本谷有希子ロングインタビュー
「演劇を捨てたわけではない。ただそのときに面白いことを正直にやっているだけ」
本谷有希子が帰ってきた。
2016年、小説『異類婚姻譚』で第154回芥川龍之介賞受賞。すでに2011年、小説『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、2014年、『自分を好きになる方法』で三島由紀夫賞を受賞していた本谷はこれで純文学新人賞の三冠作家に。名実共に日本の文壇を代表する作家のひとりにのぼりつめた。
一方、ホームである「劇団、本谷有希子」は番外公演の『ぬるい毒』(2013年)を最後に事実上の休止状態。2016年の飴屋法水氏らとの共同制作以来、実に3年もの間、演劇創作からは遠ざかっていた。
『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』『遭難、』『幸せ最高ありがとうマジで!』――本谷有希子の作品が2000年代の演劇シーンに与えた影響は大きい。作家として充実期を迎えたように見える本谷有希子は、3年ぶりの新作『本当の旅』でどんなものを見せてくれるのだろうか。
■「劇団、本谷有希子」でやっていたようなことじゃない世界観をつくる
――3年ぶりの演劇創作ですが、どうでしょう? 自分の脳や感性が演劇モードにチェンジしていっている感覚はありますか?
本谷「今回、稽古に入る前に5回ぐらいワークショップをやらせてもらっていて。その5回を経て、こういうことをしていたかな、ってだんだん思い出している状態ですね。」
――ワークショップではどんなことをしたんですか?
本谷「最初は公演するかも決まっていない状態で、自分がどんなことをやりたいのか、ひたすら探らせてもらっていました。」
――企画ありきだったわけではなく?
本谷「ないですないです。だからやってみて何も思い浮かなければそれまで、みたいな。それが途中から小説で書いた『本当の旅』(2018年刊行の小説『静かに、ねぇ、静かに』内に収録)をちょっとやってみようということになって、それが何となくカタチとして見えたから公演をやろうという流れになりました。」
――原作の小説は「ハネケン」、「づっちん」、「ヤマコ」というアラフォーの男女3人組がメインです。キャストを見ると、それよりもだいぶ人数が多いようで、原作をそのままやるというより、いろいろとアレンジを加えるのかなと思ったのですが。
本谷「ただ登場人物を配役して、小説の話通りにやっていくことに興味はないので、アレンジはします。ワークショップでは、これを題材にどういうことができるか、どういうことをして遊べるかを探っていたので、そこを意識しながら「劇団、本谷有希子」時代とは違う世界観をつくろうとはしています。」
――原作の骨格にあるのは、旅に出かけた男女が旅行の中身自体はそんなに面白いものでもないのに、Instagramにそれっぽい写真をアップすることで、あたかも楽しい旅であったかのように錯覚する気持ち悪さです。このあたりは今回の演劇でも残るんでしょうか?
本谷「その気持ち悪さみたいなのものを舞台空間で、より共有したいと思っています。」
■自分にものすごく意地悪な目線を向けるのが好きなんです
――では改めてこの『本当の旅』について聞かせてください。写真の中に映り込んでしまった余計なものをトリミングで省いて「なかったこと」にしてしまったり、ネガティブな空気を忌避する心理だったり、ああいう感覚は個人的にも思い当たるものがありました。こうした読み手の共感性羞恥を掻き立てるようなきめ細かい人物描写は、ご自身の内面と向き合うことで生まれるのか、それとも徹底した人物観察によるものなのかを教えてください。
本谷「私、人物観察は一切しないんです。SNSもLINE以外は何もやっていないので、ある意味ほぼ想像ですね。
でも、私自身が友達とマレーシアに旅行に行ったときに、旅先で写真ばっかり撮って、帰りの飛行機の中で写真を見返してみたら、つまらなかったはずの旅がだんだん面白いものだったかのように記憶が改竄されてきて…という経験をしたことがあって。終わってしまえば、写真の中のことがあたかも現実だったように感じてしまう。その不自然さは何だろうと思ったことが『本当の旅』を書くきっかけになりました。」
――作中でも「こうやってあとから見返す時間が、むしろ本当の旅っていうか。」という言葉が出てきますよね。すごくゾクッとしました。
本谷「旅先でも景色を直接見ようとせず、ずっとカメラ越しで見ていたり。今、なんか不自然なことが起きているんだろうなっていう漠然とした感覚。普段の日常では流しているような、「なんか気持ち悪い」「なんか苛立つ」「なんか不自然」という引っかかりの中に書くことがあるのかもしれないって思うんです。私がやっていることって結局、その「なんか」という3文字を物語に置き換える作業なんですよ。
だから最初は何も考えない。書くこと自体が、その「なんか」について考える時間なので、「あのときはこういうことが気持ち悪かったのか」って書きながら他人事のように気づくんです。」
――「ハネケン」たちはお金というものに縛られて生きている人たちを心のどこかで見下していたり、非常にポジティブで自由な新しい時代の価値観のもとに生きているように見えますが、客観的に見るととても空疎です。
本谷「私、空疎とか空虚なものが大好きなんです(笑)。」
――失礼ですけど、読みながらなんて書いている人は意地悪なんだと思いました(笑)。
本谷「確かに、人の空疎なところや空虚なところを見ると自分の中で盛り上がっちゃうので、間違いなく意地悪ですね(笑)。
でもその空疎さがもともとどこにあったかと言うと、自分の内面なんです。人を見て揶揄しているというより、あくまで自分のことを書いているつもりで。それが自分だけではなく、現代を生きる人にとって共通の空疎さになるところが面白いなと思っているんですけど。
昔から、自分にものすごく意地悪な目線を向けるのが好きなんです。こんな滑稽な人間がいますよって自分を祭り上げるのが私の処女戯曲(笑)。20代の頃は、自分に対してこんな滑稽な生き物はいないと思っていたし、それを書けばきっと面白いものになるに違いないと思っていた。
でもそれがだんだん薄まって、今はいい意味で人の方が面白いって思うようになってきたんです。それでもいまだにずっと自分のやっていることって滑稽だなって眼差しは消えなくて。そんな意地悪な目線が今も自分に向いたままなんです。」
■物語に変換されないものの方が面白いと思うようになった
――書くものが変わってきた印象は外から見ても伝わってきます。では、演劇のつくり方はどうでしょう? やはり年齢と共に変化はありますか?
本谷「3年ぶりだし、稽古はこれからなので、今からどう変わるだろうって思っている段階ですね。あとは変えたいと思ってます。劇団時代でやっていた頃とはまったく違う演劇の形態を模索したい。だから意識的に変えていこうと思っています。」
――それはどうして?
本谷「(即答で)飽きたから。」
――シンプル!(笑)
本谷「それと、私はもともと自分のことを物語しか書けない人間だと思っていて。なのに、私自身が物語にそれほど興味を持てなくなってしまった、という理由もあります。今はわかりやすい物語に還元されないものの方が面白いんじゃないかって思うようになっちゃったんですね。
自分の趣味嗜好は変わるし、それによってつくりたいものも変わる。今は物語しか書けない自分がそれを封印して何がやれるんだろうって探っているところです。」
――つくり方についてなんですけど、そもそも俳優へのオーダーはどんな感じでやっているんですか?
本谷「まだ試してる段階ですけど、ワークショップでは小説を渡して、「このシーンやりたいからちょっと読んで」って伝えて、ぶっつけでやってもらいながら、口立てしつつ、漠然とつくってもらうっていう感じで。」
――じゃあ、行きたい解があって、そこに俳優を引っ張るのではなく。
本谷「ないです。どうしたらこのシーンをいちばん面白いかたちでつくれるだろうって模索している。今となっては私より経験を積んでいる人も多いし、だから役者にも「なんかここ面白くないんだけど、どうしてだと思う?」って聞きますし。」
――編集者という存在はあるものの、小説執筆は限りなく個人作業。翻って、演劇は共同作業です。そこの違いは大きいですか?
本谷「全然違いますね。人と向き合うって本当にエネルギーを使うので。楽をするために「それいいね」って流したり思考停止することもできますけど、そういうことやってちゃダメだなと思うから。演劇は、どれだけ目の前の人と向き合えるか。明日から稽古なんですけど、すべてに向き合っていこうということを今、唯一の心構えにしています。」
――人と向き合うのってめちゃくちゃカロリー使いますよね。
本谷「たぶん私、(本番が始まる)3週間後には点滴を持ってやっているとしか思えない(笑)。小説を書くときは自分と向き合っているだけだから、やっぱりやるべきことが全然違うなって思います。」
■演劇が最初にいた池。自分は小説を書く人とは切り離していない
――ここ数年、文壇での活躍が目覚ましく、演劇界という枠で区切ったときに本谷さんはとても説明しにくいポジションにいる気がします。ご自身は自分の立ち位置をどのように捉えていますか?
本谷「なんだろうね。演劇がもう自分の分野ではないっていう感覚は全然なくて。やっぱり自分がいる場所だし、辞める気もないし。」
――そうなんですね。
本谷「ただ、そんなにガツガツはやらない。やりたいなっていう気持ちが高まったときにやるようにしているだけで。やっぱり演劇が最初にいた池だから。自分は小説を書く人っていうふうには切り離していないです。」
――それこそもっと若い頃はどうですか? 演劇界で一山当ててやるみたいな気持ちはありましたか?
本谷「一山当ててやるとは考えてはいなかったけど、野心の塊ではありました(笑)。がむしゃらに公演の総動員数を増やしたりっていうことは考えていました。
だから、これも今はどうでもいいと言えばいいんですけど、「もう小説の方に行っちゃったんでしょう?」って思われているのはちょっと嫌だなあって。別に楽しにいこうと行ってる場所でもないし、演劇を捨てたわけでもない。ただそのときにやりたいことを正直にやっているだけなんです。」
――じゃあ、今はもう動員数を増やすことには興味がない?
本谷「ないなあ。今興味があるのは、どうしたら面白い演劇をつくれるんだろうっていうことだけですね。」
――シンプル。
本谷「シンプルです。というか、そもそもシンプルじゃなくなったから演劇を作らなくなったという経緯があるので。今みたいにやりたいという衝動が最初にあって動ける状況が本当は自然なことなんですよね。そりゃ予算はもっとほしいと思いますけど(笑)。動員が云々というのは、私はどうでもいいです。」
――じゃあ演劇界のトップに立とうという気持ちとかは?
本谷「ないない。」
――戯曲賞の選考委員になってやろうとか?
本谷「ないないないないない、まったくない(笑)。今は実作者としてもっと作品を発表して自分の面白いと思っていることを細々とやっているポジションでいたいなと思いますね。」
――じゃあ、お金はないけど、つくり手としては今はとてもハッピーな環境で?
本谷「うん。だって、「ここ(予算)削って」って言っているとき、楽しいもん(笑)。どんどん人数が増えていくと、ちょっと違うものになっていくなっていう空気は劇団のときに感じていて。だから今は、自分が向き合える人数でやっていきたい。そうして出来上がったものをどうにかしていろんな人に観てほしいという気持ちはあります。」
■表現は「めんどくせえなぁ」って言いながらやっているぐらいがちょうどいい
――本谷さんにとって演劇をつくるなり小説を書くなり「表現すること」ってどういう距離感なんでしょう? 常にすぐそばにある感じですか?
本谷「そうですね。特に小説の方はより自然かもしれない。演劇の方が「やるぞ!」って思わないとつくれない感じがするけど。」
――自然、なんですね。逆に言うと私は書かなきゃ生きていけないとか、自分の価値を見出せないとかいうタイプではない?
本谷「ないし、そういうのは好きじゃない。人が言っているのは全然いいし、格好いいなと思うけど、私にはそれがないから。私にとっては「やりたくないなぁ」「めんどくさいなぁ」とか言いながら書いているのがちょうどいい。で、そうこうしているうちに気づいたら長い付き合いだねっていうのが表現との理想の関係性です。」
――3年ぶりの演劇創作を経て、何が見えたらいいなと思いますか?
本谷「とにかく違う景色を見たいっていうのがありますね。それがどういうものかは具体的には言えないけど。
劇団の後期は、芝居を作ることがもはやルーティンになっていました。まず小屋を決めて、役者を決めて、芝居をして、お客さんが入った、良かった、はいまた次の公演っていう状態。ずっと同じ景色しか見えなくなっていた。
私が小説を多く書く理由って、小説は今、全力を尽くしたら違う景色が見えるんですよ。視界が開けるんですよね。わからなかったことがわかったり、自分の中で何か変わっていっている。そうすると生き続けられる感覚があるので、今、小説を多く書いているんですけど。本当なら演劇でも同じ感覚を味わいたいんですね。
だから、同じ景色じゃないところに行きたい。知らない景色が見たいんです、ってそれだけです。」
――それがどんなものかはわからないけど。
本谷「わからないけど。あとは自分の既存の演劇観を壊したい。「これも演劇なんだ」っていう考え方が、小説のようにできるようになりたくて。そのために別の分野の人の力も借りて作品を拡張できないか、今まで考えたことのないことを考えたりして。たとえば今回、料理と演劇がうまくつながらないかなって模索しているんですけど。そういう今まで考えたことのなかったことを考えるのが楽しいです。」
――わかりました。それがどういうものになるのか楽しみにしています。
本谷「あ、だからお腹をペコペコにしてきてください。」
――え。どういう意味ですか?
本谷「(楽しそうに)買っていただくので。」
――なるほど。料理がキーワードなんですか…?
本谷「ではない(笑)。いろんなことをする「祭り」にしたいと思っています。」
インタビュー・文:横川良明
撮影:山口真由子
(プロフィール)
本谷 有希子(もとや・ゆきこ)
1979年、石川県生れ。2000年、「劇団、本谷有希子」を旗揚げし、主宰として作・演出を手がける。2007年、『遭難、』で鶴屋南北戯曲賞を最年少で受賞。2009年、『幸せ最高ありがとうマジで!』で岸田國士戯曲賞を受賞。2002年より小説家としても活動を開始。2011年、『ぬるい毒』で野間文芸新人賞、2013年、『嵐のピクニック』で大江健三郎賞受賞。2016円、『異類婚姻譚』で芥川賞を受賞。