゑふさんに演出してもらえるのが楽しみ。わかぎさんが一緒に劇団をやっていた中島らもさんと僕、地元が一緒なんですよね。大阪の玉造ってところなんですけど、生前のらもさんがゆっくり歩きすぎて信号渡りきれなくて戻ったとか(笑)、そんな姿をよく見てましたから。なんか、親しみがあります。
「ハンサム落語」シリーズにはほぼ全作出演中の常連
(第六幕ゲネプロより) 撮影/鏡田伸幸
――さらに、自分が企画するイベントも月1回以上行っています。
宮下 そういうイベントをやり始めて3年ぐらい経ちます。自分で何か考えるのが好きだし、きっとものすごく凝り性なんですよね。ただ矛盾してるんですけど、めちゃくちゃめんどくさいんですよ。この前、宮崎駿さんのドキュメンタリー番組観てたら「ポニョ」か何かの絵を「あー、めんどくせえ。あと何枚?」とか言いながら描いてたけど(笑)、いいものを作っているときって楽しい瞬間は本番しかないと思うんですよね。最後のカーテンコールで拍手をいただいたり、アンケートでうれしい言葉をいただいて初めて「楽しいな!」と思えるので、そこに向けてやっています。今ほんと、好きなことやらせてもらっているのでありがたい。新宿のロフトプラスワンで月に1回オールナイトイベントをやっているですけど、20年以上のあそこの歴史の中で、毎月レギュラーイベントをやる役者って僕が初めてなんですって。確かにそんなことやってる役者、そうはいないよなって(笑)。
――芝居の演出もやってみたい?
宮下 興味ありますね。でもやっぱり、まだ演者でいたいですね。演技がもっとしたいし、出てみたい集団もまだまだあるし。演出っていうのは、役者としてちゃんと結果残してからの夢ですかね。
――なりたかったお笑い芸人ではなく、芸能界の入口だったアイドルでもなく、今現在“俳優”をやっていることについてはどう感じますか?
宮下 良かったですね。何もかも計算どおりに行っていないところが、きっといいんでしょうけど。いろんなところを寄り道して寄り道して、ほんっとに言葉どおり紆余曲折があって今っていうのが。真っ直ぐな1本の道だったら役者から始めた方が早かったかもしれないけど、曲がりくねったところで見た景色とか得た経験、いろんなものが今出せているなって思います。本来の自分と求められるもののズレもなんとなく少なくなって、より僕らしさが求められることが増えたし、やっと今が楽しいって感じですね。
Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
僕がほんとにカッコいいなと思うのはやっぱり内部イケメンで、見た目はそうでもなくてもカーテンコールでの姿がすごくカッコよく見えるような人。僕は世間からするとイケメンという認識は薄いでしょうし、そう見てほしいとも思ってないですけど(笑)、それで言うと、今やっとなんか自分が思うイケメンに近づいてきた気がします。好きなことやってるって心から言えるし、「俺は役者だ!」って胸張って言える。「あ、俺イケメンになってきたな」っていうのは思いますね。
Q.「デキメン」が思う「デキメン」
事務所の先輩でもある宮川大輔さん。お芝居も上手いですしね。昔、舞台でご一緒して、礼儀とか言葉遣いとか、言いにくいであろうことをいっぱい教えてもらったんです。その厳しさ、優しさに惚れました。よしもとやなというか、この会社で良かったと思う瞬間でもありましたね。
尊敬する同世代の役者っていうと、どう考えても平野良しかいない。同じ作品が続いていて、ここ半年以上ずっと一緒でした。まず芝居が上手いですし、役者としての考え方とかもすごく好き。この前、酔っ払った勢いで「40歳ぐらいになっても一緒に芝居やっていたいな」みたいな話をしたんですけど、そんなことを本気で思ってしまうようなヤツはあまりいないですね。
Q.「いい俳優」とは?
芝居が上手いというより、人間味や人としてのなんらかのエネルギーがにじみ出ている俳優。
生き方や生き様を舞台上でパッと発揮できる人は、初めてだろうがベテランだろうが、無条件にいい俳優だなと思います。
破天荒で熱いキャラですけど、繊細な部分もかなりあって、そこを自分の意思で克服して行動力を生み出しているみたいな感じですね、きっと。コネクションを自ら広げて、その関係性で仕事の幅が広がってきています。受身の俳優が多いであろう中、俳優としての枠にとらわれず、やりたいことを自分で獲得していけてるのかなと。デビュー当時から知っていますが、昔はまだこんなに個性が出ていなくて、若い男の子の一人という感じでしたし、本来そこまで社交的なヤツでもなかったと思います。それがマネージャーになって久々に会ったら、ああいう風な感じに育っていたという印象。うちは俳優事務所ではないので、わりと芸人と同じような育て方をしていたりします。自分から発信しないと誰も引き上げてくれないですし、いろんな演出家さんや先輩たちとの付き合いの中で、自分の個性ややりたいことがだんだんと出せるようになってきたんじゃないでしょうか。
現状なりつつあるとは思うんですが、“面白い”俳優に育っていってくれたらなと。演技が面白いとかトークが面白いというだけじゃなくて、存在自体が面白い役者として、役者で一生食べていくことができる俳優になれるようサポートしていければと思います。
(株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー 高畑正和マネージャー)
Profile
宮下雄也 みやした・ゆうや
1985年9月3日生まれ、大阪府出身。A型。ダンスユニット・D.A.N.Kのメンバーとして2000年より活動。2001年、オーディション番組にて、上山竜治(当時・竜司)、米原幸佑、永田彬とともにRUN&GUNを結成(14年に上山が卒業し、現在は3人組)。同年7月、シングル「LAY-UP!!」でCDデビュー。20歳くらいから俳優活動も開始し、現在は舞台を中心に活躍中。自らプロデュースしているトークイベント「今月の宮下雄也」を毎月、ロフトプラスワンで開催している。ニコニコチャンネルのスマボch(http://ch.nicovideo.jp/sumabo)にて、滝口幸広・宮下雄也or米原幸佑の「花の!85年組!~30歳になったイケメンたち~」に出演中
【代表作】舞台/マーリープロジェクト「golem、胎児、形なきもの」(2015年)、「殺意の衝動」(2015年)、ムッシュ・モウソワール「ブラック・ベルト」(2015年)、朗読劇「僕とあいつの関ヶ原」(2014、2015年)、なかやざき「フランダースの負け犬」(2014年)、ブルドッキングヘッドロック「少し静かに」(2013年)、「ハンサム落語」シリーズ(2013~2015年)、「ライチ☆光クラブ」(2012年、2013年)、月刊「根本宗子」「恋に生きる人」(2012年)、舞台「戦国BASARA」シリーズ(2011~2014年)、RUN&GUN HORROR SHOW「バッカスの宴」(2011年)、RUN&GUN stage「僕等のチカラで世界があと何回救えたか」(2010年)、音楽舞闘会「黒執事~その執事、友好~」(2009年)、ミュージカル「冒険者たち」(2009年、2010年)、RUN&GUN stage「YooSoRo!~日本を変えたヤツらを変えたヤツら~」(2008年)、ブロードウェイミュージカル「PIPPIN」(2008年)、RUN&GUN stage「ブルーシーツ」(2008年)、ミュージカル「エア・ギア」シリーズ(2007~2010年)
アニメ/「遊☆戯☆王5D`s」(2008~2011年)主人公・不動遊星役
映画/「電人ザボーガー」(2011年)、「犬の首輪とコロッケと」(2011年)、「天使がくれたもの」(2007年)
【HP】http://www.runandgun.jp/miyashita/
【Twitter】@HonjoJrHigh