デキメン列伝【第12回】相葉裕樹

“デキる”のみをものさしに、今後の舞台界を担っていくであろう、注目株の若手俳優をピックアップ。彼らが「デキメン(=デキる男優)」である理由、そして、隠れた本音をロング・インタビューで探る!

【第12回】相葉裕樹 HIROKI AIBA

この世界は短距離走じゃない。

最終的に勝つには実力をつけるしかない。


Writer’s view

相葉さんは半年間のフリーランスの時期を経て、今年から新しい事務所に所属。事務所という存在はあまり表立つことはないけれど、俳優という仕事を続ける上で、非常に大きな意味を持つことは確かです。周囲や自己の分析能力に長けている(と私は思っている)相葉さんが、この先のパートナーとして選んだのは、舞台に強いイメージのある事務所。この選択から垣間見えるものを相葉さん本人から聞きたくてインタビューにうかがうと、想像以上に先の未来が見えました。

取材・文/武田吏都

 

――現在、「GEM CLUB」が絶賛上演中。その前身といえる「CLUB SEVEN」ではともに後輩的ポジションだった相葉さんと中河内(雅貴)さんが、今回は引っ張って行く立場にあるのが興味深いところでもあります。

相葉 「CLUB SEVEN」に最初に出たのは5年前で、一番下だったから端っこや後ろで踊ることも多かったんですけど、ここにきて急に真ん中になっているので(笑)。前だったら振りを忘れて「なんだっけな?」ってときはチラッと前の人のを見て「あ、そうだ」っていうことができたんですけど、今回は稽古場からずっと前の方にいるので、プレッシャーがかかります。“GEM(原石)”と呼ばれる9人の若手の中では僕とマサ(中河内)だけが「CLUB SEVEN」の経験者なので、先輩方から教わったこと、雰囲気やカラーを伝える役割もあるのかなと思っています。

「CLUB SEVEN 10th stage!」(2015年) 写真提供/東宝演劇部

 

――とにかく皆さんガンガンに踊りまくっていて、なんとカロリー消費量の高い舞台なんだろうと!

相葉 最近踊ってなかったからキツく感じるのかなと思ったんですけど、そういう問題じゃなく、マジでキツいヤツでした(笑)。構成的にも、2000mをダッシュで走っているみたいな感覚のハードなM1から始まり、やっぱりメドレーで締めるっていう。

SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――ハードのフルコース(笑)。「CLUB SEVEN」には五十音順メドレーという名物がありました。「あ」~「ん」を頭に持つ楽曲やフレーズをノンストップで50曲つなげて、それに合わせて歌ったり踊ったりコント的なことをしたりという。「GEM CLUB」にもメドレーが引き継がれていますが、五十音順ではない新しいバージョンです。

相葉 曲数は50曲より減っているみたいなんですけど、1曲1曲のダンスの難易度が上がっているんです。今思えば僕が最初に「CLUB SEVEN」に参加した7thの頃って、あまり難しい振りはなかった記憶があるんですよ。でも今回はマジで難しい! 例えばEXILEやE-girls、AKBとか最近の曲って、細かくて厄介な振りが多いんですよね。

SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――全体的なレベルが上がってきているんでしょうか。ダンスの必修化なんかも影響が?

相葉 僕は学校でダンスを習った世代じゃないので、羨ましいです。今回の若手を見ていても感じますけど、踊れる人が増えてますよね。やっぱり彼らは振りが入るのも早い。僕は1日寝かせてやっと、みたいな(苦笑)。その場では全然覚えられなかったので、ちょっと焦りました。今回は10代から20代前半の才能ある子たちが集まっているので負けられないと思うし、すごく刺激を受けています。

SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――「GEM CLUB」は今後も続いて行くシリーズになると思いますが、そのオリジナル(初回)メンバーとしてどんな役割を果たしたいですか?

相葉 演出の玉野(和紀)さんは「CLUB SEVEN」を10年続けてこられて、この「GEM CLUB」も若手たちが育ち、巣立って行く、10年ぐらい続くような作品にしたいとおっしゃってました。「GEM CLUB」をもう1本のパイプにして、2本が融合したとき、さらにパワーアップした「CLUB SEVEN」にできるのではないかと。だから責任重大だと思います。最初で失敗してしまったら、その思い自体もなくなってしまうし、長く続く作品になるよう、千秋楽まで走り抜けたいと思います。

SHOW HOUSE「GEM CLUB」(2016年)

 

――相葉さんは年頭、新しい事務所に所属しました。という意味でもリスタートの時期ですが、今「GEM CLUB」でどっぷり浸かっている“ダンス”は、相葉さんにとっての原点ですよね。

相葉 w-inds.さんに憧れて、高校生のときにダンスの養成所に通い始めました。それと同時に、養成所の仲間3人でストリートライブを始めたら、とあるサイトで僕らが紹介されたのがきっかけで、徐々に観客が集まってくるようになって。NHKホールの前あたりで踊っていたんですけど、気づいたら300~400人集まるようになってました。不思議でしたね。プロデューサーとかがついているわけでもない、どこの事務所にも所属してない素人が3人でやってただけだから。それに、ダンスはむちゃくちゃヘタなんですよ。

 

――え、上手だからみんな観に来ていたんじゃないんですか!?

相葉 ダンス歴3ヶ月ぐらいで始めたから、むちゃくちゃヘタ! なのに人が集まるっていう。でもすごく楽しかったし、ほんっとに気持ちだけでやってました。

 

――度胸があるんですね。

相葉 いや、めちゃくちゃ恥ずかしかったですよ。「見ないで!」と思いながらやっていたのに、「なんかいっぱい人が集まってきちゃった……」みたいな(笑)。

 

――そもそもダンスをやろうと思ったきっかけは?

相葉 えっと……モテたかったからです(笑)。小学生の頃とかジャニーズが好きだったりして、ダンスに興味はあったんですよ。でも中学ではバスケ部に入って。眼鏡かけてて地味だったし、モテなかったですね。で、高校に入ったらダンスをやろうと思っていたんです。始めてからは、ユニットとしてデビューすることだけを考えて、そのストリートライブを続けていました。

 

――そして同じ頃、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で審査員特別賞を受賞。

相葉 それがきっかけで最初の事務所に入って、当時まだデビュー前のAAAと一緒にレッスンを受けたりしていたんですけど、気づいたら、「テニスの王子様」(=テニミュ)に出てました(笑)。「気づいたら」って言っても、自分からオーディションを受けたんですけど。とにかく合格してうれしかったです。当時は他になんの仕事も決まってなかったですし。でもオーディションを受けまくっていて、立て続けに受かった時期ではあったんですよ。不二(テニミュで演じた役名)のときも同時に、もうひとつ大きい役が受かっていて。今となっては、やっぱり不二を選んでよかったなと思っているんですけど。

 

――ユニットとしてデビューしたかったと言っていましたが、その頃には意識は俳優へとシフトしていたんですか?

相葉 それぐらいから、そうだった気がします。ダンスユニットって長くは活動できないかもと思い、そういう意味では俳優を目指す方がいいかもしれないという考え方になっていたような。でもお芝居のことはよくわからないから、「とりあえずやってみよう」という感じでやっていました。

 

――相葉さんはわりとヒキで物事を見る方だと感じているんですけど、その片鱗が早くも出てますね(笑)。初舞台がミュージカル「テニスの王子様」(2005年)なので、歌にもここで初挑戦となったんですね。

相葉 歌に関してはサイアクです!「歌いたくない!」とずっと思っていました。

 

――歌への苦手意識は、これまでもしばしば語っていますよね。傍から見るともちろんそこまで劣っていると思えないですし、何か理由があるのかなとはずっと感じていたんですけど。

相葉 なんですかね……それこそユニット時代もライブハウスに出たりしていたので、歌ってはいたんですよ。そのとき、「あいばっちはやめとこうか」みたいな感じで、僕にだけソロパートをくれないみたいな。他の2人もたいして上手くないんですよ?(笑) だから余計、「あれ? 俺ほんとにダメなんだ」と思って、そこが結構トラウマで。ミュージカルに行ってもやっぱり苦手意識がついちゃっているから、人前で歌うのは正直キツかったですね。

 

――なるほど。でももう気持ち的には克服しても大丈夫なレベルの歌唱力はお持ちだと思いますよ。

相葉 自分でも、成長しているなとは思うんです。思うけど、やっぱりまだまだ。なんか大変な世界に来ちゃったなと思っています。わざわざ苦手な方に進んでいってる感じがして(苦笑)。これまでの道のり全般、「あっちに行きたかったけど、気づいたらこっちにいる」の連続だった気がします。入口がダンスだったことを考えると、俳優をやっていること自体もそう。だけどもちろんイヤイヤやっているわけじゃないんです。楽しいことは楽しいし。……楽しい、のかな? ツラいけど。まあいずれにせよまだまだだなと思うし、もっとやんなきゃって思いは常にあります。

――そしてテニミュ卒業の翌年には「侍戦隊シンケンジャー」に出演。相葉さんの経歴を改めて振り返ると、ジュノンボーイ、テニミュ、戦隊、戦国鍋と、今の若手男優の登竜門と呼ばれるようなものを全部通過してきているんですよね。エリートだな、と。

相葉 そこにサラッと「戦国鍋」が入ってるの、おかしくないですか?(笑)

 

――いえいえ(笑)、私がこの番組(「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」)のファンであることを差し引いても、今の若手男優シーンを語るには欠かせない伝説的なバラエティ番組だと思います! ただ収録時間が短かったりするので、出演者と視聴者との間にはやや感覚のズレがあるというか、反響の大きさを意外に感じている出演者も多いですよね。

相葉 そうなんですよね。あんなに反応があると思っていなくて。「戦国鍋」は、「シンケンジャー」が終わって一発目の仕事だったんですよ。それでいきなり昭和アイドルの格好で長槍持って(“SHICHIHON槍”という7人組の戦国武将アイドルユニットに扮した)、正直、先行きが不安になりました(苦笑)。反応が良かったから助かったものの、あれでもし反応がなかったら……(笑)。

 

――個人的には、「相葉さんってオモシロもできる人なんだ」と発見した作品でもありました。

相葉 いただくキャラ付けの指示もわりとざっくりした感じで、ある程度自由に任せていただいたところがあって。で、僕自身面白いことがすごく好きなので、ふざけるなら真面目にとことんふざけた方がいいなと思い、楽しんでやっていました。その前の「シンケンジャー」の流ノ介という役も、カタいキャラではあるんですけど、6人の中でいえばボケ担当みたいなところがあって、ほんっと自由にやらせてもらったんです。台本に書かれていない、台詞以外の部分をやることに夢中でした(笑)。その流れでの「戦国鍋」だったので、そういう空気を継続してやっていた部分があったかもしれないです。

 

――相葉さんの一般的な知名度がグンと上がったのは、やはり「侍戦隊シンケンジャー」でのシンケンブルー/池波流ノ介役。あの作品にはどんな思い出がありますか?

相葉 「シンケンジャー」に関しては、楽しかった思い出しかなくて。朝が早いのはキツかったんですけど、みんなでロケバスに乗ってお弁当食べて、毎日ピクニックに行くような感じでした。「戦隊は大変だよ」って聞いてたんですけど、「思ったより大変じゃない。超楽しいじゃん!」って、正直思っちゃって(笑)。メンバーや東映のスタッフの皆さんと一緒に、「シンケンジャー」という作品を作っていることが、すごく楽しかったんです。舞台の方がよっぽど大変だなと、当時は思いましたね。

 

――こうして前半の道のりをたどるだけでも、輝かしくも紆余曲折という感じがします。ご自分でも言っていましたけど、“やりたいこと”に突き進んできたわけではなくて、“やるべきこと”というか。俳優の仕事においては、そういう要素もとても大切だと感じます。

相葉 この仕事を始めたときには想像もしていなかったことを、今していると思いますね。自分でも不思議な感じがします。

 

――歌が苦手と言いながら、市村正親さん、鹿賀丈史さんという日本のミュージカルの二大巨頭と、ミュージカルでがっつり共演を果たしていたり。

相葉 「ラ・カージュ・オ・フォール」(2015年)に関しては特に不思議でした。「なぜ?」「ほんっとに俺でいいの?」と。さすがにビビりました。本番に入ってしまえばやるしかないからパーン!といけるんですけど、稽古場では震えましたし、緊張しました。

 

――どういう部分に、他の作品とは違うものを感じた?

相葉 なんかもう、作品にビビッてました。30周年という歴史の重さに。そしてやっぱり市村さん、鹿賀さんの重厚感、存在感に震えました。あのお二方が稽古場にいらっしゃるだけで、なんだか冷や汗が出るんですよ。実際に震えもくるし、とにかく緊張するんです。お二人が怖いわけでは全くなくて、すごく優しくしてくださるんですけど。そんな方たちと一緒に芝居をして、みんなは何度か作品を経験して出来上がっている中に、未経験の僕が一人で入って、だから人一倍努力しなきゃいけない。それは当たり前なんですけど、努力してもできないし、稽古場では「大丈夫かな。これで日生(劇場)に立てるのかな?」って思いながらやっていました。

「ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち」(2015年) 写真提供/東宝演劇部
(左から3番目が相葉。一番左が鹿賀で一番右が市村)

 

――そういう歴史あるミュージカルを経験したりした後、相葉さんがご自分で選択した事務所が「グランアーツ」でした。井上芳雄さんが所属していることもあって、ミュージカルに強い印象があります。この選択から、相葉さん自身の中にある今後のビジョンが見えてくるような気も。そのあたりを、相葉さんの言葉で聞かせてください。

相葉 より高いステージに行くためにもっと勉強したい、もっといろんな舞台に出たいと思いました。“認められたい”って思いが、僕の中で結構強くて。ならば、演劇で認められなきゃなというところがあったので、舞台方面をしっかりとマネージメントしてくれる事務所がいいと思いました。

 

――相葉さんを初めて取材させていただいたのは8年ほど前なんですが、当時から「僕をもっと知ってほしい」ということを言葉にしていたのを覚えています。今言った「認められたい」とは、承認欲求の意味合いとしてちょっと違うかもしれませんが。

相葉 そうですね……あ、でも同じか。同じかもしれないです。そういう意味では、知ってもらう手段としては映像が一番手っ取り早いと思うんですけど、それは後々でいいというか、今はちゃんと実力をつける時期なんだろうなと感じていて。確かに若いときは早く世に出たくて、だから映像に出たいって思いがすごくあったんですけど、これまでの10年を経て、なかなか厳しいもんだなということがわかった。じゃあどうしたら最終的に勝てるんだろうっていうと、もう実力をつけるしかないという考えに至ったというか。

――そうなんですよね。“実力”をものさしにしたこの「デキメン列伝」を立ち上げたのも、今は若さとか勢いとかいろんな魅力で勝負できるけれど、10年後20年後の長いスパンで考えるとそうもいかない。私は俳優さんを長く見続けたいので、そうなると先々残っていくであろう方は……と考えてセレクトさせていただいているんですけど。まさにその意図にハマった言葉が聞けて、非常にうれしいです。

相葉 この世界、短距離走ではないじゃないですか。とはいえ、先が見えないと、半年先とか1年先しか考えられないのが正直なところではある。でもそのやり方だと、消費する一方で……。空いているから仕事入れちゃえっていう考え方が、あまり好きではないんですよ。仕事がないならないで、やることはいっぱいあるって思うし。ただ、生きるために稼がなきゃいけないという部分では、葛藤がありますよね。だからどれだけ我慢できるかだなとも思っていて。とにかくいいものを届けたいって思いが強いから、作品選びもなかなか難しいなと感じますね。
本当のところは、10年後20年後ってより、50年後を考えているんです。そこまで生きているかわからないですけど(笑)、最終的に笑えていれば、勝てればいいやと思っていて。

 

――それは人間・相葉裕樹として? 俳優・相葉裕樹として?

相葉 どっちも、ですね。どっちも充たされていたい。

 

――同世代で50年後まで見据えている方はあまりいないと思うんですが、その考えには「ラ・カージュ・オ・フォール」であの大先輩たちの芝居を間近で見ていたことが、何か影響していたりしますか?

相葉 それは本当に大きいですね。何十年もこの世界の第一線でやられているわけじゃないですか。あそこを目指さなきゃいけないとは、やっぱり思います。

 

――これまでのお話を総括すると、今後はやはり舞台が中心になるという認識でよいですか?

相葉 でも舞台しかやりませんという考えはなくて、今までやってきた声の仕事もやりたいし、映像もやりたいです。ミュージカルが増えるかどうかはまだちょっとわからないですけど、全体とのバランスかなと思っています。

 

――器用にいろいろとできる方ですし。

相葉 不器用ですよ~!! 自分の不器用さにヘコみますもん。

 

――そうですか? このインタビューにも表れているんじゃないかと思いますが、ヒキで見る力があって、あらゆることに対して分析的だなと感じます。私は相葉さんのトボけたコメディセンスみたいなものがすごく好きなんですけど(笑)、そういう部分があるからコメディ演技も上手いのかなと。

相葉 コメディ、好きなんですよねえ。でも僕の場合、ちょっと趣味入っちゃっているので。コメディだけやるのもちょっと違うし、好きだけど、趣味に留めた方がいいのかなとか(笑)。

――お笑い番組など、よく見ますか?

相葉 わりと見ちゃいますね。コントが好きで。僕、シソンヌが大好きなんです。神保町花月でやった「ピラミッドだぁ!」(2014年)という舞台で共演してから「シソンヌ、ヤバッ!」ってファンになっちゃって(笑)、単独ライブとかずっと行っています。シソンヌのコントって演劇的なんですよね。面白いし、とにかく芝居がめっちゃ上手いんですよ。やっぱりそこに惹かれちゃいますね。

 

――ご自分を掘り下げたお話をたっぷりと、ありがとうございました! 現代っ子なルックスとは裏腹に?(笑)すごくよく考えていて、人一倍目標値が高く自分に厳しい、相葉さんの内面をお届けできたのではないかと。

相葉 目標値、高いのかなぁ? ステージに出ている以上、やっぱりプロじゃないですか。その中で納得できないものを出したくないし、そうなると苦しまなきゃできないんですよね。楽してできる仕事じゃないっていうのは、すごく思います。舞台は特に。大変な仕事に就いちゃったなって、つくづく感じますね(笑)。

SHOW HOUSE「GEM CLUB」にユーク役で出演中
※シアタークリエにて4/1まで。大阪、愛知公演あり

 

 

 デキメン‘s view

Q.「イケメン」というフレーズに感じることは?
褒め言葉で使うときと、ちょっと悪い意味で使うときもあるかなと思っていて。特に俳優として使われるときは、あんまり好きな言葉ではなくて。素直じゃないのかもしれないですけど(笑)。

Q.「デキメン」が思う「デキメン」
先輩では、新納慎也さん。「リトルショップ・オブ・ホラーズ」と「ラ・カージュ・オ・フォール」で共演していて、精神的にツラい作品のときにはだいたいそばにいてくれるんですよ。だから僕も、「ニーロさん、助けて」みたいな(笑)。いろいろ心配をしてくれています。周りへの気遣いや面倒見の良さが素晴らしいですね。
同世代では、仲良しの桐山漣。オシャレに敏感で、料理もこなしてしまうデキメン(笑)。

Q.「いい俳優」とは?
あまり芝居をし過ぎない人が好きです。もちろん作っているんだけど、自然にその場で、板の上で生きている、本当にそこに存在しているような役者さん。

 

 マネージャーから見た「相葉裕樹」

まだ事務所に所属して3ヵ月程しか経っておらず、その印象ではありますが……。子供っぽいところもあるのですが(笑)、素直ですごく真面目だと思います。
もうすぐ30代。本人の中での歌に対する苦手意識がなくなればいいなとも思いますし、たくさん経験して勉強して、もっともっと成長してほしいと思っています。未来を見ながら、今まで以上に頑張っていきましょう。

(有限会社グランアーツ 柴田マネージャー)

 


Profile
相葉裕樹 あいば・ひろき
1987年10月1日生まれ、千葉県出身。O型。高校在学中にダンスユニットを組み、2003年からストリートライブを始める。同じ頃、第16回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」で審査員特別賞を受賞。05年、ミュージカル「テニスの王子様」に不二周助役で出演し、本格的に俳優としての活動を開始。09年、「侍戦隊シンケンジャー」にシンケンブルー/池波流ノ介役で出演し、人気を博す。映像のほか、声優など幅広い活動を行い、現在は舞台を中心に活躍。ニコ生チャンネルにて「相葉裕樹の夜ふかし。」を不定期放送中
【代表作】舞台/「HEADS UP!」(2015年)、「ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち」(2015年)、「BACK STAGE」(2014年)、TSミュージカル「ちぬの誓い」(2014年)、「SEMINAR-セミナーー」(2013年)、「ドーナツ博士とGO!GO!ピクニック」(2013年)、「3150万秒と、少し」(2013年)、「リトルショップ・オブ・ホラーズ」(2012年)、「CLUB SEVEN」(2011~15年)、「新春戦国鍋祭~あんまり近づきすぎると斬られちゃうよ~」(2011年)、「PIPPIN」(2007、08年)、ミュージカル「テニスの王子様」(2005~08年) 映画/「王様とボク」(2012年)、「カフェ代官山」シリーズ(2008~09年)  TV/「戦国鍋TV~なんとなく歴史が学べる映像~」(2010~12年)、「侍戦隊シンケンジャー」(2009~10年) アニメ(声の出演)/「銀河機攻隊マジェスティックプリンス」(2013年)、「新テニスの王子様」(2012年)
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