平埜生成 インタビュー|常陸坊海尊

東北地方に残る常陸坊海尊伝説を背景に、戦中戦後の混乱の中を生き抜いた人々の魂の声を捉えた戯曲「常陸坊海尊」。秋元松代が著した戦後の傑作が、長塚圭史の演出により上演される。キャストには白石加代子、中村ゆり、平埜生成、尾上寛之らが集い、重厚な物語を編み上げていく。今まさに稽古が進められる中、東北に学童疎開した際の出逢いから衝撃的な結末へと向かっていく男・安田啓太を演じる平埜生成に話を聞いた。

 

――今回の作品に出演されることが決まった時は、どのようなお気持ちでしたか?

正直、怖かったですね。お話をいただいて戯曲を読ませていただいたときに、なかなか強靭な作品だと思ったので、果たして自分にできるのかという気持ちになりました。不思議な言い方ですが、とても日本らしい部分を描いていて、土着的な文化や日本人としての魂のようなものを表現しなくてはならない、それくらいのものすごいパワーを感じた作品だったので、怖いと感じてしまったんです。一筋縄ではいかないことはわかっていたし、できないんじゃないか…と思いました。


――それほど平埜さんにとっては圧倒される戯曲だったんですね。どういうところにパワーを感じられたんでしょうか。

今まで目を背けてきたり、忘れてはいけないことを忘れてしまってきた日本人としての生き方とか、歴史、風土のようなものをはらんでいて、自分が勉強不足だった部分もあると思うんですけど、なかなか出合ってこなかったような作品だったんです。分からなかったり、理解することが難しい部分もあったんですが、自分としてはとても腑に落ちる感じでしたし、自分が演じる役のラストシーンに神秘性も感じました。とても面白いと感じましたね。

 

――稽古がはじまってから、何か解釈として新たに感じた部分はありますか?

稽古のスタイルが、まずみんなでディスカッションをして、作品をどんどん深めていくところからはじまって、その中で凄みに出合いました。まずは生きる意味の“生”と、セクシャルな意味としての“性”が大いに描かれているんです。なぜ生と性が描かれているかは、物語の背景にある第二次世界大戦のことなどにも理由があるんですね。あとは女性の強さ。日本でも女性の権利を求める運動も盛んになってきましたが、戯曲が書かれた1964年当時は露骨に男女差があった時代だったと思うんです。そして舞台は1944年の戦中から始まる。そんな中で女性の聖なる魅力、魔性の魅力などが描かれていたという面白さには話し合っていく中で気づいていったことでした。一人で読んでいるときは、そこまで気付けなかった。登場人物の全員が今を生きることに精一杯だったりするので、その力強さにとても凄みを感じました。


――稽古の雰囲気はどのような感じですか?

すごく開けている、温かいカンパニーだなと思います。皆さんがおおらかで、懐の大きな先輩方に囲まれています。白石加代子さんは顔合わせの時に「呼びにくいと思うけど…私のことは加代ちゃんって呼んでね」って言ってくださったんです。稽古前に行うシアターゲームでもそれぞれ下の名前を呼び合ったり、そういうところからカンパニーの雰囲気づくりが始まった気がします。だからか、お互いの役についてディスカッションをしているときに「なんでお前が私の/俺の役のことをしゃべるの?」みたいな空気が全くないので、何も気にせずに、自分が感じたことを言える。それぞれ皆さんが経験されてきた知識も教えていただけるので、本当にいい稽古場です。


――稽古の中で、何か掴んだと感じたきっかけなどはありましたか?

一番最初に、子役の子どもたちへの宿題として与えられていたのが、学童疎開や戦災孤児、東京大空襲や食糧難のことを調べて、大人たちの前で発表するというものだったんです。それに僕たちが大人気も無く(笑)、ここはどうだったの?とか子どもたちに質問したりして。もちろん、答えてくれたり、答えられなかったりしたんですけど、それがものすごく刺激的な時間でした。子どもたちから教わることが多くあって、グッと上がったような瞬間を感じました。戦災孤児たちの生きた時間があって、僕や寛くん(尾上寛之)の役はまさにそんな役なので、僕にとってはとても大切な時間でした。

――この戯曲を書かれた秋元松代さんはどのような人物だと感じていますか?

お会いしたこともないので資料などから読み取った完全なる想像ですが、とても強くて自分に厳しい、立派なお方だったんだなと思いました。人間って欲に溺れてしまう弱さとか、いろいろな弱さがあると思うんです。日本人はそれを人間らしさとして美化している部分がある。触れないようにして、事なかれ主義のような問題にしない気質があると思うんですね。そういう日本人性を嫌悪…とはまではいかないかもしれないけど、あまり好んでいなかったんだろうなと思いました。「ひとりにめざめよ、ひとりの力を尊び、ひとりの意味をしのべ」という言葉を日記に書いていたりもしたそうです。寂しかったり、誰かにそばに居てほしい気持ちってあると思うんですけど、それを良しとしないような。ひとりでいることによって、力を発揮できるという想いで原稿用紙に向かっていたのではないかと思います。だから、台詞を覚えるときも、なるべくないがしろにしないで一字一句をちゃんと言葉で発語できたらいいな、という想いはありますね。それは井上ひさしさんの作品をやってきたこともあると思います。


――今回演じられる安田啓太はどのような役どころなのでしょうか。

学童疎開で東北地方にやってきた少年で、東京大空襲が起こって家族を亡くしてしまうんです。そこで2人の魔性の女性、雪乃とおばばに出会い、女性の魔力に引き寄せられてしまいます。特に雪乃になんですけど。イタコのおばばにも亡くした母親を魅せられ、より離れがたくなってしまった。そんな少年の16年後を演じています。その間に、即身仏を作ることだったり、懲役に行ってしまうこととか、いろいろな出来事があるんです。大きな傷を負ってしまったから自分の魂をどこにも寄せることができなくて、雪乃から離れられないというなかなか辛い生涯を送るんですが、最後には魂の叫びが神秘的な終幕へとつながっていきます。


――なかなか壮絶な役どころですが、どのように演じたいですか?

演じようという意識を持たないようにしています。でも、どうしても演じようとする自分も出てきてしまう。それをそぎ落としていくことが啓太にもつながるのではないかと思っています。何かをしようと思ってしまう欲を消して、人を纏う。待つこと、動かないことを意識している段階です。啓太はあきらめてきたことが多いんですね。そういう部分は、失礼で勝手な想像ですが秋元先生自身にもつながるんじゃないかと思っています。戦中戦後で自分の青春を送ることができなくて、自己を見失ってしまって、恋もできなかった、勉強もしたかった。当時の子どもたちって、いろいろなものをいっぱい諦めてきたんです。そんな時代にはじき出されてしまった存在とそぎ落とされた肉体というものがうまくリンクすればいいな、と思っています。色々なものをあきらめて、切り捨てて、そんな心の中心に雪乃がいる。そういう、単に欲望のままに生きたわけじゃない、逃げることすら奪われた男を目指せたらと思います。

――演出の長塚圭史さんはどんな方ですか?

すごい方ですね。出会ったことのないような方でした。誰に対してもフラットで公平に人と接するような印象を受けました。ご自身も演じる側をされているからか、俳優に対する敬意があって、乱暴な物言いもしないんです。とにかく上品。強引な演出もなくて、俳優に寄り添い、余白を与えてくれる感じですね。そこに愛がものすごくあって、器の大きさを感じます。だから、稽古場の空気がすごくいいんですよ。


――この稽古場ならではのことってなんでしょうか

白石加代子さんの存在が大きいですね。自分が出ない場面でも、じっと人のセリフを聞いているお姿とか、僕はとてもカッコいいと思うし、そういう背中を見ています。今回は白石さんと直接セリフを交わすことができないんです。それが悔しくて。絡みたかったですね。


――共演するみなさんの印象はいかがですか

こんなことを言ってしまっても大丈夫だろうか、というような空気を皆さん一切感じさせないですね。もしかしたら僕はすごく失礼なことをしてしまっているかもしれないけれど、素を出せているとも思います。尾上寛之くんは3回目の共演で今回は相方のような役になりますが、演技のことなど、僕的には深い話もできるようになった気がしてて「僕は先輩とこういう話もできるようになったんだ」という嬉しい気持ちもあります。自分もちょっとは大人になれたのかな、って。きっと、寛くんがそう思わせてくれているんだろうけど(笑)。でもそういう空気は、長塚さんの演出スタイルもあると思います。変化していっている自分を感じられるような気がしています。

――KAAT公演は12月7日~22日までで、時期的に今年を締めくくるような作品になるかと思います。今年1年はどのような年でしたか?

とにかく自分を見つめていた1年でした。それは俳優という職業のこともそうですが、自分の人生についてもそうでしたね。今の事務所に入って10年、20代も後半に差し掛かってきて、人生のことを考えだしてしまいましたね。僕の先輩でも人生の転機を迎えたんだな、という方もいたり、自分はどうなんだろうと。一番好きなことは何なのか、人生あと何年生きるのか。僕はまだ26年しか生きていないですが、人生長すぎるな、なんて思ったりして…。白石さんは長年舞台に立たれていますし、昨年は石倉三郎さんとも共演させていただいたんですが、そういうカッコいい先輩方の背中を見て、そんな先輩方と同じように強く戦えるのか自分は、とか考えてしまいました。凄く憧れるけれど、本当に一部の人にしかできないんだろうな、と。役者は役があるときだけ役者を名乗れる仕事。自分を見つめる中で、役者は大変な仕事だな、というのを実感しています。


――そんな今年を経て、2020年はどのような年にしたいですか?

本当に自分の好きなことを探して、強い信念を見つけられたらと思います。役者を続けていくうえで、その理由として“これだから続けるんだ”という信念が見つかったらいいな、と思います。…見つからないかもしれないですけど(笑)。でも、そういう気持ちですね。


――その信念を求め続けることも、役者のひとつの姿かもしれないですね。そういう精神力が必要な役者という仕事をしていく中で、息抜きになるようなものは何ですか?

読書家とまではいかないですが、本を読むことが息抜きになっていますね。今は作品にまつわる本が多いですが、美術関係の本だったり、偉人の本だったり。文庫も新書もいろいろ読みます。美術とかは特別興味があるわけではないんですけど(笑)、たまたま目に留まったので今読んでます。ヒエロニムス・ボスの「快楽の園」っていう絵についての本なんですけど、何でこの絵を描いたんだろうとか、すごく面白いと思って。作品に関連する本も読みますが、そういうまったく関係ない本も読むことで息抜きになっているかもしれません。でも、本だけじゃ飽きちゃうので、移動のときも行きは本で帰りは映画、みたいに使い分けしています。


――けっこう気になったものはストイックに興味をもって突き詰めるタイプですか?

いやいや、そんなことないですよ。でも、そんな人間になりたいと思っています。今までうやむやにしてきた興味のあったことに、もうちょっとちゃんと向き合おうと思っていますね。そういうことを意識しているからかもしれないですね。

――最後に、今回の舞台での見どころを教えてください

何より白石さんを観てほしい!僕の少ない観劇経験で、勝手ながら白石さんは人間の持っている猥雑な部分、魑魅魍魎的な人の持つダークな部分を体現していらっしゃると思っていたんですけど、とんでもないです。本当に勉強不足でした。18歳の初々しい演技、男を惑わせる女性の艶やかな演技、色んな表現や、色んな音色を使って、小さな体からほとばしるエネルギー、大きな愛を放出されるんですよ。これは本当に観てほしいし、白石さんの…加代ちゃんの凄さを体感してほしいです。


――演出面でも挑戦的な試みがあるそうですね。

そうなんですよ。美術がとんでもないことになっています。それこそそぎ落とされていて、舞台説明の際に“煙”の中で芝居をしますという説明があって…煙?ってなりませんか?(笑)。素晴らしいスタッフさんが集まっているので、本当に洗練されている芝居になっています。我々は煙の中で秋元先生の言葉を頼りに、動かなければいけない。嘘が通用しないものになっていると思います。ムーブメントや音楽も重なって、かなりの衝撃的な作品になるはず。戦後の傑作と言われた作品を、オリンピックを控えた今の時代に上演することで、令和の傑作になると思っています。KAATは中華街も山下公園も近くて、海も近くて、とても気持ちいい場所。横浜デートにもぴったりの場所なので、ぜひ開演前・終演後も街を楽しんで頂きたいと思います。ぜひ、ご覧いただけたらと思います。

 

インタビュー・文/宮崎新之