12月に新歌舞伎座で歌手・吉幾三の14年ぶりの座長公演「吉幾三 特別公演」が上演される。コンサートでは大阪を多く訪れているが、同劇場で座長を務めるのは2005年以来2度目になるという吉が大阪市内で取材会を開いた。公演に向けてや、芝居をする上で大切にしていること、最近話題になっているラップの楽曲「TSUGARU」についてなど様々な話題が飛び出し、冗談を交えた〝吉幾三節〟に、現場は終始笑いに包まれた。
――まず、「吉幾三 特別公演」の第一部「どたばた遊侠伝 時代おくれの竜」についてお聞かせください。
吉「人情に厚い、昔気質の竜三という役を演じます。まだ稽古に入っていないのですが、作品の脚本・演出を担当する岡本さとる先生によると、私の役は、途中から上方の親分にひろわれて、大阪弁をしゃべる設定なんだそうです。親分の身代わりに牢屋に入って、出てきたら、自分のシマを取られてバラバラになった。それに腹を立てて、何ヵ所かにお礼参りに行くんですが、行った先々で竜三はお礼参りするどころか、お金を置いてきたりする。そういう人情ドラマです。僕がコンサートでもよく言う、皆さんが生きているか死んでいるかの安否確認をしに行くわけですね。知らないうちに知り合い同士がくっついていたりするドタバタ喜劇です。僕のセリフは面白い言葉になるんではないかなと思っています」
――久々の座長公演の面白みを感じていらっしゃるのではないですか。
吉「公演が終わるころにやっとセリフを覚えるんですよ(一同笑)。もうね、60歳過ぎたら、次から次へと忘れていくんです。先日、テレビ番組の収録で『雪國』を間違えましたからね(笑)。プロンプター見て『俺の作った歌だからいいだろう、皆さんも初めて聴くような顔して聴いて下さい』と。歌い終わった後、五木ひろしさんに『2回歌った後みていに疲れたわ』と言ったら、五木さんは『2回聴いてもいい歌だったよ』と言ってくれました(笑)。
――吉さんのセリフは、大阪弁に津軽弁をミックスしたものになるのですか。
吉「いや、方言指導を入れて、そこそこの大阪弁になります。僕、大阪で昭和48年にヤンマーディーゼルのコマーシャルソングでデビューしたんです。大阪にしばらくいたので、こっちにきて友達と飲むときは大阪弁でしゃべっているんですよ。『若い子でエンジンの歌を歌う子はいないか』と依頼があって、僕は演歌をやりたかったんですが、そっちの方でデビューさせられましてね。大阪や奈良、彦根、色んなところに行かされて、奈良の山の中でボートのエンジンの歌を歌ったら、『兄ちゃん、ここ船ないぞ』と言われてね、それでもレコードを買ってくれたもんですよ(笑)。当時、アイドルの歌を歌っていたんですが、ちょうど郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹とバッティングしてたから出る幕はなくて(笑)」
――今回の「どたばた遊侠伝 時代おくれの竜」は松竹新喜劇の「帰って来た男」が原作になっています。松竹新喜劇といえば藤山寛美さんですが。
吉「藤山寛美先生のテレビの芝居はほぼ見ています」
――どういう印象ですか。
吉「いや、それはもう間ですね。失礼ですが大きい顔で(笑)、お客さんを見たりするときの独特の間。僕は、舞台で髪短くして、『お母ちゃん、おんのんかー』みたいなトロンとした言い方で寛美先生のモノマネをした芝居をずっとやっていました。僕にとって寛美先生はお芝居を教えてもらったこともないし、お酒を飲んだこともありませんが、芝居の師匠です。自己流で学んだのは寛美先生だけです」
――寛美先生の作品に思い入れがあるのですね。
吉「僕が大阪に来たときは二十歳そこそこでしたが、それこそ寛美先生の親や兄弟を描いたドラマを見て、ボロボロと涙流して泣いてましたよ」
――吉さんが舞台で演じられる時に、大切にされていることは、やはり間ですか。
吉「そうですね、やっぱり一番大事なのは間だと思います。それに、座長なので、自分に絡む人のセリフは全部覚えておかないと。うちの座組は忘れるのばっかりですから(笑)。『お前、名前何だっけ?』と言ったら、自分が分からなくなってパニクっちゃう(笑)。自分の役名は自分で言わないから。『お前は茂三じゃ』『そうでした』となるんですよ(笑)。これをアドリブでするとお客さんも笑うんですよ。セリフのないところでポソッと、『お前、カレーが好きらしいな』と絡んだりもする(笑)」
――では、寛美先生のように舞台ではアドリブが多いんですね。
吉「そうそう、楽しくね。ただ、一歩、二歩と線路から外れても自分で戻さないといけない。だから絡む人のセリフは全部覚えます。それだけは気を付けています」
――寛美先生の芝居はテレビで見られたのですか。
吉「大阪ではそうですね。東京に戻ってからは、寛美先生のVHSを箱で買ってきました。今は、お願いして、iPadに入れてもらって何回も見ていますね。寛美先生の『花ざくろ』を、渋谷天外が『俺の作品と、寛美先生の見てやー』と送ってくれたんです。『お前のなんか誰が見るか』と言ったんですが(笑)、両方見て、寛美先生はもちろん、天外もうまいわ。両方で泣きましたね。でも、天外の芝居を見に行ったときは、あんなに頭でかかったかなと思って。思わず、『でっかいな、頭』と言ったら、舞台まで聞こえていたらしいんです(一同笑)。後で『でかい頭なんて言うな』と怒られました(笑)。天外は、本当にいい役者だと思いますよ。なかなか寛美先生の芝居を受け継いでいく人がいないけど、天外や直美ちゃんのように、受け継いでいく人もいる。それはうらやましいですよね」
――共演者も楽しみですね。
吉「熊谷真実ちゃんとは何回も共演してますが、酒井敏也さんとは初めてなんです。僕の娘、寿三美も出ていますし、楽しみですね」
――第2部の「吉幾三オン・ステージ」についてうかがいます。吉さんは昨年、お仕事を休まれて世界を旅したそうですが、そのときに受けた刺激が舞台にいかされるのでしょうか。
吉「何にも覚えていません(笑)。音楽はジャズ、カンツォーネ、オペラなどを現地で聴きました。この間はヨーロッパに行ってきて、アメリカにはもう何十回も行っています。まだまだ行きたいところはたくさんあるんですけど、ステージでは歌は日本語で歌わないといけない。世界中の音楽は聴きますが、それを自分で書いてコピーになってもいけない。色んな所に行って、色んな場面の音楽をジャンル関係なしに聴いてきたのはすごくいい刺激になっています。ジャズが何なのかは分かりませんが、ジャズミュージシャンのルイ・アームストロングが生まれたニューオリンズに行って、空港から降りたときは涙が出てきました。空港にルイ・アームストロング・インターナショナル・エアポートという名前が付いているんです。彼の銅像もいっぱいあって。昼間は観光して、夜は6時ぐらいから酒飲みながら、バーボンストリートで色んなジャズを聴いていました。色んなジャズのバンドがあって、歳いったおじいちゃんたちのバンドも枯れていていいなと思いましたね」
――ところで、吉さんが津軽弁で歌うラップ「TSUGARU」が話題になっていますね。地元に対する思いが強いのでしょうか。
吉「僕自身はいまだに青森に住んでいて、月に1回か2回は帰るんです。段々、過疎化し、僕の住んでいたところは青森のビバリーヒルズと呼ばれていたんですが、今は仏壇群になってしまって(笑)、帰るたびに『あそこの婆さんが死んだ』という話が出ます。あの歌は実は3年ぐらい前にシャレで書いた歌で、歌声も3年前の声なんですよ。関係者に車の中で曲を聴かせたら、笑い過ぎて事故を起こしそうになった。『これ、出そうよ』という話になったんですが、『俺は演歌の吉幾三だぞ』と(笑)。『人生~みち~』を歌っている俺が、こんな歌は歌えと言われても二度と歌えない(笑)。だから配信でどうぞということになったんです。YouTubeを見たら、我ながらバカやってんなと思いました(一同笑)」
――今はもう歌われないのですか。
吉「あの歌は難しいんですよ。ラップ調で書いて、僕が知らない言葉もある。大きな字でプロンプターに書かないと。それに結構、あの歌長いんですよ(笑)。もう一度あの格好するのは嫌だし、僕、『人生~みち~』歌ってるし、着物着て歌いたいし、細川たかしと肩ならべたいし(一同笑)。だから歌うことはないと思います。配信2週間でPV再生200万回を超えて、レコード会社の人に『CDにしたい』と言われました。『こんなわけのわからない〝YO-YO-〟とか歌ってるよりも(笑)、ほかのちゃんとした歌を出してほしい』と言ったんですが、『どうしても』と帰ってくれない(笑)。『TSUGARU』のもともとのオリジナルは、歌の始めと終わりに、田んぼの真ん中で女が叫んでいる〝キャーッ〟というすごい声が入るんです(一同笑)。たぶん、僕と夫婦の設定なんですよ(笑)。そこから、『トントン、YO-YO-YO』と続き、終わってからも〝キャー〟が入るんですが、配信では入れなかった。オリジナルを聴いて、レコード会社の人は、皆大笑いになりました。それでとうとう10月末にCDを出すことになったんです。『カップリングの曲はどうします?』と聞かれて『おふざけになっちゃいけないよ。これ、一枚で出しましょう』と(一同笑)。歌詞カードはもちろん入れましたが、それでも分からないでしょうね(笑)。実は、次の曲ももう書いたんです。これはもっと分からない歌ですから。ラップをオーケストラでアレンジしてるんですよ(笑)』
――吉さんはそうやって色んなジャンルの歌に挑戦されていますが、演歌に対する思いは特別なのでしょうか。
吉「やっぱり演歌歌手になりたかったし、僕は自分は演歌歌手、歌謡曲を歌う歌手だと思っています。『雪國』がミリオンセラーになって、皆に知られたわけですから。そこからは絶対、外れたくない。ネット配信では、『相変わらず吉幾三だな』というのを出していきたい。ステージで歌うにはある程度、きちっとしたショーをやりたいんです」
――第二部では『~ジャンルを超えて…吉幾三 世界の旅唄~』もありますが、どのような構成ですか。
吉「イントロ8小節の間にその国々の衣裳を着て、6~8ヶ国の歌を歌います。インドネシアの民族衣装や韓国のチョゴリなどを着て、わずか8小節で、長くても15~20秒の間に着替えて歌います。最後はハワイになると思うんですが、アロハシャツを着るのではなく、12月に上半身裸で腰ミノを着けて歌うべきかどうか悩んでいます(一同笑)。名古屋で一回やったことがあるんですが、寒いんですよ(笑)。アメリカもやるのでタキシードに着替えなきゃいけないし。腰ミノの格好になるのが面白いと周りから言われるんだけど、大阪公演の18日間、ずっと裸になってみろよ、寒いぞと(笑)。バンドの前で裸で着替えて、時間がなくて、足袋や靴下をはけないで出ていく時もあるんですよ。韓国の歌も歌いますし、アメリカの歌は英語で、日本は民謡、なるべく現地の歌で歌おうと思っています」
――アメリカの歌はやはりジャズですか。
吉「ジャズかオーソドックスな歌になりそう。うんと年いった人は知っているか分からないけど、『想い出のサンフランシスコ』とかトニー・ベネットの歌になるかなぁ。なるべく皆さんが聴いたことがある歌にしたい。『TSUGARU』を聴きに来る人がいたら、それは大きな間違いです(一同爆笑)」
――吉さんの楽しいトークも期待できますね。
吉「もちろん、もちろん。僕、歌はあまり好きじゃないんです(一同笑)。コンサートでもよく言うんですが、本当に申し訳ないですけど、CD買っていただくと歌詞を間違えてないですよ(笑)。僕、生でやると歌詞を間違えるときがあるんです。でも間違えても僕が作った歌ですからね(笑)。デビューしてからもう46年です。よく五木ひろしさんは歌あきねぇなと思いますよ(笑)。ほんと、歌好きだからあの兄貴は。僕も『雪國』を30年以上歌っているわけだから。ハワイで歌ったときに、ビートたけしさんから『ハワイに来てまでこの歌聴きたくねぇ』と言われました(一同笑)。お客さんのリクエストを募る歌手もいますが、僕はもう自分のペースで歌います。自分の歌も好きだけど、今まで歌ったことがない歌にチャレンジしてみたいですね。今回は12月ですし、僕が作ったクリスマスソングもあります。どういうショーになるのか本当に楽しみですね」
取材・文 米満ゆうこ